ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

旧約聖書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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神の名

旧約聖書を読んでいたら、時々、不思議な記述に出会うことに気付く。
それは、神の言葉として、「彼は私の名を知っているから彼を救おう」というものだ。
そして、神の名は書かれていない。
聖書における神の名は、ヤーウェ(ヤハウェー)、あるいは、エホバで、これは元々はYHWH(テトラグラマトン)であるらしいが、意味が分からない。また、神の名がエロヒムという説もある。

ラマナ・マハルシが大切にしていたナームデーヴの小冊子『聖なる名前の哲学』に、

名前そのものが形であり、形そのものが名前である。名前と形に違いはない。
神は顕現し、名称と形態を装った。名前ゆえに『ヴェーダ』が確立されたのである。
名前を超えたマントラはないと知りなさい。これに異議を唱えるのは愚か者である。

とあるが、その名前が何かは、やはり述べられない。
だが、

「私」 自身が名前であることを学びなさい。

と書かれているらしい。
これは、マハルシが教えた、「私」が神の名で、最高のマントラであるということに一致している。
よって、「私」が神の名であることを知っていれば良い。
だから、この名を大切に思い、マハルシが勧めたように、心で「私、私、私」と唱えれば、神に助けられ、さらには神に近付いていく。
尚、「アマナ」を唱えることも良い。
なぜなら、「アマ」は天で、「ナ」は主であり、「私」は「天」の「主」なのだからだ。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)旧約聖書 新改訳(新日本聖書刊行会)
(2)ナーマスマラナ - 神の名前の不思議な力(サティヤ・サイババ)
(3)Day by Day with Bhagavan (English Edition)

彼女の名前は
AIアート2984
「彼女の名前は」
Kay

無敵の言葉をさらに解説

少し前にも書いたが、旧約聖書に書かれた真言とも言える言葉は、極めて強力だと思う。
とはいえそれは、旧約聖書の比較的初めの方である「出エジプト記」の3章14節に普通に書かれている言葉だ。
旧約聖書はヘブライ語で書かれているのだから(一部アムル語)、それもヘブライ語で書かれているが、世界中の人々が読むのは、英訳されたものを各国語に訳したものだと思う。
ヘブライ語は簡単な言語で、日本語との類似点の多さが指摘されることもあるが、その言葉の発音や、そして、意味の解釈が様々ある。
その言葉は、神がモーセに対して名乗った言葉だ。
空知太栄光キリスト教会の牧師の銘形秀則さんが、多くの旧約聖書の翻訳書の解説を自身のサイトに公開してくれているので参考にさせていただいた。
その言葉の発音は、「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」、「エヒイェ・アシェル・エヒイェ」、「エーイェ・アシェル・エーイェ」などがあり、銘形さん自身は「エイェ・アシェル・エイェ」と発音・表記しておられると言う。
私は、中学1年生の時から読んでいる、ウィリアム・アーネスト・バトラーの『魔法入門』(大沼忠弘訳)にある「エヒュー・アシェル・エヒュー」と憶えている。
英訳では、有名な「アイ・アム・ザット・アイ・アム(I AM THAT I AM)」で統一されているようで(例外もある)、日本語では、その直訳である「私は在(有)りて在(有)る者である」「私は私は在(有)ると言う者である」といった、何だか意味不明な言い方をする。
銘形秀則さんのサイトでは、いろいろな人のいろいろな解釈が紹介されていて興味深いが、私は『魔法入門』のものが、最近、非常に腑に落ちた。
それは、「私はなるようになるであろう」で、ヘブライ語のさらに忠実な意味は「われはつねに生成する者なり」だ。
「私はなるようになるであろう」は、私が昔から知っている強力な霊能力者の教えの言葉で、「私はつねに生成する者なり」は、私が誰に教わったのでもない、幼い時から知っている言葉というか感覚である。そのいずれも、様々な文献などで確認している。『荘子』や『老子』もそれに含まれると考えて良いと思う。
「私はなるようになるであろう」は、心(顕在意識)の感覚で、「私はつねに生成する者なり」は魂(無意識、潜在意識)側のものだと思うが、同じと言って良いと思う(実際、同じ言葉の解釈だが)。

表現に気を付けずに言えば、「私はなるようになるであろう」が最大の引き寄せの言葉で、「私はつねに生成する者なり」は魂と一致していく言葉だ。
進歩した引き寄せでは、自我(心)の介入をうまく避けることが鍵で、その意味でも、これらの言葉のいずれも理想的である。
「心おだやかに」は呪文、あるいは、『千夜一夜物語』の『アラジンと魔法のランプ』の魔法の指輪のようなもので、「私はなるようになるであろう」「われはつねに生成する者なり」は、魔法のランプと言うよりは、魔法の巻物で、それは体内に(感覚的には腹に)納めておくものだ。
これらがあれば、勝ったも同然であると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)魔法入門(W.E.バトラー著。大沼 忠弘訳)
(2)旧約聖書 出エジプト記(関根正雄訳)
(3)新釈 荘子(西野広祥訳)
(4)老子(蜂屋邦夫訳)
(5)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(6)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)

