ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

死後の世界

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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死後の世界を恐れないために

健康な子供や若い人には、死というものが理解出来ない。
私が、小学3年生の時、「死ぬとはどういうことか?」と考えた時に出した自分の回答は、「それは夢のない眠りと同じ」だった。
それであれば、日頃、経験しているので、恐くはないように思えるが、よく考えると、それがずっと続くのだとしたら、「嫌だ」を通り越して、やはり、「恐い」になる。

私が死を恐ろしいものと思うようになったのは、平凡だが、映画や小説等で、少年や少女が、病気で余命1か月などと宣告され、残りの短い命を生きる姿を見た時だった。
例えば、『クリスマス・ツリー』という映画では、事故で白血病になった10歳位の少年が、余命数ヵ月となる。
少年の父親は、息子の短い生涯を楽しいものにしてあげようと、あらゆることをする。
例えば、狼が欲しいという息子のために動物園から狼を盗み出すことすらやった。
しかし、病気のことは息子には決して教えなかった。
だが、少年は、自分の死について、敏感に感じ取っていた。
そして、少年は、クリスマスの夜、命が尽き、すっかりなついていた狼が遠吠えを上げる。

人間が、善良でいようとする動機の1つとして、善良に生きて死ねば、死後の世界で幸福になれるからというものがある。
そして、案外に多くの人が、それなりに死後の世界のことを信じていて、それが確かに、悪事を思い止まらせる理由になっている。
しかし、当然ながら、今は、死後の世界を信じていない人が多いだろう。
さらに、神も天使も信じていないとなると、法に触れない限り・・・もっと言えば、バレない限り、何をしても良いと思うかもしれない。
ところで、神や天使というのは、死後の世界である天国とセットのようなものだから、神や天使を信じていないなら、死後の世界も信じていないし、その逆も高確率で成り立つと思う。
死後の世界や、神、天使、あるいは、仏、菩薩の存在を信じさせるのは宗教である場合が圧倒的なので、無宗教というのは悪い面もあるかもしれない。

世界では、いまだ、権力者が、自分の権益のために、庶民を不幸にしたり、さらには、虐殺するようなことすら、いくらでも行われている。
アメリカでは、アメリカ国外のそんな権力者達に金をもらって、言いなりになっている政治家やマスコミが、アメリカの自由と民主主義を滅ぼそうとしているのを、トランプ大統領が食い止めるべく戦っているが、多くの人はその事実すら知らない。
巨大な悪事を働く者たちは、神も天使も、死後の世界も全く信じておらず、死ねば全て終わりと思っているはずだ。
いくらなんでも、死後の世界の役人は金で買収出来ないだろうからね。

では、死後の世界が本当に存在するのかというと、実を言うと、それなりのエビデンス(証拠)もあるが、証拠ってのは、それを見ることなく「証拠はない」と言えば、無いことになってしまうのだ。
「え?そんなことはないだろう?」と言ったって、そんなことはある。
裁判においても、勝敗を決するのは、決して証拠の明確さではなく、原告と被告の力関係・・・もっとはっきり言えば、権力の大きさである。
そんなこと、世の中をちょっと見れば解ると思う。
どれほど明確な証拠があっても、権力がある者が「その証拠は不十分だ」と言えば、そうなるのである。
同じように、いかに死後の世界の十分な証拠があると言っても、その証拠を示す者に権力がない限り、「それは十分な証拠ではない」と言われれば反論出来ないのである。

だが、それでも、死が近くなると、人間は死後の世界があることが分かってしまうのだ。
だから、権力があって、自分の利益のためにだけ生きていた者は、死はあまりに恐ろしいものになる。
今は解らなくても、あなたも、死ぬ時には、死後の世界があることが分かるのである。
だから、神や天使に見られて恥ずかしいことは、なるべくしない方が良い。
だが、どうしても、人間の弱さから、神や天使に、目をつぶってもらいたいことをしてしまうことはある。
しかし、神や天使は、決して見逃してはくれない。
だが、そんな時のために、イエスは「人を許せ。そうすれば、神もあなたを許す」と言ってくれたのだ。
我々は、イエスを信用するしかないだろう。








死後の世界について

『青い鳥』で知られるメーテルリンクは、死後の世界の存在を信じるだけでなく、死後の世界が無いと考えることが非常に不合理だとまで言った。
彼は『死後の存続』という本を書いているが、非常に分かり難い本だと思う。少なくとも、霊界物語といったものではない。

