ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

正法眼蔵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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『正法眼蔵』と『荘子』

何か1冊、真理を語った書を読み続ければ、少しずつ真理に目覚め、自覚はなくても、知恵を得、普通にはあり得ぬことを起こす力がつくと思う。
数学者の岡潔は道元の『正法眼蔵』を意味が分からないまま20年の間、座右の書とし、ある日突然『正法眼蔵』の全てが分かったというが、それまでにだって、自覚はないながら、魂の力が発揮出来る度合いが高まっていたはずなのである。

発明家の中山正和さんは、旧制中学卒業の際、国語の先生に、「『正法眼蔵』の『現成公案』だけ一生読め」と言われ、『正法眼蔵』の他のところも読んだが、やはり、まずは『現成公案』をしっかり読んだことが彼に知恵と力を与えたのだろうと思う。

私は、ごく若い時、禅文化学院の『正法眼蔵』を読み、意味はさっぱり分からなかったが、美しいことが書かれていることは感じ、読むのがもったいないと思いながら少しずつ読んだ。そんな読み方でも、何かしらの効果は明らかにあったと思う。
まあ、言ってしまえば、引き寄せの力が向上したのである。

どんな本が薦められるのかというと、私なら、この『正法眼蔵』か『荘子』である。
ただ、中山正和さんは、その『現成公案』の原文を読んだらしいが、古文は慣れていないと真逆の意味に取りかねないし、『正法眼蔵』は難解と言われながらも、文章自体が難しいわけではないので、易しく翻訳された現代文を読むべきと私は思う。つまり、それで書かれていることは十分に伝わるのである。
ただ、現代語訳と言いながら、難しい言葉を使って書いた学者さんもいるので注意が必要と思う。

『荘子』は、元はもちろん漢文であるが、書いてあること自体はおとぎ話レベルの易しいことなので、やはり分かり易い翻訳で読むのが一番だと思う。あまりくどくど、詳細・厳密な翻訳と解説を記したものは、下手したら理解するのに何十年もかかるかもしれない。
『荘子』はあくまで実用書であり、中国の人は気楽に読め、そんな読み方でこそ役に立つのだから、翻訳もそんなものが良いと思う。
(ちなみに、中国の人は孔子・孟子を読むことが多く、老子・荘子はさほど読まれていないのではと思う。まあ、これは日本でも同じと思う)
確かに、アリストテレスみたいなものでは、用語そのものが難しく、翻訳も難解になる場合があるのも仕方がないが、『荘子』に関しては、簡単な用語の説明が記されてあれば(ほとんどの本についている)、それで良いと思う。

『老子』も、もちろん良いが、これは一般人のために書いたものではなく、他にもいろいろな意味で、現実的な効果は期待せずに読むと良いようなものと思う。
ところで、ラマナ・マハルシの本も良いのだが、これは何と言っても、ほとんど会話をすることがなかったマハルシの貴重な言葉を側近が書き写したものがほとんどで、マハルシは自身が語った言葉の意味を解説することはほとんどなく、いかに優秀な側近が注意深く記述しても、間違って記述したところも多いはずだ。
そもそも、話し言葉なんて、よほどの話上手でもなければ、半分も(普通は3割以下)意図した通りには伝わらないものである。
それに、マハルシが使ったのはタミール語というインドの方言で、これを英語に翻訳する際にも、かなりの齟齬が生まれただろうし、それを日本語に訳したのが日本語の本であるから、残念ながら、マハルシが本当に言ったことの残骸としか言えないと思う。
ただ、残骸とはいえ、読むに値しないわけではもちろんない。

私は、『荘子』(徳間書店版)を初めて読んだ時、「これを繰り返し読めば超能力者になる」と思ったが、もちろん、そんな自覚がはっきり得られるかどうかは分からないが、そう外れた見解でもないと思う。
『荘子』は、とりあえず、『内編』のみを読めば良いと思う。
『正法眼蔵』は全巻では大変な量であるが、『現成公案』と、その他いくらかを読めば良いと思う。
ただ、『正法眼蔵』にしろ『荘子』にしろ、私個人としては、解説は決して読まないことをお奨めする。
分かり易い翻訳を淡々と読むのが良いと思う。
禅文化学院の『正法眼蔵』は、現代語訳主体で、下に原文があり、解説もとても良いが、現代語訳を通して読むことをお奨めする。

