全てに通じる汎用的な極意というものがあるとすれば、それは「自主性」だ。
学校では、暗記というものをさせられる。
この暗記が良いか悪いかという議論は絶えない。
学生時代からずっと超秀才で、東大、東大大学院と進み、28歳で学術学博士になった東浩紀さんという評論家・思想家がいる。
彼が、日本の受験制度を批判する脳科学者の茂木健一郎さん(彼も東大、東大大学院卒)に、暗記は必要と言ったという話をWebで見たことがある。
そして、昨日だが、上級の税理士である母親が中3の娘に暗記の重要性を力説するツイートを見た。
一方、アインシュタインは「私は光速(が秒速何mか)など知らない。調べればすぐ分かることを覚えたりしない」と言った話がある。実際、彼は暗記が苦手で、大学受験に失敗している(制度を利用して無試験で入学した)。
暗記が良いか悪いか?
答は決まっている。
「自主的な暗記なら良い。強制的な暗記なら悪い」
である。
「学校で暗記させられて覚えました」と言う者は愚か者である。
自主的に、繰り返し読み、その結果覚えた暗記なら良いのである。
「知識だけの人は駄目」とか言うが、それは、強制的に覚えさせられた(暗記させられた)人は駄目ということである。
自主的に覚えた物知りが「知識だけの人」であるはずがない。
暗記に限らない。
ある政治犯が、逮捕されて刑務所に入れられ、3年の間、発言が許されなかった。
この政治犯は釈放された時、
「私は3年のマウナ(沈黙の行)を成し遂げた」
と言った。
しかし、インドの聖者ラマナ・マハルシは、
「強制された沈黙はマウナ(沈黙の行)ではない」
と否定した。
マハルシ自身、17歳くらいの時に、3年ほどの沈黙の行を行っていた。
もちろん、誰にも指図されず自主的に。
メジャーリーグの4割打者テッド・ウィリアムズやイチローは、誰よりも多く素振りをしたが、彼らは、自主的に素振りをしたから超人的バッターになれたのである。
「素振りをしろ」と強制的に素振りをやらされた選手が良い選手になるはずがない。
松下幸之助は、経営セミナーで、今後はダム経営(社内に「社内留保」に該当する現金を保有すること)が必要であると言った時、受講者が、
「どうすれば社会留保が得られますか?」
と質問した。
それに対し、松下は、
「社内留保を持ちたいと願うこと」
と答え、皆が笑ったが、若き日の稲森和夫は笑わず、それを真面目に受け入れた。
社内留保が必要だと追い立てられて持つのではなく、経営者が自主的にそれを持とうと願うことが必要なのである。
『パーマン』という漫画・アニメでは、パーマンのマントをつけると、時速91kmで飛べる。
ある時、パーマンからマントを奪って、そのマントをつけた男が、パーマンに「どうやったら飛べるんだ?」と尋ねた時、パーマンが「飛びたいなあって思うんだ」と言ったことが、非常に印象的だった。
強制的に飛ばされるのではない。
自主的に飛ぼうと思わなければならない。
パーマンのマントは、宇宙テクノロジーであるらしいが、漫画ながら、実に納得出来るのである。
『歎異抄』の中に、親鸞が語った念仏の極意があった。
これは誤解されることがあるが、親鸞は、
「念仏を唱えなくても良い。唱えようと思えば良い」
と言った。
これもまた、「唱えさせられる」念仏は駄目で、「自主的に唱える」念仏が良く、むしろ、強制的に唱えさせられるより、唱えなくても唱えようと思う自主性が大事だと言っているのに違いない。
空海は「真言は不思議だ」と、その威力を語ったが、自主的に唱える真言が不思議なのである。
念仏も真言の1つだが、例えば子供に、強制的に真言を唱えさせても駄目なのである。
だが、自主的に真言を唱えれば唱えるほど力を得、無敵になっていくのである。
学校では、暗記というものをさせられる。
この暗記が良いか悪いかという議論は絶えない。
学生時代からずっと超秀才で、東大、東大大学院と進み、28歳で学術学博士になった東浩紀さんという評論家・思想家がいる。
彼が、日本の受験制度を批判する脳科学者の茂木健一郎さん(彼も東大、東大大学院卒)に、暗記は必要と言ったという話をWebで見たことがある。
そして、昨日だが、上級の税理士である母親が中3の娘に暗記の重要性を力説するツイートを見た。
一方、アインシュタインは「私は光速(が秒速何mか)など知らない。調べればすぐ分かることを覚えたりしない」と言った話がある。実際、彼は暗記が苦手で、大学受験に失敗している(制度を利用して無試験で入学した)。
暗記が良いか悪いか?
答は決まっている。
「自主的な暗記なら良い。強制的な暗記なら悪い」
である。
「学校で暗記させられて覚えました」と言う者は愚か者である。
自主的に、繰り返し読み、その結果覚えた暗記なら良いのである。
「知識だけの人は駄目」とか言うが、それは、強制的に覚えさせられた(暗記させられた)人は駄目ということである。
自主的に覚えた物知りが「知識だけの人」であるはずがない。
暗記に限らない。
ある政治犯が、逮捕されて刑務所に入れられ、3年の間、発言が許されなかった。
この政治犯は釈放された時、
「私は3年のマウナ(沈黙の行)を成し遂げた」
と言った。
しかし、インドの聖者ラマナ・マハルシは、
「強制された沈黙はマウナ(沈黙の行)ではない」
と否定した。
マハルシ自身、17歳くらいの時に、3年ほどの沈黙の行を行っていた。
もちろん、誰にも指図されず自主的に。
メジャーリーグの4割打者テッド・ウィリアムズやイチローは、誰よりも多く素振りをしたが、彼らは、自主的に素振りをしたから超人的バッターになれたのである。
「素振りをしろ」と強制的に素振りをやらされた選手が良い選手になるはずがない。
松下幸之助は、経営セミナーで、今後はダム経営(社内に「社内留保」に該当する現金を保有すること)が必要であると言った時、受講者が、
「どうすれば社会留保が得られますか?」
と質問した。
それに対し、松下は、
「社内留保を持ちたいと願うこと」
と答え、皆が笑ったが、若き日の稲森和夫は笑わず、それを真面目に受け入れた。
社内留保が必要だと追い立てられて持つのではなく、経営者が自主的にそれを持とうと願うことが必要なのである。
『パーマン』という漫画・アニメでは、パーマンのマントをつけると、時速91kmで飛べる。
ある時、パーマンからマントを奪って、そのマントをつけた男が、パーマンに「どうやったら飛べるんだ?」と尋ねた時、パーマンが「飛びたいなあって思うんだ」と言ったことが、非常に印象的だった。
強制的に飛ばされるのではない。
自主的に飛ぼうと思わなければならない。
パーマンのマントは、宇宙テクノロジーであるらしいが、漫画ながら、実に納得出来るのである。
『歎異抄』の中に、親鸞が語った念仏の極意があった。
これは誤解されることがあるが、親鸞は、
「念仏を唱えなくても良い。唱えようと思えば良い」
と言った。
これもまた、「唱えさせられる」念仏は駄目で、「自主的に唱える」念仏が良く、むしろ、強制的に唱えさせられるより、唱えなくても唱えようと思う自主性が大事だと言っているのに違いない。
空海は「真言は不思議だ」と、その威力を語ったが、自主的に唱える真言が不思議なのである。
念仏も真言の1つだが、例えば子供に、強制的に真言を唱えさせても駄目なのである。
だが、自主的に真言を唱えれば唱えるほど力を得、無敵になっていくのである。