ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

新渡戸稲造

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最も強い者とは好みを持たない者

今月1日だったか、アメリカのトランプ大統領が、セント・ジョーンズ教会前で聖書を掲げるパフォーマンスを行った。
それを見て、私は、別に奇異だとは思わなかったが、何の意味も見出せなかった。
早い話が、キリスト教徒ではないからだ。

私は、聖書の価値を直接には全く感じない。
ただ、キリスト教徒にとっては、重い価値がある可能性が高いことを認識しているだけである。
よって、自分にとっては、何の価値もなくても、決して、聖書を軽々しく扱ったりはしない。
これは、コーラン、仏教経典、その他の宗教の聖典に関しても同じだし、また、私は、それらの間の優劣を全く考えない。
つまり、私は無宗教ということになる。
いや、日本人は「おかげさまで」「すみません」などの言葉の中に、神道の信仰を持っているという人もいるが、私は、なんとかの節句も、七五三も、初詣も、他の人がやることに関しては、1ミリの否定もしないが、私には関係がない。

それでは、日本の神に守ってもらえないかというと、それは筋が違う。
例えば、毎週教会に行き、教会に寄付はするが自己中心的で冷酷な人間と、聖書を読んだことがなくても、親切で思いやりがある人間とでは、神様はどちらを守るだろうか?
もし、神様が本当にいるなら、間違いなく後者であるはずだ。だから、私は、一切の信仰を持たないし、善良になるのは無理としても、せめて邪悪でなく、結果的には他人に害を為すことは避けられないとしても、積極的に悪いことはしないことにする。

昔、アメリカのご婦人だったかもしれないが、新渡戸稲造に「日本人は宗教を持たずに、どうやって子供に道徳を教えるのか?」と問い詰め、悩んだ新渡戸は「日本には武士道あり」として、英語で『武士道』を書き、これが日本語に翻訳されて、日本でも読まれるようになった。
しかし、両方(その婦人と新渡戸)ともおかしい。
宗教がなくても道徳は教えられるし、武士道なんて恐ろしく曖昧なものを立てると、解釈の違いで、容易く争いが起こる。
新渡戸は、自分流の解釈を全人類に押し付けるつもりだったのか?

では、正しい道徳とは何かというと、「自分の好みを押し付けない」これだけである。
本当は、好みを持たないのが一番良い。
しかし、悪い国・・・例えば日本では、親が自分の好みを子供に押し付け、金、地位、権力、立場が上の者が、下の者にそれを押し付けている。
もし、あなたが好みというものを持たなくなれば・・少なくとも、見かけ上でも、それを持っていないようになれれば、全てはうまくいくだろう。













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日本でも世界でも非常識なことをしない

有名人が言った有名な言葉の悪影響にはクラクラしてしまう。
その悪影響の大きさと、その矯正の難しさを考えると、ゾっとするからだ。

昔、竹村健一氏が言った「日本の常識は世界の非常識」は、日本人の中に深く浸透した。
日本人は、確かに、「日本の常識」を疑ったが、捨てたのは「人間の常識」だった。
これは、ウケるかもしれないが笑えない。

竹村氏の主張は、正しくは、「日本の慣習は世界の非常識」だった。
だが、この言い方ではインパクトが弱いのだと思う。
それで、ウケるために、「日本の常識は世界の非常識」と言ったのだと思う。
もっとも、たとえ、「日本の慣習は世界の非常識」という言葉にしたところで、この言葉が定着すると、結局は、「美しい慣習」を捨てることになるのだと思う。
人間とは愚かなものである。

ところが、どれほど勉強し、訓練し、経験を積み、あるいは、天才であろうと、庶民が人道的常識を持たずに成功することはない。
ただし、生まれさえ良ければ、人道的常識などなくても成功するし、むしろ、人道的常識は邪魔である。
今のところは・・・