聖所
AIアート1334
「聖所」
Kay

究極のマントラ(真言)

旧約聖書に究極の真理が書かれているとしても、問題は、それがヘブライ語で書かれていることだ。
日本語訳のものは、英訳されたものの日本語訳なのだろう。
その英訳は1611年にイギリスで刊行された欽定訳聖書を基にしたものか、少なくとも、それに大いに影響されたものだろう。

旧約聖書で最も重要な部分の1つが、神がモーセに対して名乗った部分と思う。
神は、自分を何と名乗ったのか?
それが有名な「I AM THAT I AM(私は在りて在るものなり)」である。
これは、あらゆるスピリチュアルなもので重要視されているが、この訳が、間違いとまでは言わなくても、深い意味を伝えていないのだとしたら大問題だ。
そして、実は、そうではないかとも思われる。
引き寄せの法則と言われるものが、実際には顕著な効果を現わさない理由もそこにあるのかもしれない。

神が自分をどう名乗ったのかは、ヘブライ語では正確にはどう書かれているのか?
ヘブライ語自体は難しい言語ではないらしいが、そこに込められた深い意味を読み取るのは難しいだろう。
神が自分のことをヘブライ語でどう名乗ったかについては、W.E.バトラーの『魔法入門』の171ページ(文庫版)に、
「エヒュー・アシェル・エヒュー」
と書かれている。
これが「I AM THAT I AM」と訳されたのだろう。
だが、『魔法入門』では、ヘブライ語学者によれば、正しくは、
「私はなるようになるであろう」
で、もっと忠実には、
「私は常に生成する者である」
と訳すことが出来るらしい。

「私はなるようになるであろう」は荘子的な意味に思えるが、ある非常に力がある超能力者(一応、こんな表現をする)が、常に言っていたことがこれであった。
正確には、「なるようにしかならない。しかし、なるようにはなる」である。
しかし、これは、「なるようにしかならない。しかし、なるようにはなるだろう」とした方が良いと思う。
「私は常に生成する者である」は、私にはなかなか衝撃的だ。
なぜなら、世界というものが常に生成されるものであることは、私は幼い時から知っていたが、それをやっているのが神であるということだからだ。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』では、その生成する者を「内なる魔術師」と呼んでいるが、これが真の自分である神ということだろう。

ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」が究極のマントラ(真言)だと言ったようだが、駄目とは言わないが、まずまずといったところではないかと思う。
「私はなるようになるであろう」は比較にならないほど強力だ。
そして、「私は常に生成する者である」が究極になる。
そして、これらの言葉は、「あろう」とか「常に」といった細かい部分も重要である。

世界中のオカルティスト達は、騙されてきたとまでは言わないが、混乱させられてきたとは言えるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(4)神秘のカバラー(ダイアン・フォーチュン)

エレガントな少女
AIアート1330
「エレガントな少女」
Kay

古事記の何が良いのか?(保存版)

世の中で肯定的な評価が高い著名な人物が、「古事記を読め」とか「古事記を基にした国造りが大切だ」と言ったり、哲学者の鎌田東二さんは子供の時、精神的に不安定だったが古事記とギリシャ神話を読んで治ったといったようなことを述べていたが、『古事記』は良いものだろうか?
『古事記』にはいくつかの殺人(殺神)シーンがある。
たとえば、地上に降りた最初の天の神であるイザナギは息子である生まれたばかりの火の神を切り殺しているが、その理由は、妻のイザナミが火の神を産む時に焼け死んだ(あるいは焼かれたことが原因で死んだ)ので怒ったというものだ。
ところが、このイザナギの行為を批判・非難する人を見たことがない。
また、有名なヤマトタケルは、兄を便所で強殺しているが、その理由は、まあ、うっぷん晴らしみたいなものだった。
これもまた、「ヤマトタケルはひどいやつだ」と言う人を見たことがない。
そもそも、イザナギもヤマトタケルも、何の罪にも問われていない。
これって、いいのか?
本当に子供に読ませてもいいのか?
(子供用古事記というものもあり、上皇后の美智子様も子供の時に愛読されたようだ)

まあ、それで言えば、旧約聖書にだって、文字通りに読めば、ちょっと子供に見せられない部分は少なくない。
たとえば、父親が自分の実の娘に子供を産ませたりである。
いやいや、ギリシャ神話となると、神々の王ゼウスの正妻ヘラはゼウスの実の姉で、さらに、ゼウスは別の実の姉であるデメテルとの間にペルセポーネという娘を作っている。そのペルセポーネの夫はゼウスの兄だ・・・ともう無茶苦茶だが、特にギリシャ神話には常軌を逸した話が多い。

神話のこんなデタラメなことを、まるで人類が催眠術にかかってでもいるかのように誰も問題視しない。
いや、実際に人類は催眠術にかかっているのかもしれない。
もちろん、神話というものは、象徴的に書かれているのであり、文字通りに受け取ってはならないのかもしれないが、象徴的と言っても、あまりに曖昧で、どんな意味に取って良いか分からず、また、言葉通りに解釈する人にだって罪はないだろう。