死後の世界は存在するのだろうか?
主要な宗教では、全て死後の世界の存在を説いているが、キリスト教では、死後、すぐに死後の世界で活動するのではなく、審判の日まで眠り続けるようだ。
だが、キリスト教を根本に書かれたダンテの『神曲』や、エマニュエル・スウェーデンボルグの『霊界日記』などでは、人は死後、すぐに霊界での生活を始めるとしている。

死後の世界の実証は大変に難しい。
その中で、死後の世界の可能性を示すものが臨死体験と呼ばれるもので、事故や病気で死んだと見なされた者が蘇生した時、死後の世界に行った記憶を持っていることがあって、その内容が、ただの幻想のレベルを超えていると思われることから、なんらかの信憑性を感じさせることがある。
だが、やはりそれは脳が作り出した幻影と考える方が合理的だと言う者もいる。

ところで、死後の世界を信じる理由の1つに、この世での不公平ということがある。
善い人間が、この世で辛い目に遭っているのに、悪人が良い思いをしていることがよく見られる。
確かに、「奢れる者は久しからず」で、悪人が楽しくしていられるのは一時的で、やがては、普通の人よりずっと惨めな状況に陥る場合が多いように思えるが、中には、高齢で死ぬまで楽しく生きる悪人もいるように思える。
それなら、この世では不幸だった善人が天国で幸福になり、この世では良い思いをした悪人は、死後は地獄で苦しむべきだと考えたくもなるだろう。

量子物理学を基に、肉体が死滅した後も精神が活動することを説く者もおり、中には、非常に素晴らしいと思える説もあるが、正しいかどうかよりも、誰もが納得出来るとは言い難いのではないかと思う。

死後の世界は、あるともないとも言えない。
だが、あると考えた方が、生が充実するという考え方には良い点が多いかもしれない。
また、「生きているが死んでいる」という言い方を、肯定的な意味でも否定的な意味でも言うが、この考え方が重要であると思われることもある。

ところで、私が納得してしまった、常識を超えた考え方があった。
それは、そもそも、生が幻想であるという考え方で、死後の世界があるというよりは、死後の世界の方がスタンダードで、生きている状態なんてものは、実際にはないというものだ。
書で言えば、アラン・ワッツの『タブーの書』(および、その改訂版の『ラットレースを抜け出す方法』)が、そんなことを説いていると思う。
やや難しい感じはするが、D.H.ロレンスの『無意識の幻想』も、そんなことを描いている。
飯田史彦氏の『生き甲斐の想像』からも、そんなことが感じられる。

生きている間は、美味しいものを食べ、猫と遊んで楽しみ、自然に触れて良い気分になるなど、良いことが沢山ある。
しかし、楽しいことにうつつを抜かしていると、それを得られない状態の時に悲惨を感じる。
だが、大切なことを忘れている。
それは別に難しいことであるはずがない。
ちょっとしたヒントがあれば分かるし、それは幸福をもたらす。
例えば、河合隼雄氏の本にあったが、死んだら月に行き、先に死んだおばあちゃんにも会えるという自分のストーリーを持っている小学生の女の子のようにである。
ただの絵空事といえばそうだが、ストーリーには不思議な力がある。








魔力の原理と使い方

死んだ人について、「天国にいる」、「極楽浄土にいる」とか、スウェーデンボルグなどを読んでいたら、「霊界にいる」とか言ったりする。
そして、死者が現世の我々を見ていると思い、人によっては、「見守って下さい」とか思う。
一方で、死んだら、消滅してしまうか、最後の審判の時まで眠ると言う者もいる。
だがやはり、多くの人の関心は、死んだら、個別性・・・つまり、個の意識があるかどうかだろう。
私も、経験しているのではないから、はっきり言えないが、正解は分かると思っている。
それは、個別性はあるが、主体性はない・・・いや、別に、難しい言い方をしてお茶を濁すという、似非(えせ)霊能力者や、レベルの低い学者気取りのインテリブリっこの真似をしようというのではない。

