ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

木枯らし紋次郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神の圧力呼吸の不思議な力

「神の圧力呼吸」について、小説の話ではあるが、実に見事に表しているものがある。
それは、笹沢佐保の『木枯らし紋次郎』シリーズの第2部である『帰ってきた紋次郎』の最後の話・・・つまり、木枯らし紋次郎の本当の最終話である『霧の中の白い顔』の中のお話だ。
こんな話だ。
川渡しの船に、12か13人の客が乗っていた。
昨夜の雨で増水した川は流れも激しく、船は揺れ、波を被り、乗客達は血の気を失い真っ青になって恐怖に戦(おのの)き、船頭達すら必死の様子だった。
だが、少しも動じない者が2人いた。
1人は、当然、木枯らし紋次郎だった。この時、紋次郎は既に38歳になっていた(第1部では32歳)。
だが、もう1人は、紋次郎の正面に座った17か18くらいの、町人ではあるが、身なりの良い、気品ある美しい娘だった。
なんとか船は無事に到着したが、その娘の使用人が、不可避な状況で、若い武士の顔に布袋を軽く当ててしまう。
武士は怒って使用人に暴行を加え、重症を負わせる。かなり力のある武士であった。
それでも怒りが収まらない武士は、使用人を手討ちにしようとするが、あの娘が、倒れて悶絶する使用人と武士の間に来ると、武士に向かって、地面に静坐する。
「何者じゃ」と声を荒げる武士に対し、娘は落ち着いた様子で顔色一つ変えず、
「その者はわたくしどもの奉公人でございます。奉公人の粗相はわたくしの粗相。討たれるならわたしくしを」
と言う。
娘の全く恐れを感じていない様子がまた武士の癇に障ったのか、武士は、それならお前を切ってやると刀を抜くが、娘は「はい」と首を差し伸べ、目も閉じずに武士を凝視する。
武士は刀を振りかざすが、そのまま静止し、やがて顔色が青白くなり、汗がしたたり落ちる。
武士は何も出来ず、刀を収め、足早に去って行った。

私は、これに匹敵する場面として、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』で、吉岡道場当主の直綱に、弟の又一郎が刀を抜いて上段に構える場面を思い出す。
剣の腕では、弟の又一郎が上であった。
しかし、又一郎は全く動けず、やがて呼吸が乱れ、汗がしたたり落ちた。

揺れる想い
AIアート365
「揺れる想い」
Kay


神の圧力呼吸によって、上の娘や吉岡直綱の境地に至るのは自明と私は確信する。
直綱も修行法を説いてはいるが、それは補足のようなものだった。
真に重要なのは呼吸である。
そして、宮本武蔵こそ、神の圧力呼吸を修めていたに違いない。
イエスがそうであったことは、今朝述べた通りである。
無論、木枯らし紋次郎もそうであろう。








人間最大の美徳

このブログのメインテーマの1つになったが、この世界で真の力を得る手段は「自主的な反復」のみである。
これは、誰にでも出来、得られる力を決めるのは「回数」だけである。
よって、1回1回は楽でなければ無理であるが、楽ではあってもチャランポランでは駄目で、真面目というか真剣でなければならない。
また、数多くやるのは大変そうに見えることを楽にやることに秘儀めいたものを感じるのである。
ところで、反復と言ったら、一頃ブームになった「ルーチン」のことを思い出したり、「ああ、ルーチンですね」と安易に納得する者もいると思うが、ルーチンとは違う。
ルーチンは、形式化、無意識化、習慣化しているが、力の反復はそうではない。
野球の素振りはルーチンではなく、もし、素振りをルーチン化しても力は得られない。
楽ではあっても、自主的、意識的に振るはずで、やはり「真剣」なのであるが、真剣が度を過ぎてもいけない。
とはいえ、別に難しいことではない。
一言で言えば「丁寧」にやれば良い。
「丁寧」は、いつも、自主的、意識的であるのだから。
そして、「丁寧」こそ人間最大の美徳であり、万物の霊長たる人間と、獣と変わらないレベルの人間を分けるポイントは「丁寧」である。

偉大なセールスマンであった夏目史郎に関する、こんな話がある。
彼が一時、19歳の女子大生をセールスの助手にしていたことがあったらしいが(今の時代ならちょっと問題視されるかもしれないが)、その女子大生が、夏目さんに、「あなたはかわいそうだ」と言って泣き出したという。
その理由は、夏目が、朝から晩まで、セールス先で同じことを言うからだ。
これについて、夏目は述べている。
「セールストークは同じでないといけない。繰り返してこそ、そのセールストークに力が生じる」
私が知る限り、全ての一流セールスマンは同じことを言っている。
これは、セールスの著書を出すほどの超一流もだが、私が直接会ったトップセールスマンも、間違いなく同じであった。
彼らは、同じセールストークを自主的、意識的に、つまり、「丁寧」に繰り返すのである。

