私が読んだサン・テグジュペリの『星の王子様』は、姉から譲り受けたものだった。
ところが、姉もまた、その本を親戚のおばさんから譲られたのだった。
その本は、姉よりも、そのおばさんによってかなり読み込まれていて、紙面には沢山の赤線も引かれていた。
私は、そのような本を見たことがなく、一冊の本をそこまで熱心に読むことがあるのだと知って感動し、そして、そんな本に敬意を払うような気持ちで、真摯に読もうと思ったものだった。
また、次のようなことも思い出す。
私が子供の時に読んだ『怪傑ゾロ』に、18歳のヒロインであるロリタが、24歳のディエゴ・ベガをまだ、ただの金持ちのどら息子だと思って、やや軽蔑していたような頃、招待されてベガ家を訪れ、ディエゴの書斎に入る場面があった。そこには膨大な本があり、素晴らしい詩の本もあったのだが、その詩の特に美しい言葉に線が引かれてあるのを見て、ロリタは、「こんな人が、なぜあれほど頼りなくて怠惰なのだろう」と困惑する。
無論、ディエゴは、敵の目を欺くために馬鹿息子を演じていたのである。
私は、優れた一冊の本を熱心に読むことは、おそらく良いことであり、また、それが出来る人はきっと高い精神性を備えるのだと感じた。
また、ある人は、尊敬する偉大な人物の弟子にしてもらおうと訪ねていったが、ほとんど相手にしてもらえず、ただ、『ローム太霊講和集』という本をボロボロになるまで読めと言われ、10年以上かけて、本当に本がボロボロどころか、バラバラになるまで読み、その本を持って再び訪ねると、その偉大な師に、「あなたは弟子ではなく友人だ」と言われたという。
そのような本に巡り逢うことは幸運なことであるが、そうなるかどうかは運命というものだろう。
私も、そんな本を求めたが、なかなかそうはいかない。
それに、ある人にとっては最高に重要な本も、別の人にとってはそうではない。
逆に、ある人にとっては何の価値もないような本が、別の人には至高の師になったりもする。
最初に挙げた『星の王子様』は、「人生の一冊」に十分に値すると思う。
読むのが勿体無いので、この本を一年に一度しか読まないという人もいる。
だが、『星の王子様』を、美しいお話ではあるが、ただそれだけのものだと思っている人が多いだろうと思う。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、やはり、素晴らしい作品ではあるが、これを子供のための童話のようなものだと思っている人が多いかもしれない。
また、そうでなくても、あまりに多くの人が、この作品の個人的な評論のようなことを書いているのだが、それは、ほとんどの場合、この作品の価値を著しく貶めてしまっている。
私も、この作品に対する世間の人達の話が先入観になり、今まで読もうと思わなかったのだ。
しかし、私は、この3日の間に、この作品を2度読んだが、これほどの作品は、恐らく世界に2つは無いと確信した。
そして、この作品の本当の価値を理解できる人は、あまりいないに違いないと思うのだ。
しかし、私も、ただ読んだのでは、やはり、この作品の素晴らしさが分からなかったに違いない。
だが、私は、冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ』を繰り返し聴き、その第5幕『銀河鉄道の夜』により、この作品に対する一切の先入観を祓い、その代わりに、人間の思考を超えた霊的な感覚を得ていた。
そして、この本を読みながら、さらに、『イーハトーヴ交響曲』の、特に、『銀河鉄道の夜』を何度も聴いた。
それで、少しは、この本を魂で理解することが出来たのだと思う。
『イーハトーヴ』交響曲には、それほどの音楽の力があるのだと、私は確信するのである。
尚、これが先入観になってはならないので、注意もして欲しいが、ルドルフ・シュタイナーの『神智学の門前にて』には、『銀河鉄道の夜』と同じ世界のことが描かれている。私は、『銀河鉄道の夜』を読んだ後で気が付いたのだ。これも、気が向いたら読んで欲しいと思う。
