ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

東京オリンピック

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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東京オリンピックの真の意義

今回の東京オリンピックは大変に意義があった。
どんな意義かというと、プロ・アマチュアを問わず、テレビで大きく宣伝されるスポーツが美しいものであるはずがなく、欲にまみれた醜いものであることが、これまでより強く示されたことだ。
それは、これまでも、少し賢い人には明らかなことであったが、洗脳された一般大衆には、それが分からなかった。
しかし、これまで、8割の人がオリンピックに妄想を持っていたとしたら、今回で、それが5~6割くらいまで減ったと思う。人間は苦しみによって、やっと理解する。そして、今回の大きな苦しみで、洗脳された人々が、そのくらいまで減ったことを期待したいのである。

ところで、東京オリンピックと言えば、私が思い出すのは、1964年の東京オリンピックの柔道である。
以下の内容は、文藝春秋の『1976年のアントニオ猪木』に書かれていたことで、完全な事実かどうかは保証しない。
また、私は数年前、一度流し読みしただけなので、読み間違い、記憶違いもあると思うが、大筋では合っていると思う。

1964年の東京オリンピック柔道での衝撃的な出来事は、オランダのアントン・ヘーシンクが無差別級の決勝で日本の神永選手を破って優勝したことだった。
当時、柔道はまだまだ世界に普及が始まったばかりで、日本とその他の国の実力差は大きく、当時の東京オリンピックでは、日本人選手が金メダルを取るのは当然と思われていた。
当時は、外国選手と戦う日本人選手には、「相手に怪我をさせるな」という「思いやり」が要求されていたほどであったという話もある。
ところで、現在でも、全日本柔道選手権は体重による階級のない無差別級で行われるが、国際大会では全て階級制を取っている。しかし、1964年の東京オリンピックでは、階級制と共に無差別級も同時に行われた。
両方(階級制と無差別級)に出ることも可能だが、それは現実的ではない。体力的に無理があるし、試合の中で、身体が少なからず故障するからだ。
そこで、ヘーシンクが、無差別級と80キロ超級のどちらに出るかは注目されたと思うが、やはり、無差別級に出場した。
そして、ヘーシンクは決勝で神永選手を破って金メダルを獲得した。
だが、オランダ国内には、ウィリアム・ルスカという24歳の実力者がいて、ヘーシンクにも勝っており、本当なら、ヘーシンクではなくルスカが出場すべきだったかもしれない。
しかし、立派な職業についていたヘーシンクと違い、ルスカはナイトクラブの用心棒で、娼婦と同棲するという素性であったことが問題視された。
それでも、ヘーシンクが無差別級なら、80キロ超級に出るべきであったが、ルスカはヘーシンクに嫌われて、チーム入りさせてもらえなかった。
ルスカは貧しい生まれで、少年の時から柔道に興味はあったが、公式の団体に入って練習するお金がなく、二十歳を過ぎてから無償団体に入門した。
しかし、素質と体力のあるルスカはメキメキと力をつける。
ルスカには、武道家精神があり、柔道に関してだけは、命懸けで取り組んでいた。
だが、ルスカは、食べるためには用心棒くらいしか出来ず、まして、柔道に取り組む時間を持つためには娼婦のヒモになるしかなかった。
それで、ルスカは、力はあっても、東京オリンピックに出場出来なかった。
けれども、ルスカは腐らず、次のメキシコ大会を目指す。メキシコでは、ルスカは28歳の全盛期を迎えることになる。
ところが、メキシコ大会を、オランダ政府はボイコットする。
それでも、ルスカは恐るべき忍耐で修行を続け、その次のミュンヘンオリンピックでは、32歳でついにオリンピック出場を果たす。
そして、なんと、ルスカは、重量級と無差別級の2階級にエントリーという無茶をする。
ミュンヘンオリンピックの時には、柔道は世界に普及しており、選手層の厚さは、東京オリンピックの時の比ではなかった。
苦しい戦いではあったが、ルスカは見事、2階級両方で優勝し、後にも先にもただ1人の、1つのオリンピックで2つの金メダルを取った柔道家になった。

東京オリンピックで優勝したヘーシンクは、オランダの英雄として扱われ、オランダ国家のあらゆる優遇を受けて富も地位も得た。
だが、ミュンヘンで2つの金メダルを取ったルスカは、相変わらず用心棒稼業で、娼婦との関係もあり、国は冷たかった。
経済的に困っていたルスカは、アントニオ猪木の「世界中のあらゆる格闘技の挑戦者募集」の声明を見て応募し、猪木側も有名なルスカとあって歓迎した。
だが、プロレスは格闘技でもスポーツでもなく、試合の筋書きと結果は最初から決まっているショーだ。
真剣勝負などさせてもらえるはずがなく、試合は、迫力満点の熱戦の末、猪木がバックドロップ3連発で勝つという筋書きが決まり、プロレスは初めてのルスカでは滑稽な試合になるはずが、そこは、猪木の天才的パフォーマンスで、なんとか「絵になった」。
その後、ルスカはプロレスに入ったが、武道家のルスカにプロレスのセンスはなく、成功しなかった。
そして、ルスカは病気になり、ほとんど身動きも出来ない状態の末、74歳で亡くなった。