あるがまま
AIアート674
「あるがまま」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院)
(2)正法眼蔵(ひろさちや訳)
(3)荘子(そうじ) 1 (中公クラシックス)
(4)荘子(徳間文庫)
(5)新釈 荘子 (PHP文庫)

最高の知恵の書であり魔法書でもある本

中山正和(1913~2002)さんという、発明家で、能力開発(特に発想法)のスペシャリストがいたが、彼はお堅い科学技術者であり、スピリチュアルなことは言わない人だった。
よって彼は、今で言う引き寄せみたいなことは語らなかったが、私が知る範囲でたった1つ、明らかに引き寄せとしか思えないことを著書に書いていたことがある。そんな人物が語ったのだから、不思議なリアリティがある。
それは、おそらく1970年代の話で、引き寄せという言葉自体はなかったが、潜在意識による成功法則としては、ジョセフ・マーフィーの本は日本でも普及していたと思う。
その引き寄せは、彼の若い男性の知人の話である。
その男性は、今住んでいる所よりもっと良い部屋に住みたいと思っていて、潜在意識による成功法則の本でも読んでいたらしく、住みたい部屋を事細かに思い描きイメージしていたら、場所も部屋の様子も、ほとんどイメージ通りの部屋が見つかったという。
これに対し、中山さんは、脳の中のある機能が、その部屋を「見つけた」のだと説明していた。
つまり、意識する心には浮かばないが、その脳の機能は自律的に活動し、見たり聞いたりした情報(本人が憶えていないものもある)を結び付け、本人の意識をコントロールし、その部屋が見つかるよう導いたのである。
さらに言えば、本人に「こんな部屋に住みたい」とイメージさせたのも、実は、その脳の機能であり、その脳の機能は、そんな部屋が存在することを知っていたのだから、イメージ通りの部屋があっても不思議ではない。
このように、中山さんは、あくまで合理的に説明し、潜在意識の法則や引き寄せの法則とは異なる説明をした。

中山さんは、その脳の機能を「いのち」と呼び、彼は、この「いのち」の解明に一生を捧げたが、「いのち」は高度過ぎて手には負えなかったのだと思う。しかし、その活用法はいろいろ分かったので、それを企業や個人に指導していたのである。
この「いのち」は宇宙の意志そのもので、「神」という概念を持ち出すなら、神の一部であることを中山さんも認めざるを得なかった。

おそらく、中山さんは、合理的に説明出来る範囲の「いのち」の機能さえ高度過ぎるのに、ジョセフ・マーフィー的な潜在意識の法則(今の引き寄せと同じ)となると未知のことが多過ぎるので、自分はあまり語ろうとしなかったのだと思う。
これは、科学技術者としては誠実な態度と思う。
とはいえ、直観が「いのち」の機能であることは解明し、松下幸之助のような高度な直観を持つ人の、その直観の秘密を説明すると共に、そんな直観を持つ方法も示すことが出来た。
たとえば、「オンナの勘」が当たる理由も説明出来るのである。
本当に大変な人であると思う。

幽玄の森
AIアート639
「幽玄の森」
Kay


その中山正和さんの原点は、彼が旧制中学を卒業する際に国語の先生に「君は『正法眼蔵』の『現成公案』だけ一生読みなさい」と言われたことだった。
その国語の先生も大したものだ。
『現成公案』には、この世の秘密の中の、人類が使いきれないほどのことが書かれている。
この中から魔法の知恵を汲み出し、一生使いまくっても使いきれないのだ。
今は、易しい現代語訳も沢山出ているので、使わない手はない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)悟りの構造―正法眼蔵の解明(中山正和)
(2)正法眼蔵(ひろさちや訳)
(3)現代文訳 正法眼蔵〈1〉 (河出文庫)
(4)正法眼蔵(禅文化学院)
(5)絶望しそうになったら道元を読め!~『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する~
(6)道元さんの安楽説法―「正法眼蔵」を読み解く(中山正和)
(7)禅と脳 大脳生理学と宇宙物理学から「さとり」を科学する(中山正和)

