私は、いまだ、「コロナ禍(か)」を「コロナなべ」と読んでしまう。
あまり使わないが、「災禍(さいか)」は、「災」も「禍」も、「災い」「禍い」で、「わざわい」と読み、意味も同じだ。
なら、より一般的な「災」を使い、「天災(てんさい)」のように、「コロナ災(さい)」とした方が、まだ良いと思う。
だが、そこで「おい待て!」と思う。
なんで、「禍」(「災」でも同じ)なんだ?
新型コロナウイルスが災いであるかどうか、決めるのは我々自身だ。
こんなことを言うと、「コロナがなんで災いでないのだ。亡くなった方や苦しんでいる方々への気遣いはないのか?」と言い出す人がいるかもしれないが、言われるまでもなく、そんな気遣いはあって当然である。
だが、災いの部分は確かにあっても、幸いの部分もあるのだ。
それで言うなら、なぜ「歩き煙草禍」という言葉が流行らないのだ?
新型コロナウイルスでの死者は、日本で現在500人を超えたという。
しかし、自分は煙草を吸わない人が、歩き煙草による受動喫煙が原因で死ぬ人は、年間で15,000人とも言われる。煙害で苦しむ人の数となると数え切れない。
だが、歩き煙草は事実上、野放しである。
確かに、歩き煙草には「災い」「禍い」「災禍」しかない。
だが、新型コロナウイルスはそうではない。
新型コロナウイルス後は、確実に、新型コロナウイルス前より良い世界が待っている。もし、新型コロナウイルス前より、はるかに良い世界がないとしたら、破滅しかないと私は確信している。
テレワークを無理矢理やらされてみて初めて、通勤の必要はほとんどなく、大半の部長や役員は不要であることが判ることは幸いであるはずだ。
オリンピックや高校野球甲子園大会は、一部の企業や団体の利権のためのものであり、廃止することが、あらゆる意味で幸いであることが、やっと明らかになったのである。
やたら群れたがり、他人に近寄ることに無神経になり、それが、他人の心にまで土足で踏み入ることであることに、やっと気付く大きなきっかけも与えてくれた。
自分さえ楽しければ、人目を気にせず、遠慮なく騒ぐことを何とも思ってなかった連中は、人間の世界にあってはならないものであることを、やっとはっきりさせてくれたのだ、新型コロナウイルスが。
女子生徒達は、いまやありふれてきて話題にもならないほど多い猥褻男教師から解放された。
そして、今の学校が害悪でしかないことを、やっと認識するきっかけは、新型コロナウイルスでもなければ、得られなかったのだ。
他にも、無限に良いことがある。
しかし、新型コロナウイルスが収束したら、また、会社に出勤させ、オリンピックや高校野球甲子園大会をやり、他人への配慮など持たずに群れて騒ぎ、馬鹿げた学校に生徒達を縛り付けるつもりなら、新型コロナウイルスは速やかに、そんな国を滅ぼしてくれた方がはるかに良い。
私はそう思う。
「コロナ禍」の面も当然あるが、「コロナ幸」の方をずっと大きくするのは、我々自身である。
だが、世間には、「コロナ禍」を拡大視させ、コロナ収束後、また、コロナ前の世界に戻して利権を貪ろうとする連中が強力に画策をしているのが解るだろうか?
彼らに負けて、滅ぶか(あるいは永遠のディストピアに住むか)、目覚めて自分の住みたい世界に住むか?
今が選択の時である。
あまり使わないが、「災禍(さいか)」は、「災」も「禍」も、「災い」「禍い」で、「わざわい」と読み、意味も同じだ。
なら、より一般的な「災」を使い、「天災(てんさい)」のように、「コロナ災(さい)」とした方が、まだ良いと思う。
だが、そこで「おい待て!」と思う。
なんで、「禍」(「災」でも同じ)なんだ?
新型コロナウイルスが災いであるかどうか、決めるのは我々自身だ。
こんなことを言うと、「コロナがなんで災いでないのだ。亡くなった方や苦しんでいる方々への気遣いはないのか?」と言い出す人がいるかもしれないが、言われるまでもなく、そんな気遣いはあって当然である。
だが、災いの部分は確かにあっても、幸いの部分もあるのだ。
それで言うなら、なぜ「歩き煙草禍」という言葉が流行らないのだ?
新型コロナウイルスでの死者は、日本で現在500人を超えたという。
しかし、自分は煙草を吸わない人が、歩き煙草による受動喫煙が原因で死ぬ人は、年間で15,000人とも言われる。煙害で苦しむ人の数となると数え切れない。
だが、歩き煙草は事実上、野放しである。
確かに、歩き煙草には「災い」「禍い」「災禍」しかない。
だが、新型コロナウイルスはそうではない。
新型コロナウイルス後は、確実に、新型コロナウイルス前より良い世界が待っている。もし、新型コロナウイルス前より、はるかに良い世界がないとしたら、破滅しかないと私は確信している。
テレワークを無理矢理やらされてみて初めて、通勤の必要はほとんどなく、大半の部長や役員は不要であることが判ることは幸いであるはずだ。
オリンピックや高校野球甲子園大会は、一部の企業や団体の利権のためのものであり、廃止することが、あらゆる意味で幸いであることが、やっと明らかになったのである。
やたら群れたがり、他人に近寄ることに無神経になり、それが、他人の心にまで土足で踏み入ることであることに、やっと気付く大きなきっかけも与えてくれた。
自分さえ楽しければ、人目を気にせず、遠慮なく騒ぐことを何とも思ってなかった連中は、人間の世界にあってはならないものであることを、やっとはっきりさせてくれたのだ、新型コロナウイルスが。
女子生徒達は、いまやありふれてきて話題にもならないほど多い猥褻男教師から解放された。
そして、今の学校が害悪でしかないことを、やっと認識するきっかけは、新型コロナウイルスでもなければ、得られなかったのだ。
他にも、無限に良いことがある。
しかし、新型コロナウイルスが収束したら、また、会社に出勤させ、オリンピックや高校野球甲子園大会をやり、他人への配慮など持たずに群れて騒ぎ、馬鹿げた学校に生徒達を縛り付けるつもりなら、新型コロナウイルスは速やかに、そんな国を滅ぼしてくれた方がはるかに良い。
私はそう思う。
「コロナ禍」の面も当然あるが、「コロナ幸」の方をずっと大きくするのは、我々自身である。
だが、世間には、「コロナ禍」を拡大視させ、コロナ収束後、また、コロナ前の世界に戻して利権を貪ろうとする連中が強力に画策をしているのが解るだろうか?
彼らに負けて、滅ぶか(あるいは永遠のディストピアに住むか)、目覚めて自分の住みたい世界に住むか?
今が選択の時である。
KayのAI書。 正直言いますと、AI(人工知能)という言葉は、やや当を得ていないものになっています。 新しいAIは、人間とは別に独立して考えるものではなく、あくまで、人間を拡張する道具です。 自動車や飛行機が、勝手に走り、勝手に飛ぶ訳ではないようにです。 けれども、新しいAIは非常に強力で、間違った使い方をすると、その被害は、自動車や飛行機の場合と比較にならないかもしれません。 しかし、政府や権力者達は、そのようなAIの使い方をしようとしています。それを阻止するためにも、この本で、易しく、楽しく、無料で、最新AIの作り方を身につけて欲しいと思います。 |
