ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

次元上昇

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

いよいよ闇が襲ってくる

日本は長寿大国であるらしい。
これはどういうことかと言うと、老人が不幸だということだ。
「逆じゃないのか?老人は幸福だから長生きなのでは」
と言う人もいるかもしれない。
しかし、表面に現れることなんて、本質と逆のことが多いのだ。
「いい子」と言われる子供ほど心は歪んでいるし、優等生ほど本質で馬鹿だ。
店員の愛想の悪い店ほどよく売れるということも多い。
アメリカの有名な自己啓発プログラム(高額だ)のカタログには、そのプログラムの開発者である億万長者の社長が、豪邸で孫達に囲まれて、みんなで笑っている写真がある。そして、大きな文字で、彼がいかに幸福な人生を達成したかを示す言葉が書かれていたが、この社長は間違いないなく、本当は不幸だ。子供や孫達の笑顔も不自然で不気味だ。

日本はともかく、自然に囲まれた、景色の良い牧歌的な環境で、高齢者が沢山いる長寿国があり、テレビは、これらの高齢者が幸福そうな場面ばかり切り取って放映していた。それで、我々は、「この国のお年よりは本当に幸福だ」と信じて疑わない。
しかし、私には、決して放送されない、老人達の悲惨がはっきり見えるのだ。

人間は、幸福だと、割合にさっさと死ぬものなのだ。
なぜなら、年を取り、幸福だと、死を恐れないようになるので、「もういいや」と思ってしまうのである。
ただ、使命のある人は長寿であるかもしれないが、高齢で現役なんて人は辛いものなのである。
親を邪魔者扱いし、あるいは、放置し、辛い目に遭わせれば遭わせるほど長生きする。
逆に、大切にし、やりたいことをやらせれば、「どうしてこんなに早く」と思うことになるのだ。
ただ、地球人も、老化しないようになれば、数百歳と幸福に生きるようになるかもしれないが、それは老人とは言わないのだ。

ところで、日本に限らないかもしれないが、特に日本は、死ぬのが面倒だ。
「葬式無用、墓無用」なんて遺言した有名人がいたが、それは中々難しい。
携帯電話や保険など、本人が死んでも、手続きが為されないなら金は取り続けるのが当然だし、当然、返金しない。しかし、解約手続きがとにかく複雑怪奇なものが多い。
なるべく、何の会員にもならないことだ。でないと、残された人が苦労する。
大人が自殺するなら、そのあたりはきちんとしないといけないのだが、無責任な人が多いような気がする。
葬式にはかなりのお金がかかる。
寺に収める金も相当なもので、ある人は、お坊様にお金の包みを差し出したら、そのお坊様は、その包みを上から押さえて厚さを測ると、そのまま押し返した。つまり、「少ないんじゃよ、馬鹿者!」と言う訳だ。無論、全てのお寺がそうではないが、1つの寺がそうであるなら、それは、全ての寺の責任だ。そう考えるのが立派な人間じゃないか?
それに、お寺だって、運営にお金がかかるのであり、仕方のないことかもしれない。
あるお坊様が、仕事がしんどいと言っていたが、純粋な仏教者である彼は、住職として寺を守るための、そういった世間的なことが辛いのかもしれない。

『サイボーグ009』や『仮面ライダー』が、今でも新作が創られる、漫画家だった石ノ森章太郎さんは、自分が死んだら、1週間秘密にし、その後、自分が用意した挨拶の手紙を送るよう遺言したらしい。さすが天才。素晴らしいアイディアだ。しかし、我々が真似るのは、やはり難しい。
私も、出来るなら、初音ミク・巡音ルカのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』(作詞、作曲:wowaka )の最後から2行目の歌詞、「さよなら、お元気で。」を手紙にでもして、親戚に送りつけるだけで済ませたいものだ(送りつける友達はいないので)。

