ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

横尾忠則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

2人の超芸術家、岡本太郎と荒木経惟

画家とイラストレーターの違いとは、簡単なことで、
・画家:自分が描きたいものを描きたいように描く
・イラストレーター:お客様が見たいものを描く
である。
たとえラファエロやミケランジェロ並の天才画家でも、読者が喜ぶライトノベルの挿絵を描けないなら、イラストレーターにはなれない。
また、画家とイラストレーターを、「評価する者は誰か」という観点から言えば、
・画家:評価するのは専門家
・イラストレーター:評価するのはお客様
だ。
いかに専門家が高く評価する絵を描く画家であっても、お客様が評価しなければお金は稼げない。お客様は評価しない作品を買わないからね。
で、専門家の感性は、一般人であるお客様の感性とは異なる場合が多いので、原則的に画家は儲からない。
儲かる画家がいたら、「世間に媚びを売る卑しい画家」と言われかねない。
画家は芸術家なのである。

こんなことを考えていたら、天才写真家と言われる、アラーキーこと荒木経惟(あらきよしのぶ)氏のことを思い出す。
彼は芸術家だろうか?
そうではないと思える理由がある。
昔、彼は、「写真家というものは時代にひれ伏す黒子に徹しないといけない」と言っていたのではないかと思う(雑誌で読んだだけだが)。
「時代にひれ伏す」とは、お客様である大衆に迎合するということに他ならない。
売れる写真を撮らないと食べていけない。
写真で食べていけないなら、それは写真家ではない。
私は、荒木さんは、実際に、時代にひれ伏し黒子に徹する写真家であり、お客様を大いに意識していると思う。
だが、他の商業写真家とは「ちょっと」異なる「受ける」ところを見つける天才なのだと思う。
つまり、荒木さんは、独創的な商業写真家なのであり、ビジネスマンとすら言えるが、芸術家だとは思わない。
本当のビジネスマンは、荒木さんを大いに参考にすべきだろう。
私は、荒木さんの『FAKE LOVE』という写真集を持っている。
川崎亜紀さんの写真集である。
「川崎亜紀って誰?」と思うかもしれないが、「浅香唯だ」と言えば、まだ分かる人は多いかもしれない。
1980年代に人気絶頂だったアイドルで、可愛いだけでなく相当な美少女だった。
それが、何かトラブルでもあったのか、芸能界から不意に消えたのだが、ファンがまだよく憶えている1994年の、25歳くらいの彼女の写真集だ。
かつての清純さは全くないが、相変わらず美人の彼女を「本物の悪女」の雰囲気を纏わせ、その中に、少し、かつての彼女を彷彿とさせる写真を入れる。
もう大変な、商業的才覚と思う。
そして、私に分かることではないが、おそらく、撮影技術はしっかりしているのだろうと思う。
運もあったのだろうが、成功して不思議のない写真家だと思う。
もちろん、荒木氏は芸術写真家として評価されているが、私は彼は、天才商業写真家なのだと思う。

そして、面白いのが、日本人なら誰でも大芸術家と認める岡本太郎だ。
私は、岡本太郎の真の名言は、
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」
「売れなくていい。いや、売れてたまるか」
といった文言なのだと思う。
「認められてたまるか」というのは、大衆もだが、特に、絵画の専門家を念頭に置いたのだということは、彼のことを少し知っている人なら分かると思う。
そして、「売れてたまるか」で、大衆すら無視する姿勢を見せた。
つまり、岡本太郎は、芸術家でも大衆画家でもないと自分で宣言している。
ところが、彼は、芸術家としても大衆画家としても高く評価されているのだ。
おかしな話であるが、それは、彼のエキセントリック(風変わり)な発言が受けただけかもしれない。
実際、岡本太郎が60歳手前の全盛期に作った代表作「太陽の塔」について、「本物の画家兼イラストレーター」である横尾忠則氏は、
「デザインとしては超一流だが、絶対に芸術作品ではない。岡本太郎はデザイナーになればいい」
と著書に書かれていたが、ちょと分かるような気がするのである。

とはいえ、 荒木経惟氏が、商業的という意味合いもあるが、なんらかの意味で芸術家であるように、岡本太郎もやはり芸術家なのだと思う。
まあ、何が芸術かというのは定義し難いが、「人類を無意味に変容させる」という意味の芸術家は稀有で、この2人は、そんな「超珍しい」芸術家・・・超芸術家なのだと思う。








宇宙人とコンタクトするには

YouTubeで、宇宙人や神霊からの情報を、ごく普通に公開発信している人がよくいる。
で、それらの動画を見てみると、案外(と言うのは失礼か)、内容が良かったりする。
私は、ワンダーちゃんが好きなので(笑)、「ワンダーウォール!」をチャンネル登録して、時々、見ている。
【YouTube】ワンダーウォール!