生命の輝き
AIアート160
「生命の輝き」
Kay


笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、32歳の主人公、紋次郎は、我流の喧嘩剣法ながら、滅法腕が立った。
道場で剣を習ったこともない紋次郎が、なぜそんなに強いのか?
明らかにされたのは、この作品の第2シリーズである『帰って来た木枯らし紋次郎』シリーズだった。
38歳になり、体力が衰えた紋次郎は、体調が悪い時に、大したことのないヤクザ者達に負けて刺されるが、運よく急所は外れていて、昔、たまたまた命を助けた大商人に発見され、義理堅いその大商人に屋敷をあてがわれて、客人扱いされる。
普段ならそんなことは受け入れない紋次郎も、満足に動けないことや、義理に厚い大商人の気持ちに逆らえず厄介になっていた。
しかし、体調が回復しても、「その歳で旅は無理。ここでずっと安楽に暮らして欲しい」という大商人の要請のまま過ごしていると、紋次郎は耐えられなくなり、せめてということで牧割りをやらせてもらう。大商人は、しぶしぶ了承した。
ところが、紋次郎の薪割の腕前が凄かった。
実は紋次郎は若い頃、木こりをしており、毎日、山から木を倒してはふもとまで運び、そこで朝から晩まで薪を割っていた。当時は大量の薪の需要があったのである。
紋次郎の剣の腕の基礎は薪割で作られたのだ。
書かれてはいなかったが、それほどの腕の薪割が出来る紋次郎は、長時間、真面目に、自主的に、意識的に・・・つまり、丁寧に薪割をしていたに違いない。

重要なので繰り返すが、「丁寧」こそ人間最大の美徳であり、人間を高いものにするか劣ったものにするかを分けるのは「丁寧」である。
人間が真の意味で成功するか・・・たとえば、優れたスポーツ選手や芸術家や職人になれるかどうかを決めるのは、「丁寧」を伴った反復である。
腕振り運動や足踏み四股といった楽な運動でも、丁寧に繰り返せば人間を超え、「私は誰か?」と丁寧に自分に繰り返し問えば神になるのである。








究極の今今メソッドのお話

アメリカを代表する現代作家カート・ヴォネガットは、シェイクスピアについて、
「下手な作家だが、人間をよく知っている」
と評していた。
そう言うヴォネガットこそ、人間をよく知っている。
そして、人間をよく知っていると言うからには、引き寄せのやり方を本当に分かっていなければならない。
この点を誰も言わない。
引き寄せが出来ないのに、人間を知っているとは言えないからだ。

日本の作家で、人間をよく知っているのは・・・まあ、いくらかはいるのだろうが、私は笹沢佐保さんだと思う。
彼の代表作である『木枯らし紋次郎』は、娯楽時代劇であるのも確かだが、神話にも匹敵する奥深さがある。
主人公である渡世人(博打打ち。やくざ者)の紋次郎は、学んだことなど一度もないだろうが、天の道理をよく心得ていて、引き寄せを行うことが出来る。
実際、本物の引き寄せを紋次郎から学ぶことが出来る。
紋次郎が引き寄せを行った感動的なお話を1つ取り上げる(他にもあるが)。
紋次郎は、争いに巻き込まれてヤクザを1人切った際、刀を岩にぶつけて折ってしまう。
紋次郎は、切ったヤクザの大勢の仲間に追われ、一刻も早く、新しい刀を手に入れる必要があった。
紋次郎は、刀だけは良いものを持たなければならないことをよく知っていた。
だが、適当な刀屋や鍛冶師が見つからなかった。
しかし、紋次郎には不思議な運がある。これも紋次郎の引き寄せの力だ。
わけがあって山奥に隠れ住んでいた天才鍛冶師のところに、紋次郎は不思議な縁で導かれた。
しかも、その天才鍛冶師は、今や、一世一代の名刀を仕上げようとしていたが、その刀が紋次郎の鞘にぴったりの長さだった。
だが、ここで、とんだ問題が起こる。
刀の値段ではない。もとより、紋次郎に払える額ではないかもしれない。
しかし、それより先に、この天才鍛冶師は、この刀は紋次郎には売らないときっぱりと言う。
これも、値段とか、紋次郎の素性のせいではない。
自分が魂を込めて作った刀を、人を殺す道具にしたくないと言うのだ。
そして、その決意は固そうだった。
よって、紋次郎がその刀を手に入れることは絶望的だった。
しかし、他に、刀を得る道はない。追手は迫っているようで、紋次郎、絶体絶命である。
さて、紋次郎はどうするか?

