ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

昭和天皇

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本人の質素倹約の美徳

昭和天皇・皇后は、1945年から1960年までの15年間、「御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)」と呼ばれる場所で生活していた。
御文庫附属庫とは、早い話が防空壕(ぼうくうごう)で、空襲から避難する地下施設であるが、御文庫附属庫は単なる防空壕ではなく、天皇の生活、執務、会議を行うための様々な施設があった。
2015年に、この御文庫附属庫が公開された際、特に海外の人々を「一国の王がこんな悲惨な場所に住んでいたのか?」と驚かせたといったYouTube動画を見たが、それは、昭和天皇の指示でメンテナンスをやめていた(保管のために余計な費用をかけることを禁じた)から朽ち果てただけで、もちろん、昭和天皇が住んでいた頃は、それなりの環境であった。
確かに、天皇の住居としては質素であったようだが、それは戦時中のことであり、また、昭和天皇が質素倹約を好んだことはよく知られている。
ただ、戦争が終わっても、昭和天皇・皇后は、この御文庫附属庫に、さらに11年もの間住み続けた。
もちろん、昭和天皇の新居の建設は行われるはずであったが、昭和天皇は、「今はまだ、住むところもない国民がいるというのに、私は住むところがあるのだから」と、新居の建設を断り続けたようだ。
しかし、日本の復興が確かになった1960年頃には、昭和天皇も新居の建設を許可したが、費用を抑え、質素なものにするよう指示したという。
昭和天皇は、衣服の新調を好まず、穴が空いたら継ぎを当てるよう指示し、ボロボロになるまで同じものを着ることがあったという話がある。
また、あらゆることで、自分を国民より特別扱いしないよう指示をしていたという話を本で見たことがある。
食事内容に関しても、自分から要望を出したことは一度もなかったという証言があるようだ。
もちろん、お世話をしている人からすれば、自ずと天皇の好みは分かってきて、心遣いをしたようではある。

まあ、どこまで本当のことか分からないが、昭和天皇は、本当に大変な人格者であったのかもしれない。
とはいえ、天皇家、特に、昭和天皇には神通力があり、それで日本を守ったというような話は、別に疑いはしないが信じもしない。
しかし、そんなことを言ったり書いたりするような者は全く信じない。
それが嘘かどうかではなく、仮に本当だとしても、勝手に明かして良いことではないからだ。

ただ、1つの王室皇室が2千年以上も続くのは世界に例がなく、日本の皇室には世界の他の王室とは何か異なるものがあるのは確かと考えて良いと思う。
老子によれば、長く続く王室では、王は自分を普通の者より低い位置において蔑むのだという。
昭和天皇の「国民が住むところがないのに自分が良いところに住めない」とか「食べられない国民がいるのに自分が贅沢出来ない」というのは、そういうことであると思う。
そういえば、イエスも「一番偉い者は皆に仕える者である」と言っていたのを思い出す。
そして、こういったところが、ユダヤ教の人が、旧約聖書は重んじるが、キリストの教えはさほどと思わない理由のように思う。

春の空気
AIアート672
「春の空気」
Kay


いや、道徳論ではなく、日本人全体に、昭和天皇のような思想が組み込まれており、西洋の覇王や金持ち、権力者のような、一般の人と隔絶した待遇や贅沢には罪悪感を感じるのではないかと思う。
そして、罪悪感を感じることでは引き寄せの力が非常に弱まることが、長い研究で分かっている。
昭和天皇のエピソードが嘘か本当かは分からないが、どんな意味でも、あの質素倹約の精神は見習う方が良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)昭和天皇独白録 (文春文庫)
(2)昭和天皇 最後の侍従日記 (文春新書)
(3)古事記 (河出文庫)
(4)日本とユダヤ 聖徳太子の謎
(5)老子 (岩波文庫)
(6)天皇防護 小泉太志命(こいずみたいしめい) 祓い太刀 の世界
(7)小説 上杉鷹山 (集英社文庫)

