ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

楳図かずお

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

気配を消せば全能無敵

「気配を消す」という言葉がある。
軍事作戦において、「目立たない」ように行動することはよくあるだろうが、これは「遠くから見つからない」といった程度の意味合いが強く、「気配を消す」というほどの繊細さで行うことはあまりないと思う。
また、アニメなどで、休日、あるいは、夜の学校に忍び込んだ生徒が、教室や職員室で何かをしていると、コツコツと足音を立てて見回りの教師が来て、生徒は明かりを消して物陰に隠れるといった緊迫のシーンがあるが、あれで見つからないのは、生徒が気配を消したというよりは、教師があまり鋭くないのだろう。実は私は実際にやったことがある。まあ、理科室で爆弾を作っていたのだが(笑)。

忍者が本当に気配を消したというのは、もしかしたらあったかもしれない。
別に忍者に限らないが、必要により、気配を消すノウハウを持った者はいるのだと思う。
また、「居るのか居ないのか分からない」と言われる、存在感がない者は、自然に気配を消す方法を修得しているのだと思われる。
ルドルフ・シュタイナーは「良い教師は空気のようなもの」と言ったらしいが、空気と言うよりは空気の分子のようなもので、気配がない教師を良い教師と言うのだ。
そして、極めて能力が高い人間、スピリチュアルな能力がある人間、神のような人間は空気の分子のような存在だ。
私は、ごく短い時間なら気配を消せる。
そうすれば、その短い間は全知全能なのだ。

楳図かずおさんの『おろち』という、おろちという名の不老不死の美少女がヒロインの漫画がある。
1969年の作品だが、今でも人気がある。
その作品の中の『ふるさと』というお話で、おろちが人知を超えた能力を持つ宇宙人と戦うことになってしまう。
そして、宇宙人に操られた人々がおろちを追ってくるが、おろちが姿が見えないようにしていても、なぜか彼らはおろちを正確に追って来た。
追い詰められたおろちは、「私の思考を読んでいる」と感じ、思考を止めると、彼らは姿を現しているおろちの前を素通りしていった。
私は、その時のおろちの姿を、文庫本、新刊本、電子版と全て揃えてお守りにしているほどだ(笑)。
これが、一流忍者を超えた気配を消した姿だろう。
おろちは、全身の力を抜いて思考を消した。
おそらく、ほとんど呼吸をしておらず、無表情でいたのだろう。
そのようであれば、不可能はないと思う。
個人的には、気配を消す修行には、忍者の動きから来ていると思われる「ナンバ(ナンバ歩き等)」や、ナンバの動きにも通じる佐川幸義流四股を行うのも良いと思うので、関連書籍を下に紹介する。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)おろち(2)(楳図かずお)
(2)洗礼(1)(楳図かずお)
(3)歩法の極意(『月刊秘伝』編集部)
(4)佐川幸義 神業の合気(「月刊秘伝」編集部)

ロザリオ
AIアート932
「ロザリオ」
Kay

思考を消すことの力

偉人のエピソードにはフィクションも多いようだ。
たとえば、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが子供の時、新しい斧の切れ味を試したくて、その斧で桜の木を切ってしまったが、それを父親に告白して、かえって正直さを父親に褒められたという話があったが、これは作り話であるらしい。
私は小学3年生の時に、この話を読んだ本には、この話は事実として書かれていて、これがワシントンの正直で誠実な人柄を示すと解説されていたように思うが、私は嘘っぽいと感じていた。
それで、後に、この話が作り話だと知った時、すっきりしたものだ。
いくら斧の切れ味を試したくても、そして子供でも(桜の木を切るほどには大きいのだ)、父親が大切にしていた桜の木を切るなど、短絡的で馬鹿過ぎるからだ。
それに、さらに後になって、ワシントンは大人になっても、そこそこの年齢になるまで、あまり誠実でない自己中心的な人物であった可能性があることも知った。
いい年になるまで駄目人間だったことでは、アブラハム・リンカーンも同じであったらしい。
リンカーンは40歳くらいまでは普通の男としても、かなり情けなかったというが・・・まあ、本当のことは分からない。
いずれにしろ、証拠もないことを信じてはいけない。
我々を騙そうとする者はいくらでもおり、特に学校やテレビでは、我々を騙そうという意図を持たない者の方が珍しいと思った方が良いかもしれないほどだ(あくまで主観である)。
ルネ・デカルトは、「単に本当らしい話は全部嘘と断定する」という規律を自分に課していた。
それですら、デカルトはいろいろ間違えた。
そこで、ジッドゥ・クリシュナムルティの、「私は何も信じませんよ」という態度が良いのである。