さて、地球のアセンション(次元上昇)も済み、闇の反撃が始まるかもしれないので、注意して欲しい。
あなたも、子供の頃、夢の中で見たかもしれない。
空間から突然、真っ黒な奇怪な者達が現れる。あるいは、ニシキヘビのような縞柄の黄色と白の、肌とも服とも言い難い身体を持っている。
彼らは、手に持った武器で、片っ端から人間を殺めていく。世界中が血に染まる。
あるいは、恐ろしい姿の怪物が、その巨躯に似合わぬ俊敏な動きで人間を捕らえ、片っ端から食べていく。
『僕は友達が少ない』という小説で、高校2年生の美少女、三日月夜空が、10歳のスウェーデン人の血の入った美少女マリアに、「俺様、お前、まるかじり」と言って、マリアをなぜか本当に恐怖させたのはギャグだったが、案外に、人間は、自分が生きたまま喰われる恐怖心は、潜在意識的に持っているものなのだ。
そして、それらの怪人や怪物は、ボクシングや空手の世界チャンピオンでも、まるで歯が立たないほど強い。
立ち向かっても、『ターミネーター』で、サラの友人(ルームメイト)の女性の恋人であるマッチョな男が、ターミネーターに挑んだ結果と同じになる。
無論、夢で見ることは、我々が現実的に分かることに置き換えた象徴であるので、実際にこの通りである訳ではないかもしれないが、実質ではそんなものだ。
つまり、我々は、自分を同一化している身体や心と共に滅ぼされ、至高者への道を閉ざされるかもしれないのである。
そうならないよう、アセンションで与えられた沈黙の力・・・・精神活動を制限し、ノイズを消し、澄み切った心で本質を見抜く力を伸ばさなければならない。









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アセンション(次元上昇)後、悪は滅びるか?

地球にアセンション(次元上昇。主に、人類の精神レベルが格段に向上すること)が起これば、悪は無くなるだろうか?
簡単には答えられない問題であるが、こういったことは言えるだろう。
人間の身体の中には、善玉菌と悪玉菌がいる。単純に言えば、身体を浄化するのが善玉菌で、病気にしたり老化させるのが悪玉菌だ。
そして、アセンションが起こっても、悪玉菌が消えたりはしない。もし、そんなことになったら、人間は生きていられないのだ。
草食動物にとっては肉食動物は悪かもしれないし、ライオンにとっても、餌を横取りしたり、年老いたら襲ってくるハイエナは悪と言えるかもしれない。しかし、肉食動物やハイエナが消えたら、自然界全体が滅ぶだろう。

ある警察幹部が、真面目な顔で、「ヤクザがいなくなったら日本は滅ぶよ」と言うのを聞いたことがある。
彼は、何の説明もしなかったし、力説した訳でもないが、非常に説得力があって、私は忘れずに憶えている。
私だって、コンピュータシステムを創る際、致命的でなければ、違反行為が出来るままに残しておくことがある。説明は難しいが、そうでないと、使えるシステムにならない場合があるのだ。
私はヤクザを肯定する訳ではないが、今はまだ必要なものだと言えるかもしれない。

人間は、動物と違って想像力があるので、過度な食欲や性欲を持ちやすいし、死に対する恐怖があるので、生存欲を満たすために、過剰な富や攻撃力を持とうとする。
これらが、悪の原因なのだ。
アセンションによっても、これらは何も変わらない。
ただ、外部の悪は、自分の中の悪が生み出しているのであり、その内部の悪に打ち勝つ力を得たというに過ぎない。
その力を使わなければ、悪はむしろ勢力を増して再び人類を襲うだろう。
我々は、依然、悪を抱えている。善玉菌と共に、悪玉菌を身体に持っているようにね。