竹村氏よりもっとずっと昔、新渡戸稲造氏は、西洋の女性に、
「日本人は宗教を持たずに、どうやって子供に常識を教えるのか?」
と言われ、よく考えた末、
「日本には宗教と異なる精神的支柱がある。それが武士道だ」
と結論し、名著『武士道』を英語で書いたらしい(国内で出回っている日本語版は翻訳)。
だが、あの女性の言った道徳は、常識的な人道のことであり、新渡戸が『武士道』で説いた深い思想のようなものではない。
その女性が言った、「子供に道徳を教えるための宗教」がキリスト教だとしよう。
もしかしたら、キリスト教にも偏見がある・・・あるいは、誤解して偏見を持ってしまうといったことは確かにあるかもしれない。
しかし、それでも、人道的常識を教えるには有効だと認めざるを得ないと思う。
もし、それを教えずに、何の指針も与えなければ、人間は楽な方に行きたがるので、人々は自分の都合だけ考える放埓(勝手気まま)な性質を持ってしまうことは、今の日本人を見ればよく分かるだろう。

ソフトブレーン創業者で、世界的ビジネスコンサルタントである宋文州氏は、『英語だけできる残念な人々』で、
「特定のグローバル・スタンダードなんてものはない。徹底したローカル化こそ真のグローバル・スタンダードだ」
という、国際ビジネスの要諦を見事に示したが、これは、あくまでビジネスの話である。
つまり、英語がグローバル・スタンダードだとし「英語が常識」と言ったところで、ベトナムでビジネスをやる時、英語だけでやっていける訳がない。
そもそもが、英語が母国語の地域なんて、せいぜいが世界の5パーセントに過ぎない。
アメリカのまともなビジネスマンは日本ではちゃんと「コンニチハ」と言う。
「日本の慣習は世界の非常識」ではあるが、「世界の慣習」なんて存在しないのだ。
宋氏は、楽天の三木谷浩史社長は「ただの英語マニア」と言い、日本語で質問した記者に英語で返答するのは「滑稽」と言うが(まあ、たまたまその時、三木谷氏の機嫌が悪かったのだろうと信じたいが)、それは、英語がそれほどのものでないと言いたかったのだろう。ただし、宋氏は中国人で、英語も日本語も堪能だ。

「日本の常識は世界の非常識」と言う者が、セクハラ、パワハラといった、常識以前の人道的常識を侵すことがいくらでもある。
セクハラ、パワハラは分かり易くはあるが、自分がそれをやってることに気付かない者も多いだろう。
以前、何かの番組で、若い女性タレントが、有名なお笑いタレントの浜田雅功氏にお尻をつかまれて抗議すると、浜田氏は「こんなん、当たりまえや」と言ったと言う。
その女性タレントは、顔は笑ってたが、目は笑ってなかったと思う。多分、その後、その女性タレントは消えていると思うが、どうだろう?
浜田氏は、元々は自分が理不尽な目に遭いながら、挫けず頑張ったから成功したのであり、善意で言えば、その女性タレントにも「このくらい耐えないと、この世界でやっていけない」という意味もあったのだと思うし、それも確かにそうである。
ただ、そんな「世間の話」はさておき、普通の人は、人道的常識なしに成功することはない。
浜田氏は、特別なバイタリティーの持ち主で、普通の人ではない。
そして、新型コロナウイルスは、浜田氏のような人も特別な人ではなくなる世の中にしていくと思われる。
それは、悪くない世界である。
だから、我々は、真の人道的常識を身に付ける必要がある。













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武士道も騎士道も暇道である

1人で自由に過ごせる時間である「暇」について、罪悪感を持っている者も多いだろう。
そう感じるのは、国民に家畜のような労働者であることを期待(強制?)する国家の思惑通りに違いない。
そんな罪悪感を持った者は、定年後に退屈でおかしくなってしまうのだ。

『武士道』は、宗教を持たない日本には、宗教にも優る崇高な精神があることを欧米に紹介するために新渡戸稲造が英語で書いたものだ。
新渡戸が慎重に書いたこの書は、これを真面目に読んだ欧米人に誤解を与えることなく、日本の優れた精神文化に、感動を超えて畏敬の念を持たせることも多かった。
武士の中にも堕落した者もいたかもしれないし、日本人ですら、時代劇の影響で武士の奇妙なイメージを持っている者も多いが、確かに武士道には西洋の騎士道とも違う、極限的な崇高さや理知があったのだ。

