ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

木枯し紋次郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

時代劇小説に見た引き寄せの神髄

テレビドラマ化、映画化もされた、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』の面白さの根本には、笹沢佐保さんが、人間というものをよく知っていることがある。
アメリカを代表する現代作家カート・ヴォネガットが、「シェイクスピアは上手い作家ではなかったが人間をよく知っていた」と、エッセイに書いていたことを思い出す。
その『木枯し紋次郎』の主人公で、32歳の流れ者の渡世人(博打打ち)である紋次郎は、貧しい農家の出身で、10歳で家を出て以来、1人で生きている。
我流の喧嘩剣法ながら腕が立ち、毎日、早朝から夕暮れまで淡々と歩いて旅をすることで自然と鍛錬され、ガリガリに痩せてはいたが身体は強い。
生きるために身に付けた知恵も大したもので、同時に、強い個人的信念を持っていた。
そんな紋次郎が、感動的な引き寄せのようなことを行ったことが2度ある。
いずれもやり方は同じで、これほど心を打つからには、何かあるのだと思えるが、私はそれが確実なやり方だと感じる。それでうまくいかないはずがないと確信するのだ。

1つは、簡単に言えばこんな話だ(やや記憶違いがあるかもしれない)。
紋次郎は自分から争いごとを起こすことは決してない。良心がないわけではないが、義理もない他人を助けるために争うこともない。本心では助けたくても、そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないからだ。
だが、ある時、なりゆきで紋次郎は複数のヤクザ者と争い、相手の1人を切った際に、刀を折ってしまう。
切ったヤクザの仲間が他に十数人もいる中で、刀がないという致命的な状況に陥ったわけだ。
連中に見つかったら最後だ。
紋次郎はすぐに刀を手に入れる必要があったが、なかなか手に入らずに焦っていた。
そんな中、紋次郎は、たまたま、天才的な刀匠(刀剣を作る鍛冶師)の家にたどり着く。
その刀匠は、世間から身を引き、一世一代の名刀を制作中だった。
その制作中の刀は、紋次郎の刀の鞘にぴったりのサイズだったが、そんな名刀を売ってもらえるはずもないばかりか、その刀匠は紋次郎に、「あんたには売らない」とはっきり言う。自分の分身であるような刀を、渡世人の殺しの道具なんかにするわけにはいかないと、きっぱり言ったのだ。
紋次郎は何も言わなかった。そもそもが自分には全く不釣り合いな刀だ。
翌日、刀匠は、朝早くから仕事に入った。
その名刀の制作も大詰め(最終段階)に入っていた。
刀匠は休憩もせず淡々と仕事を続けた。
それを紋次郎は、初めから、離れた場所からじっと見ていた。
陽が落ちかけた頃、遂に名刀は完成する。
刀匠は、一時も離れずに見ていた紋次郎の所に歩いていくと、手を出し、紋次郎から刀を受け取る。
そして刀匠は仕事場に戻ると、紋次郎の折れた刀を柄から外し、そこに、出来たばかりの刀を取り付ける。
その作業が終わると、刀匠は紋次郎に黙って刀を渡し、紋次郎も黙って受け取る。
別れ際、刀匠は紋次郎に言う。
「お代はいりませんよ。持っていきなさい」
※『木枯らし紋次郎(二)女人講の闇を裂く』第2話「一里塚に風を断つ」より

これほどの引き寄せの神髄を見ることは、そうはないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(二)~女人講の闇を裂く~(笹沢佐保)
(2)木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~(笹沢佐保)
(3)国のない男(カート・ヴォネガット)
(4)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)

