「目を良くするために毎日、山を見ています」
というのを何かの動画の中で聞いたが、とても素晴らしいと思った。
山を見れば目が良くなるというのは、「そんな話があったかなあ」程度のもので、それほどの根拠はない。
しかし、やって損するわけでも、人に迷惑をかけるわけでもないのだから、良いと思うならやってみて、それを続けるという姿勢が非常に好ましいと思うのだ。
その人は、仕事柄、毎日長時間、パソコンの画面を見ていて、目が痛かったり、頭が重くなることが多かったらしいが、山を見ることを続けていたら、実際、そんな苦痛が低減したらしい。
新渡戸稲造の本に書かれていたことと思うが、江戸時代、修行を積んだ武士が、1人の町人の、その目付きや立ち居振る舞いを見て、只者ではないと思い、声をかけたが、その町人は、自分はごく普通の町人だと言う。
ただ、普通の町人と違うことと言えば、自分の臆病な心を治そうと、毎日、夕暮れ時に墓場に行くことをずっと続けているらしい。
それで臆病が治るという保証はないが、良いと思ったらやってみる、そして、続けるということをする者は磨かれるのであると思う。
逆に言えば、良いと思っても結局やらない者、それ以前に、向上しようと思わない者は、いつまでも低いレベルであるということだろう。
とはいえ、毎日やるのだから、苦しいこと、嫌なことではなく、楽しいこと、好きなこと、気分の良いことをやるべきと思う。そうでないと続かない。
大切なことは、1年365日、よほどのことがない限り決して休まないことだ。
新渡戸稲造は、良いかどうか分からないが、毎日行水をやると決めたのだが、風邪で高熱がある日も決行し、医者に怒られたらしい。
多分、新渡戸が若い頃のことで、まあ、若い人の特性としては良いと思う。
無茶をするのが若者だ。
しかし、ある程度の歳になれば、思慮も働かせるべきだろう。
クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、公務員兼夜間大学生だった時、四畳半の部屋に大きなシンセサイザーを置き、その上に板を敷いて食事をしていたというが、そうやって毎日、電子音楽に取り組んでいたことが、後に初音ミクの誕生につながったのだろう。
伊藤社長は講演会で「好きなことを続けていたらセレンディピティが起こる」と言われていたが、セレンディピティとは偶然の幸運を掴む力のことで、簡単に言えば「好きなことを続けていたら、何かいいことがあるよ」ということだろう。
私は、22歳の女性イラストレーターの個展に行った時、そのイラストレーターに「子供の時から描いていたのか?」と聞いたら、彼女が真面目な顔で、1日中描いていたと言っていたのが印象的だった。もちろん、好きで描いていたのだろう。
私は、小さな小さな会社の事務員(雑用係かもしれなかったが)だった時、真冬に暖房のない部屋で、深夜2時3時までパソコンでC言語のプログラミングをしていた。それで、プログラマーになって大手企業にも入ったのだが、私の場合、それほど好きだったかどうかは疑問で、何かで確固とした実力が欲しかっただけであったと思う。
その意味では『葬送のフリーレン』のフェルンや、『悪役令嬢レベル99 〜私は裏ボスですが魔王ではありません〜』のユミエラのようである。
彼女達のような大物にはなれなかったが、それでも、そこそこ高給取りのシステムエンジニアにはなれたのだから、何でもいいから、良いと思ったら続けることは大切である。
私も、山を見たいが、家から見えないので残念であるが・・・
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)修養 自分を磨く小さな習慣(新渡戸稲造)
(2)悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~ ※Amazon Prime Video
(3)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video
AIアート1408
「自然光」
Kay
というのを何かの動画の中で聞いたが、とても素晴らしいと思った。
山を見れば目が良くなるというのは、「そんな話があったかなあ」程度のもので、それほどの根拠はない。
しかし、やって損するわけでも、人に迷惑をかけるわけでもないのだから、良いと思うならやってみて、それを続けるという姿勢が非常に好ましいと思うのだ。
その人は、仕事柄、毎日長時間、パソコンの画面を見ていて、目が痛かったり、頭が重くなることが多かったらしいが、山を見ることを続けていたら、実際、そんな苦痛が低減したらしい。
新渡戸稲造の本に書かれていたことと思うが、江戸時代、修行を積んだ武士が、1人の町人の、その目付きや立ち居振る舞いを見て、只者ではないと思い、声をかけたが、その町人は、自分はごく普通の町人だと言う。
ただ、普通の町人と違うことと言えば、自分の臆病な心を治そうと、毎日、夕暮れ時に墓場に行くことをずっと続けているらしい。
それで臆病が治るという保証はないが、良いと思ったらやってみる、そして、続けるということをする者は磨かれるのであると思う。
逆に言えば、良いと思っても結局やらない者、それ以前に、向上しようと思わない者は、いつまでも低いレベルであるということだろう。
とはいえ、毎日やるのだから、苦しいこと、嫌なことではなく、楽しいこと、好きなこと、気分の良いことをやるべきと思う。そうでないと続かない。
大切なことは、1年365日、よほどのことがない限り決して休まないことだ。
新渡戸稲造は、良いかどうか分からないが、毎日行水をやると決めたのだが、風邪で高熱がある日も決行し、医者に怒られたらしい。
多分、新渡戸が若い頃のことで、まあ、若い人の特性としては良いと思う。
無茶をするのが若者だ。
しかし、ある程度の歳になれば、思慮も働かせるべきだろう。
クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、公務員兼夜間大学生だった時、四畳半の部屋に大きなシンセサイザーを置き、その上に板を敷いて食事をしていたというが、そうやって毎日、電子音楽に取り組んでいたことが、後に初音ミクの誕生につながったのだろう。
伊藤社長は講演会で「好きなことを続けていたらセレンディピティが起こる」と言われていたが、セレンディピティとは偶然の幸運を掴む力のことで、簡単に言えば「好きなことを続けていたら、何かいいことがあるよ」ということだろう。
私は、22歳の女性イラストレーターの個展に行った時、そのイラストレーターに「子供の時から描いていたのか?」と聞いたら、彼女が真面目な顔で、1日中描いていたと言っていたのが印象的だった。もちろん、好きで描いていたのだろう。
私は、小さな小さな会社の事務員(雑用係かもしれなかったが)だった時、真冬に暖房のない部屋で、深夜2時3時までパソコンでC言語のプログラミングをしていた。それで、プログラマーになって大手企業にも入ったのだが、私の場合、それほど好きだったかどうかは疑問で、何かで確固とした実力が欲しかっただけであったと思う。
その意味では『葬送のフリーレン』のフェルンや、『悪役令嬢レベル99 〜私は裏ボスですが魔王ではありません〜』のユミエラのようである。
彼女達のような大物にはなれなかったが、それでも、そこそこ高給取りのシステムエンジニアにはなれたのだから、何でもいいから、良いと思ったら続けることは大切である。
私も、山を見たいが、家から見えないので残念であるが・・・
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)修養 自分を磨く小さな習慣(新渡戸稲造)
(2)悪役令嬢レベル99~私は裏ボスですが魔王ではありません~ ※Amazon Prime Video
(3)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video
AIアート1408
「自然光」
Kay