ところが、この「武士道」こそが「暇道」なのである。
ご存知の通り、武士は特権階級で、武士は労働することなく食べることが出来た。
その代わりに、他国からの侵略があった時、武士には領民を守って戦う義務があった。
しかし、徳川の世には日本の統治が完全になり、戦のない太平の世になった。
すると、武士は「戦う」という本来の務めがなくなり、暇になってしまったのである。
それに対して、武士が実際にどう思ったのかは分からない。
新渡戸もそうだったかもしれないが、武士達が後ろめたく思ったと言う者もいるが、さあ、それはどうだろう。
後ろめたく思って、せめて立派な人間でいようと思ったことが武士道になったという考え方もあるが、あまり賛成出来ない。
ただ、暇だったのである。
そして、元々が勤労の義務がない武士は、余裕を持って武士道の完成を目指したのではないか?
いずれにせよ、たっぷり考え、実践する暇があったから、それが出来たのである。
その結果、世界を驚愕させる恐るべき精神世界を作り出した。
それは、サラリーマン根性、庶民感覚の染み付いた日本人に理解出来るようなシロモノではない。
しかし、暇で余裕のある者・・・富裕層であったり、世の中を笑い飛ばせるような自分で頭を使う者であれば解るのである。

イギリスやフランス等の誇る騎士道にも、そんなところは確実にある。
暇な貴族たちが、神に近付く崇高な精神文化を構築したのが騎士道なのである。

武士道、騎士道の明確な欠点は見つけられない。
そりゃ、時代の違いによる違和感を感じることはあるかもしれない。
それは、武士道と騎士道の違いにも表れている。
しかし、完全な暇を与えられた人間がとことん追求する思考活動、あるいは、沈思黙考とでも言う深い精神による瞑想的思考は大変なものである。
素晴らしい武士道、騎士道は、暇だから生まれた。
これを再認識する必要があり、我々も、出来る限り暇になり、その精神に学び、新しい精神世界を作るべきかもしれない。









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信じる者には何でもできる

イエス・キリストの言葉で1つ覚えておくと良いのが、「信じる者には何でもできる」だ。
イエス様は、どうすれば信じられるかは言わなかったかもしれないが、この言葉を覚えておくだけで全然違う。
それで、信じる力・・・つまり、信念だが、藤平光一さんという合氣道家は、多分、師の中村天風に教わったのだろうが、鏡に向かって、「お前は信念が強くなる」と、毎日言ったのだそうだ。
お好きなら、あなたもそうやれば良いが、私は嫌だ(笑)。
彼らは、絶体絶命の修羅場を何度も潜り抜けて来たから、そんな方法も効く・・・というより、そんなことやるまでもなく、自信たっぷりだった訳である。

昨夜も書いたが、我々は信念を持つためには、やはり、何か1つ、修行をすべきだ。
柳田誠二郎さんという、日本航空の社長や、日銀の副総裁などをやった人がいるが、彼は、高校生の時に、岡田虎二郎から教わった「岡田式静坐法」を百歳くらいで亡くなるまでずっと、毎日必ずやっていた。
だが、彼は偉い人で、若い人には、「私はたまたま静坐だったが、あなた方も、何か1つやりなさい」と言っていたのだ。
そして、それは何でも良いのだ。
極端に言えば、人様に迷惑をかけない限り、デタラメなことでも構わない。
それでも、ちゃんと効果がある。
江戸末期の神道家で、イエス・キリスト並の力があったと思える黒住宗忠が、講和で好んで話した、次のような話がある。
あるちょっと馬鹿な若者が、仙人になる方法を知っていると言う嘘つきのことを信じ、その方法を教えてもらうために、その嘘つきの言われるままに何でもやったのだが、結局、それが修行になって、信念が強くなったのだろう。若者は、嘘つきが、「仙人になるには、高い木の枝にぶら下がって手を離せば良いのだ」と言うのを真に受けて、それをやったところ、本当に仙人になってしまった。
宗忠は、この話が本当に好きだったらしい。
こんなふうに、たとえどんなことでも、毎日、根気よくやれば、信念は育つのである。
『武士道』で有名な新渡戸稲造は、「俺も何か1つ、修行しなければ」と思い、色々考えて、結局、行水にしたらしい。
新渡戸は、風で高熱がある日も、鉄の意志で行水をやり、医者に怒られたという。
それはちょっとやり過ぎだが、修行とは、そのくらいの気持ちでやるものだ。
ちょっと古くて恐縮だが、『空手バカ一代』や『巨人の星の』の修行じゃあるまいし、別に難しいことでなくて良いのだ。
自分にとって、ちょっとだけシンドくて、本当はサボりたいと思うようなことを、なんとか、毎日、1年365日、1日も欠かさずにやるのだ。
我々のような凡人が、全てを可能にする信念を持つ方法は、他にはないだろう。
だが、それで信念を得てしまえば、いかなることも可能である。
ただ、本当は、「信じる者には何でもできる」という言葉を忘れずに覚えておくだけで、いつかは信念は得られるのである。