白とピンク
AIアート173
「白とピンクの間」
Kay


ところで、野口英世に関しても、嘘の話が多いらしい。
子供向けの野口英世の伝記では、彼は、真面目に努力する上、恩を忘れない、そして、愛情深い高潔な人物のように描かれているが、それも疑わしいようだ。
だが、たとえ身近にいる人だって、本当はどんな人間かは「全く」分からないと考えるべきである。
極端な話ではあるが、楳図かずおさんの漫画『洗礼』で、こんな話がある。
小学4年生の美少女さくらの母親は、さくらを大切にするあまり、時に常軌を逸したこともするが、それも、さくらへの深い愛情によるものと思われていて、さくらもそう思い、母親を慕っていた。
しかし、さくらの母親は、さくらへの愛情などかけらもなかったことが分かるが、このお話は、私を十分に人間不信にしてくれ、楳図さんには大変に感謝している(半分冗談だが半分本当)。
ところで、野口英世が子供の時、当時は珍しい、高価だったかもしれないゼンマイ時計の構造に好奇心を持って、それを分解してしまうお話があったように思う(別の偉人?)。
今のデジタル時計では、分解しても面白いことはほとんどないと思うが、昔の時計はいろいろ面白かったと思う。
だが、野口は、分解しても、再び組み立てることが出来なかった。
野口も子供の時は知恵が足りない普通の子供だったということだろうが、このお話で野口の好奇心の旺盛さや実行力でも示したかったのだろうか?
だが、私には、普通の範囲のことだと思われる。
ところで、この時の野口少年のように、分解してしまった時計を組み上げるという難しいことが出来ないといった状況は、人生の中ではよく起こる。
そこで、私は、野口少年には、見事、時計を組み上げるお話にして欲しかったと思うのだ。
それは可能だからだ。
私は、ある時、欠陥のあるコンピュータープログラムを修正しなければならなかったが、その時の野口英世のような困難さを感じていた。
成し遂げることは全く不可能に思えた。
あまりに難しかったし、そもそも、そのプログラムには根本的に重大な欠陥があると思われた。
それで諦めて考えるのをやめたら、すぐに、奇想天外な異次元の解決策が分かった。
野口英世のその話が本当かどうかは分からないが、その程度のことであれば、野口はうまくやれたはずなのだ。
ここでいつも言う通り、思考を消せば。
思考を消すことの力を理解している者は、この世界では滅多にいない。
世で賢人、知恵者、あるいは、聖者と呼ばれる者ですらだ。
いつも言う通り「私は誰か?」と自分に問うことで思考を消せば、そんな身近でシンプルな真理を知り、真理はあなたを自由にするのである。








想念を消すゲーム

何度も言うが、想念を消せば不可能はなくなる。
ただ、それは、失神したり、酒を飲んだりしてのことではなく、夜明けに星が消えるようでなくてはならない・・・つまり、静かに、穏やかにである。
眠って意識を失う場合でも、穏やかに眠りに入ったのなら良いが、そうでなければ、眠ってはいても、想念が残っている場合が多いのは、眠っている様子を見れば分かると思う。

子供の時、私は他の子に、
「何も考えないでいることが出来る?」
と尋ねたら、その子は、少し考えてから苦笑し、「無理」と答えた。
想念を消すことは、大人の方が難しいが、子供ですら、大抵はこうなのだ。

