ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

東浩紀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人気者達の話はあくまで彼らの趣味である

今は、Youtubeやニコニコ動画等で、頭が良い評論家の面白い話を無料でいくらでも聴けて、得なところがある。
私は、そんなに沢山は見ている訳ではなく、偏った見方しかしていないが、茂木健一郎氏や岡田斗司夫氏らのような、知識経験豊富で話も面白い人が人気があるし(この2人は、職業が何であるとか言うまでもないだろう)、批評家の東浩紀氏や評論家の宇野常寛氏が新しい世代の論客で、堀江貴文氏やひろゆき氏も相変わらず人気があるようだ。
これらは、テレビ放送されたものを、合法違法あるだろうが、ネットに流れたようなものもあるが、ちょっと目には(純粋なネット動画との)区別が付かない。
それで、テレビもネットも一緒くたにしてしまうが、そのあたりは了承願いたい。

ただ、本当に優秀な人達は、あまりネットの動画に出ないのだろうという気はするし、少なくとも、上に挙げた人気者達と同等以上の人達が、あまり知られていないのだろう。
そもそも、ニコニコ動画のようなものは、そういった、無名だが優秀な人達が世に出やすくするための役割もあるはずだが(ニコニコ学会βはそのポリシーでやっていると思う)、どうしても、「一般受けする話ができるやつ」でなければいけないというところは必ずあるのだろう。
ところで、対談やインタビュー番組のゲストとして、チームラボの猪子寿之氏も人気があるのだが、猪子氏というのは、本来は、動画対談にしろテレビの対談番組にしろ、本当は出ている暇なんかないはずだ。
しかし、人気があるので、引っ張り出されてしまうのかもしれない。
一度、堀江貴文氏と猪子寿之氏の対談を見たことがあるが、これは全く噛み合っていなかった。そもそも、この2人で噛み合う部分は全くないのだろうと思う。
それでも、堀江氏にしてみれば、人気ゲストを迎えて対談を面白くしなければならない責任があるので、俗っぽい話で盛り上げようとし、猪子氏も大人で頭も良いので、必死でそれに合わせてあげていた感じだが、本当の意味で面白くなるはずがない。

ところで、話が面白い、頭の良い人の話には、つくづく気をつけないといけないと思ったものがある。
スティーブ・ジョブズの追悼番組か何かだったと思うが、脳機能学者の茂木健一郎氏が、「Windowsは使っている時間に比例して嫌になる」と言い、一方でアップル製品を大絶賛し続けた。
そして、さらに、マイクロソフト製品の主にユーザーインターフェースを貶していると、マイクロソフトの副社長であった西和彦氏が、喧嘩腰で茂木氏を非難したのだが、すると、茂木氏は、「僕の個人的な意見なんだからいいじゃない」と言い訳をする。
しかし、茂木氏は、決して、「僕の個人的な考え」として話をする人ではない。
茂木氏は、自分の述べることは真理であるといつも主張しているのであり、そう信じさせるトークの技術を十分以上に持っている。そして、学者としての実績だってあるし、世間の人々を信用させるような肩書きもある。
私はあれを見て、全ての人に、「茂木氏の話はあくまで、彼の個人的意見ですよ」という認識を求めたいと思ったものだ。
ただ、茂木氏は、「茂木健一郎の発想の種 IMAGINE」のような番組では、ホストとして自己主張を抑え、ゲストの思想を引き出す良い話し方をするのだ。やはり頭が良いのだろう。
しかし、自分がゲストの番組や対談では、やはり、彼の話は「あくまで彼の個人的なもの」と考えた方が良い。そして、その意味では素晴らしいことも言うのだろう。