人類というのは、神様の壮大な一人遊びだ。
我々だって、退屈なので、1人で2人以上の人間の役になって空想のストーリーを作って楽しむことがあるが、それの神様版がこの世だ。
子供の場合は、空想力が低いからではなく、あり過ぎるので、ストーリーを固定するために人形を必要とするが、大人の場合は、想像力貧困だし、そもそもみっともないので人形は使わない。
まあ、それはどうでも良いが、例えば、セーラー服の美少女と冴えないオタク男子が恋に落ちるストーリー(なんでや)を作るとする。
空想しているうちに、本当に2人がいると思うほどではないが、リアリティーを感じてくることはあるだろう。
私なら、ことごとにハッピーエンドにするのだが(この場合、一応、オタク男子が美少女をゲットとしておくが)、そうではなく、美少女が難病にかかり死ぬとする。
そして、オタク男子が、美少女は天国に行ったと思ったとして、美少女が本当に天国にいるかというと、それは、ストーリー上では、そういうことにしても構わない・・・程度のことである。
悲しみにくれるオタク男子も、あくまで、ストーリー上、存在するだけだ。
そして、我々自体、ストーリー上の登場人物で、ストーリーを作った者からすれば、死んだ後も、我々個々のことを覚えているので、その意味では個別性がある。
しかし、死んでしまえば、唯一存在する神様に戻るので、今の自分の小さな意識がなくなるからといって悲観する理由は何もない。

大体、こんなところで合っていると思う。
じゃあ、それはそれでいいから、今の自分が、ぱーっと金持ちになったり、偉くなったり、それこそ、セーラー服の美少女の彼女(可愛い彼女のイメージ古過ぎだが)が出来るなどになってくれればと思うかもしれない・・・いや、思う(笑)。
では、そのためにはどうすれば良いかというと、普通に考えるだけで(私の普通かもしれないが)、解決策は浮かぶ。
作られた個である「私」の意識を消せば、元の神様の意識を思いだせる(難しく言うと、フォーカスするとか言う)。
早い話が「ぼーっと」すれば良い。
ただ、コツがあって、目的をまずはっきりさせて、つまり、「金持ちになる」という目的を強く思い(イメージでも言葉でも良い)、それから、ぼーっとするのだ。
そして、特には、ストーリーを動かす神様のパワーを要しない、自分で出来る些末なことは自分でやっておくのである。でないと、ストーリーが進まない恐れがある。
小さいうちに、「自分のことは自分でする」と教えられた子は、必ず成功する。
教えられなかったとしても、「自分のことは自分でする」という決意を持てば、後は、ぼーっとするだけで、何でも出来るのである。
もっと大きな視点で言えば、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言である、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
ということである。
金持ちにしてくれるのは神様だが、ラクダをつなぐのは、神様ではなく自分である。








死んだら・・・別にどうもならない

悟りを開いたり、死んだら、個性が消える、つまり、個別性がなくなるという話がある。
まあ、誰もが悟りの方は縁遠いと感じているだろうが、死と同じことだ。
しかし、それ(個性が消えること)を嫌だと思う人が多いと思う。
悟りを開いてもナンシーの夫でありたいし、ジョンのママでありたい。
死んだら、トムやメアリーや太郎として、天国で皆と面白おかしくやりたいし、極楽浄土の素晴らしさ楽しさを味わいたいと思っていることだろう。
それに、花子やマークである自分が消えるのが怖いと思っている。

これらについて、分かったようなことを言う者は・・・いや、実際分かっているのかもしれないが・・・もっと上手く説明しろよと言いたいと思っていたが、最近は、「もっとうまく説明してもいいんじゃないかなあ」というくらいに思えてきたし、さらに、「死ねば個人としてのお前は消えるのじゃあ、わーはっは」でも別に良いのかなあと寛容になってきた。
なぜなら、どこにも悲惨がないからだが、そう言うと、「どう悲惨がないのじゃ?!」と聞かれるかもしれない。

たとえて言えば、死んでも慶子でなきゃ嫌だというのは、大学生になったらセーラー服が着れなくなって嫌だというようなもので、着たけりゃ、勝手に着ればいい。
「そんなことしたら笑われる」と言うなら、笑われるようにすれば良い・・・と、ここでちょっと聞き慣れないことを言われた気がすると思う。
つまり、笑われるも、笑われないも、どっちでも出来るし、どっちも同じなのだ。

アラン・ワッツが『タブーの書』(改定版は『ラットレースから抜け出す法』らしい)で、こんなふうに喩えている。
退屈してたので、1人で家族ごっこと始め、お父さん役とお母さん役の2役をやっていた。
そのうちに、子供も出来、息子役、娘役を含め、1人で4役をやっていた。
ところが、遊びに夢中になって、お父さんを演じる時はお父さんになり切ってしまい、娘を演じる時は娘に同化してしまい、自分は単に遊びをやっているということを忘れてしまった。それが人類の状態なのだと。
その喩えで全く問題ない。
そのうちの誰かが死んだということにしたら、残った者達が悲しくて仕方がなく、どうしていいか分からなくなった。
で、どうしたらいいかというと、どうもしなくていい。
死んだ人がどこに行ったのかと真剣に考えるが、どこにも行ってないし、最初からいなかった。
それなのに、たとえば、お父さん役が、「私は死んでも妻の夫でありたい。息子や娘のパパでありたい」と演じている(正しくは、演じさせているのだが)。
それじゃあ、死んだら幽霊役しかないじゃないか?