朝早くから、天才鍛冶師は仕事に入った。
すると、少し離れたところに、紋次郎の姿があった。
天才鍛冶師は、休まずに淡々と仕事を続け、紋次郎はそれを静かに、だが、決して目を離さずに見ていた。
夕刻となり、ついに、その名刀が完成した。
すると、天才鍛冶師は、紋次郎のところに歩いてきて、黙って手を出すと、紋次郎も黙って折れた刀を鞘ごと渡した。
天才鍛冶師は、紋次郎の刀の柄から、折れた刀を外すと、今完成したばかりの刀を取り付けた。
そして、黙って紋次郎に手渡し、紋次郎も黙って受け取る。

この話だけで、引き寄せの神髄が分かる。
だから、余計なことだが、少し解説する。
天才鍛冶師は、仕事に入ると、もう時間は消えていた。
一瞬一瞬が「今」であるからだ。
彼は、永遠の「今、この瞬間」、つまり、「中今」にいた。
そして、それを見る紋次郎も「中今」にいたのだ。
紋次郎の中今は、天才鍛冶師の中今に何かの影響を与えたのかもしれない。
それによって、刀の仕上がりは最良を超えたものになった。
意図したわけではないが、刀は初めから紋次郎のものだったのだ。
その後、悲劇が1つ起こるが、天才鍛冶師は分かり切ったことを紋次郎に言う。
「持っておいきなさい。お代は要りませんよ」
噂によれば、その天才鍛冶師は、その後、名工として名を上げた。

私がいつも思う引き寄せの神髄である中今を、これほど鮮明に描いたお話はない。
真の引き寄せは、このようにやるのである。
また、これが究極の「今今メソッド」でもある。
尚、このお話は随分昔に読んだので、『木枯らし紋次郎』の、どの巻にあったか憶えていないが、1年と少し前の、このブログの記事によれば、
『木枯らし紋次郎(二)女人講の闇を裂く』の第2話「一里塚に風を断つ」
であるようだ。








時代劇に秘められた引き寄せ

笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』は、非常に面白いだけでなく、あまり言われることはないが、英知とでもいうべきものに満ち、神話的にすら感じるのである。
笹沢さんにそんな意図はなかっただろうが、主人公の紋次郎は引き寄せの達人である。でなければ、生きていられなかったはずだ。
アメリカの作家カート・ヴォネガットが、「シェイクスピアは下手な作家だったが、人間をよく知っていた」と言っていた。つまり、シェイクスピアは人間をよく知っていたから、人類史上屈指の作家であったということなのだ。
エマーソンも、エッセイ『歴史』の最初に掲げた詩で、カエサル、プラトン、キリストと共に、シェイクスピアの名を上げていた。
そして、笹沢佐保さんは、本当に人間をよく知った、しかも、おそらく、上手い作家だったと思う。

『木枯らし紋次郎』は、紋次郎という名の渡世人のお話である。
渡世人とは、まあ、博打打ちのヤクザであるが、紋次郎が渡世人になったのは、他に選択肢がなかったからだった。
紋次郎は、貧しい農家に生まれ、生まれたら間引き(生まれた赤ん坊をすぐに殺すこと)されるはずだったが、6つ(8つだったかもしれない)年上の姉の機転により、命拾いする。
だが、やはり家は貧しく、食べられない苦しい子供時代を送り、唯一信頼する姉が別の村の男に嫁ぐと、10歳で家を出てあちこちに移り住み、やがて渡世人になったのだった。

ところで、紋次郎は、非常に剣の腕が立った。
紋次郎が持っている刀は長脇差で、俗に「長ドス」ともいう、55cmから61cm程度の長さの、ヤクザ者が一般に持っていた刀であった。
腕が立つとは言っても、紋次郎の剣法は、あくまで我流の、勘と度胸が頼りの喧嘩剣法であった。
作品の中で、紋次郎は数度、本物の剣の達人と戦う羽目(はめ。事態)になるがになるが、もちろん、そんな者を相手にまともに戦って歯が立つはずがない。
しかし、多少出来る程度の武士なら、紋次郎の方が強いし、若い時には、30人のヤクザ者を1日かけて倒したこともあった。
それに、本物の剣の達人を相手にしても、簡単に切られることもない。
紋次郎がなぜ、そんなに強いのか、ついに最後まで明かされることはなかった。
もちろん、命懸けの戦いの中で自ずと剣の腕を得たという面もあるが、それだけでは、あの超人的強さは説明出来ない。
ところが、『木枯らし紋次郎』が完結した数年後に書かれた『帰っていた木枯らし紋次郎』シリーズで、それが明かされ、それが実に良いものだった。
ネタバラシになるが、古い作品だし、これを知ってから読んでも、作品の面白さは変わらないと思う(私が思うだけだが)。

