世の中で肯定的な評価が高い著名な人物が、「古事記を読め」とか「古事記を基にした国造りが大切だ」と言ったり、哲学者の鎌田東二さんは子供の時、精神的に不安定だったが古事記とギリシャ神話を読んで治ったといったようなことを述べていたが、『古事記』は良いものだろうか?
『古事記』にはいくつかの殺人(殺神)シーンがある。
たとえば、地上に降りた最初の天の神であるイザナギは息子である生まれたばかりの火の神を切り殺しているが、その理由は、妻のイザナミが火の神を産む時に焼け死んだ(あるいは焼かれたことが原因で死んだ)ので怒ったというものだ。
ところが、このイザナギの行為を批判・非難する人を見たことがない。
また、有名なヤマトタケルは、兄を便所で強殺しているが、その理由は、まあ、うっぷん晴らしみたいなものだった。
これもまた、「ヤマトタケルはひどいやつだ」と言う人を見たことがない。
そもそも、イザナギもヤマトタケルも、何の罪にも問われていない。
これって、いいのか?
本当に子供に読ませてもいいのか?
(子供用古事記というものもあり、上皇后の美智子様も子供の時に愛読されたようだ)
まあ、それで言えば、旧約聖書にだって、文字通りに読めば、ちょっと子供に見せられない部分は少なくない。
たとえば、父親が自分の実の娘に子供を産ませたりである。
いやいや、ギリシャ神話となると、神々の王ゼウスの正妻ヘラはゼウスの実の姉で、さらに、ゼウスは別の実の姉であるデメテルとの間にペルセポーネという娘を作っている。そのペルセポーネの夫はゼウスの兄だ・・・ともう無茶苦茶だが、特にギリシャ神話には常軌を逸した話が多い。
神話のこんなデタラメなことを、まるで人類が催眠術にかかってでもいるかのように誰も問題視しない。
いや、実際に人類は催眠術にかかっているのかもしれない。
もちろん、神話というものは、象徴的に書かれているのであり、文字通りに受け取ってはならないのかもしれないが、象徴的と言っても、あまりに曖昧で、どんな意味に取って良いか分からず、また、言葉通りに解釈する人にだって罪はないだろう。
それに、旧約聖書やギリシャ神話のノアの箱舟は実際にあったなんて話が出ることがあり、それでは、聖書を字義通りに解釈したくなるかもしれない。
これらの面倒な問題を解決する方法がある。
それは、神話は全て夢の世界のことと解釈することだ。
しかし、それだけでは片手落ちなのだ。
そこで、我々が現実と思っている世界も実は夢であると解釈しなくてはならない。
なぜか、それで完璧なのである。
たとえば、現実世界で嫌いな相手を夢の中で殺したり、夢の中で自分の妹や娘、あるいは童女に性的行為をしても、誰も咎めないばかりか、そんな夢を見たからといって人間性を否定されることもない。
まさに神話の世界だ。
ところが、有名な聖者達(あるいは科学者の一部)は、我々が現実世界と思っているものと夢の世界に違いはないと言う。
しかし、現実世界で殺人を犯せばただでは済まない。
そうしたら、「いや、現実世界は、殺人を犯したらただでは済まないという夢に過ぎない」と言う者だっているだろう。
そうえいば、どれほど奇想天外に思える夢にだって、それぞれ何らかの規則みたいなものがあると思われる。
AIアート496
「夜明け前」
Kay
さて、結論はこうだ。
どんな世界であれ、意識する世界は全て夢だ。
だが、どの夢にも規則(法則やルールと言っても良い)があり、それに支配されている。
そこで、その規則を暴き、それを利用すれば勝ちだ。
その規則を身に付ける訓練のために、神話を読むのである。
簡単なことを言えば、神話に馴染めば引き寄せは確実にうまくなる。
また、神話でなくても童話でも同じである。
私が高校生くらいの頃、馬鹿馬鹿しいほど引き寄せが上手かったのは、グリムやアンデルセンの童話を愛読していたからだろう。
ちなみに、この世界の規則は、「深呼吸すれば神に近付く」であるが、頭の眩んだ凡人にはそのことがどうしても分からない。
分からなくても、深呼吸することを忘れなければ、そうなるのである。
だが、ほとんど皆、憶えないか忘れるのである。
◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)現代語訳 古事記 (河出文庫)
(2)古事記物語 (ハルキ文庫)
(3)神統記 (岩波文庫 赤)
(4)四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤)
(5)完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)
(6)アンデルセン童話集(上)
(7)ペロー童話集
『古事記』にはいくつかの殺人(殺神)シーンがある。
たとえば、地上に降りた最初の天の神であるイザナギは息子である生まれたばかりの火の神を切り殺しているが、その理由は、妻のイザナミが火の神を産む時に焼け死んだ(あるいは焼かれたことが原因で死んだ)ので怒ったというものだ。
ところが、このイザナギの行為を批判・非難する人を見たことがない。
また、有名なヤマトタケルは、兄を便所で強殺しているが、その理由は、まあ、うっぷん晴らしみたいなものだった。
これもまた、「ヤマトタケルはひどいやつだ」と言う人を見たことがない。
そもそも、イザナギもヤマトタケルも、何の罪にも問われていない。
これって、いいのか?