山を歩かせて海に入れるには

イエス・キリストは言ったものだ。
「山に向かって、立ち上がって海に入れと命じ、命じた通りになると信じて疑わなかったらそうなる」
だが、イエスは、どうすれば信じて疑わないようになれるか語っていないことになっている。そこが肝心なのに。

イエスには十二使徒と呼ばれる12人の高弟がいたが、イエスはその12人を平等に扱っていたわけではなく、特にヨハネがお気に入りだった。
福音書には「ヨハネはイエスの胸に寄り添って」などといった記述があったり、なんとなく、ヨハネが美少年であったことを思わせる。
いずれにせよ、イエスは弟子たちを平等に扱っていなかった。
それに比べ、私の知り合いは、こんなことを言ってたものだ。
「俺の大学時代のラグビー部のコーチは平等だった。皆を平等にゴミ扱いした」
すると、平等には扱わないながら、誰もゴミ扱いしなかったイエスの方がマシだ(笑)。

そうだ。イエスは誰も差別しなかったが、決して、人を平等には扱わなかった。
本当に重要な教えは、隠れて教えた。
馬鹿に重要なことを教えて誤解されたら大変だからね。
本当に重要なことは、馬鹿には理解出来ないものなのだ。

山が海に入ることについて、有名な牧師でも理解出来ず、困った解釈を言う者も多い。
例えば、ロバート・シュラーは優れた人ではあったが、この件について、
「イエスは、どれくらい時間がかかるとは言わなかった」
と、「おお、なるほど!」と言ってもらえそうなことを言った。
分からないなら分からないって言えば良いものを・・・
そこにいくと、道元は、『正法眼蔵』のどこだったか忘れたが、山が歩いて海に入ることについて書いている。
で、どうすれば、そうなると書いていたと思う?
私もよく覚えていないが、つまるところ、「そんなモンなんだ」だったと思う。
つまり、「山が歩いて海に入った?それが何か?」である。

黄昏時
AIアート519
「黄昏時」
Kay


夢の中でなら、「山が歩いて海に入る」ことも、「あって当たり前」とまでは言えなくても「あってもいいんじゃないか」くらいには思えるだろう。
そして、我々が現実と思っているものも夢と変わらないのだ。
ラマナ・マハルシは、
「夢は短く、目覚めは長い。その他に何の違いもない」
と言ったが、その長さの区別も怪しいものだ。
確かに、マハルシに対し、夢と現実は違うと言い張る者もいたと思うが、マハルシはそんな者を論破しようとはしなかった。
禅の公安の中に、旗が風になびくのは、風が動いているのか旗が動いているのかという議論がある。
それを大真面目に討論し合い、相手を論破しようとしているのを見ても、関わる気は起らない。
マハルシも、それと同じだったのだろう。

そんなわけで、山を歩かせて海に入れたいなら、この世界が夢であると見なすことだ。
そして、信じて疑わないようになれば、全て思い通りである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代訳 正法眼蔵
(2)ラマナ・マハルシの教え
(3)アイ・アム・ザット 私は在る
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(5)江戸川乱歩作品集 110作品収録+関連作品
(6)千夜一夜物語 巻1の1

タイムリープのための心構え

タイムリープ(過去や未来の自分に乗り移ること)をするということは、今の世界の人々を捨てるということである。
つまり、今の世界の、自分の親、子、兄弟姉妹、友人、恋人などに、二度と永遠に会わないということだ。
そりゃ、数日とか、数か月程度のタイムリープなら、同じような人に会える可能性は高い。
しかし、似てはいても、全く別人である可能性があるし、似た人間すらいない場合もある。
ずっと前の時代に戻ったら、元の世界の恋人や夫や妻と同じような人間が存在するのに、違う人と恋人になったり、違う人と結婚する場合もある。
まあ、今とは別の人と結婚したくてタイムリープすることもあるのだろうが。

