パナソニック株式会社という会社名は誰でも知っているだろうが、この会社が以前は松下電器産業株式会社と呼ばれていたことや、その商標が「ナショナル」であったことは知らない人が多くなったと思う。
松下電器産業は、希代(きたい。きだいとも読む。世に極めて稀)の経営者、松下幸之助が一代で作った会社だ。
これがパナソニックに社名変更したのは2008年10月で、「ナショナル」も2009年度に廃止した。
古い世代にとっては、「ナショナル」は、戦後復興のシンボルのようなもので希望の光であったと思う。
その松下幸之助が、現役の経営者だった時と思うが、経営者向けの講演を行った時、「これからは社会変動も大きいので、安定して経営を行うためには社内留保が必要だ」といった話をした。
いわゆる「ダム経営」というもので、「社内留保」というのも経営の専門用語であり、実際は細かい定義があるのだが、ごく一般的に、そして、個人的に言えば、いつでも使えるある程度の額の普通預金のようなものだ。
つまり、我々個人だって、急な出費が必要になることがあり、それが、そこそこの金額になることもある。
例えば、ある人の小学生の子供が病気になり、手術を含めた治療に百万円ほど必要になったことがある。カナダ等、医療費が無料の国と違い、日本やアメリカは医療費が高い。
また、家のガス給湯器が古くなり、自ずとガスコンロなども古いので一式替えると、やはり、50~100万円は必要になる。
麻生副総理が、幸福な老後のために夫婦で2千万円は必要だと言って大炎上したのは記憶に新しいが、必要かどうかはともかく、誰でもそれくらい、あるいは、それ以上欲しいと思っているだろう。
松下幸之助的に言えば、2千万円かどうかはともかく、「ある程度の蓄えは必要でっせ(松下幸之助は関西人)」というのは間違いではなく、むしろ、本当に必要なこと・・・つまり常識だ。
とはいえ、普通の夫婦が子供を2人育て、大学まで出すとしたら、2千万円の蓄えどころか、定年時に多額の借金があることも珍しくはないだろう。
老後に余裕があるのは、ごく一部の、たまたま世の中でうまくやれた者とか、安定してはいるが面白くもない公務員の仕事を全うしたような者くらいだろう。
松下幸之助が、「社内留保」、つまり、個人で言うところの「そこそこの蓄え」が必要と言った時のことに戻るが、その時、1人の経営者が、「どうすればそれを得られますか?」という、「変な質問」をした。
そんなの、利益を上げて、お金を社内留保に回せば良いだけである。
個人で言えば、生活の必要以上の収入を得て、ちゃんと貯金せいよといったところである。
「いや、そうではない、経営学的には・・・」と言いたい人もいるだろうが、会社だろうが個人だろうが、きちんと稼ぐことが基本である。
で、松下幸之助は、その質問に何と答えたか?
その質問も笑われただろうが、松下幸之助の答はもっと笑われた。
松下幸之助の答は、「まず、社内留保が欲しいと願うことです」だった。
個人で言えば、「貯えが欲しいと願うこと」だ。
「そんなの、誰でも願っとるわい」と言いたいかもしれないが、そうだろうか?
神様に、「なぜ私は貯えがないのでしょう?」と尋ねたら、「俺はやりたいと思ったが、お前は願わなかった」と言われてしまうかもしれない。
引き寄せの法則で有名な『ザ・シークレット』にだって、
「お金が欲しいと思っているだけでは、お金が欲しいという状態が続くだけです。お金を既に得たと思わないといけません」
と書かれていて、それを真似して教える人は多い。
それ自体は正しいのかもしれない。
しかし、その前に、素直に「欲しい」と願うことが大切なのだ。
あなたの子供が、欲しいおもちゃをあなたに願ったとして、あなたが「買ってあげるよ」と言ったら、子供は、あなたが約束を守ると信じているので、既にそれを得た気持ちになるが、大切なことは、子供がそのおもちゃを素直に「欲しい」と願っているかどうかではないのか?