夜の庭園
AIアート1171
「夜の庭園」
Kay

清水の草刈り、紋次郎の薪割り

錦織圭さんは、才能もあったのだろうが、大変なエリート教育を受けていた。
その錦織圭さんが2014年に全米で準優勝するまで、全米のベスト8に進出した日本人は、その92年前の清水善造(1891-1977)だけだった。
この清水さんが中学生の時、当時、日本でテニスはほとんど知られておらず、普通の農家の子であった清水さんは、たまたま庭球(軟式テニス)に出会い、空き地で練習し、高校で庭球部に入り、社会人になってインド駐在した時に初めて硬式テニスを始めた。
当時も、本場イギリスやアメリカのプロテニスプレーヤー達は少年時代からテニスの特別教育を受けていた。
そんな外国選手を相手に、清水は全英ベスト4、全米ベスト8の成績を上げた。
ところが、清水さんのラケットの振り方(特にフォアハンド)は、特別というか「変」だった。「格好悪い」「醜い」と言われたし、今見ても、確かにおかしい。
実は、清水さんは中学生の時、乳牛の餌の草を得るため、学校から家まで15kmもある道で釜で草刈りをしていた。
その草刈りの腕の動きが、ラケットを振る時にも出ていたのだが、その半端でない長時間の草刈りで鍛えられた力が、彼を一流のテニスプレーヤーにしたのだった。

フィクションではあるが、時代劇の『木枯し紋次郎』のヒーローである、渡世人(一般的に、博打で生計を立てている者)の紋次郎が、恐ろしく腕が立つ理由について、ちゃんと道理があった。
紋次郎は、ごく若い頃は木こりとして働いていた。特に、斧を使った薪割りを毎日長時間やったことが、後の剣の強さになったのだ。
紋次郎は38歳の時、わけあって、豪商の家に客人として迎えられ、大事にされたが、タダ飯を食うことを善しとしない紋次郎は、旅館を経営していたその商家でも大量に必要であった薪を作るための薪割りをしたが、その腕前は見事で、若い時の薪割り労働の凄まじさが分かったし、紋次郎の剣の力が凄いのも当然と思われた。

そこで私は、ものごとで抜きん出る法則を「清水の草刈り、紋次郎の薪割り」と言いたい。
何か1つを、長年、みっちりやれば、頭抜けることが出来るのである。
引きこもって、毎日、長時間ゲームをやっている者は、やはり、それで何かの力は身につけているはずなので、それを生かせば飛躍する可能性はある。
私の場合、プログラマーになれたのは、若い頃、当時のパソコンを動かすには、自分でプログラミングをするしかなかったのだが(ゲームに興味がなかった)、最初からプログラミングは出来ないので、本や雑誌に載っているプログラムをひたすら打ち込んだおかげであったと思う。
このように、既にあるプログラムを打ち込むことを、業界で「写経」と呼称することがあるが、今も、これがプログラミングを習得するための、極めて効果的な秘策と言われている。
(本来の写経とは、お経を書き写すことである)
坂本龍一さんは3歳からピアノを毎日みっちり弾き、イチローやテッド・ウィリアムズは、少年時代から、毎日バットを長時間振り続けた。
茂木健一郎さんによれば、ビル・ゲイツは教師の許可の下、高校時代、毎日プログラミングに明け暮れていたという。
魔法の呪文を毎日長時間唱えれば魔法使いになれる・・・かどうかは分からないが、無駄にはならないと思う。








時代劇に見る真の愛

このブログも、いよいよ愛というテーマにたどりついた。
笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』に、素晴らしい愛の例がある。
紋次郎は、刀を折り、至急、新しい刀を必要とし、腕の良い刀鍛冶師がいるという山に行く。
確かに、天才的な鍛冶師がいて、丁度、新しい刀が完成間近で、それは素晴らしい名刀であり、しかも、紋次郎の鞘にぴったりだった。
だが、鍛冶師は、丹精込めて鍛え、仕上げつつあるその名刀を、紋次郎には売らないと言う。
当たり前である。紋次郎は乞食同然の流れ者。それに、売ってくれるとして、紋次郎に払える額とも思えない。
だが、紋次郎は、すぐにでも刀を手に入れないと命がない。大勢の敵に追われていたのだ。
そこで、紋次郎はどうしたか?
鍛冶師が、その名刀を仕上げるべく、朝から仕事を始めると、紋次郎は、やや離れた場所から、鍛冶師の仕事を見ていた。
時間が経過し、鍛冶師は熟練の技と研ぎ澄まされた心で仕事を続ける。それを、紋次郎は静かに見ている。片時も目を離さず。
そして、夕刻に、ついに刀が完成する。
すると、鍛冶師は静かに紋次郎に近付く。鍛冶師は黙って手を出し、紋次郎は黙って自分の折れた刀を渡し、鍛冶師は黙って受け取ると、それを持っていき、柄から折れた刀を外すと、完成したばかりの刀をはめ込む。
鍛冶師は黙って紋次郎に刀を渡し、紋次郎は黙って受け取る。
「御代は要りません」
紋次郎こそ、この名刀の持ち主だった。
小説には、これ以上は書かれていない。

