私は、社会人になって最初の仕事がセールスマンだったこともあり、世界的セールスマンで事業家であった夏目志郎氏の本をよく読んだが、それは、セールスだけでなく、その後のあらゆる仕事に役に立ったと思う。
私は、夏目氏を崇拝するとかいうのではないが、彼の考え方にはロマンを感じて好きだった。
彼の著書は全て廃版で、古書は大抵高価という理由で、あまりお勧め出来ず、残念である。
その夏目さんが、セールス業界で伸びる人とそうでない人について、印象深いことを書かれていたが、それは、プログラマーやシステムエンジニアでも、そして、おそらく、あらゆる職業、さらには、スピリチュアルなことに関してすらあてはまると思う。
ごく簡単に言えば、己惚れの強い者は駄目で、謙虚な者が良いということになるのだが、これは難しい問題である。
例えば、夏目氏が書かれていたことで、こんな話があった。
新しく入社したセールスマンで、既に別の会社でいくらかセールスの経験がある者は、新しい会社でのセールスの教育や、先輩から指導を受けると、「もっと良い方法がありますよ」と言う者がよくいて、そんな者は、あまり伸びないのである。
夏目氏ほどの実力者であってすら、会社を変わったら、新しい会社のやり方に完全に従うと言う。
実力者になる者というのは、そういう者なのである。
私も、会社でプログラマーの後輩を持った時、その後輩が、学校を卒業したばかりの新入社員でも、学生の頃、趣味や大学の授業等でかなりプログラミングをやっていたり、あるいは、他社でプログラミングの経験を積んでいる場合には、いかにも自信満々で、私の指導を真面目に受け入れない者が多かった。
まあ、確かに、プログラミングが出来る者には自信家の傾向があるのは確かだし、その自信満々な態度通りに実力を発揮してくれれば私も楽だったのだが、実際は、そういった者で、使いものになった者は1人もいなかった。
中には、プログラミングが好きで、かなりやってたと思わせる者もいたが、そんな者は、無駄にマニアックなことばかりして、それを仕事でやられては困るので、指導しようとしても、「なんで駄目なんですか?」という態度をされると、こっちも面倒になり、相手にしなくなった。
あるいは、一見、謙虚なのだが、肝心なところで、自分のやり方を押し通したがる者もいて、こういった者もやはり使いものにならなかった。
ところが、優良なIT企業の若いプログラマーを指導した時には、謙虚な者がたまにいたが、本当に優秀な者ほど身の程を知っているのかもしれない。
このブログでも、読者の方がコメントを書いて下さるのは有難いが、やはり、「私のやり方の方がいいですよ」とか「こうすれば上手くいきます」といったことを書く方がいるが、そんな人は、自分はあまり良い思いをしていないと思う。
これは、セミナーで自己開発の指導をした時も同じなのである。
少し有名な先生の弟子がセミナーに参加した時、その者が、セミナー中、講師に敬意を払って真面目に指導を受けているなら、その者は有望である。
しかし、セミナーの間中、憮然とした態度で、尊大さを見せてしまっている者というのは、もう下り坂なのであると思う。
とはいえ、考えてみれば、謙虚な人間は滅多におらず、幸いにしてそんな性質を持っていることは幸運なことなのだろう。
人間の自我とは己惚れを持つことを避けられない。
もし、自分が傲慢なことに悩むくらいなら、それで合格としなければならない。
だが、心配は無用だ。
いかに傲慢で己惚れていても、真言を数多く唱えさえすれば、能力も運も獲得出来、本当の自信を得た時に、上には上がいると知り、謙虚になるのである。
むしろ、聖人にでもなりたいという身の程を知らない下心で謙虚なフリをしている者よりは、「俺は傲慢だ」という自覚がある方が良い。
尚、己惚れ屋は『歎異抄』を読むと良いと思う。
つまり、全ての者に『歎異抄』をお勧めするのである。
私は、夏目氏を崇拝するとかいうのではないが、彼の考え方にはロマンを感じて好きだった。
彼の著書は全て廃版で、古書は大抵高価という理由で、あまりお勧め出来ず、残念である。
その夏目さんが、セールス業界で伸びる人とそうでない人について、印象深いことを書かれていたが、それは、プログラマーやシステムエンジニアでも、そして、おそらく、あらゆる職業、さらには、スピリチュアルなことに関してすらあてはまると思う。
ごく簡単に言えば、己惚れの強い者は駄目で、謙虚な者が良いということになるのだが、これは難しい問題である。
例えば、夏目氏が書かれていたことで、こんな話があった。
新しく入社したセールスマンで、既に別の会社でいくらかセールスの経験がある者は、新しい会社でのセールスの教育や、先輩から指導を受けると、「もっと良い方法がありますよ」と言う者がよくいて、そんな者は、あまり伸びないのである。
夏目氏ほどの実力者であってすら、会社を変わったら、新しい会社のやり方に完全に従うと言う。
実力者になる者というのは、そういう者なのである。
私も、会社でプログラマーの後輩を持った時、その後輩が、学校を卒業したばかりの新入社員でも、学生の頃、趣味や大学の授業等でかなりプログラミングをやっていたり、あるいは、他社でプログラミングの経験を積んでいる場合には、いかにも自信満々で、私の指導を真面目に受け入れない者が多かった。
まあ、確かに、プログラミングが出来る者には自信家の傾向があるのは確かだし、その自信満々な態度通りに実力を発揮してくれれば私も楽だったのだが、実際は、そういった者で、使いものになった者は1人もいなかった。
中には、プログラミングが好きで、かなりやってたと思わせる者もいたが、そんな者は、無駄にマニアックなことばかりして、それを仕事でやられては困るので、指導しようとしても、「なんで駄目なんですか?」という態度をされると、こっちも面倒になり、相手にしなくなった。
あるいは、一見、謙虚なのだが、肝心なところで、自分のやり方を押し通したがる者もいて、こういった者もやはり使いものにならなかった。
ところが、優良なIT企業の若いプログラマーを指導した時には、謙虚な者がたまにいたが、本当に優秀な者ほど身の程を知っているのかもしれない。
このブログでも、読者の方がコメントを書いて下さるのは有難いが、やはり、「私のやり方の方がいいですよ」とか「こうすれば上手くいきます」といったことを書く方がいるが、そんな人は、自分はあまり良い思いをしていないと思う。
これは、セミナーで自己開発の指導をした時も同じなのである。
少し有名な先生の弟子がセミナーに参加した時、その者が、セミナー中、講師に敬意を払って真面目に指導を受けているなら、その者は有望である。
しかし、セミナーの間中、憮然とした態度で、尊大さを見せてしまっている者というのは、もう下り坂なのであると思う。
とはいえ、考えてみれば、謙虚な人間は滅多におらず、幸いにしてそんな性質を持っていることは幸運なことなのだろう。
人間の自我とは己惚れを持つことを避けられない。
もし、自分が傲慢なことに悩むくらいなら、それで合格としなければならない。
だが、心配は無用だ。
いかに傲慢で己惚れていても、真言を数多く唱えさえすれば、能力も運も獲得出来、本当の自信を得た時に、上には上がいると知り、謙虚になるのである。
むしろ、聖人にでもなりたいという身の程を知らない下心で謙虚なフリをしている者よりは、「俺は傲慢だ」という自覚がある方が良い。
尚、己惚れ屋は『歎異抄』を読むと良いと思う。
つまり、全ての者に『歎異抄』をお勧めするのである。