つまり、死んだら、パパを演じていた遊び人に戻る、あるいは、同化するだけのことだし、パパだったことは、どうでも良いことなのだ。
あなたが、社長だろうが、人気アイドルだろうが、誉れ高い一流大学の秀才だろうが、乞食だろうが、同じことだ。
演じている者の能力が、演じられている者の能力と比較のしようもないほど高いだけで、話は同じなのだ。
「いや、私は社長として、従業員の家族の生活を保証する義務がある」なんて立派なことを考える役をするのも、楽しいことかもしれないねえ。
「じゃあ、やーめた」なんて言って、世間から非難轟々される役に替えるのも面白いかもしれない。
「じゃ、じゃあ、あの人気アイドルとラブホに行く役ってのは・・・」なんて役を演じさせる者は、せいぜい、その後、アイドルの握手会で変なことをして逮捕される役を用意するものなのだ。その方が面白いしね(笑)。

確かに、プレイヤー・・・まあ、神様みたいなものなのだが・・・は能力が凄いので、我々が自力行動が出来るように作ってあり、それを自我と言うのだが、やっぱり自分が演じていることに違いはない。
昔のテレビ時代劇で、丹波哲郎さんが、日本一の剣士の役をしていた。
その剣士の名を騙る者が現れ、そいつは、講演会を開いたり、グッズ販売で儲けていた。
ある時、その偽剣士が、丹波さん演じる本物の日本一の剣士と同じ宿に泊まっていたが、偽物は、その剣士の名声を利用して可愛い姫様を口説き、一緒に温泉に入るという羨ましい・・・もとい!不埒なことをしていた(笑)。
日本一の剣士の門弟達が、「あの者、こらしめてやりましょうか?」と言うと、日本一の剣士は「捨ておけ」と応える。
日本一の剣士は考える。
「俺だって、本当は、あんなことがしたいのだ。あいつは俺の代わりにやってくれているのだ。あいつは俺だ」
さすが日本一の剣士・・・の役をしている神様、少しは分かっている役だ。
しかし、どこか不満げなのは、完全には分かっていない設定だからである。
「あいつは俺」
そうだ、どちらも神様が演じているのだから、いつでも替われるのだ。
ルンペンから世界一の作家に役柄を変えたコリン・ウィルソンのようにね。








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死後の世界を知ると願いが叶い易くなる道理

不安や恐怖がなければ、どんな願いを持っても、その願いに対する否定的な想念は浮かばないので、潜在意識の働きにより願いは叶う。
『ノワール』というアニメの『イントッカービレ』というお話で、「イントッカービレ(侵すべからざる者)」、「世界一凶暴な姫君」と呼ばれるシルヴァーナ・グレオーネの、
「私に恐れはない」
という言葉を私がずっと覚えていたのも、そのことを直観的に分かったからだろう。
このことから、これが真実であると断言出来る。
私も、恐れというものがなくなるにつれて、願いは叶い易くなった。
普通は、歳を取るごとに不安はなくなるものだが、歳を取るたびに願いは少なくなる。
だが、欲深なじいさんって、不安がなくならないものだ(笑)。
世の中、うまく出来ている。

執着を捨てると、不安はなくなる。
要は、つまらん欲望・・・見栄や、食欲や、性欲に関する欲は少なくすることだ。
執着って、そんなところから来ることが多いからだ。

まあ、命への執着を捨てると、一切の不安がなくなり、全ては思いのままだ。
大山倍達が、真剣を持った剣の達人と決闘した時、命を捨てたら、気が付かないうちに相手が伸びていたというのは、私には信じられる。
そういえば、キャプテン・ハーロックの歌に「命を捨てて俺は生きる」なんてあったと思うが、ハーロックは無敵じゃわい。

いろいろな想いはあるが、とりあえず言うと、死後の世界について知っておくと良い。
すると、あまり死を恐れなくなり、願いは叶い易くなるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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