では、なぜ、紋次郎は、この刀を手に入れることが出来たか?
また、なぜ、鍛冶師は、こんな大切な刀を紋次郎に譲ったか?
それは、紋次郎が、鍛冶師を、鍛冶師の仕事を、じっと見ていたからだ。
じっと見るというのは関心を示すが、紋次郎は実際に、鍛冶師とその仕事と彼が作る刀に対し、言葉で言うことも出来ないような深い関心を注ぎ続けた。
関心とは愛なのである。
マザー・テレサが、愛の反対は無関心と言ったように。
そして、人間の愛は、人も全ても動かすのである。

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に、こんな実話がある。
心神喪失の妻を、何日も観察し続けた男の話だ。
妻が心を取り戻すのを願い、そして、心を取り戻した時を逃さないために、男は片時も離れず、妻を見続けた。
妻は奇跡の回復をしただけでなく、男は賢者になった。
これが愛の力である。
そして、無論、関心の力である。

46歳で亡くなったミュージシャン、村下孝蔵氏の、沢山の人がカバーした名曲『初恋』の、こんな一節を覚えている。
「遠くで僕はいつでも君を探してた」
「探してた」は「見ていた」でも良かったが、意識を向け続けること、関心を持ち続けることが愛である。
この歌は、「愛という字書いてみてはふるえてたあの頃」で終わる。

関心を自己から切り離し、対象に向けた時、それが真の愛なのである。
『バガヴァッド・ギーター』では、「五感を外界から切り離して自己の内部に向けよ」とある。
それは、内なる神にのみ関心を注げという意味で、神を愛せよということである。
ただし、全ては神の現れでもある。神として見る限り、何を見ても、内なる神を見るのと同じだ。
だから、本当に好きなものを、神聖な目で見れば、それは神を愛することである。

尚、最初の話は、『木枯し紋次郎』の何巻の何だったか分からない。









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死を目前にしても動じない心の強さを得るには

心を鍛えることにした。
平安に至る道は他にないと解った。
顔のすぐ近くの壁に弾丸が当たろうが、涼しい顔をしていられるほどになろう。

織田信長や、第二次世界大戦で当時23歳だった合氣道家の藤平光一氏らが、弾丸飛び交う戦場で、「俺に弾は当たらん」と悠然と歩いたようになろう。
中村天風が、敵地で捕らえられ、明日銃殺だというのに、平然と就寝したように。そして、刑場に引き出されて、今まさに銃殺されようとしても全く動じなかったように。

笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎の魅力は、その圧倒的な心の強さだ。
ある時、紋次郎は誤解から、ヤクザの名だたる親分集の前に、許されざる外道として引き出された。紋次郎のような渡世人には、そのうちの1人でも、会えばすくみ上がるような大物達に「殺っちまえ」という雰囲気の中であったにも関わらず、全く「ビビっていない」紋次郎を見て、親分衆の中には感服する者も少なくなかったが、読者がまさにそう感じるのだと思う。

では、どうしたら、それほどまでに心を鍛えることが出来るだろうか?
上に挙げた藤平光一氏は、著書に「氣を出せば良い」とし、そのやり方を教えているが、はっきり言って、そんなもの、何の役にも立たないに違いない。
誰だって、運命は心を鍛えるための適切な場所を与える。
それを受け入れて、そこで修行するのみである。
それは、無防備に苦しみに身をさらすことに違いない。
だが、何でもかでも、嫌なことを引き受けろということでもない。
嫌ならやめても良いが、その責任は取らなければならないってことだ。