私の考え方などはどうでも良いのだが、それでもあえて言えば、私個人は、アップル製品には我慢がならないと感じる。
iPadやiPhoneなどのiOS製品では、ビデオや音楽をそれらに入れるのに、特定のPCでなければならないのは、私には異常でしかない。
私は、iPod touchと同期させていたPCからiTunesという同期用ソフトをアンインストールしたので、もう、そのiPod touchは事実上使えない。
私には、同期というやり方しかできないというのは、もうついていけないので、やめてしまったのだ。
私の身近にも、アップルの熱烈なファンがいて、彼らの中には、マイクロソフト製品を買うことを堕落のように考えている人もいる。
それで、私は、本当に興味があるので、アップル製品のどこが良いのか、こちらは一切口を挟まず、じっくり聴こうと思うのだが、彼らは曖昧なことしか言わず、何も分からない。
もちろん、フィーリングや感覚の問題は言葉にし難いというのは確かとは思うが、あまりに曖昧で、具体性がないのだ。
何も言わず、「ただアップルが良い。それが常識だ」と言う人も多いように思う。
しかし、それはそれで、個人的な考えとして尊重はしたい。
多少話す場合でも、「使えば分かる」、「作業効率が違う」、「洗練されている」、「思想が高度」・・・等々である。
実は、私だって、それは認めたいと思う。
マイクロソフト製品には、徹底したこだわりはないだろうし、実用重視のものだろう。
それで十分と思うのは、私にはデリケートな感性がないということなのかもしれない。
しかし、コンピューターは道具である。その意味では、マイクロソフト製品で十分である。
つまり、私にとって、コンピューターというものは趣味ではないのである。

ネットで人気のある対談も、スピーカー達の趣味に属するものが多いし、茂木氏の学問に関わる深遠そうな話も、実は趣味なのだろうと思う。
例えば、茂木氏の言う、「東大は駄目」「TOEICは何の役にも立たない」というのは、参考にすべき部分はあるとしても、あくまで彼の個人的な考え方であり、趣味であるが、その意味では傾聴に値するものである。
人気者の話というのは、あくまで、趣味、個人的な考えとして、ただし、誰が話す場合でも同じだが、自分以外の人様が話しているという理由だけで、敬意を持って聴くべきであろう。
その意味では、岡田斗司夫氏と東浩紀氏がエヴァンゲリオンについて話すのを聴くのが平和で良いのだろうが、私には退屈でしかない。









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目先の快楽を追わないことが人生を実りのあるものにする

スターバックスという会社は、本物のコーヒーの味に魅せられた人達が、コーヒーの伝道師になった気で事業を始めたのであるらしい。
本に書かれているところではそうなっている。
それを見ると、「コーヒー中毒者を増やして儲けただけじゃないのか」という思いも出てくるが、やはり、彼らを疑うべきじゃないだろう。
しかし、信じてもいけないのだ。

クリシュナムルティは、「私は何も信じない」と言ったが、「疑いもしない」と付け加えれば良かった。
クリシュナムルティのファンは彼を信じているのだろうが、やっぱり信じちゃいけない。
ただ、疑わないだけで十分である。

スターバックスに戻るが、本物のコーヒーの香り、味わいは、心に憩いを与え、それが、人生を豊かにすると言う。
さらに、スターバックスの事業に関して言うなら、「無理に儲ける気はない。しかし、本物を届けようとする誠意が、結局は幸運をもたらす」といったことも本に書かれていたと思う。
私はここで、「なら、クラシック音楽や絵画はもっと心を豊かにするのではないか?」と言うつもりはない。
だが、「なんて美しい言葉、理念だ」と、ただ感動するつもりもない。

ゴッホやピカソは、別に人々に憩いを与えたり、人々の人生を豊かにするために絵を描いた訳ではないだろう。
とはいえ、ピカソはたまたま金持ちになったが、両方とも、儲けるつもりで描いたのでもないと思う。
池田満寿夫さんによれば、ゴッホは、自分の絵が、人々の家の居間に飾られることを望んでいたのだと言う。
横尾忠則さんは、天国の美を地上に現すために制作するのだという。
しかし、誰が言ったことも、疑う必要はないが、無闇に信じてもいけない。
だから、もし、芸術家にしろ、スターバックスのような事業の事業家にしろ、彼らが、「私の言うことを信じろ」と言うなら、無視して良い。
「私を信じろ」なんて言う者は、ロクなものではないのだから。
宗教ってのは、大抵がそうかもしれない(この言い分自体、信じるな)。
宗教には、信じる以外のことはない。
しかし、「別に信じなくていいよ」という宗教家がいれば、彼は善い宗教家かもしれない。