戦いに絶対に勝つ原理

総理大臣だった犬養毅が、「五・一五事件」の時、自分にピストルの引き金を引いた海軍中尉、三上卓に対し、「話せば分かる」と言ったのは、「話せば分かるケースである」という意味で、何でも話せば分かると言ったのではない。
しかし、一般には、何でも話せば分かるという意味で使われるようになってしまった。
話し合いは大事なのだろう。
しかし、話せば分かることは、特に、争い事の中では「ほとんどない」。

そうだ。争いで、話して分かるようなことは、ほとんどなく、争いの決着は力で決まる。
ところで、争いを決着させる力が、筋力(腕力)や暴力であることは、日本では少なくなり、いまだ、それでものごとを解決しようとする者に存在意義はない。
だが、経済力が勝負を決めることは多い。

アラト どうして、こんなことが出来るんだ?
レイシア 純粋に経済力の問題です。
リョウ はっきり言ったらどうなんだ!札束で顔を引っ叩いたんだって。
レイシア それは、人間が恒常的にやっていることです。
リョウ だからって、hIE(ヒューマノイド・インターフェース・エレメンツ。アンドロイドのこと)がそれをやっていいってことじゃない!

長谷敏司さんのSF小説(あるいはアニメ)『BEATLESS』で、こんなような会話があったが、この作品の舞台である2105年に「札束」なんて言葉が通用するとも思えないが、こんな時代になっても、「金がモノを言う」可能性はあるかもしれない。人類の進歩がよほど遅ければね。

しかし、争い事において、金が万能ではない。
特に、個人間の争い・・・ケンカか、それに近いものにおいて。
では、あなたが、争い事において、勝つ秘訣は何だろう?
正直言えば、林悦道さんの『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』をお奨めしたいが、避けられるものなら、醜い争いは避けるべきなのは当然である(この本は基本的に醜い争いを「ケンカ」として扱っている)。
だが、争いであっても、徳が高い方が必ず勝つ。一般には、人格が高い方と言っても良い。
宗教じみているかもしれないが、徳が高い方を、宇宙が選ぶのである。
第二次世界大戦では、連合国の徳が高かったかどうかはともかく、日本やドイツ等の枢軸国よりはマシであったことは確かと思う。
だが、徳が低かった日本は、戦争では負けたが、別の意味で勝利した。
ドイツ、朝鮮が2つに分割され、これらの国が長く厳しい苦難に遭った(朝鮮は今も継続中だが)のに比べ、奇跡的に分割されず、早くに回復し、繁栄の道を日本が歩めたのは、昭和天皇の徳であったと思う。別に私は、天皇崇拝者でもなければ、皇室ファンですらないが、そのように思っている。
自分を特別扱いしなくて良い・・・それどころか、自分を数に入れず、どうなっても良いと言った天皇がいたから日本の今日の繁栄があるように私は感じるのだが、今日、人々に、あまりに徳がなくなってきた。
争いに勝つために徳を持つというのもどうかとは思うが、目の前の苦しい状況を抜け出すには、現実的には勝つ必要がある場合が多い。
その際、徳が高い方が必ず勝つのである。
そんなことは、本当は、誰もが感じていると思う。









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最も効果的な人間支配の方法を理解し、それを免れる

歩きタバコや歩きスマホに比べると、周囲への害は少ないのだが、本当にどこででもものを食べている人をよく見るようになった。
しかし、食べ物の臭いというのは意外に遠くまで届くものであり、特に電車の中では軽く10メートル先でも強烈だ。
目の前でパンやスナック菓子の袋や、缶スープの缶を開けられると、気味の悪い臭いがむあっと襲って来る。
これは明らかな暴力である。
だがまあ、臭い以外の害はとりあえずあまり無いとしておこう。
しかし、何より感じるのは、そんな場所でそんなものを食べている者の間抜けさや醜さである。
人間に上下の別などないし、そもそも、本当の意味で他人というものは存在しない。
だから、そんな者達もまた自分である。
それは理屈ではなく、魂が直観として教えることだ。
それだからこそ・・・だからこそだが、そんな連中の醜悪さ愚かさを見て、たとえ同じことを全くしなくても、潜在的な自分の低さを嘆きたくもなるのである。