それに、旧約聖書やギリシャ神話のノアの箱舟は実際にあったなんて話が出ることがあり、それでは、聖書を字義通りに解釈したくなるかもしれない。

これらの面倒な問題を解決する方法がある。
それは、神話は全て夢の世界のことと解釈することだ。
しかし、それだけでは片手落ちなのだ。
そこで、我々が現実と思っている世界も実は夢であると解釈しなくてはならない。
なぜか、それで完璧なのである。

たとえば、現実世界で嫌いな相手を夢の中で殺したり、夢の中で自分の妹や娘、あるいは童女に性的行為をしても、誰も咎めないばかりか、そんな夢を見たからといって人間性を否定されることもない。
まさに神話の世界だ。
ところが、有名な聖者達(あるいは科学者の一部)は、我々が現実世界と思っているものと夢の世界に違いはないと言う。
しかし、現実世界で殺人を犯せばただでは済まない。
そうしたら、「いや、現実世界は、殺人を犯したらただでは済まないという夢に過ぎない」と言う者だっているだろう。
そうえいば、どれほど奇想天外に思える夢にだって、それぞれ何らかの規則みたいなものがあると思われる。

夜明け前
AIアート496
「夜明け前」
Kay


さて、結論はこうだ。
どんな世界であれ、意識する世界は全て夢だ。
だが、どの夢にも規則(法則やルールと言っても良い)があり、それに支配されている。
そこで、その規則を暴き、それを利用すれば勝ちだ。
その規則を身に付ける訓練のために、神話を読むのである。
簡単なことを言えば、神話に馴染めば引き寄せは確実にうまくなる。
また、神話でなくても童話でも同じである。
私が高校生くらいの頃、馬鹿馬鹿しいほど引き寄せが上手かったのは、グリムやアンデルセンの童話を愛読していたからだろう。
ちなみに、この世界の規則は、「深呼吸すれば神に近付く」であるが、頭の眩んだ凡人にはそのことがどうしても分からない。
分からなくても、深呼吸することを忘れなければ、そうなるのである。
だが、ほとんど皆、憶えないか忘れるのである。

◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)現代語訳 古事記 (河出文庫)
(2)古事記物語 (ハルキ文庫)
(3)神統記 (岩波文庫 赤)
(4)四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤)
(5)完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)
(6)アンデルセン童話集(上)
(7)ペロー童話集

宇宙人に教わって納得した引き寄せ

引き寄せに関し、わざと混乱が起こされ、誰も引き寄せが出来ないようにされている。
それは、主に、祈り言葉についてである。
たとえば、お金持ちになりたい場合、どう祈るだろうか?
こんな論をよく聞く。
「『お金持ちになりたい』と祈れば、お金持ちになりたいと思う状態だけが実現し、お金持ちになることは実現しない」
「『お金持ちになった』『私はお金持ちだ』と過去完了形や現在形で祈らないといけない」
「だが、『私はお金持ちだ』というのは嘘なので潜在意識が反発する。だから『私はお金持ちになりつつある』と祈らないといけない」
いや、そんな姑息な知識で願いが実現するはずがない(笑)。
所詮は、「お金持ちになりたい」という願いの強さの問題だ・・・という方が、まだ正しい。

それで、私は宇宙人に教えてもらったが、例によって、人間が猿に教えるごとく宇宙人から教わったので、かなりいい加減だ。
一応、一時的に、IQ300くらいにしてもらって教わったが、宇宙人にとっては、せいぜいが利口な猿といったところだ。
「お金持ちになる」という強い予感を持つ者がお金持ちになる。
ただし、その予感は、未来にお金持ちになることが確定している者が得る本物の予感だ。
つまり、お金持ちになる運命ならお金持ちになるというだけのことである。
ところが、やっぱりそれだけではない。
出来れば、このことだけは憶えていて欲しいのだが、
「純粋になりたいなあと思ったものにはなる」
「純粋に欲しいなあと思ったものは得る」
である。
これは、本来、旧約聖書の最も基本的なこととして書かれているが、とにかく、旧約聖書が書かれた昔のヘブライ語は難解な上、紛失・改ざんありありである。
旧約聖書最大のクライマックスである、神がモーセの前に現れて、神が自己紹介する場面がある。
一般的には、神は、「アイアム・ザット・アイアム(私は在りて在るものである)」と名乗ったことになっているが、多分嘘だ。
これはヘブライ語で「エヒエー・アシャル・エヒエー」で、「私はなるようになるだろう」という意味だが、これが「私は予感したものになるだろう」という意味であると同時に「私は純粋になりたいなあと思ったものになるだろう」という意味らしい。
だが、そこは神なのだから、「私はとこしえに創造する者である」という意味でもあるのだが、その創造の仕方は、純粋に願うことである。

花の命
AIアート300
「花の命」
Kay


つまり、ギラギラした欲望も、「絶対やってやる」という決意も、「どうしてもやらなくては」という焦りもなく、「マジカルミライ(初音ミクさんのコンサート)に行きたいなあ」とぼんやり思っていれば、そんな未来が形作られ、叶う予感がやって来て、その通りになるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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