事情があってだが、紋次郎は、38歳になって、身体も衰えて来た頃、ある豪商の静かな別宅に身を寄せ、人生で初めて、丁重に扱われながら贅沢な暮らしをしていた。
だが、何もしないのは紋次郎の性に合わないというより、やっていられなかった。
すると、紋次郎は、そこの豪商でも、多くの薪を必要としていることに気付いた。当時の薪の需要は半端でなかったが、特に、この豪商ではそうだった。
そこで、紋次郎は薪割りをすることにした。
豪商は、紋次郎に、「そんなことはせず、のんびり過ごして欲しい」と懇願したが、紋次郎が押し切った。
ところが・・・
紋次郎の薪割りの腕前が、あまりに見事だったのだ。
名人、達人と言って良かった。
実は、紋次郎は十代の時、長く木こりをやっており、毎日、山で木を切ると、それを運び、薪を作っていたのだ。
それにより、足腰と腕力が鍛えられ、また、毎日長時間、淡々と薪割りをすることで、正確に振り下ろす力が自然に鍛えられたのだった。
それが、紋次郎の剣の腕の基礎となったのだ。
山岡荘八の時代劇小説『柳生宗矩 春の坂道』だったと思うが、柳生新陰流の達人、柳生宗矩は、徳川家光が少年の時、当時は竹千代と呼ばれていた家光に、刀で鉄の兜を切る神技を見せ、毎日同じところに打ち込む修行をすれば出来るようになると言い、家光は、部屋の中に立てた杭を、毎日、木刀で叩き続けた。
また、創作ではあろうが、本宮ひろ志さんの漫画『武蔵』で、少年時代の宮本武蔵は、山の中で、ひたすら1本の杭を1日中、木刀で打つ修行を1年続けた。
丁度、野球の素振りのようなものだと思うが、私の独断であるが、良いバッターは素振りの数が多いバッターだと、私は確信している。
イチローも、イチロー以上のバッターだったとも言えるテッド・ウィリアムズも、子供の時から、素振りの数が半端なかったことが知られている。

小説を読めば分かると思うが、紋次郎は引き寄せも達人である。そうでなければ、生き残ることが出来そうもない。
そして、誰でも出来る引き寄せの達人への道は、アファーメーションのひたすらの繰り返しである。
紋次郎がアファーメーションをやったわけではないが、彼の若い時の薪割りが、彼に、引き寄せが可能な精神力を得させたのだと確信する。
他に良い方法もあるかもしれないし、後になれば、必ずしも必要ではないだろうが、もし今、悪い状況にあるなら、自分の力でなんとかしようとせず、ひたすらアファーメーションをして、後は天にまかせるのも手かと思う。








「ビリーブ(信じる)」と「ノーダウト(疑わない)」

今、ノーダウト(No Doubt)という言葉が、日本語でも、ちょっと流行りな感じがする。
ダウト(doubt)は「疑う」という意味だから、ノーダウトで「疑わない」という意味だと思う。
しかし、それなら、ビリーブ(believe 信じる)と言えば良さそうなものである。
そして、これは、日本語の「信じる」「疑わない」でも、そっくり当てはまる。
なんで、わざわざ、「疑わない(ノーダウト)」と言うのだろう?

それは、こういうことだ。
「疑わない」と言った場合は、完全には信じてはないのだ。
「信じる」というのは、あまりにもハードルが高いのである。
だから、「信じる」に準ずる、「疑わない」と言うのである。

そして、このことは、引き寄せでは、非常に重要なことだ。
願望が叶うことを信じることが出来れば、必ず叶う。
しかし、それは難しい・・・と言うより、現実には不可能だ。
「絶対叶う」なんて、念じれば念じるほど、疑いが起こる。
そして、叶わない。これが誰もに起こることだ。

だが、「信じる」から一段下げて「疑わない」態度で挑めば叶うのである。
これは高度な知恵なのである。
人生のことも、人間のこともよく知っている、優れた作家であった笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎は、人に対して、よくこんなことを言う。
「別に、あんたのことを疑っちゃいやせん。けど、信じてもいやせん」
紋次郎も、裏切りに遭うことがある。
だが、裏切られることは織り込み済みで、裏切られた時の準備もしているのである。
紋次郎も、若い頃は、相手を信じてしまい、裏切られた時に危機一髪の目に遭って学んだのかもしれない。
かと言って、決して、裏切られることを前提にしているのではなく、あくまで裏切りも「織り込む」だけだ。
つまり、紋次郎が普段言うように、根本的には、疑っていない。だが、信じてもいないのである。
これが、人間の知恵である。
知恵こそ、人間にとって、最も重要であり、知恵のある者の願いは叶うのである。
叶うことしか願わないからだ。

引き寄せも同じなのである。
願いが叶うことを完全に信じることなど出来ない。
だが、疑わないことは出来るのである。
すると、叶わなかった時には、「これが良いことだったのだ」と思う余裕がある。
そうすると、その人間は知恵を得て、正しいことを願い、そして、願いが叶うようになるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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