「神の圧力呼吸」について、小説の話ではあるが、実に見事に表しているものがある。
それは、笹沢佐保の『木枯らし紋次郎』シリーズの第2部である『帰ってきた紋次郎』の最後の話・・・つまり、木枯らし紋次郎の本当の最終話である『霧の中の白い顔』の中のお話だ。
こんな話だ。
川渡しの船に、12か13人の客が乗っていた。
昨夜の雨で増水した川は流れも激しく、船は揺れ、波を被り、乗客達は血の気を失い真っ青になって恐怖に戦(おのの)き、船頭達すら必死の様子だった。
だが、少しも動じない者が2人いた。
1人は、当然、木枯らし紋次郎だった。この時、紋次郎は既に38歳になっていた(第1部では32歳)。
だが、もう1人は、紋次郎の正面に座った17か18くらいの、町人ではあるが、身なりの良い、気品ある美しい娘だった。
なんとか船は無事に到着したが、その娘の使用人が、不可避な状況で、若い武士の顔に布袋を軽く当ててしまう。
武士は怒って使用人に暴行を加え、重症を負わせる。かなり力のある武士であった。
それでも怒りが収まらない武士は、使用人を手討ちにしようとするが、あの娘が、倒れて悶絶する使用人と武士の間に来ると、武士に向かって、地面に静坐する。
「何者じゃ」と声を荒げる武士に対し、娘は落ち着いた様子で顔色一つ変えず、
「その者はわたくしどもの奉公人でございます。奉公人の粗相はわたくしの粗相。討たれるならわたしくしを」
と言う。
娘の全く恐れを感じていない様子がまた武士の癇に障ったのか、武士は、それならお前を切ってやると刀を抜くが、娘は「はい」と首を差し伸べ、目も閉じずに武士を凝視する。
武士は刀を振りかざすが、そのまま静止し、やがて顔色が青白くなり、汗がしたたり落ちる。
武士は何も出来ず、刀を収め、足早に去って行った。
私は、これに匹敵する場面として、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』で、吉岡道場当主の直綱に、弟の又一郎が刀を抜いて上段に構える場面を思い出す。
剣の腕では、弟の又一郎が上であった。
しかし、又一郎は全く動けず、やがて呼吸が乱れ、汗がしたたり落ちた。

AIアート365
「揺れる想い」
Kay
神の圧力呼吸によって、上の娘や吉岡直綱の境地に至るのは自明と私は確信する。
直綱も修行法を説いてはいるが、それは補足のようなものだった。
真に重要なのは呼吸である。
そして、宮本武蔵こそ、神の圧力呼吸を修めていたに違いない。
イエスがそうであったことは、今朝述べた通りである。
無論、木枯らし紋次郎もそうであろう。
それは、笹沢佐保の『木枯らし紋次郎』シリーズの第2部である『帰ってきた紋次郎』の最後の話・・・つまり、木枯らし紋次郎の本当の最終話である『霧の中の白い顔』の中のお話だ。
こんな話だ。
川渡しの船に、12か13人の客が乗っていた。
昨夜の雨で増水した川は流れも激しく、船は揺れ、波を被り、乗客達は血の気を失い真っ青になって恐怖に戦(おのの)き、船頭達すら必死の様子だった。
だが、少しも動じない者が2人いた。
1人は、当然、木枯らし紋次郎だった。この時、紋次郎は既に38歳になっていた(第1部では32歳)。
だが、もう1人は、紋次郎の正面に座った17か18くらいの、町人ではあるが、身なりの良い、気品ある美しい娘だった。
なんとか船は無事に到着したが、その娘の使用人が、不可避な状況で、若い武士の顔に布袋を軽く当ててしまう。
武士は怒って使用人に暴行を加え、重症を負わせる。かなり力のある武士であった。
それでも怒りが収まらない武士は、使用人を手討ちにしようとするが、あの娘が、倒れて悶絶する使用人と武士の間に来ると、武士に向かって、地面に静坐する。
「何者じゃ」と声を荒げる武士に対し、娘は落ち着いた様子で顔色一つ変えず、
「その者はわたくしどもの奉公人でございます。奉公人の粗相はわたくしの粗相。討たれるならわたしくしを」
と言う。
娘の全く恐れを感じていない様子がまた武士の癇に障ったのか、武士は、それならお前を切ってやると刀を抜くが、娘は「はい」と首を差し伸べ、目も閉じずに武士を凝視する。
武士は刀を振りかざすが、そのまま静止し、やがて顔色が青白くなり、汗がしたたり落ちる。
武士は何も出来ず、刀を収め、足早に去って行った。
私は、これに匹敵する場面として、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』で、吉岡道場当主の直綱に、弟の又一郎が刀を抜いて上段に構える場面を思い出す。
剣の腕では、弟の又一郎が上であった。
しかし、又一郎は全く動けず、やがて呼吸が乱れ、汗がしたたり落ちた。

AIアート365
「揺れる想い」
Kay
神の圧力呼吸によって、上の娘や吉岡直綱の境地に至るのは自明と私は確信する。
直綱も修行法を説いてはいるが、それは補足のようなものだった。
真に重要なのは呼吸である。
そして、宮本武蔵こそ、神の圧力呼吸を修めていたに違いない。
イエスがそうであったことは、今朝述べた通りである。
無論、木枯らし紋次郎もそうであろう。