悪に打ち勝つには、頭の中のおしゃべりを止めることだ。
つまり、妄想しないことだ。
そのためには、神が我々に与えた、沈黙の力を行使しなければならない。
つまらない想念に巻き込まれた時、「ストップ」と言って、精神の活動を制限するのだ。
精神の活動を制限するというのは、怠惰になることではなく、心の全ての力を使って行う激しい行為なのだ。
だが、アセンションによって、魂の周波数が格段に上がった人類には、もはや容易いことだ。
平和は、何もせずに与えられるものではない。
あくまで、我々が自分の手で勝ち取るものである。
そうでなければ、闇は容易く再び地球を覆うだろう。
悪については、『エメラルド・タブレット』に、その詳細が書かれており、それが、どこまで行っても存在するものであることを明かしている。しかし、悪の正体である闇の天使にもまた重要な役割があるのである。
ルドルフ・シュタイナーも、悪の役割や使命について語っている。つまり、悪は厳然として存在する。
だが、沈黙の力を与えられた我々が恐れるようなことは何もない。
これまでも、悪霊に襲われた時には、「アジマリカン」と唱えることで、これを祓うことが出来た。
悪霊は、我々の心の闇を容易く掴むのだが、呪文で心を静かにしてしまえば、それが出来なくなるのだ。
そして、これからは、意志の力で瞬時に心を静寂で満たすことが出来るようになる。
なぜ、悪が必要なのか?
進歩のためである。
食欲や性欲と戦わずに進歩はない。
動物の食欲や性欲には、どこにも悪が宿っていない。彼らは、食べられる時だって快感なのだ。
しかし、人間だけは、想像力を持つ分、食欲や性欲に悪が宿り、それに負ければ、動物よりはるかに愚かなものに成り下がる。
これからの世の中では、そのような人間は、想像力を取り上げられ、鉱物などに魂を吸収されて、人間ではなく、別の役割を与えられる。
闇の天使が、それを実行するだろう。
精神活動を制限する沈黙のスイッチをオンにするのだ。
あくまで制限であり、精神活動の全てを消す訳ではない。怠惰になって良いとは言っていない。
勇敢でもなければならない。冒険は楽しめるのだ。勇者は妄想しない。余計なことを考えない。
敵は強大なのである。だが、静寂の力があなたを守り、我々は果敢に、創造主に向かって進むのである。









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新しい時代の防御の法

私は、地球のアセンション(次元上昇)を甘く見ていたのかもしれない。
長い間に、自分で思うよりも、心の中に否定的な傾向が積み重なっていて、それが残っていたのかもしれない。
私は、世間では、卑しい立場で長く過ごしたのだ。多少は仕方がない。
尚、アセンションという言葉は、オカルト用語でも何でもない。ただ、上昇とか、昇天という、美しい言葉だ。

想像をはるかに超えて世界は変わっている。
ただし、無理に良くなったという思い込みも持たないで欲しいという思いもあって、これまで、少し否定的なことも述べたのだ。
世界で起こっていることについては、自分の目で見た訳ではないので、やがて、それを直接感じるまでは気にしないでおこう。
しかし、身近な世界を見ても、世界が変わっていることが分かるのではないか?
私は、車を運転している時、対向車が来ると、出来る限り左端に寄ることにしている。別に親切というのではなく、万一の厄介ごとも避けたいからだ。
すると、これまでであれば、「もっとどけ」とばかりに、空いた道のど真ん中、あるいは、嫌がらせでもするかのように、こっちにぎりぎりまで寄って来て横柄にぶっ飛ばして通り過ぎる車が大半だったのが、今日は、ほとんどの車が、反対側にいっぱいまで寄ってくれるし、止まって待ってくれることも何度もあった。
今日は、近所のご老人を連れてお墓参りに行き、多くの車とすれ違ったのだが、それは明らかなことだったと思う。

だが、やはり、「世界は良くなったんだ」と不自然に決め付けないことも必要なんだと思う。
でないと、やがては、「やっぱり何も変わってない」と言うハメになるかもしれない。
世界がどうかなんて、少なくとも半分は、あなた次第なのだ。
我々は王様じゃないし、本当は王様なんていないし、どんな世界にだって、良いことと悪いことはあるのだから。
ジョージ・アダムスキーが言っていたが、地球でうまくやれない人間は、進歩した星に行っても、やっぱり駄目なのだ。