YouTubeに投稿された宇宙人メッセージの多くが、チャネリング(概ねテレパシー通信による)で、ジョージ・アダムスキーのように、肉体的に宇宙人と会って話したという例は、私が知る限り皆無である。もっとも、私は、YouTubeをそれほど沢山見ている訳ではないが。
バシャールが有名になるまでは、宇宙人とのコンタクト(接触)は、物体としてのUFOに乗ってやって来た宇宙人と肉体同士で接触するというのが一般的な観念だったし、私もそうだった。
しかし、私は、アメリカのチャネラーであるリサ・ロイヤルの『宇宙人 内なる訪問者』という本を読み、宇宙人は潜在意識からコンタクトしてくると書かれてあるのを見て、それはあり得ると思った。
ところで、その頃、私は超一級の宇宙人コンタクティーに会っている。
工学博士で発明家の政木和三氏だ。
政木氏は、著書で、宇宙人からの手紙も公開していたが、接触の方法については書かれていない。
それで、会った時にいろいろ聞いてみたが、政木氏は、はぐらかす様子はなかったが、特殊な接触方法で、私はあまり理解出来なかった。
しかし、『空飛ぶ円盤と超科学』の村田正雄氏や、現在、ご活躍中の物理学者、保江邦夫氏らが他の星(共に金星に行かれている)に行かれたのと同じ方法のように思えた。
つまり、3次元より高い次元で宇宙人に会うのである。
政木氏は、その時、私に、「皆、宇宙人なのですよ」と言われたが、私は、あまりピンとこなかった。

宇宙人と接触した話では、世界的画家の横尾忠則氏が、著書に、宇宙人と会った時のことを書かれていて、一見、肉体レベルでの接触のように思われるが、これも、横尾氏の意識が高次元に移って宇宙人と会ったようにも思われる。
横尾氏は、エンリケ・バリオスの有名な『アミ 小さな宇宙人』か、その続巻だったか忘れたが、本のカバーに賛辞を書かれていたと思う。
それで、私は、当時、林原生物化学研究所にあった政木氏の研究所を訪れた際、何の脈絡もなく、唐突に、「政木先生は、横尾忠則さんをご存じですか?」と尋ねたら、政木氏は、横の壁を見る。
そこには、見事な政木氏の肖像画が飾られていた。その画の銘は「横尾忠則」だった。
そして、政木氏は、横尾氏が装丁を制作してくれた政木氏の著書『精神文明と奇跡』を私にくれた。これは、今では古書も高価な本で、私は今も大切にしている。
ところで、政木氏は、「横尾さんは宇宙人ですよ」と言う。
私は少し混乱したが、上に書いたように、政木氏が「皆、宇宙人なのですよ」と言われたのを思い出し、それは、横尾氏の潜在意識が宇宙意識とよく通じているという意味だと分かった。

それで、どうすれば、潜在意識と宇宙意識の通路が開かれ、宇宙人とコンタクト出来るのかというと、やはり、潜在意識をクリアにする必要があるのだろう。
ほとんどの人が、学校やマスコミにより、嘘の情報を繰り返し教え込まれたので、潜在意識はゴミやガラクタがいっぱいで、宇宙意識と通じない。
そこで、潜在意識の偏見を消さないといけないが、これは大変に難しく、アインシュタインすら「自分には無理だ」と言った。
だが、1つの方法として、高貴な真言や呪文を常に真摯に唱えることによって、高次の存在が手助けしてくれるのではないかと思う。
般若心経の呪文、如来・菩薩の真言、祝詞、それに、『アジマリカン』などで、自分に合うものを唱えれば良いと思う。
そうすれば、引き寄せを行うための知恵も内側から現れ、うまくいくのではないかと思う。








