ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

武内直子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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「負けない」アラカルト

ZARD(ボーカル:坂井泉水さん)の最大のヒット曲は『負けないで』だったと思う。
「負けないで」というフレーズは、いつの時代も人気があるが、坂井さんも負けそうになったことがあるから、こんな歌を作った(作詞は彼女自身)のだろう。
「負けない」は、「屈しない」「諦めない」という意味合いが強いと思う。
だから、「負けないで」は英語で「Never go to lose」だが、むしろ、「Never give up」が相応しいかもしれない。

『美少女戦士セーラームーン』のアニメの3期目である『美少女戦士セーラームーン SuperS』のエンディング曲(の1つ)、『らしくいきましょ』は、『美少女戦士セーラームーン』原作者、武内直子さん自身による作詞だが、冒頭がまさに、
「ラララ ネバーギブアップ がんばるわ」
である。
武内さんのように、23歳で書き始めたこの漫画が世界的、歴史的な作品となり、若くして人生の大成功者になった人でも、負けそうに(屈しそうに)なったことがあるのだろうかと思う。

「ネバーギブアップ」と言えば、最も有名なのは、やはり、ウィンストン・チャーチルの言葉としてだろう。
引退し、すっかり老人になったチャーチルが久々に演説をするというので、大群衆が集まった。
あのカリスマ性はトランプ大統領のよう・・・いや、むしろ、トランプはチャーチルのように偉大だと言うべきかもしれない。
その演説で、チャーチルは、黙ってつっ立っていた。
「やはりもう歳か?言うことを忘れたか」
そう思った人が多かっただろう(まるでジョー・バイデンだw)。
しかし、チャーチルはいきなり前のめりになり、
「Never give up, never never never」
と声を上げた。
自ら大統領選に立候補し善戦したテキサスの大富豪ロス・ペローは、これが最高の演説と言った。
そのペローは、生まれながら挫折しそうだった。
家が貧しい上、彼はチビのブ男で、老人になって、「妻がなぜ私と結婚してくれたのか?いまだ謎だ」と述べている。
そのペローは、自分が経営する会社の社員がテロリストに拉致された時、自ら救出に向かい、テロリストと折衝した。
彼が言うには、「こんな醜い男が社長だとは誰も思わないだろう」という理由だったそうだ。

ソビエト連邦共和国最後の大統領だったゴルバチョフは、ロシアになってからもクレムリンに勤めていたが、冷遇され、大統領時代は当然、高級車の後部座席に1人で乗っていたが、その時は、ヴォルガという大衆車1台が、自分を含めた3人(いずれも大男)に割り当てられ、見るのが辛い感じだった。
だが、車から降りてきたゴルバチョフは、「絶対に負けないぞ!」と叫んだのだった。

『美少女戦士セーラームーン』のアニメ第4期(最終期)『セーラースターズ』のオープニング曲は、武内直子さん作詞だったが、テレビ版では、いきなり、
「まけない!」
という力強い歌声から始まる。
オリジナル版の曲では、その前に、静かなメロディーで少し歌い、一転、「まけない!」となるので、一層、力強さを感じるものだった。
テレビ版のオープニングでは聴けない3番の歌詞の中に、
「フラスコの底あなたがのこしていった 希望の星のひとかけら さあ 呪文を唱えよう」
という部分がある(調べたら、合ってた)。
私も、呪文・・・というか、アファーメーション(肯定的断言)を忘れないようにしようと思う。
尚、『セーラースターソング』のテレビでは流れなかった、一番最初の部分は、
「かなしみがいまセーラースマイル 奇跡をおこすのセーラーウイング」
である。
やはり、いったん沈んでこそ、人間は本当の力を発揮するのだろう。
苦しい時こそ、呪文(あるいはアファーメーション)を唱えよう。








アニマ・ムンディと出逢う方法

子供の時に引っ越していて、その子供時代が概ね幸福であった場合、その場所に戻ってみることほど楽しいことはない。
あるいは、子供の時に、とても不幸な出来事のために引っ越した場合ですら、十分な時が経っていれば、やはり、そこに戻ってみることは、ひどく幸福に感じることもあるかもしれない。

レイ・ブラッド・ベリの『みずうみ』は、子供の時に引っ越して以来初めて、結婚した妻と一緒に故郷に戻ってきたハロルドに起こった、特殊というより不思議な(「怪奇な」と言えるかもしれない)お話だ。
この小説を萩尾望都さんが1977年に素晴らしい漫画作品にしているが、萩尾さんは1976年に、『みずうみ』に似た神秘的な作品『花と光の中』を描いている。
2つの作品は、似てはいるが、かなり異なったところもある。
いずれも、子供の時に仲良しだった、同い年の女の子が死んでしまった後、そこから引っ越した男の子が青年になってから戻ってくるというところは同じだ。
女の子たちが死んだのは、『みずうみ』では2人が12歳の時、『花と光の中』では5歳だ。
『みずうみ』の少年ハロルドは少女タリーに恋を感じていた。
一方、『花と光の中』の、まだ5つのルーイはイザベルに対してそうではないが、2人は結婚の約束のようなことはしていたし、それよりも、その結びつきの強さは、2人で1人と言えるほどのものだった。
ハロルドは、タリーとは少しも似ていない妻を、一方、ルーイはイザベルにそっくりで、イザベルだと本気で思っているマーシという女性を連れて故郷に帰った。
ルーイはマーシをイザベルだと疑ってもいないところは狂気といえるほどだが、それ以外においては、ルーイは変人と言われながらも、概ね正常なようだ。
ルーイとマーシはまだ学生のようだが、大学生だろうか・・・そのあたりははっきりとは分からない。
ハロルドには、ごく世間的で、ハロルドにとってはやや疎ましいかもしれなかった母親がいたが、ルーイの母親は、ルーイがよほど小さい時に、亡くなるか離婚しているかなどで、ルーイは母親のことは知らないようだ。
そして、故郷に戻った時、ハロルドにとって妻は「全く知らない女性」となり、ルーイはイザベルをマーシではないと知る。
死んだはずの、タリーとマーシが、それぞれ、ハロルドとルーイを取り戻したのだ。