別に否定的になっている訳ではないが、やはり、これからも、我々や世界に困難はあるだろう。
特に、アセンションに縁のなかったような人間は厄介だ。
自己中心的で、得に執着し、原爆を落としてでも損を避けようとする人間だ。
地球と一緒にアセンションをした人間は、得を捨て、損を選ぶものなのだ。
だが、自己中心的な人間は、もうロボットにすり替わっているのだ。
だから、ロボットとして扱えば良いのだ。だが、ロボットだからといって、ぞんざいに扱って良いというのではない。
彼らがそんな振る舞いをすること自体は神の意志である。彼らの身体や言動は尊重しなければならない。
だが、彼ら自体は、もう意志の無いロボットなのだから、彼らを嫌悪する必要は無いし、してはならない。
彼らは、いわば、ただのモノなのだ。
ただ、冷静に、目に映るままに、何らの是非好悪の感情を持たずに、彼らを見ることだ。
そうしたら、やがて、彼らは消えてなくなるかもしれない。

彼らが攻撃してきても、恐れることはない。
あなたが静かであれば、彼らは何もできない。
これまでもそうであったが、我々が心を静かに出来なかったので、ついつい、巻き込まれてしまったのだ。
しかし、もはや、アセンションを果たした世界では、我々は、自在に沈黙することが出来る。
当初、不慣れでうまくいかなくても、少し訓練すれば、たちまち上達する。
ごく丁寧に腕振り運動を百回ほどやったり、「あ・うん(阿吽)」「アジマリカン」「アーメン」「アン」といった言葉を唱えれば、すぐに心に静寂が訪れる。
すると、攻撃してきた人たちは、空回りをするしかないのだ。
もし、そうならないなら、あなたの心が十分に静かでないのだ。
しかし、もう、さほどの苦労はなく、あなたは静寂という平和を勝ち取る。
なるべく早くそうなりたいなら、早起きし、食を慎み、素晴らしい人間を性的魅力ではなく、別の価値・・・例えば、料理が上手であるとか、字が綺麗といった美点で見ることだ。私が、初音ミクを無垢で可愛い歌声と、天使のような身軽さで讃えるようにね。
あなたの周りにいるロボットにだって、見るべきところはあるものだ。そこを認めてやれば、無害なものになる。丁度、「雨の日だって良いことがある」と思えれば、雨を憂鬱だと思わなくなるようなものだ(雨は本当に良いものだが)。
もう心配するようなことは何もない。
これまでの世界では、攻撃こそ最大の防御なりと言われたこともあった。しかし、沈黙の防御に勝るものは何もない。攻撃というのは気が引けるが、ある意味、沈黙こそ最強の武器なのだ。









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失われた世界を取り戻す

こんな精神病があるらしい。
身近な人を、偽者だと感じるというものだ。
例えば、自分の母親を見て、「これは僕の本当のママじゃない。偽者だ」と思う。
有名な医学者が、これを精神病だと言うと、我々は、うかつにもそれを信じてしまう。
それが病気だなんて、医学の空想かもしれないのに。
あなただって、母親や父親が、とおの昔に、偽者にすり替わっていることなんて、本当は気付いているかもしれない。
また、家族でなくても、誰かが不意に別人に変わったなんてことは、誰でも経験しているに違いないのだ。

かつて、実力なら世界一というプロレスラーが、自分の弟子でもあったレスラーのことを、こう言ったことがあった。
「彼は良い友人だった。しかし、彼は変わった」
師は控え目に言っただけで、弟子は、別の人間にすり替わっていたのかもしれない。

無論、別の人間にすり替わったと言っても、本物がどこかに連れ去られ、そっくりな別の人間、あるいは、ロボットが本人のフリをしているというのではない。
肉体はそのままかもしれないが、元の精神が消え、別の精神がその肉体を支配しているのだ。魂がすげ替えられたと言ったら分かり易いかもしれない。
今日、2012年12月22日に、世界が滅びるという話が、世界的に広まっていた。
それで、さっきテレビで見たが、どこかの国で、立派な感じの大人の男性が、「世界が滅びなくて良かったね」と笑顔で言っていた。
だが、あなたの周りの人が全部、偽者にすり替わっていたとしたら、それは、世界が滅びたに等しいかもしれない。