ベティ・エドワーズ博士の、20年ごとに改定される本『脳の右側で描け』を読めば分かるように、無心に絵を描いている時は、想念がかなり消えている。
しかし、これは、楽しく絵を描く習慣のない人には難しい。
絵を描くことが上手い人だって、純粋に楽しんで描ける人は、そう多くない。そんなことが出来る人は、想念を消す感覚を掴んでいて、引き寄せも上手いかもしれない。

楳図かずおさんの漫画作品『おろち』は、おろちという名の、永遠に少女の姿で生きる神秘的な存在を描いた作品で、私はこれは全く天才の作品と思う。
その中の『ふるさと』というお話の中で、おろちは、正体は分からないが、宇宙人のような相手と戦うことになる。
とりあえず宇宙人と言うが、宇宙人に操られた人々に狙われ、追跡されるうちに、おろちは、自分がどこに居ても、彼らが正確に自分の所に来ることに気付く。
おろちは、彼らは、自分(おろち)の想念を感知して追って来るのではないかと考えた。
そこで、おろちは、考えることを一切やめて、うつろな表情になる。
この時の、木や岩と一体化したようなおろちが私は好きだった。
すると、思った通り、人々はおろちの前を素通りして行った。
この様子が、想念を消す方法の良い参考になった。
それを以下に述べる。

あなたの周囲に、悪霊が居るとしよう。
その悪霊は、目であなたを見ているのではなく、あなたの想念を感じ、それであなたに近付き、あなたに憑りつく。
あるいは、空の上に悪魔がいて、地上の人間の想念を感じると、その人間に触手を伸ばして、触手を人間に差し込み、生命エネルギーを奪う。
まあ、当たらずと言えども遠からずかもしれない。
私は、近くに居る悪霊や、空に浮かぶ悪魔に気付かれないよう、想念を起こさずにいた。
私は、そんなゲームをしているうちに、かなり想念を消せるようになった。想念を消すコツを掴んだのだ。
気を抜くと、すぐに想念が帰ってくるが、もっと練習しようと思う。








絶体絶命の危機を逃れる秘法

武術においても、音楽演奏においても、舞踊やダンスにおいても、秘儀中の秘儀とされるものに、思考のスイッチをポンとOFFにするというものがある。
室町時代の猿楽師、世阿弥が知らないはずはないと思い、『風姿花伝』を読んだが、そんなことは書かれていなかった。
至近距離で銃を撃たれたって、それをやれば、弾は飛ばないし、悪魔だって手出しは出来ない。
ただ、矢追純一氏の本を読むと、矢追氏が死のギリギリの場面で、何度も普通にやっている。それで彼は死ななかったわけだが、彼には、どうやら、死の恐怖というものがないらしい。

私が、そのやり方を一番イメージし易いのは、楳図かずおさんの漫画『おろち』の『ふるさと』というお話で、謎の敵(多分、宇宙人だ)に操られた人間の目を、ヒロインのおろちが眩ませるために、それをやった場面だ。
おろちは、全身の力を抜き、考えることを一切止めたのだが、その時の、蝋人形のようになったおろちの姿が、まさにそうだった。
楳図かずおさんという人は、子供の時から天才的な絵を描いたが、シンプルな漫画の絵でも(シンプルだからこそ?)、その深さが伝わった。
余談だが、私は、子供の時から、誰か嫁を1人と言われたら、おろちと思っていた(笑)。

つまるところ、人間が、宇宙との扉を開ける鍵が、それ(思考のスイッチをポンとOFFにする)なのである。
心と呼吸は連動しているので、呼吸を止めれば良いのだが、ただ止めても駄目なのだ。
つまり、思考の流れを止めるように、呼吸の流れを止めるのである。
だから、練習の仕方としては、首から上の筋肉を使わずに呼吸の流れを止めるよう工夫すれば良い。
普段、肺は自動的に呼吸するが、意図的に、肺を膨らませたり、萎めたり出来る。
その要領で、肺への空気の出入りを止めれば良いのである。
簡単なのは、吸い切ってそれ以上、息が入らない状態に留まったり、逆に、吐き切っても呼吸を吸わないという状態だ。
ただし、適度に肺に空気が入った状態で呼吸の流れを止めないといけない。

