米国大統領は「核のフットボール」を常に持ち運んでいる(実際は担当官が持つ)。
「核のフットボール」とは、大統領が核攻撃を指示するプロセスを開始するための各種ツールが収められたブリーフ・ケース(カバン一般を意味するが、なぜか日本語では「書類カバン」)だ。
いわゆる「核のボタン」とも言われるが、核攻撃のためには、複数の指揮官を経由するプロセスが必要なので、大統領がボタンを押したり、「やれ」と命じるだけでは実際の核攻撃は開始されない。
ただ、これは米国の場合で、核保有国であるイギリス、フランスも似たようなものと思うが、米国の5千数百の核弾頭に対し、6千以上を持つと言われるロシアや、数百と言われる中国のことは、一般には分からないのだと思う。

1960年代のアニメ『サイボーグ009』の中で、米国だったかどうか知らないが、大統領が、核ミサイル発射ボタンを押そうとする場面があった。ここでは、大統領がボタンを押せば、ただちにミサイルが発射される設定だったのだと思う。
『サイボーグ009』のリメイク版映画である2012年の『009 RE:CYBORG』では、現代的に、複数の発射プロセスが必要となり、オバマ大統領に似せた(背の高い黒人の)米国大統領が、核ミサイル発射を指示したのだと思うが、ミサイル発射まで一定の時間を必要としたが、核ミサイルは発射される。
その、古い方の『サイボーグ009』では、大統領は平然と核ミサイルの発射ボタンを押すのではなく、大変な緊張と葛藤をすることが描かれていた。
当然である。自分がボタンを押すことで、とんでもない数の人間が死に、放射能汚染も引き起こすのだから、その緊張、葛藤は最大に描く必要があるだろう。
それで、私は考えたのだ。
そんな恐ろしいボタンを押す人物に自分がなり、今まさにボタンを押そうとする時のことを。
子供の時のことであったから、不謹慎なことは多少大目に見たいが、その時の気分は、「これほど興奮することはない」もので、「今が本当にその時なんだ。自分がそのボタンを押そうとしているのだ」と思い込むほど高揚感が高まったが、「人を殺す」という意識ではなく、「地球を消滅させる」というイメージを持っていた。
いや、たとえ生物はいなくても、どこかの惑星1つを消滅させると思うと、やはり、興奮度は最大になる(いや、不謹慎なのは分かる)。
そのボタンを今や押そうとする時、心の中で何が起こっているかというと、「今」に強力に集中しているのである。
言い換えれば、これまでになかったほど「今」を意識しているのだ。
私は、この興奮が忘れられず(笑)、この興奮を引き起こすことを考え付いた。
たとえば、熱心に時間をかけて、紙に絵を描いたら、自分としては最高の出来となって満足感を覚え、その絵を大切に思ったとする。
その絵を破くのである。
その絵が描かれた紙を掴み、今まさに破こうとする時、心で「さあ、破くぞ、破くぞ!」と唱えると、どんどん高揚感が高まる。
これだ、この気分だ(笑)。
他にも、大切な物を2階の窓から落とす(落としたら完全に壊れる)なども有効だった。

実際は、そういった破壊的な目的を持って「今」に集中することには悪い作用もあるが、そうやって、「今」に集中する感覚を身に付けることには意味があると思う。
そして、長じるに従って、困難な選択を行うことがあり、それを、勇気と責任感を持って行う時、やはり、あの時のような「今」に集中する高揚感を感じた。ただし、そこには余計な興奮感はなく、「生の実感」「命のさざめき」を感じるのである。

核ミサイルや、惑星消滅を起こすボタンではない、もっと建設的な空想のボタンを考え、「今」に集中するシミュレーション(模擬実験、模擬訓練)を行ってみると、「今」の感覚を掴めると思う。
そして、「今」を自在に感じられるようになれば、もう魔法使いと言って差し支えない。
「今」の中に万能の宇宙エネルギーがあり、そこに意識を集中させることで、我々はそのエネルギーと一体化するのであるからだ。
さっき、建設的な空想のボタンと言ったが、それは必ずしも楽しいものではなく、痛みを伴う場合が圧倒的に多い。
たとえば、愛する人の命を救うため、その愛する人と永遠に別れるボタンなど、なかなか良い。そういった、痛みを伴うものでなければ訓練にならず、その痛みは大きいほど速く上達する。
これが魔法の訓練の奥義である。
私は昔、相当な年配の人から、軍の中でも秘密組織に属するところで行われていた特殊訓練を、その人は、あの中村天風と一緒にやったという話を聞いたことがある。
上にあげた訓練にも、そのエッセンスが含まれている。