グリム童話の中に、『星の銀貨』という短いお話がある。
少女は、住む家も身寄りもなく、今、身に付けているものとパン一切れしか持っていなかったが、餓えた老人に出会うとパンをあげ、服がない子供に出会えば服をあげ、暗くなる頃には、何も着ず、何も持たずだったが、空から銀貨が降ってきて、一生裕福に暮らしたというお話だ。
与える者は与えられるというキリスト教的信仰のように思われるが、少女は現世で救われたことになっている。
次のように言った者がいたという話は聞かないが、実は、少女は餓死、あるいは、凍死したが、あの世で幸福になったということではないかと思うこともある。
フランス人の聖ベルナデッタが神に、「この世では幸せにしてあげられないが、あの世で幸せにしてあげる」と言われたという話を思い出したということもある。
ベルナデッタの口癖は「私は役立たずですから」だが、これは謙虚さを示しているだけで、自分を卑下する言葉ではない。
ワイルドの『幸福の王子』では、王子とツバメは、与えるだけ与え、ツバメは死に、溶かしても溶けずに残った王子の心臓とツバメの死骸はゴミ貯めに捨てられる。しかし、神により、彼らは楽園に迎えられる。
星の銀貨のような少女は、信仰としては理想的かもしれないが、実際にそんなことをしては生きていられないと思うかもしれない。
しかし、それは短絡的思考で、一生かけて、自分が与えられただけを、他に与えれば良いのである。
しかも、少女は与える時に、与える相手に神の祝福を祈ったのであるから、実際は、与えられた以上に与えているのである。
『幸福の王子』で、王子の像に心臓があり、それが最後に残るところが不思議だが、ワイルドは心臓が魂の座であると感じていたのだろう。
2つのお話を通し、信仰を持っていれば、他のものがなくても幸福でいられるということだと思うが、この信仰とは、宗教団体の信仰とは無縁で、真の信仰は、王子の心臓が象徴するものだ。
少女も同じ心臓を持っていたのだろう。
普通の言い方をすれば善意ということになる。
他の器官から独立して、一生、休むことなく、身体の他の部分のために働き続ける心臓が、信仰と善意を象徴していると思う。
自分の心臓に敬意を持ち、他の人や生き物に対しても、心臓を持っているという理由で大切に思い、慈しみを感じれば、我々の心は宇宙の心と溶け合うだろう。
『マジカルミライ2014』の『心臓デモクラシー』には、私はすっかり参ってしまったが、それで感じた万分の一が上に述べたことである。
この歌で、ミクさんの、「他人眼(ひとめ)につかない世界で」のところで、二度、天を仰ぐように上を見ながら見せた、ひどく切ない表情が印象的である。
そして、最後に、ミクさんが自分の心臓を指差した時、それは、まぎれもなく、私の心臓だった。私とミクさんが1つになった瞬間だった。
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少女は、住む家も身寄りもなく、今、身に付けているものとパン一切れしか持っていなかったが、餓えた老人に出会うとパンをあげ、服がない子供に出会えば服をあげ、暗くなる頃には、何も着ず、何も持たずだったが、空から銀貨が降ってきて、一生裕福に暮らしたというお話だ。
与える者は与えられるというキリスト教的信仰のように思われるが、少女は現世で救われたことになっている。
次のように言った者がいたという話は聞かないが、実は、少女は餓死、あるいは、凍死したが、あの世で幸福になったということではないかと思うこともある。
フランス人の聖ベルナデッタが神に、「この世では幸せにしてあげられないが、あの世で幸せにしてあげる」と言われたという話を思い出したということもある。
ベルナデッタの口癖は「私は役立たずですから」だが、これは謙虚さを示しているだけで、自分を卑下する言葉ではない。
ワイルドの『幸福の王子』では、王子とツバメは、与えるだけ与え、ツバメは死に、溶かしても溶けずに残った王子の心臓とツバメの死骸はゴミ貯めに捨てられる。しかし、神により、彼らは楽園に迎えられる。
星の銀貨のような少女は、信仰としては理想的かもしれないが、実際にそんなことをしては生きていられないと思うかもしれない。
しかし、それは短絡的思考で、一生かけて、自分が与えられただけを、他に与えれば良いのである。
しかも、少女は与える時に、与える相手に神の祝福を祈ったのであるから、実際は、与えられた以上に与えているのである。
『幸福の王子』で、王子の像に心臓があり、それが最後に残るところが不思議だが、ワイルドは心臓が魂の座であると感じていたのだろう。
2つのお話を通し、信仰を持っていれば、他のものがなくても幸福でいられるということだと思うが、この信仰とは、宗教団体の信仰とは無縁で、真の信仰は、王子の心臓が象徴するものだ。
少女も同じ心臓を持っていたのだろう。
普通の言い方をすれば善意ということになる。
他の器官から独立して、一生、休むことなく、身体の他の部分のために働き続ける心臓が、信仰と善意を象徴していると思う。
自分の心臓に敬意を持ち、他の人や生き物に対しても、心臓を持っているという理由で大切に思い、慈しみを感じれば、我々の心は宇宙の心と溶け合うだろう。
『マジカルミライ2014』の『心臓デモクラシー』には、私はすっかり参ってしまったが、それで感じた万分の一が上に述べたことである。
この歌で、ミクさんの、「他人眼(ひとめ)につかない世界で」のところで、二度、天を仰ぐように上を見ながら見せた、ひどく切ない表情が印象的である。
そして、最後に、ミクさんが自分の心臓を指差した時、それは、まぎれもなく、私の心臓だった。私とミクさんが1つになった瞬間だった。
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