伝承ではあるが、織田信長は、鉄砲の弾が飛び交う戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠々と歩いて見せたという。
これにより、配下の武将達は、信長が神に護られた特別な存在と感じ、信長への崇拝や勝利への確信を持つことになったのだろう。
では、この話が作り話かというと、配下の武将によって書かれた記録もあるが、それよりも、第二次世界大戦で同じことをやったと言う者の著書がある。
それは、合氣道家の藤平光一の『氣の威力』だ。
藤平は第二次世界時、中国に士官見習いとはいえ上官の立場で送られ、自分より年長の兵隊達を率いていたのだと思う。
その中で、兵隊達と銃弾が飛び交うような危ない場所に行く時、
「心配せずに俺についてこい。あんなひょろひょろ弾が俺達に当たるか」
と言って出かけたという。
すると、実際に弾は当たらなかったという。
で、藤平は、どうやってそうなったかというと、
「天地に任せきって、全身の力を抜いた時にいちばん氣が充実し、そんな時には弾丸さえも避けて通る」
と確信したと書かれている。
全く、偉い人は難しいことを言うが、まあいい。後で修正する。
さらに付け加え、藤平は、
「これは戦地に限ったことではなく、人生のいかなる荒波に対しても、全身の力を抜いて氣力を充実させていれば、ゆうゆうとこれに対処出来、不運や困難は向こうから避けていく」
と述べている。
つまり、「天地に任せきって、全身の力を抜く」ということだろう。
周囲からチヤホヤされる偉い人は、悪気はないのだが、気取ったことを言いたがるので、それに惑わされてはならない。
もっと簡単に言えば、リラックスして、天地でも、神様でも、宇宙でもいいが、引き寄せに興味がある人にとっては、潜在意識に任せきると言った方が良いだろう。
しかし、我々はもっと進んでいるはずだ。
いつまでも、古い人の教えを全面的に有難がっていてはいけない。
そこで、こう考えてはどうか。
気楽になって、自分は、安全で幸運な世界にいると決め、潜在意識に任せきるのだと。
信長や藤平光一の事例で言えば、ここは自分に弾は当たらない世界だと決めつけるのだ。
「当たらない世界なんだから、当たるはずがないじゃないか」
とでも言えば良い。
もちろん、本当に戦場にでも送られたら、緊張して、なかなかそうは思えないかもしれないが、それほどの状況でないなら、まして、もっと多くの収入や恋人が欲しいという程度であれば、呼吸を整えたり、微笑むことでリラックスし、「ここは、どんどんお金が入ってくる世界だ。なぜかは分からないが、入ってくるのだから仕方がない」と思えば良い。
だが、藤平光一の本も参考になるとは思うので、読むことは無駄ではない。
ところで、藤平は、師匠の中村天風や植芝盛平をややディスる(軽蔑する)傾向があるが、そんな弟子というものは、欠点も含め、案外に師匠に似ているものであり、藤平の考え方にも、中村天風や植芝盛平の影響が大きく、一緒に読むと分かることも多くなると思う。
また、藤平自身が、中村天風や植芝盛平を語る書は、そのディスる様子が、案外に駄目息子の言い分のようで可愛いのである。
藤平光一も中村天風も植芝盛平も、どこか少年なのであると思う。
これにより、配下の武将達は、信長が神に護られた特別な存在と感じ、信長への崇拝や勝利への確信を持つことになったのだろう。
では、この話が作り話かというと、配下の武将によって書かれた記録もあるが、それよりも、第二次世界大戦で同じことをやったと言う者の著書がある。
それは、合氣道家の藤平光一の『氣の威力』だ。
藤平は第二次世界時、中国に士官見習いとはいえ上官の立場で送られ、自分より年長の兵隊達を率いていたのだと思う。
その中で、兵隊達と銃弾が飛び交うような危ない場所に行く時、
「心配せずに俺についてこい。あんなひょろひょろ弾が俺達に当たるか」
と言って出かけたという。
すると、実際に弾は当たらなかったという。
で、藤平は、どうやってそうなったかというと、
「天地に任せきって、全身の力を抜いた時にいちばん氣が充実し、そんな時には弾丸さえも避けて通る」
と確信したと書かれている。
全く、偉い人は難しいことを言うが、まあいい。後で修正する。
さらに付け加え、藤平は、
「これは戦地に限ったことではなく、人生のいかなる荒波に対しても、全身の力を抜いて氣力を充実させていれば、ゆうゆうとこれに対処出来、不運や困難は向こうから避けていく」
と述べている。
つまり、「天地に任せきって、全身の力を抜く」ということだろう。
周囲からチヤホヤされる偉い人は、悪気はないのだが、気取ったことを言いたがるので、それに惑わされてはならない。
もっと簡単に言えば、リラックスして、天地でも、神様でも、宇宙でもいいが、引き寄せに興味がある人にとっては、潜在意識に任せきると言った方が良いだろう。
しかし、我々はもっと進んでいるはずだ。
いつまでも、古い人の教えを全面的に有難がっていてはいけない。
そこで、こう考えてはどうか。
気楽になって、自分は、安全で幸運な世界にいると決め、潜在意識に任せきるのだと。
信長や藤平光一の事例で言えば、ここは自分に弾は当たらない世界だと決めつけるのだ。
「当たらない世界なんだから、当たるはずがないじゃないか」
とでも言えば良い。
もちろん、本当に戦場にでも送られたら、緊張して、なかなかそうは思えないかもしれないが、それほどの状況でないなら、まして、もっと多くの収入や恋人が欲しいという程度であれば、呼吸を整えたり、微笑むことでリラックスし、「ここは、どんどんお金が入ってくる世界だ。なぜかは分からないが、入ってくるのだから仕方がない」と思えば良い。
だが、藤平光一の本も参考になるとは思うので、読むことは無駄ではない。
ところで、藤平は、師匠の中村天風や植芝盛平をややディスる(軽蔑する)傾向があるが、そんな弟子というものは、欠点も含め、案外に師匠に似ているものであり、藤平の考え方にも、中村天風や植芝盛平の影響が大きく、一緒に読むと分かることも多くなると思う。
また、藤平自身が、中村天風や植芝盛平を語る書は、そのディスる様子が、案外に駄目息子の言い分のようで可愛いのである。
藤平光一も中村天風も植芝盛平も、どこか少年なのであると思う。