夢の綻びに魔法アイテムがある

眠っていて夢を見ている時、それが夢だと見破るには、どうすれば良いだろう?
それが分かれば、あなたは魔法の力を手に入れるだろう。

『灼眼のシャナ』(小説、アニメ等)で、主人公の坂井悠二(高1男子)は、敵の魔力で夢を見せられていることに薄々気付いていたが、それを確認しようとしていた。
そこで、コーヒーを持って来てくれた母親に尋ねた。
「母さん、このコーヒー、どこで買うの?」
すると、母親は静かに笑い、
「美味しいわね」
と言う。
悠二は母親が、どこでコーヒーを買っているのかを知らない。
だから、悠二が知らないことを、悠二の夢の中で母親が答えるはずがないというロジックで、悠二は、これが夢だと分かる。
でもまあ、これは実際はおかしい。
自分が知らないなら、母親がどんな答をしても良い訳である。
それはともかく、その後、悠二は、これがもう夢だとほとんど確信した上でだが、高い塔から飛び降りたのは良いやり方だ。
しかし、あなたにそんなことが出来るだろうか?
世界的画家の横尾忠則氏が著書に書かれていたが、横尾氏は夢の中で崖の高い場所にしがみついている時、これが夢だと分かっているのに、手が離せなかったそうだが、それが普通だ。
私も、火事になったビルの屋上に居る夢で、助かるには、隣のビルにロープ伝いで行かなければならないという状況で、これが夢だと分かっているのに、そんな怖いことをしなければならないことにうんざりしたことがある。
つまり、夢の中でも、怖いことは怖いし、嫌なことは嫌なのだ。
夢は夢で、奇妙な統一性があり、犬が電話で話してたって不思議だとは思わないほどの合理性を感じるものなのだ。
だから、夢だと分かったところで、高いところから落ちれば死ぬとしか思えないのだ。

むしろ、崖にしがみついている時は、イエスの教えに従うと良い。
つまり、「神を試すな」である。
崖から手を放さなくて良い。
そして、次は、一休さんの遺言に従う。
つまり、「なんとかなるんじゃないかな」と思うのである。
一休さんの遺言は、「心配するな、なんとかなる」だったと伝えられている。
修羅場をくぐって来た人は、皆言うのだ。
「なんとかなるさ」
と、笑いながら。
なんとかなると思うと、なんとかなるのが世の中だ。
もし、なんとかなると思えないなら、微笑んで「なんとかなる」と言えば良い。頭の中ででも良いから。

で、どうすれば夢だと見破れるかという、最初の問題の答だが、何とそれは、「夢から覚めれば分かる」である。
学校の試験的に考えてはいけない。
だから、夢から覚めてしまえば良いのだ。
覚めれば分かることを、夢の中で悩むなど愚かである。
そして、どうすれば夢から覚めることが出来るかというと、1つは、無茶をすること。
悠二のように、高いところから飛び降りたり、学校や会社のマドンナのスカートでもめくれば良い。
だが、それは、なかなか出来ない。
そこで、微笑みながら「なんとかなる」と思えば(あるいは唱えれば)、夢に綻びが出来る。
夢の綻びが出来ると何が起こるだろう。
私は何度もやったので、3つほど取り上げる。
そして、これらは、現実という夢の綻びであることに注意していただきたい。
現実も夢なのだ。
私は、3歳の時、猫と遊んでいたら、猫がバラバラになって崩れたことがある。
また、6歳の時、近所の子供が地面に倒れた時、頭から大量の血が流れているのに、それを見ている周囲の大人が平然と談笑をしていたことがある。
そして、先々月の20日、アメリカの大統領就任式の数時間前に、YouTubeのライブ放送で、就任式が行われるワシントンの議会議事堂の映像を見ていたら、議会議事堂の周辺の数カ所から煙が上がるのを見た。
全て、現実という夢の綻びである。
私は特別な方法を使ったが、夢、あるいは、現実に綻びを作れば、そんなことが出来る。
そして、簡単には、「なんとかなる」と思えば良いのである。