音楽家の渋谷慶一郎さんは、自分が作曲した、初音ミクが歌う『イニシエーション』のWebサイトで、「中毒になるまで聴いて欲しい」と述べておられたと思うが、それは、要望としては悪くなく、非常に正直で清々しいとすら思う。
権威的な美術批評家グローマン博士が、池田満寿夫さんに手紙で、「君の版画が私の部屋に飾ってある。毎日、君の絵を見るのが私の楽しみだ」と書いて送ったようだが、別にグローマンでなくても、これが作品に対する最高の誉め言葉だろう。
あるいは、元大リーガーの長谷川滋利さんが、エンゼルス時代だったと思うが、先発から中継ぎに転向させられた際、監督は、「お前は先発で通用しないから、中継ぎをやれ」とは言わず、「俺は毎日、お前のピッチングを見たい」と言ったことを、長谷川さん自身が明かしていたが、長谷川さんはテレビの視聴者を楽しませるために言った部分もあるにしろ、この監督は本気で言ったと私は思いたいのだ。
そして、それが本気だったというのは、結果として現れている。
長谷川さんは大選手になり、オールスターにも出て、良い形で現役を終えることができたのだ。
グローマン博士は毎日、池田満寿夫さんの版画を見たかったのだし、エンゼルスの監督は、毎日、長谷川さんのピッチングを見たかったのだ。
渋谷慶一郎さんは、逆の立場で、「俺の曲を毎日聴いて」と言っているように思え、非常にピュア(純粋)で、ある意味、可愛いと思う。
ゴッホも、池田さんの言う通りなら、同じことなのだろうが、芸術家というのは、そんなものかもしれない。
私は、『イニシエーション』も好きだが、同じ曲から創られた、『声と言葉のアリア』が好きで、こちらは毎日聴いている。
この2つは、詩は違うが、別に、東浩紀さんの『イニシエーション』の詩が悪いのではなく、この詩は実に良い(ちょっと硬いとは思うが、それは意図的なものだろう)。
余談だが、私は初音ミクをエロティックに扱うのは大嫌いだが、エロスの王様の池田満寿夫さんなら、初音ミクをどうアレンジするかは見たいと思うのだ。
もちろん、池田さんはミクが生まれる10年以上前に亡くなっている。

つまるところ、本当に熱心にやれることを見つけられた人が幸いなのだろう。
ただし、上に挙げた、「熱心に励む」人達だって、最初から、そんなものがあった訳じゃない。
何でもやってみた結果、そこに行き着いたのだ。
ピカソは、生まれつき才能があったし、豊かな家庭にも恵まれた有利さはあったが、初めは写実画を熱心に勉強し、描いていて、後で抽象画に取り組んだのだ。
スターバックスの伝説のCEO、ハワード・シュルツは、貧しい家庭に育ち、フットボールや商社の仕事に夢中になりながら、コーヒーに行きついた。
平凡ではあるが、適当な快楽、快感を追わず、暫定的でも良いので、本気になれそうなものを見つけるのが、結局は、本当の人生の楽しみを見出せるということなのだろう。
つまらない人生というのは、何もしなかったのではなく、つまらないことばかりやった結果なのだ。
そして、早く本物を見つけるためには、誰も、あるいは、何も信じてはならないが、さりとて、疑ってもならない。









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部屋がお化け屋敷でもいいじゃないか

思想家の東浩紀さんの本に書いてあったことだが、自分探しなんてする必要はなく、自分を知りたければ、自分の居る環境を見れば良い。
環境イコール自分なのだから。
この考え方は良いと思う。
あなたの部屋、あなたの家族、あなたの職場があなたなのだ。
それなら、自分を変えたければ、環境を変えれば良い。
ただ、東さんは、職や家族という、人生や生活の基盤の部分を変えることは薦めていなかった。
確かに、転職したり、離婚・再婚すれば、良い経験になる。
しかし、深い人間関係や、仕事のどっしりとしたキャリアはやっぱり必要だということだろう。
そこで、東さんは、旅を薦めている。
東さんは、海外の変わったところによく行かれているようだ。

東さんは、ずっとエリートだった。
日本一の東大進学校を主席で出て東大に入り、28歳で東大大学院で博士号(学術)を取っている。
その後、有名大学、大学院で教授などをしていたが、少し前、それをすっぱりやめている。
環境を変えて、エリートを辞め、実力勝負に出たといったところだ。
ところで、私がなんで東さんの本を読むのかというと、単に、初音ミクの『イニシエーション』の作詞をされたという理由だけだ。
渋谷慶一郎さんの曲も良かったが、あれはとても良い詩で、良い歌だったと思う。
付属のblu-ray、または、DVDの映像が素晴らしく、ミクがきれいだった。