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本当の宗教は道徳など決して教えていない

日本では宗教が教えられていないと聞いた西洋の御婦人が憤慨して、「宗教を教えずにどうやって道徳を教えるのですか?」と新渡戸稲造に問い詰め、悩んだ新渡戸は考えた末、「日本には武士道がある」として、『武士道』を書いたのだったと思う。
このご婦人も新渡戸も、どっちもどっちだ。
馬鹿な話である。

宗教は道徳なんて教えてはいない。
私もある時期までは世間の偏見に囚われていたから、新渡戸やこの御婦人のような考え方があった。
そんな時、新約聖書の福音書を読んだのだが、その中で、誰かがイエスに、どう生きれば良いのかと尋ねると、イエスは「モーセの十戒を守れ」と言ったことが書かれてあった。
モーセの十戒とは、盗むな、殺すな、姦淫するな、偽証するな、父母を敬え・・・などといった、道徳や倫理の戒律である。
ところが、では、「一番重要なのはどれか?」と聞くと、イエスははっきりと「『汝の神を愛せよ』、これである」と答えている。
私はとても困惑した。盗むな、殺すな等を守らなくて良いとは言っていないが、それよりも、神を愛する方が重要だというのである。

インドのヒンズー教の重要な聖典『バガヴァッド・ギーター』となると、尊敬する師や、愛する叔父さんや従兄弟達と戦って殺すことはできないと言う王子アルジュナに対し、神クリシュナは、「それがお前の義務なんだから殺せ」と言う。
そして、やはり、クリシュナが何よりも大事だと教えたことは、「われを愛せ」だった。
このように、『バガヴァッド・ギーター』は、道徳なんて何の関係もないものだ。
そして、洋の東西を問わず、本物の賢者達はこぞって『バガヴァッド・ギーター』を賞賛するのである。

さらには、法然や親鸞は、「善いことなんかしなくていい」、「悪いことをしたって構わない」、そして、「善いことなんかしようと思うな」、「むしろ、悪い者の方がよろしい」とすらはっきり言っているのである。
そして、なすべきただ1つのことは、念仏を称えることだと言う。
いかなる極悪人、不道徳な者が法然や親鸞に、「こんな私でも救われるか?」と尋ねても、法然らは、「全然構わない。全く問題ない。念仏を称えるだけで良い」と言ったのだ。
念仏とは、阿弥陀如来という仏様を崇め敬い、信じることを形で示したものであり、イエスやクリシュナの言う「神を愛せよ」と同じことと思う。
だが、イエスやクリシュナの教え、あるいは、念仏の、神仏を愛するというのは、半端な愛し方ではない。
自分の一切を捧げ、あらゆることに優先して、絶対的に愛することである。
そこには、小さな自分(小我)はいない。
小我は、神や仏の中に溶け込み消えている。
いきなりそうなるのは難しいので、イエスは道徳も教えたし、クリシュナも順を追ってアルジュナを導いた。
そして、法然は数多く念仏を称えれば自然そうなると言った。
親鸞は、直接、阿弥陀如来を愛せよとは言わなかったかもしれないが、「阿弥陀如来は、どんな悪人も見捨てない」ということを説き、自然に阿弥陀如来に対する感謝の気持ちを持てるよう導いたのだと思う。

全ての宗教の真の教えは一致しているのだと思う。
しかし、道徳や倫理は人間の観念、偏見であり、バラバラである。
そのバラバラの混乱したものが宗教だと思っていたから、宗教の下に悲惨な戦争が起こったのだ。
最初に挙げた西洋の御婦人も新渡戸も愚かである。
荘子などの真の賢者は、善と悪は相対的なものの見かたによって生じたに過ぎず、立場の違いでしかないと言う。
つまり、絶対的な善や悪などというものは無いはずなのに、1つの狭い観念・・・つまり偏見で、善や悪を規定した道徳や低い宗教が世界を悲惨にするのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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