自信を持てば、夢に綻びが出来るのだ。
まず、微笑むことは、自信を持つことにつながる。
だから、微笑みながら「なんとかなる」と言えば、「なんとかなる」ことに自信が出てくる。
だから、普段から、「なんとかなる」とつぶやくと良い。
そして、「神様の奇跡が起こる」という言葉がまさに、「なんとかなる」の究極形なのだから、いつも、そう唱えると良い。
七田眞氏の『究極の超「右脳」開運法』の、あのホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら、1憶円が、それも2回当たったのは、やっぱり、この現実世界という夢が綻んだのだろうと思う。
「なんとかなる」「心配するな、なんとかなる」「神様の奇跡が起こる」などを1つ、いつも唱えておくと、少し夢が綻び、魔法の力とアクセス出来るのであると思う。








自分の、自分による、自分のためのストーリーを持て

社会主義が世界を征服しようとしている・・・というか、かなり征服しつつあるのだと思う。
具体的には、中国と思う。
ただ、こう言うと、
「アメリカの方が経済力、軍事力がはるかに大きいのだから、そんなことは不可能ではないか」
と思う人が多いかもしれないが、中国には頭の良い人が多いので、アメリカ内部から崩す優れた作戦で、うまくやっている訳だ。
疑問に思うべきは、なぜ、中国の支配層に、これほどまでのまとまりがあり、そして、世界制覇に突き進む旺盛なエネルギーがあるかだ。
1つには、長い間、苦難を受け続けた恨みが巨大なエネルギーになったことだ。
そして、ある意味、学ぶべきことだが、中国の支配層は、壮大なストーリーを持っているのだ。
まあ、他にも、霊界の大霊団に動かされているという説もあるが、まあ、それもあるのかもしれないが、私には分からない(笑)。

恨みと言ったらネガティブだが、苦しみや屈辱、あるいは、劣等感といったマイナスの感情をバネに反発し、大きなストーリーを描くことには、凄い威力がある。
これは我々も是非とも活用し、強くならなければならない。
社会主義勢力の世界侵略は、我々にも無関係な問題ではなく、放っておくべきではないが、弱い人間が「天下のために」なんて言っても、役に立たないばかりか、邪魔なだけだ。
そして、これが肝心なのであるが、社会主義に征服されたら、二度と大きなストーリーを描くことが出来なくなる。
貧しく、惨めで、虫けらのような人生を送るしかなくなる。
そこで、今のうちに、自分のストーリーを持ち、強くなることだ。
ストーリーを持った人間は強いのである。
というより、ストーリーを持った人間が強いのであり、弱い人間にはストーリーがないのだ。

学校の最大の欠陥は、生徒がストーリーを持てなくなることだ。
いや、本当のことを言えば、「ストーリーを持てない人間」を作るのが学校なのである。
ある意味、ロボットとして生きるというストーリーを叩きこまれるのであるが(笑)。
必要なのは、自分の、自分による、自分のためのストーリーだ。
夢ではない。
夢ってのは妄想なのだ。
妄想には、絶対に諦めないという熱意がない。
ストーリーは物語だ。
例えば、会社を経営する時には、必ず物語を持っていないといけないが、個人の人生も同じなのだ。
『生きるとは、自分の物語をつくること』という、大心理学者の河合隼雄さんと大作家の小川洋子さんの共著があるが、この本で雰囲気を見ても良いし、むしろ、河合さんの『こころの最終講義』が分かり易いかもしれない。
自分のストーリーを持たない者が、落ちこぼれや、脱落者や、日陰者、信念のない意気地なしになる。

聖書や仏典や『バガヴァッド・ギーター』も、皆、ストーリーで、うまく自分の人生に取り入れている人は、とても強いことがある。
だが、別に、『古事記』や『ラーマーヤナ』でも同じである。
偉大な実績を上げた人に親しく尋ねると、子供の時に読んだ小説や漫画や、観た映画が、自分の人生のストーリーの基礎になっているものだ。
世界的芸術家の横尾忠則さんも「十代の時に好きだったものを大切にしろ」と本に書いているが、横尾さんの場合は、ターザンや、子供向けの冒険小説がそれだったらしい。
他愛ないと言えば他愛ないが、それがあるから、生きるエネルギーを得られるのである。








