エミール・クーエの自己暗示の言葉は日本でも有名だが、翻訳者によって微妙に異なるかもしれない。
私がぼんやり憶えているのは、
「毎日、あらゆる面で、私はますますよくなっていく」
だ。
クーエの自己暗示の最大の特徴は、個々の問題を意識するのではなく、このように「あらゆる面」とすることだ。
健康、経済、人間関係等、いろんな問題があるが、そのどれもが「あらゆる面」の中に含まれる。

個人的には、この自己暗示は、英語で唱えた方が良いと思う。
元々は、フランス人のクーエがフランス語で作ったが、英語版を作る時はクーエも関わっているようだ。
英語版は、
「Day by day, in every way, I'm getting better and better.」
で、実にリズムが良いと思う。
簡単な英語で、中学英語で十分だが、get better が「よくなる」という意味であることを知っておけば良い。

日本語の方も悪くはない。
だが、私は、どうもひっかかりを感じる。
特に「私は」をどこにつけるのかが、なかなか憶えられなかった。
日本語には、主語を省略する文化のようなものがあるし、つけるなら、一番最初であるのが自然だ。
「テニスの練習を頑張っている」と言うのを、「私はテニスの練習を頑張っている」と、いちいち「私は」とつけるこたは、あまりない。
まして、「テニスの練習を私は頑張っている」とは、まず言わない。

それに、道元が『正法眼蔵』の中で、「時は飛び去るという性質と共に飛び去らない性質がある」みたいなことを書いているが、日本人は、時の流れは感じても、時の流れを重視しないというか、どこかよそ事のように扱う性質がある。
ジャック・エンサイン・アディントンが『奇跡の時は今』で、古代ギリシャ語には現在形しかないと書いていたのが印象的だったが、それが時代遅れなことではなく、自然なことであるのだと思う。
つまり、過去、現在、未来という観念は幻想で、実際は現在しかないというのは、科学的にも認識されてきていると思う。
数学者の岡潔が「時間は間違いなく情緒です」と言ったように、時間は心が作り出すものなのだろう。

少なくとも、日本人には、「毎日よくなる」「日々よくなる」というのは、左脳では分かるが、右脳では案外困るのだと思う。
「悪く見えても実はよい」というのが日本人らしい感覚ではないかと思う。
たとえば、枯れた花にも美しさを感じるのが日本人である。いわゆる、わびさびという、日本人独特の感覚だ。

クーエの自己暗示を日本的にし、さらに各段にレベルアップさせるなら、
「全て大丈夫だ」
になると思う。
英語だって、
Everything's fine
All is well
No worries
といった素晴らしい言葉があるが、西洋では、時を重視するよう文化が発達したので、Day by dayという言い方が合っているのだろう。
しかし、西洋もいずれ、日本的になるのではないかと思う。
明日はよくなるから今日は我慢という考え方は、実のところ古い。
ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の『何かよいこと(SOMETHING GOOD)』の冒頭に、
「私は酷い子供時代を送ったし、青春時代は惨めだったけど、そんな酷くて惨めな過去の中にも真実の瞬間があったに違いない」
という歌詞がある。
つまり、西洋人的感覚では、酷くて惨めでも、それは悪いものではないということを、西洋人も理解し始めているのだと思う。
ただし、逆に日本人は、それを昔は持っていたのに、失くしてしまったのかもしれない。

だから日本人は、言霊とも言われる「全て大丈夫だ」を唱えれば、全てよくなるし、既によいのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)自己暗示(C.H.ブルックス、エミール・クーエ)
(2)サウンド・オブ・ミュージック (オリジナル・サウンドトラック SHM-CD)
(3)奇蹟の時は今(ジャック・エンサイン・アディントン)
(4)現代訳 正法眼蔵(道元。禅文化学院)
(5)人間の建設(岡潔。小林秀雄)

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