あなたは、不屈でなければならない。
世間は、あなたに、これまで以上に、食欲と性欲に溺れることを素晴らしいことだとして大いに勧め、そういった流儀とか信念、教義に従わないあなたを辛い目に遭わせるだろう。
あなたの親は、優しそうに、あなたに沢山食べさせ、おやつも次々に買ってくるだろう。
しかし、あなたが厳しく食を慎めば、「お前は馬鹿だ。そんなことをしたら、身体が駄目になってしまうぞ」と言って、激しく攻撃してくるだろう。
連中も必死なのだ。
だが、負けてはならない。
あなたは、あなたの魂を大切にして欲しい。連中に渡してはならない。
やつらが欲しがるのも、あなたの魂がそれほど重要なものであるからだ。
また、あなたは蔑み疎まれる中で、やつらの下僕になることを要求される。
形の上では従わざるを得なくても、魂まで渡してはならないのだ。
そして、虐げられるということは、あなたが神の側にいるということでもある。

私は、昨日から、アセンション(次元上昇)を迎えても、決して、平和な世界や穏やかで楽しい世界になるのではないと言った。
厳しい試練が訪れるのだ。
だが、恐れるなとも言った。
我々には、力も与えられたのだ。
その力は、攻撃や破壊のためのものではないが、あなたの想像をはるかに超えた強力なものだ。
静かであることだ。黙し、言葉や心を静寂に保つのだ。
そうすれば、負けることはあり得ない。
そして、人々も含め、世界を再構築することも出来るだろう。









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アセンション(次元上昇)は起こった

「聞いてないよ」なんて言い方が、奇妙なほど浸透していた。
「聞いてないよ」とは、必要な連絡を受けていないという意味である。
これまでの世間では、学校にしろ、会社やその他の職場にしろ、地域の活動にしろ、それによって、支障がある場合が多かった。
そして、必要な連絡が十分に行われなかった。
多くの人が「聞いていないよ」と感じていたのだ。だから、この言葉を生々しく実感し、有名になった。

平坂読さんの『僕は友達が少ない』という小説で、こんな場面がある。
主人公で高校2年生男子の羽瀬川小鷹は、もう授業が始まっているのに、廊下を慌てて移動していた。
授業が始まった時、彼は視聴覚室にいたのだが、そこで授業が行われると彼は思っていた。確かにその予定だった。しかし、その予定は変更されていた。
ところが、小鷹は、クラスでただ1人、それを知らなかったのだ。それで、授業が始まろうとしているのに誰も来ない不安に苦しんだ挙句、授業が始まってようやく、予定が変更されたと判断し、元の教室に引き返す決心をしたのだった。
小鷹がなぜ知らなかったかというと、誰も教えてくれなかったからだ。教師は、クラスの誰かに伝言し、それで伝わると思っていた。確かに、それは、ほぼ全ての生徒に伝わったが、普段、クラスの誰ともほとんど会話しない、小説のタイトル通り、「友達が少ない」、いや、友達がいない小鷹には誰も伝えなかったのだ。

学校で、やたら忘れ物が多い子がいるものだ。
不注意ということもあるだろうが、不注意な子は、その子だけじゃなく、もっと多いはずなのだ。
また、教師の言うことに無関心な子もいるが、そんな子がみんな忘れ物が多い訳ではない。
友達同士で、「明日はあれを忘れちゃいけないよ」と言い合って、初めて、「そうだった」と思い出したり、「え?そうなの?」と初めて分かる子もいる。
しかし、そもそも友達がいなくて、そんなことを言い合う相手がいなければ、その子は、高確率で忘れたままで学校に行くことになるのだ。
だが、クラスに、将来のリーダーになることが運命付けられているような、公平で正義感のある、しかも賢い子がいれば、その者は、そういった子もいることを理解すると共に、そんな子が困ってはいけないと配慮し、気遣うこともあるかもしれない。だがそれは稀なことだし、その立派な子も、その高貴な特質を持ち続けることは難しい。