禅に『婆子焼庵(ばすしょうあん)』とう公案(試験問題)がある。
あるお婆さんが、立派な青年僧のために、庵(修行のための小屋)を建ててやって面倒を見ていた。
年月が過ぎ、お婆さんは、若い娘に青年僧を誘惑させたが、青年僧は全く動じなかった。
お婆さんが「よく修行した!」と誉めるかと思ったら、お婆さんは青年僧に失望し、青年僧を追い出し、庵も焼き払った。
修行とは、無慈悲、無感情な人間になることではない。
「いい男」だった紋次郎は、いろんな女に惚れられたし、その中には、うら若く美しい娘もいた。
紋次郎も動じなかったが、その青年僧のようではなかった。
ただ紋次郎は、娘の思い違いや愚かさを単純に指摘した。
「あんた、何か勘違いしてるんでござんす」ってなもんだ。
あの青年僧は、修行ではなく、安易な道を選んだのだ。
藤平氏の本を後生大事に読むことも、それと同じであると思う。もちろん、参考に読むには差し支えない。しかし、あくまで参考でしかない。
また、道場で修業するだけ、ジムで筋トレをするだけでは、心は強くならない。
自分の足で立って生きていれば、自ずと試練に導かれる。
そこで動じなければ、弾丸飛び交う戦場でも動じないだろう。









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実力などたかが知れている

宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘は、本当にあったようだし、武蔵が勝ったというのも事実だと思う。
ただ、映画やテレビドラマで見る決闘の展開は、吉川英治氏の小説を元にしていて、ほとんど吉川氏の創作だろう。
そこでだが、宮本武蔵と佐々木小次郎は、剣の実力という点ではどっちが本当に強かったのだろう?
そんな空想をしても仕方がないと言われるかもしれないが、私は、明らかに小次郎が上だったと確信する。
武蔵も、それをよく分かっていたからこそ、策を凝らしたのだ。
その策が、小説の通りかどうかは分からないが、武蔵の『五輪書』にも、「不意をつけ」「敵の想像を裏切れ」「むかつかせろ」と、勝つためには頭を使い、何でもやれと書いてあり、吉川氏も、そこから、武蔵の作戦を想像したのだと思う。

勝負というものは、弱くても、策を凝らした方が勝つのである。
単純な実力など、ものの数ではない。
もちろん、野球やサッカーといったスポーツでは実力が大きなウェイトを占めるが、それとて、作戦が良ければ、ある程度の実力差ならひっくり返せる。

笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯し紋次郎』で、紋次郎が、剣の実力では自分をはるかに超える相手と戦った時のお話が実に良い。
笹沢氏は、本物の道理をよく分かっておられた。
紋次郎は、腕が立つとは言っても、所詮、我流の喧嘩剣法だ。
対して、本物の剣術というものは、長い時間をかけ、一流派でも、代ごとに改良を重ね、経験と学習と思索を込めて磨き上げたものだ。
紋次郎が敵うはずがない。
だが、紋次郎は常に勝った。
策を凝らしたからだ。
大河ドラマ『毛利元就』で、尼子経久が元就に教えた、「策多ければ勝ち、少なければ負ける」は、本当に重要な知恵である。

鉄腕アトムは10万馬力で7つの威力。
エイトマンは人間の千倍のスピードと10万キロワットの超小型原子炉に、ハイマンガンスチールの身体。
キャシャーンもキューティーハニーも、身体能力の高さが売り物だ。
だが、そんなものが何だろう?
これらのアニメで育った世代は、あんなものが強力だと思う観念を捨てないと、これからの世の中で通用しない。
『BEATLESS』(長谷敏司氏の小説)のアニメが、Amazonプライムビデオで配信中だが、ますます面白くなってきた。
美しきレイシアの力に、全く惚れ惚れする。
機体性能では、メトーデの方がはるかに上で、メトーデとの近接戦闘では、レイシアはひどい苦戦を強いられる。
しかし、レイシアの本当の力は、そんなものではない。
『BEATLESS』は、日本を変える歴史的作品であると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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