あえてタイムリープする場合は、それなりの長い時間を戻ることが多いだろうから、やはり、今の世界の人間とは、永遠に会わないことを受け入れる必要がある。
とはいえ、今の世界の人間に、サヨナラの挨拶をするようでは駄目だ。
そんな気持ちの場合、タイムリープは難しい。
そして、実際、惜別の念を持つ必要はない。
どの人も、実際に存在するわけではなく、自分が作り出した幻想に過ぎないのだから。
タイムリープに必要な条件であるが、ある程度、思考(=心)が消えると、なんとなくそんなことが分かり、分かれる寂しさや悲しさは、全くとは言わないが、さして感じないものである。

湖で会う美少女
AIアート128
「湖で会う美少女」
Kay


いずれにしても、死んだら、タイムリープするか転生するのである。
それなら、意図的にタイムリープすることで、別の世界に移動しても記憶を保持出来るよう訓練しておくと良い。
記憶は次の世界での大きな力になる。
逆に言えば記憶を失くしてタイムリープや転生をしたら、ゼロからのスタートで、思い通りの人生にするには、幸運に恵まれたり、試練に耐える必要があるが、多くの場合、あまり楽しい人生にはならない。

「私は誰か?」と自分に問うて思考(=心)を消せば、この世界の特定のものを特別視することが少なくなる。
なかなかそれが出来ず、執着を絶てない場合は、まだ、自分のレベルが「私は誰か?」と問う段階でない場合があり、その場合は、「私は何も考えない」「私は何も信じない」「私は何も愛さない」といった世界コマンドを唱えれば、だんだんと執着がなくなり、希望いっぱいでタイムリープ出来ると思う。

道元の『正法眼蔵』を読むと、道元は確実にタイムリープを行ったのだと思う。
あの賢さ、洞察力は驚異的であったが、タイムリープを行ったのだとすると、少しは合点がいくのである。
他にも、タイムリープを有利に、楽しいものにする助言があるが、また次回以降述べよう。








わけのわからない言い方をするのは馬鹿か詐欺師である

道元の『正法眼蔵』の解説書か何かで見た覚えがあるが、こんなことが書かれていた。
「仏教の目的は自己を忘れることである。だが、自覚はなくてはならない」
こんな書き方をする者が多いと思う。
しかし、こんなわけのわからない書き方をいつまでも続けているのは、恥ずかしいとか愚かというより、解説を書いている人がさっぱり理解していないのだろう。
こんな意味不明な文章を書いた責任も感じることが出来ないのだと思う。
上の文は、
「仏教の目的は思考を消すことだ。ただしそれは、気絶したり眠っているといった無意識の時のことではない」
と、誰でも分かる簡単な言い方が出来るのである。
これなら、いろいろな直観的な言い換えも出来る。
たとえば、
「意識がある時に、頭の中のおしゃべりを止めることで本当の能力を取り戻せる」
などである。

水の精
AIアート94
「水の精」
Kay


旧約聖書の中に、
「心を静め、自分が神であると知れ」
という言葉があるらしく、その言葉をアファーメーションにしている人がいるようだ。
しかし、これは、詩編46の、
「静まって、私こそ神であると知れ」
と、神が言ったことの誤った引用なのかもしれない。
確かに、心が完全に静寂に帰せば神である。
だが、「心を静める」って、どうすればそんなことが出来るのか分かっているのだろうか?
まあ、「心を静め、自分が神であると知れ」と1日1万回も唱えていれば、脳が疲れて心が静かになる可能性があるかもしれないが、もう少しマシな言葉を選んだ方が良い。
だって、「自分が神であると知れ」と言う(思う)度に、自分が神とは思えないという想いが湧いてきて、かえって心が乱れるだけである。

心を静かにするには、思考を消す以外には方法はない。
そして、思考を消す最も簡単で確実な方法は「私は誰か?」と自分に問うことである。
思考は「私」に起こるのだから、思考を「私」という思考に固定してしまえば、それ以上思考することは出来ないからである。

わけの分からない言い方で、いかにもありがたいようなことを教えるのは、私は詐欺師と思っている。
良く言えば商売であるが、お客様を決して幸福にしない商売は、やはり詐欺だと私は思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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