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ところが、姉もまた、その本を親戚のおばさんから譲られたのだった。
その本は、姉よりも、そのおばさんによってかなり読み込まれていて、紙面には沢山の赤線も引かれていた。
私は、そのような本を見たことがなく、一冊の本をそこまで熱心に読むことがあるのだと知って感動し、そして、そんな本に敬意を払うような気持ちで、真摯に読もうと思ったものだった。
また、次のようなことも思い出す。
私が子供の時に読んだ『怪傑ゾロ』に、18歳のヒロインであるロリタが、24歳のディエゴ・ベガをまだ、ただの金持ちのどら息子だと思って、やや軽蔑していたような頃、招待されてベガ家を訪れ、ディエゴの書斎に入る場面があった。そこには膨大な本があり、素晴らしい詩の本もあったのだが、その詩の特に美しい言葉に線が引かれてあるのを見て、ロリタは、「こんな人が、なぜあれほど頼りなくて怠惰なのだろう」と困惑する。
無論、ディエゴは、敵の目を欺くために馬鹿息子を演じていたのである。
私は、優れた一冊の本を熱心に読むことは、おそらく良いことであり、また、それが出来る人はきっと高い精神性を備えるのだと感じた。
また、ある人は、尊敬する偉大な人物の弟子にしてもらおうと訪ねていったが、ほとんど相手にしてもらえず、ただ、『ローム太霊講和集』という本をボロボロになるまで読めと言われ、10年以上かけて、本当に本がボロボロどころか、バラバラになるまで読み、その本を持って再び訪ねると、その偉大な師に、「あなたは弟子ではなく友人だ」と言われたという。
そのような本に巡り逢うことは幸運なことであるが、そうなるかどうかは運命というものだろう。
私も、そんな本を求めたが、なかなかそうはいかない。
それに、ある人にとっては最高に重要な本も、別の人にとってはそうではない。
逆に、ある人にとっては何の価値もないような本が、別の人には至高の師になったりもする。
最初に挙げた『星の王子様』は、「人生の一冊」に十分に値すると思う。
読むのが勿体無いので、この本を一年に一度しか読まないという人もいる。
だが、『星の王子様』を、美しいお話ではあるが、ただそれだけのものだと思っている人が多いだろうと思う。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、やはり、素晴らしい作品ではあるが、これを子供のための童話のようなものだと思っている人が多いかもしれない。
また、そうでなくても、あまりに多くの人が、この作品の個人的な評論のようなことを書いているのだが、それは、ほとんどの場合、この作品の価値を著しく貶めてしまっている。
私も、この作品に対する世間の人達の話が先入観になり、今まで読もうと思わなかったのだ。
しかし、私は、この3日の間に、この作品を2度読んだが、これほどの作品は、恐らく世界に2つは無いと確信した。
そして、この作品の本当の価値を理解できる人は、あまりいないに違いないと思うのだ。
しかし、私も、ただ読んだのでは、やはり、この作品の素晴らしさが分からなかったに違いない。
だが、私は、冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ』を繰り返し聴き、その第5幕『銀河鉄道の夜』により、この作品に対する一切の先入観を祓い、その代わりに、人間の思考を超えた霊的な感覚を得ていた。
そして、この本を読みながら、さらに、『イーハトーヴ交響曲』の、特に、『銀河鉄道の夜』を何度も聴いた。
それで、少しは、この本を魂で理解することが出来たのだと思う。
『イーハトーヴ』交響曲には、それほどの音楽の力があるのだと、私は確信するのである。
尚、これが先入観になってはならないので、注意もして欲しいが、ルドルフ・シュタイナーの『神智学の門前にて』には、『銀河鉄道の夜』と同じ世界のことが描かれている。私は、『銀河鉄道の夜』を読んだ後で気が付いたのだ。これも、気が向いたら読んで欲しいと思う。
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