この世的には死んでしまっているタリーとマーシのところに戻ったハロルドとルーイが不幸なのかというと、そうではないように思える。
ハロルドとルーイはもう、世間の人間ではなくなってしまった。
エデン、あるいは、仏教の教える涅槃に戻ったのかもしれない。
そして、これらの作品を読めば、あなたもそこに戻れるかもしれない。
私はそうだったように思うのだ。
そこで、あなたは、ハロルドにとってのタリー、ルーイにとってのイザベルと同じ、アニマ・ムンディ(ラテン語。世界霊という意味)に出会い、それと融合するかもしれない。
誰でも、子供の時には、大好きな何かを通して、それ(アニマ・ムンディ)と交流しているのだ。
W.B.イェイツの詩『再来(再臨)』は、そんなアニマ・ムンディが再び、人類、あるいは、あなたに挑む様子を描いているように思う。
武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』では、土萠ほたるという名の、まだ幼い少女が、『再来』を読んで、11歳で滅びた前世を思い出し、強い力(セーラーサターン)に覚醒するが、これが実に美しい場面であった。
あなたも、これらに触れて、原初の力を取り戻すと良い。
これらの作品が掲載された書籍を下にご紹介しておく。









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できるやつはガツガツしない

モテる男はガツガツしていない。
だが、モテるからガツガツしないのではなく、ガツガツしないからモテるのだ。
特に、「なんでこんなのがモテるの?」と思わせるような男ほど、そうなのだから面白い。
一方、「モテるノウハウ」を必死で実践してモテた男や女は皆無である。
本当に実力のある者というのは、「絶対勝つ」と意気込むことはなく、「なんとかなるだろ」と、どこかのんびりしている。

私が昔、セールスの仕事をしていた時、私がいた営業所に対し、本社から無謀なノルマが課せられたことがあった。
セールスマン達は、通常の4倍売れと言う「現場のことがまるで分からない本社のボンボン達」への不満を上げた。
だが、営業所長は、「絶対達成だ!」とシュプレヒコール(スローガンの唱和)を上げる・・・なんてことはしなかった。
ノルマ不達成なら「日の当らない道」に落とすという本社の脅しにも、全くうろたえていなかった。
そして、その月の10日近くも残してノルマは達成され、同様に厳しいノルマを突きつけられていた隣の営業所の援助さえしたくらいだ。
その営業所長は、ノルマが達成できるとは、まるで信じていなかったと言う。
だが、疑いもしなかったのだ。
そして、自分にできることをやったのだ。
全く、「なんとかなる」という雰囲気で、焦らず、悠々とやっていた。

自分にできることをやって、結果に執着しないというのが、できる者のやり方だ。
駄目なやつは、自分にできることをせず、結果に執着するのだ。
自分にできる以上のことをやりたがり、結果に執着する残念なやつもいる。
そして、確かに結果には執着していないように見えるが、自分にできることをしない与太者(うすのろ)がとても多いように思う。
成功する者しない者は、これらのことで、極めて明確に分類できる。

『美少女戦士セーラームーン』で大成功をした武内直子さんは、大変な成功思想の持ち主だと思う。
この作品の中で、勝ち目のなさそうな強敵を前に、セーラームーンこと月野うさぎの恋人である、タキシード仮面こと地場衛が、冷静に、
「俺たちはできることをやろう」
と言っていたのが、非常に新鮮な感じで、よく覚えている。
フロイトは、小説の登場人物だって精神分析できると言ったが、漫画も同じであろう。
それで言うなら、タキシード仮面は、勝てるとは信じていないが、疑ってもいなかったのだろう。
そもそも、勝つことを信じるなんて人間にはできない。
しかし、自分にできることをやれば、疑いを弱くすることができる。
そして、結果に執着せず、なりゆきに、あるいは、神にまかせてしまえば、疑いは起こらなくなる。

どう考えても、これが1本の筋の通った成功の掟である。
自分にできることなんて、たかが知れている。
焦って、自分の手に余ることをしようとするのは、結果への執着が強い者がやることだ。
そんな者が自滅しなかったためしはない。
臨済宗の僧侶、尾関宗園さんは昔の本で、「金持ちになりたいなら、小銭をためろ」と書いておられたが、これが、自分のできることだろう。
自分にできることをたゆまず続け、結果は神にまかせて執着しなければ、勝利を信じることはないが、疑いもしない。
そうであれば、なんとかなるものである。
では、自分にできることとして、競馬をしたり、宝くじを買うというのはどうだろう?
結果に執着しなければ当るかもしれないが、それは難しい。
ただ、収入のごく一部で、趣味でやっている者は、案外に宝くじでも当てているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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