さて、環境イコール自分であるが、その場合、当然にして、「そもそも自分とはいったい何か?」ということになると思う。
自分が環境だってんなら、いったい自分の何が環境なんだってことだ。
1つには、自分の潜在意識が環境ということになる。
潜在意識であるから、自分では分からない。
つまり、潜在意識は、思考や感覚で捉えることはできない。
しかし、環境を見れば、自分の潜在意識が分かるという訳で、それはその通りである。
部屋がお化け屋敷みたいなら、自分の潜在意識も荒れ果てているのだ。
とても可愛い9つの女の子がいたのだが、彼女の部屋がまさにお化け屋敷だった。
そして、しばらく遊んでいたら、確かに、彼女の潜在意識もその部屋の通りだと分かった。
母親より30歳年上の父親は家にいたためしはないし、母親は、その女の子がもっと幼い頃から保育所に預けっぱなしで、ほとんど世話をしなかったらしい。
そりゃ、荒れるよ。

だが、自分の部屋、家、家族、学校、職場を見て嘆く必要はない。
あなたの部屋もお化け屋敷かもしれない。
しかし、問題ない。
何もね。
どんなきれいな部屋だって、隅っこの一部は汚れているかもしれない。
つまりね、私の環境は、この宇宙なのだ。
この荒れた部屋や、嫌なやつばかりの学校や会社が私なら、セイシェルの夕陽も私なのだ。
子供達が銃で追い回されるような紛争地帯も私なら、シリウスだって私なのだ。
そのくらいの大きなスケールで考えないといけない。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の漫画の第5巻で、賢い三毛猫のオスは、長門有希の中に空(そら)を見て、涼宮ハルヒの中に、おそらく宇宙を見たのだ。
あれは、素敵なお話だった。

昔のインドではこう言った。
「私は彼である」
「私はそれである」
彼は神であり、それは道(タオ)、あるいは、創造原理、または、宇宙エネルギーであるが、まあ、好きなように呼べば良い。
前に教えた通り、以下の呼吸法を1回やれば良い。

(1)出息
ゆっくり息を吐きながら「私はこれではない」と思う。
「これ」とは、自分の身体や心である。
息を吐ききったところで、肛門を締める。
(2)入息
ゆっくり十分に息を吸いながら「私は誰か?」と心で問う。
(3)止息
息を止め、肛門を締めて「私は彼である」、あるいは、「私はそれである」と思う。
時間は無理のない(苦しくない)範囲でできるだけ長く。
普通、3秒から10秒と思う。長い人で30秒ということもあるが、無理はいけない。

やがて、些細なことにこだわらなくなるし、そうなれば、ごく一部のちょっと残念な環境も、自在に支配できるようになるだろう。









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現代の秘密警察に十二分になりうる者

秘密警察といえば、ナチスドイツのゲシュタボや、後にこれを吸収した国家保安本部を思い出す人もいると思う。
それは、国民の言動を見張り、国家の思想に反している者がいないか取り締まり、盗聴、脅迫・拷問などによる自白、密告の奨励などで不満分子を狩り出して消す、権力の手先であるというイメージは何となくお持ちと思う。

だが、今、初音ミクさんの人気曲『秘密警察』を聴くと、本当にゾっとする。
なぜなら、これが現実になり得るからだ。

無駄だぞ! オマエは見張られてる どこへ逃げようとも
国家の転覆 企む輩を 決して 我らは 逃しはしない
オマエの すべての 行動パターン 把握している 何もかもをな!
<中略>
朝から 晩まで オマエを 監視する(みる)×4
<中略>
来る日も 来る日も オマエを 調査する(みる)×4
<中略>
朝から 晩まで オマエを 監視する(みる)×8
~『秘密警察』(作詞、作曲、編曲:ぶりるP、歌:初音ミク)より~

これを本当にやれるのはGoogleだ。
いや、冗談を言う気はサラサラない。
Googleのモットーは "Don't be evil" (悪いことはするな)であるらしい。
だが、もしこれが本当でなければ、Googleは世界を恐怖に陥れる力がすでにあり、世界征服も可能である。