そうでなく、単なるきまぐれや思い付き、あるいは、それほど欲しくはないが「あっても悪くないね」という(やや傲慢な)気持ちで願ったものを、いちいち買ってあげていたら、あなたの子供はロクな人間にならないだろう。
そして、神様は、あなたよりずっと賢いし、愛情深い。つまり、与えない方が良ければ与えないに違いない。
松下幸之助が、「願うことです」と言った時、皆、笑ったが、そこに居た、まだ若かった時の稲森和夫だけは笑わなかったという。
稲森和夫は「そうか、願うことか」と「素直に」受け止め、彼は、松下幸之助に続く経営の神様になった訳だ。
松下電器産業は、希代(きたい。きだいとも読む。世に極めて稀)の経営者、松下幸之助が一代で作った会社だ。
これがパナソニックに社名変更したのは2008年10月で、「ナショナル」も2009年度に廃止した。
古い世代にとっては、「ナショナル」は、戦後復興のシンボルのようなもので希望の光であったと思う。
その松下幸之助が、現役の経営者だった時と思うが、経営者向けの講演を行った時、「これからは社会変動も大きいので、安定して経営を行うためには社内留保が必要だ」といった話をした。
いわゆる「ダム経営」というもので、「社内留保」というのも経営の専門用語であり、実際は細かい定義があるのだが、ごく一般的に、そして、個人的に言えば、いつでも使えるある程度の額の普通預金のようなものだ。
つまり、我々個人だって、急な出費が必要になることがあり、それが、そこそこの金額になることもある。
例えば、ある人の小学生の子供が病気になり、手術を含めた治療に百万円ほど必要になったことがある。カナダ等、医療費が無料の国と違い、日本やアメリカは医療費が高い。
また、家のガス給湯器が古くなり、自ずとガスコンロなども古いので一式替えると、やはり、50~100万円は必要になる。
麻生副総理が、幸福な老後のために夫婦で2千万円は必要だと言って大炎上したのは記憶に新しいが、必要かどうかはともかく、誰でもそれくらい、あるいは、それ以上欲しいと思っているだろう。
松下幸之助的に言えば、2千万円かどうかはともかく、「ある程度の蓄えは必要でっせ(松下幸之助は関西人)」というのは間違いではなく、むしろ、本当に必要なこと・・・つまり常識だ。
とはいえ、普通の夫婦が子供を2人育て、大学まで出すとしたら、2千万円の蓄えどころか、定年時に多額の借金があることも珍しくはないだろう。
老後に余裕があるのは、ごく一部の、たまたま世の中でうまくやれた者とか、安定してはいるが面白くもない公務員の仕事を全うしたような者くらいだろう。
松下幸之助が、「社内留保」、つまり、個人で言うところの「そこそこの蓄え」が必要と言った時のことに戻るが、その時、1人の経営者が、「どうすればそれを得られますか?」という、「変な質問」をした。
そんなの、利益を上げて、お金を社内留保に回せば良いだけである。
個人で言えば、生活の必要以上の収入を得て、ちゃんと貯金せいよといったところである。
「いや、そうではない、経営学的には・・・」と言いたい人もいるだろうが、会社だろうが個人だろうが、きちんと稼ぐことが基本である。
で、松下幸之助は、その質問に何と答えたか?
その質問も笑われただろうが、松下幸之助の答はもっと笑われた。
松下幸之助の答は、「まず、社内留保が欲しいと願うことです」だった。
個人で言えば、「貯えが欲しいと願うこと」だ。
「そんなの、誰でも願っとるわい」と言いたいかもしれないが、そうだろうか?
神様に、「なぜ私は貯えがないのでしょう?」と尋ねたら、「俺はやりたいと思ったが、お前は願わなかった」と言われてしまうかもしれない。
引き寄せの法則で有名な『ザ・シークレット』にだって、
「お金が欲しいと思っているだけでは、お金が欲しいという状態が続くだけです。お金を既に得たと思わないといけません」
と書かれていて、それを真似して教える人は多い。
それ自体は正しいのかもしれない。
しかし、その前に、素直に「欲しい」と願うことが大切なのだ。
あなたの子供が、欲しいおもちゃをあなたに願ったとして、あなたが「買ってあげるよ」と言ったら、子供は、あなたが約束を守ると信じているので、既にそれを得た気持ちになるが、大切なことは、子供がそのおもちゃを素直に「欲しい」と願っているかどうかではないのか?
そうでなく、単なるきまぐれや思い付き、あるいは、それほど欲しくはないが「あっても悪くないね」という(やや傲慢な)気持ちで願ったものを、いちいち買ってあげていたら、あなたの子供はロクな人間にならないだろう。
そして、神様は、あなたよりずっと賢いし、愛情深い。つまり、与えない方が良ければ与えないに違いない。
松下幸之助が、「願うことです」と言った時、皆、笑ったが、そこに居た、まだ若かった時の稲森和夫だけは笑わなかったという。
稲森和夫は「そうか、願うことか」と「素直に」受け止め、彼は、松下幸之助に続く経営の神様になった訳だ。