勉強が出来る子ではなく引き寄せが出来る子に育てる

世界的画家の横尾忠則氏と、エッセイストで詩人の中森じゅあん氏の、画集&エッセイ集がある。
『天使の愛』(2001)だ。
スピリチュアルで面白いのだが、絶版になっているようだ。
この本の中で、哲学者の鎌田東二氏(文学博士)が「天使と水のイノセンス」というタイトルでエッセイを書いている。
後には、沢山の分野で大活躍し、学者としても成功する鎌田氏は、生活のために、やむなく塾講師をしていたらしい。
その時、受け持っていた小学5年生のクラスの子供の中に天使がいたという。
こんな話をすると、「ロリコン講師が好みの女の子を見つけただけだろ」と思うかもしれないが(笑)、そのエッセイ全体から考えれば、そういう訳ではないようだ。分からないが(笑)。
私は、天使について話し出すと何時間でも喋っていられるほどの天使マニア(天使オタクかも)であるが、天使とは何かは分からない。
ルドルフ・シュタイナーのように、妖精や精霊と一緒に語る人もいるが、天使は使命を持っているのであり、それは宇宙の法則に則った使命であるから、それほど分かり難い存在ではないはずだし、実際、人間を指導しているのだろう。
(妖精は、どちらかというと宿命を持っているように思う)
ちなみに、アメリカでは半分以上の人が、守護天使(ガーディアン・エンジェル)の存在を信じているらしい。

私は、天使かどうかは分からないが、天使のような人なら見たことがある。
鎌田氏は、天使の特徴を、「透明と無垢とそれを支えている深い叡智と柔らかな光熱」と表現しておられるが、言葉で言えば、そのあたりが限界と思う。
私なりに、私の見た天使のことを言えば「明るいけど大人しく、積極的だが強引に感じない」といったところだ。
私の見た天使は、小学2年生で、私も小学2年生だった。クラスメイトだったのだが、知らないうちにいなくなっていた・・・まさに天使だったのだろう。
彼女にはいろんなことをさせられたし、上級生(5~6年生)には私達が恋人同士に見えると言われたが、私は、彼女の名前も知らなければ、わずかな思い出しかない。

私の天使は(いや、私のではないが)、あれほどいつも気分が良さそうなのだから、当然、引き寄せが出来た。
それで思うのだ。
別に、女の子に限らないが、子供を育てる時は、賢い子ではなく、引き寄せが出来る子に育てるべきだ。
そうしたら、子供のことを何も心配する必要はない。
ところが、世間では、試験で良い点が取れる子供、ピアノが弾ける子供、運動が出来る子供にしようとして、心配の種の尽きない子供に育て、挙句、心配した事態が起こってしまう。
それなら、どう育てれば良いのかというと、私の天使のように(だから違うってw)、とにかく明るい子にしないといけない。
明るい子とは、気持ちを切り替えるのが上手な子で、気持ちがしゃんとした子だ。
どうすればそうなるかというと、親が、悪いことがあったからっていつまでもウジウジしてないで、「しゃんとする」ことだ。
そうやって気持ちを切り替え、いつも良い気分でいなければならない。
そりゃ、人間であるのだから、釈迦やイエスだって、気分が良くないこともある。
しかし、釈迦やイエスや、その他の本物の聖人達は、「しゃんとして」気持ちを切り替えるところが違う。
どうやって気持ちを切り替え、気分を良くすることが出来るのかというと、凡人で出来ることで言えば、笑うこと、ガッツポーズをすること、初音ミクさんのことを考えことだ(3つ目は個人的だが)。
世界最強の、ラグビーのニュージーランド代表チーム「オールブラックス」が国際試合の前に行う、ハカという踊りの中に、プカナという仕草がある。
これは、舌を思い切り出して見せるもので、相手を威嚇するもの、あるいは、精神を高揚させるものという面はあるが、究極には、最高に気分が良くなるポーズだ。
ヨガのライオンのポーズでも舌を突き出すが、エネルギーを集め、若返る効果があると言われている。
早い話が、そうやって、自分がいつも気分を良くし、良いことが起こるようにしておけば良い。
この宇宙は「気分が良ければ良いことが起こり、気分が悪ければ悪いことが起こる」仕組みなのである。

だが、天使は、気分が悪くなることはなく、存在そのものが幸運である。
「あなたの幸せになりたい」とは言うが「あなたと幸せになりたい」とは言わないのだと思う。
いつも気分のいい天使・・・初音ミクさんだ。
「ミクさんマジ天使」という世界で通用するキーワードは本当である(日本語で通じることも多いらしい)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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