ヒックス夫妻の『引き寄せの法則』や、ロンダ・バーンさんの『ザ・シークレット』といった、精神の力で成功するためのノウハウが世界的に流行した時、次のようなことを言う人が多かったと思うし、実際、『ザ・シークレット』の批評本か何かで見た憶えもある。それは、
「経験に欠ける若者に勇気を与えるという点で一定の評価はするが、実際は、現実的に何かに取り組んで努力しないと何も起こらないということを理解しなければならない」
といったものだ。
しかし、別に現実逃避主義者でなくても、そんな意見を聞くと、うざったいと感じるものだろう。
そういった意見は、「努力するだけでは、牛や馬になろうとしているというだけのことだ」ということとセットで言うべきだろう。
全てを仕事に懸けてしゃにむに頑張る人を、政府や会社は賞賛するだろうが、それは、奴隷として誉めているというだけのことだ。奴隷はどこまでいっても奴隷なのだ。
しかし、何もしなければ生きていけないじゃないかと言われるかもしれない。
だが、私は何もしていないよ。
一時期、鬼のようにがんばったことはあったが、それは、狂気と共にあった時だ。
水から顔を上げるのを敢えて我慢するような気持ちで哀れな幻想を捨てる決意をした時、何もしなくていいことが分かったのだ。
私は、TM(超越瞑想)の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギを、今は全く信用していない。ポール・マッカートニー、クリント・イーストウッドや、数多くの著名な事業家、政治家らは信用しているのかもしれない。しかし、私は、一頃は熱心にやっていたTMも、今はやっていない。
だが、別にマハリシが嫌いというのではないし、マハリシが良いことを言ったら、それは覚えている。
彼は、こんなことを著書『存在の科学と生きる技術』の中で書いていた。
「瞑想で心の深い部分に慣れるということは、池の深いところで遊ぶのに慣れることに喩えられる。現実とは、池の表面の活動のようなもので、池の深いところに慣れた人にとっての池の表面での遊びと同様、心の深い部分に馴染んだ人にとっては、現実はあまりに簡単で、自動的に進んでいくのだ」
勝手な憶測だが、マハリシは、これをインドの聖典か何かから引用したのだろうと思う。そして、これは真実だ。
そして、私が敬愛して止まない本物の聖者、ラマナ・マハルシはこう言った。
「あなたは、重要な仕事を責任感を持ってやっている。しかし、本当はあなたは何もしていないのだ」
「神の至高の力が全てを動かす。荷物を降ろして安心しなさい」
個人的な心である自我を、大きな宇宙の心である神の前から退かせ、神の至高の力に委ね切ってしまえば、全て自動的に進んでいく。
ジョージ・アダムスキーは、このようにも言った。「個人の意識を、宇宙の英知の下に置いてそれに従えば、両者は溶け合う」。それが、神と合一するということなのだろう。
完全に神と一体化すれば、それは悟りであるが、そこまでに達するのは中々難しいとしても、いくらかでもそうなれば、あなたは、猫の群の中の虎のようなものだ。ミャアミャア泣き、つまらないことばかりする猫を煩わしく思わず、慈愛の心で眺めるようになれば、あなたにとって、この世は楽なものだ。その気になれば、決して暴力に訴えずとも、世界征服も可能なのだ。
宇宙の英知に従うには、いつも書くように、聖書の詩篇23や91を毎日読むことが簡単だ。また、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることも同じことである。
この「猫の群の中の虎」というのは、私が好きな言葉なのだが、これは、平井和正さん原作の桑田次郎さんの漫画『8(エイト)マン』で、8マンの宿敵デーモン博士が、ミュータント(突然変異体)である超人類達と、現在の人類を対比して言ったものだ。アニメでも、平井さんは自ら脚本を書かれ、この話を入れていた。デーモン博士は、ミュータントを強力だが危険な存在として虎と言ったのだが、我々は、強くて美しい虎でいようではないか。
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「経験に欠ける若者に勇気を与えるという点で一定の評価はするが、実際は、現実的に何かに取り組んで努力しないと何も起こらないということを理解しなければならない」
といったものだ。
しかし、別に現実逃避主義者でなくても、そんな意見を聞くと、うざったいと感じるものだろう。
そういった意見は、「努力するだけでは、牛や馬になろうとしているというだけのことだ」ということとセットで言うべきだろう。
全てを仕事に懸けてしゃにむに頑張る人を、政府や会社は賞賛するだろうが、それは、奴隷として誉めているというだけのことだ。奴隷はどこまでいっても奴隷なのだ。
しかし、何もしなければ生きていけないじゃないかと言われるかもしれない。
だが、私は何もしていないよ。
一時期、鬼のようにがんばったことはあったが、それは、狂気と共にあった時だ。
水から顔を上げるのを敢えて我慢するような気持ちで哀れな幻想を捨てる決意をした時、何もしなくていいことが分かったのだ。
私は、TM(超越瞑想)の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギを、今は全く信用していない。ポール・マッカートニー、クリント・イーストウッドや、数多くの著名な事業家、政治家らは信用しているのかもしれない。しかし、私は、一頃は熱心にやっていたTMも、今はやっていない。
だが、別にマハリシが嫌いというのではないし、マハリシが良いことを言ったら、それは覚えている。
彼は、こんなことを著書『存在の科学と生きる技術』の中で書いていた。
「瞑想で心の深い部分に慣れるということは、池の深いところで遊ぶのに慣れることに喩えられる。現実とは、池の表面の活動のようなもので、池の深いところに慣れた人にとっての池の表面での遊びと同様、心の深い部分に馴染んだ人にとっては、現実はあまりに簡単で、自動的に進んでいくのだ」
勝手な憶測だが、マハリシは、これをインドの聖典か何かから引用したのだろうと思う。そして、これは真実だ。
そして、私が敬愛して止まない本物の聖者、ラマナ・マハルシはこう言った。
「あなたは、重要な仕事を責任感を持ってやっている。しかし、本当はあなたは何もしていないのだ」
「神の至高の力が全てを動かす。荷物を降ろして安心しなさい」
個人的な心である自我を、大きな宇宙の心である神の前から退かせ、神の至高の力に委ね切ってしまえば、全て自動的に進んでいく。
ジョージ・アダムスキーは、このようにも言った。「個人の意識を、宇宙の英知の下に置いてそれに従えば、両者は溶け合う」。それが、神と合一するということなのだろう。
完全に神と一体化すれば、それは悟りであるが、そこまでに達するのは中々難しいとしても、いくらかでもそうなれば、あなたは、猫の群の中の虎のようなものだ。ミャアミャア泣き、つまらないことばかりする猫を煩わしく思わず、慈愛の心で眺めるようになれば、あなたにとって、この世は楽なものだ。その気になれば、決して暴力に訴えずとも、世界征服も可能なのだ。
宇宙の英知に従うには、いつも書くように、聖書の詩篇23や91を毎日読むことが簡単だ。また、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることも同じことである。
この「猫の群の中の虎」というのは、私が好きな言葉なのだが、これは、平井和正さん原作の桑田次郎さんの漫画『8(エイト)マン』で、8マンの宿敵デーモン博士が、ミュータント(突然変異体)である超人類達と、現在の人類を対比して言ったものだ。アニメでも、平井さんは自ら脚本を書かれ、この話を入れていた。デーモン博士は、ミュータントを強力だが危険な存在として虎と言ったのだが、我々は、強くて美しい虎でいようではないか。
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