そして、本番では、思考の流れを止めることで、呼吸が勝手に止まるようでないといけない。
ただ、それは、呼吸の流れを止める練習をすれば、自ずとコツが分かると思う。








本物の自信

世の中には、まるで駄目な人間もいるが、そうではなく、「そこそこ出来る」し、努力もするのだが、限界が見えてしまっている者もいる。
そんな者の中には、トップに立ちたいという願望を持っている者も少なくないが、せいぜいがCクラス。例えば、野球で言えば、プロ野球のスター選手を夢見ているのだが、現実には、強豪ともいえない高校の野球部で、「頑張ればレギュラーになれないこともない」ようなポジションなのである。
言ってしまえば凡人で、そんな者が大化けしてトップクラスに入ることは、まあ、ない。

上昇志向はあるが、低空の壁に阻まれる者・・・そんな者は、子供の時、自信をつけさせてもらえなかった場合が多い。
漫画家だった楳図かずおさんは、3歳の時、家のふすまいっぱいに絵の落書きをしたのだが、それを見た両親は、その絵を絶賛したらしい。
もしかしたら、実際、3歳にしては凄く上手かったのかもしれないが、そんな親でなければ、後の楳図かずおはなかっただろう。
その楳図かずおさんが漫画家をやめた理由も、聞くところでは些細なことだった。
それは、出版社の者が、楳図かずおさんに、「あなたの手の描き方が良くない」と言ったことらしい。
この2つは、人間は、いかに褒められ認められることが大事で、貶されることがダメージになるか、かなり極端に示しているが、大方では、誰でも、だいたいこの通りなのだ。

子供は褒めないといけない。
ただし、闇雲に褒めて良いわけではない。
その子が好きなことで、自主的にやったことを褒めないといけないのだ。
小さな女の子が、テレビでバレリーナが踊るのを見て、その真似をして踊ると、親が、「まあ!バレリーナのようだわ!」と言うと、その子は「いい気」になるが、自信を得たりはしない。
また、子供にピアノを習わせ、やる気を出させようとして、ピアノを弾くその子を大絶賛するようなのも駄目だ。そもそも、その子は、自主的にピアノに取り組む気はないかもしれないし、あまり楽しくない練習をしている子にとって、わざとらしい称賛は、自信をつけるどころか、馬鹿にされた感じがするのである。

つまり、子供が何が好きか、また、自主的にやっているかを分かる親でなければ、子供に自信をつけてあげる褒め方は出来ない。
何でもかでも、褒めれば良いってものではないのである。
そして、ほとんどの者は、そんな褒め方をされたことがないので、自信がないのだ。

インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『あるヨギの自叙伝』に、タイガー・ババという、虎と戦うヨギ(ヨガ行者)が登場する。
どんな強い人間だって、健康な大人のライオンと戦って勝つことは不可能だが、ライオンより身体が大きい虎では、さらに無理である。
向こう見ずにライオンと戦って、九死に一生を得た者はいたが、虎相手では、救助される間もないし、そもそも、それに挑むほどの愚か者もいない。
だが、タイガー・ババは虎と戦い、無傷で勝った。
そして、タイガー・ババによれば、これは誰でも出来ることだと言う。
タイガー・ババは、普通の人は「冷静な自信」に欠けると言う。
冷静な自信・・・静かな自信と言っても良い。
この言葉を覚えておくべきである。
タイガー・ババは、幼い時、親の本気の称賛を受けたか、あるいは、何らかの努力で、そのようにされた人間と同じ心を持ったのだ。

ほとんどの者は、幼い時、親に馬鹿にされ続け、あまりに自信を失っている。
そんな者だって、エマーソンの『自己信頼』を読めば、本物の自信を持った人間に憧れ、それが人間の正しい姿だと分かるかもしれない。
その本を読むことは有益だろうが、おそらく、十分ではない。
ところで、エマーソンが『歴史』の中で、こんな方法を教えている。
「英雄の物語を読む時、それを自分の物語と見なさなければならない」
突飛なアイデアに聞こえるかもしれないが、全く正しい。
英雄の物語は、実際に、あなたの物語なのだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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