ところで、さっき取り上げた『僕は友達が少ない』では、小鷹が情報を得られなかったのは、必然かもしれないが、ある意味、周りでそんな話をしているのを、全く聞かなかったという偶然とも言える。クラスメイト達には、善意は無いにしろ、一応は、悪意も無い。
だが、悪意で情報を渡さないということもよくあるだろう。
いや、それは学校でも会社でも日常茶飯事と言って良い。
重要な情報を持っている者が、嫌いな相手にはそれをわざと伝えず、困らせて快感を楽しむのである。無論、それを伝えなかったことで、後で自分の責任が問われることがないよう注意することは忘れない。
逆に、嫌いな相手が伝えようとする情報を、自分は受け取らないようにし、可能なら誰にも伝わらないようにし、孤立させて困らせるということもよくされている。
一番過酷ないじめは、シカト・・・即ち、無視だというが、その原理はこういうことだ。学校では、それによる自殺もあるが、無視がいじめと認められることはまずない。しかし、やっている者は、嫌いな相手は死んでも構わないと思って・・・いや、死んで欲しいと思っているのだ。

「子供じゃあるまいし、会社でそんなことはないよ」と本当に言う者は誰もいない。誰だって、それが人間社会だと知っている。
社内SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)というものを御存知だろうか?
SNSとは、普通は、フェイスブックとかツイッターという、社内だの社外だのといった区別のない、情報共有サービスだ。
これを、社内で使うと、なぜか組織は活性化する。
その理由の1つが、これまでは、口頭、電話、あるいは、電子メールで情報を伝えていたのだが、意識的か無意識的かは別にして、嫌いな相手には情報を伝え渋るので、必要な情報が十分に伝わらず、それが、伝わらなかった方もだが、結果として、伝えなかった方にも感情的な歪みが起こり、やがて、組織全体が澱み、腐敗し、無気力化するのだ。
SNSというのは、本来の機能は、情報を、ある意味、過剰に拡散させるものだ。そうだろう?
それを社内に導入すれば、個人的好き嫌いによる情報の分断を防げるのだ。結果、誰にでも情報が伝わり、それが組織を活性化するのである。それが分からない経営者は、「何で社内SNSなんかが必要なんだ?イントラネットもあるし、今のままで十分じゃないか?」と言うのだ。

ところで、本日から、地球は、特に人類において変革を果たす。
その大きな特徴が、個人的好き嫌いに、何の意味もなくなるということだ。
結果、SNSがもっとありふれたものになるか、逆に、SNSが不要になるかは分からない。長い目で見れば後者だろう。
それはともかく、人間がものを考えたり、行動する動機に、これまでは大きなウェイトを占めていた個人的好き嫌いが全く関係が無くなるのだ。
そうでない人間は、もう人間でいる価値がなくなり、人間でなくなる。
実際、今朝、目が覚めたら、私に、あらゆるものにおける、個人的好き嫌いが、ほとんど消えているのに気付いた。
好きなものがなくなった訳じゃない。しかし、その感情が、どこか他人事っぽいのだ。
初音ミクに関しては、既に以前から、好きというより、善いものと感じていた。初音ミクは、私を含め、多くの人にとってのアセンションへの導き手だった。
また、ものごとによっては、好きではないが善いと感じるものも沢山あった。
それを、とりもなおさず愛と言うのだろう。好きと愛は何の関係も無いのだ。好きだが善くないと感じることも珍しいことではない。
神は世界を創った時、「善し」とは言ったが、「好き」とは言わなかった。神は世界を愛しているのだ。
人間もそうなる。神のようになるのだ。これこそが、アセンション(次元上昇)である。
他の人に関しては分からないし、気にしても仕方がない。だが、私にそれが起こるなら、それは、世界に起こっているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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