本当に子供に読ませてもいいのか?
(子供用古事記というものもあり、上皇后の美智子様も子供の時に愛読されたようだ)
まあ、それで言えば、旧約聖書にだって、文字通りに読めば、ちょっと子供に見せられない部分は少なくない。
たとえば、父親が自分の実の娘に子供を産ませたりである。
いやいや、ギリシャ神話となると、神々の王ゼウスの正妻ヘラはゼウスの実の姉で、さらに、ゼウスは別の実の姉であるデメテルとの間にペルセポーネという娘を作っている。そのペルセポーネの夫はゼウスの兄だ・・・ともう無茶苦茶だが、特にギリシャ神話には常軌を逸した話が多い。
神話のこんなデタラメなことを、まるで人類が催眠術にかかってでもいるかのように誰も問題視しない。
いや、実際に人類は催眠術にかかっているのかもしれない。
もちろん、神話というものは、象徴的に書かれているのであり、文字通りに受け取ってはならないのかもしれないが、象徴的と言っても、あまりに曖昧で、どんな意味に取って良いか分からず、また、言葉通りに解釈する人にだって罪はないだろう。
それに、旧約聖書やギリシャ神話のノアの箱舟は実際にあったなんて話が出ることがあり、それでは、聖書を字義通りに解釈したくなるかもしれない。
これらの面倒な問題を解決する方法がある。
それは、神話は全て夢の世界のことと解釈することだ。
しかし、それだけでは片手落ちなのだ。
そこで、我々が現実と思っている世界も実は夢であると解釈しなくてはならない。
なぜか、それで完璧なのである。
たとえば、現実世界で嫌いな相手を夢の中で殺したり、夢の中で自分の妹や娘、あるいは童女に性的行為をしても、誰も咎めないばかりか、そんな夢を見たからといって人間性を否定されることもない。
まさに神話の世界だ。
ところが、有名な聖者達(あるいは科学者の一部)は、我々が現実世界と思っているものと夢の世界に違いはないと言う。
しかし、現実世界で殺人を犯せばただでは済まない。
そうしたら、「いや、現実世界は、殺人を犯したらただでは済まないという夢に過ぎない」と言う者だっているだろう。
そうえいば、どれほど奇想天外に思える夢にだって、それぞれ何らかの規則みたいなものがあると思われる。
AIアート496
「夜明け前」
Kay
さて、結論はこうだ。
どんな世界であれ、意識する世界は全て夢だ。
だが、どの夢にも規則(法則やルールと言っても良い)があり、それに支配されている。
そこで、その規則を暴き、それを利用すれば勝ちだ。
その規則を身に付ける訓練のために、神話を読むのである。
簡単なことを言えば、神話に馴染めば引き寄せは確実にうまくなる。
また、神話でなくても童話でも同じである。
私が高校生くらいの頃、馬鹿馬鹿しいほど引き寄せが上手かったのは、グリムやアンデルセンの童話を愛読していたからだろう。
ちなみに、この世界の規則は、「深呼吸すれば神に近付く」であるが、頭の眩んだ凡人にはそのことがどうしても分からない。
分からなくても、深呼吸することを忘れなければ、そうなるのである。
だが、ほとんど皆、憶えないか忘れるのである。
◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)現代語訳 古事記 (河出文庫)
(2)古事記物語 (ハルキ文庫)
(3)神統記 (岩波文庫 赤)
(4)四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤)
(5)完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)
(6)アンデルセン童話集(上)
(7)ペロー童話集