食事というものは、本来、楽しむようなものではなく、淡々と行うものだろう。
ただ、親しい人や、大事なことでの会談の場合は別なのかもしれない。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、他の進歩した惑星では、会食というものは交流のために行うのであって、食の楽しみを求めるためではないと何かの本に書いていたような気がする。
キリストの最後の晩餐のように、大切な話をする際には、あの絵に書かれているように、少し美味しいものを食べても良いのだろう。
とはいえ、『最後の晩餐』のメニューも、さしたるものではなかったようだ。
あくまでレオナルド・ダ・ヴィンチの絵にあったものだが、魚料理とオレンジ、それにパン程度で、しかも、オレンジが描かれていたのはダ・ヴィンチの間違いで、当時のイスラエルにオレンジは無かったらしい。だが、何か果物は出されていたのかもしれない。

グルメというものに不可欠なのは砂糖である。
砂糖のない美食はない。
砂糖によってこってりと料理されたものがグルメの食事だ。
砂糖は、麻薬性があって、摂れば摂るほど求めるようになる。
麻薬で人を支配する話はよくあるが、砂糖による支配の方が簡単で効果的である。
しかも、それが隠されてるから恐ろしい。だからこそ、人類規模で行われる。
人は麻薬のためなら何でもやるが、砂糖のためにも、どんな悪いことでもするようになる・・・いや、もうなっている。
どこででもものを食べている人が食べているのは、パンや菓子やおにぎりなどで、どれも、糖分や糖分に即時に変化する炭水化物だ。
砂糖のために、あんなみっともないことを平気でやるのだから、その他の愚かなこと、不道徳なこと、悪辣なことも平気でやるだろう。
それが直感的に分かるから、そんな連中は醜いのである。
連中には、歩きタバコや歩きスマートフォンをする者も多いはずだ。

砂糖、糖分に支配されないことが幸福の秘密・・・つまり、真の自分になること、自由な人間になること、悟りを開くための鍵であったのだ。
あのジッドゥ・クリシュナムルティすら、そのことに気付かなかったのだろう。
だから、彼の言うことは理屈では全く正しいし、あれほど正しいことを言った人は人類史の中でも稀で、確かに彼は本当に偉大な知恵者だった。
しかし、彼の教えに実効性は一切なかったことは確かなのである。

水野南北は、食の慎み・・・つまり、少食、粗食が運命改善のための唯一必要なことと延べ、それは正しかった。
しかし、あの時代の大食、美食は、主に米を多く食べることに関係する。
南北は、1日一合(180ml)の酒を別にすれば、米は食べず、米で作った菓子や餅も決して食べなかった。それほど米を遠ざけた。
それが、南北が大長者となり、健康に長寿を全うできた秘密である。
徳川家康も昭和天皇も、米は食べなかった。
彼らは麦ご飯を食べたが、麦は食物繊維が豊富なため、米に比べると糖分の吸収は僅かだ。
刑務所で麦飯を食べていると、囚人の健康、人間性はめきめき向上する。
刑務所に入ったような人が、後に大作家になったり、そこまででなくても、不思議な人間的魅力を持ち知恵者になる秘密もそこにあるに違いない。
麦飯は、米に比べて不味いと言う人が多い。それこそが、砂糖に支配された奴隷の感覚なのである。

自分を支配し、自分の人生を支配し、真の自分になり、自由を獲得する。
そのための最重要な鍵は、糖分を遠ざけることである。
砂糖による支配が、人類を奴隷にし、惨めにし、自由を失わせた悪魔の巧妙な計略であった。
それなのに、幸福の秘訣は少食だと勘違いした人は沢山いたが、少食そのものが人を幸福にしたことは実際はない。
確かに、少食なら結果的には砂糖の消費も少なくなるので、全く意味がない訳ではないが、少食には弊害が多い。
実際、少食家には、悪い意味での変人、奇人が多いだろう。
そうではなく、砂糖、糖分、炭水化物を避けることが、人間の究極の目標である自由への鍵であったのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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