Googleで検索する際には、Googleが提示する予測検索語で、大抵間に合ってしまう。
Googleは「お前の知りたいことなんか、最初から分かっているよ」と言っているのである。
思想家、批評家の(というより、私には、初音ミクの『イニシエーション』の作詞者の)東浩紀氏(東大学術博士)は、
「ネットを触っているかぎり、他者の規定した世界でしかものを考えられない。そういう世界になりつつあります」
と述べている(東浩紀著『弱いつながり』より)。
それだけではない。
こんなことが、もう本当に起きている。
私は、関西在住だが、私のスマートフォンのグーグルナウ(Googleのタブレット端末用サービス)が、「伊藤さんが、後39分で関空に到着します」と知らせて来る。
だが、伊藤さんが北海道から関西に来るということは、私も伊藤さんもGoogleに教えても、登録してもいない。
Googleは、私と伊藤さんのネット上の行動を収集して予測し、私に知らせるのが適切と判断して、それを実施したのだ。
Googleは、情報収集、ビッグデータ解析等により、世界、国家、地域、個人の動向を正確に予測し、管理することができ、さらにその精度を無限に高めつつある。
データ収集の手段は、Google検索以外にも、Gmail、SNSはもちろん、スマートフォンに普通17個も入っているセンサー、そして、これらからは、ウェアラブルコンピューター(メガネや時計等と一体化したモバイルコンピュータ)から、我々の情報は、Googleや、その他の巨大IT企業に吸い取られていくのである。

Googleが、「我々は悪いことをしないから大丈夫」なんて言って、それを信用できるだろうか?
私は、Googleを疑いもしないが、信用もしない。
合衆国政府も、Googleを信用する訳にはいかないようで、個人データ収集に制限を設ける法案を可決したが、Googleが命令に従っていることを確認することは、おそらく不可能だ。

ただ、私にはどうでもいいことだし、どうにもできない。
とはいえ、ゾッとすることだけは確かである。
私は、紋次郎にはなり切れないようだ。









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自分を変えたければ旅をしろ

一頃、「自分探し」なんて言葉が流行っていたと思う。
しかし、そんなことをやる必要はない。
しなくても明らかだからだ。
自分の環境を見れば良い。
「環境=自分」なのだ。
自分の家庭、通っている学校、勤めている会社、通学路、通勤路、友人、サークル・・・それらがあなたそのものなのだ。
ただ、子供の間・・・つまり、経済的に自立するまでは、環境が全てあなたを作る。
大人になってからは、自分が環境を作れるようになる。
ただし、ほとんどの人は、大人になっても、自分で作っている環境は、全体の数パーセントだけだ。
つまり、いくつになっても、子供の時(というより、幼児の時)から変わらないのだ。

手っ取り早く自分を変えたければ、環境を変えれば良い。
家を出たり、離婚したり、転職したり、引っ越したり等だ。
しかし、東浩紀さん(批評家、思想家。初音ミクの『イニシエーション』の作詞者。東大・学術博士)は、旅をしろと言う。
よく考えればその通りだ。
そう度々、転職や離婚なんてできない。
それらをすると、いったんはそこそこに変われても、そこからまた長い固定化が始まる。
それよりも、旅を繰り返せば、少しずつだが何かが変わり、そこから可能性が生まれる。
ひょっとしたら、ちょっとした歪みから、人生が変わってしまうこともある。
それは、むしろ、離婚や転職より多くの面白い歪み(東さんはノイズと表現した)があるので、未知の度合いが大きく、とてもエキサイティングだ。

西部劇の流れ者なんてのは、ずっと旅をしているが、旅慣れれば、1つところに落ち着いていることができなくなるのだ。
木枯し紋次郎も、ずっと旅をしていなければならないのは、苦しい部分も大きいだろうが、反面、生命を充実させていたはずなのだ。
我々も、できれば、1年に2度くらいは海外に行って見るべきだし、せめて、やや遠い国内を旅した方が良いのだろう。
普段、オペラやクラシックコンサートに行かないなら行ってみるべきだ。
縁がないと思っても、初音ミクのコンサートに行くと良い。
きっと素晴らしいことがあるはずだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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