ルスカの物語もまた、クリーンだと宣伝されるアマチュア・スポーツが、現実はドロドロの欲の世界であることが示されている。
しかし、オリンピックが最もそうであるが、現代の大きなアマチュアスポーツ大会の醜さは、それどころではないと思われるのだ。
今回の東京オリンピックで、多くの人がそれに気付いたことには、大きな意義があった。
願わくば、さらに多くの人々の目が覚めて欲しい。








東京オリンピックから始まったW.ルスカの悲運

56年前の1964年の東京オリンピックでの大事件とも言える出来事に、柔道無差別級で、オランダのアントン・ヘーシンクが金メダルを獲得したことがあった。
日本の柔道関係者は、唖然茫然としていたようだ。
今では考え難いが、日本の柔道選手が外国の選手と戦う際、古い順に、
・怪我をさせるな
・気をつけていけ(ナメるな)
・負けるな
で、当時はまだ、「怪我をさせるな」の段階だったと思われる。
東京の次のメキシコでは、柔道はオリンピック種目から外れ、その次のミュンヘンでは、あのオランダのウイリアム・ルスカが登場した。
以下の内容は、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』を参照した。

実は、1964年の東京オリンピックの、オランダでの国内予選でも、ルスカは全勝しており、世界選手権優勝者であるヘーシンクと共に東京オリンピックに出場するのが当然であった。
だが、おそらく政治的な理由で、ルスカは代表を外された。ルスカは娼婦と暮すナイトクラブの用心棒だったのだ。だが、その仕事だって、ルスカの師の(やはり不遇な柔道家)ブルーミングが、仕事がなく経済基盤がないルスカ(実際に娼婦のヒモだった)を不憫に思い、善意で紹介したものだった。
ルスカは落胆したが、まだ24歳だったので、次のメキシコを目指すが、先程も述べた通り、メキシコでは柔道は競技種目から外れた。
そして、32歳になったルスカは、最後のチャンスであるミュンヘンに出場し、無差別級と重量級の2つにエントリーする。
東京オリンピックの時とは、選手層・・・特に日本人以外の選手の躍進が凄まじかった。
東京オリンピックでの重量級の出場選手は9名だったのに対し、ミュンヘンでは26名だった。
しかし、日本でも修行を重ねたルスカは見事、両方で優勝し、後にも先にもただ1人、オリンピック柔道で2つの金メダルを獲得した。
だが、ヘーシンクがオリンピックで優勝したことで億万長者になったのとは全く違い、娼婦のヒモに戻っており、柔道バカのルスカには、ヘーシンクのような勲章は与えられず、道場を開くことすら出来なかった。
ルスカは、新渡戸稲造の『武士道』に心酔する、ある意味、純粋な武道家だった。
娼婦のヒモになったのは修行に打ち込むためだったと思われるし、柔道以外のことは分からなかった。
その後、ルスカは日本で、アントニオ猪木と試合をすることになるが、その裏側の詳細は、上でご紹介した、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』が面白かった。

日本でも、オリンピック出場選手と、紅白出場歌手の選考の不透明性がよく話題になる。
それらのことは、私は全く興味がないが、オランダでのルスカの扱いには、その本の情報が本当なら理不尽を感じる。
ツイてるヘーシンクと、ツイてないルスカだが、生涯を通じてそうだったようだ。
武道家を目指すルスカが、オリンピックを通じてスターになるという願望を持ったこと自体が間違いかもしれないが、現代においては、他に取り得がなかった若いルスカにそれを求めるのは酷というものだろう。
インターネット等の情報テクノロジーが発達した現代においては、マスコミの表舞台に立つべきではない。それは、権威と関わるなということだ。
米津玄師さんは、本意とはとても思えないが、2018年の紅白歌合戦に中継とはいえ出場したが、やはり、2019年は断ったようだ。
そして、スポーツや格闘技の分野でも、大企業やマスコミと関わる必要がなくなるアイデアを出す者が出てくるに違いないし、もう実践している人もいるかもしれない。
今や、誰もが放送局を持っているようなものだし、良いものであればSNSで拡散する可能性が高い。
もう、正直者が馬鹿を見ない。
ルスカを現代の反面教師として見るのも良いかもしれない。
それも含め、いろんな意味で、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』は一度読むと良いと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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