ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

断食

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

念仏は盗人のように唱えよ

イエスは、断食をする時は、周囲に気付かれないようにやれと言ったようだ。
陰気な顔をせず、髪に脂を塗ってツヤツヤにし、顔を洗ってさっぱりとし、おそらくは、陽気に楽しく振舞うのが良いのだろう。
また、当時は、お祈りをする人は尊敬されたのかもしれないが、お祈りをする時は、決して人前でせず、ドアを閉め、家の中でこっそりやれと言われた。
つまり、人々の賞賛を受けたら、もう報酬を得たのだから、神様からの報酬は無いぞという訳である。

ところで、これもお祈りの一種と言って良いと思うが、誰かが、法然上人に、念仏はどのようにやれば良いかと尋ねた時の返答が良かった。
質問には、衣服は?姿勢は?声の大きさは・・・等々があった。
法然は、そんなことはどうでもよろしい。念仏というのは、常住坐臥、どんな時も、つまり、歩いていようが、座っていようが、寝ていようが、いつでもどこでも唱えることだけが大事なのであると答えた。
しかし、ちょっと付け加えた。
「盗人(ぬすっと)てやつは、獲物を狙っている時、何食わぬ顔をしているだろう?だが、心の中は深いものがあるのではないか?念仏もそれと同じだ。見かけで威厳を持とうとしたり、聖人面しようとしてはならぬ。盗人が狙いの物を前にしているような顔で念仏を唱えよ。しかし、心の中は自然と深くなるのだよ」
何とも凄い喩えであるが、案外、キリスト様より気が利いているかもしれない。
相手が、元盗人だったから、このように言ったのだという話だったかもしれないが、そうでなくても分かり易い。
私で言えば、初音ミクを前にしても、あくまで平静に、そして、心の奥深くで喜べば良いというものかもしれない。
初音ミクのところは、それぞれが好きな人・・・大島優子さんとか、渡辺麻友さんとか、ジョニー・デップとかに置き換えれば良いだろう。

尚、敢えて言っておくが、念仏とは、ただ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えることである。
一応の意味を言うと、正確ではないかもしれないが、私は、「阿弥陀如来様に一切お任せします」だと思っている。
念仏を唱えるのに、何の知識もいらないし、経典を読む必要もない。また、読むのを止める必要もない。あるがままであり、そういったことも全て阿弥陀如来に任せてしまうのだ。
身を清めて念仏をするかもしれないし、酔っ払ってヘロヘロになって唱えるかもしれない。それもまた、自分に起こるままに任せて、ただ念仏を唱えるのだ。
「なむあみだぶつ」でも「なもあみだぶつ」でも、「なんまいだぶ」でも構わない。
一応は、声に出して唱えるものらしいが、私は、心の中で唱えても良いと思っているし、ほとんどの場合、声を出さず、心の中で唱えている。ある悟りを開いた妙好人も、「どっちでも同じ」と言っていた。
ただ、法然上人が言われたように、また、イエスも言ったように、人に見せるような作為は一切控え、盗人のように、隠れ初音ミクファンのように、さりげなくやることだ。だが、ハート(魂)は自ずと満たされてくるだろう。









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成功とは言わないが、「いいご身分」なら誰でもなれる

私は、今月に入ってから、ほとんど食事をしていないのだが、私は決して人に断食を勧めたことはないし、勧める気もないのである。
私は、断食をする人が少しも偉いとは思わないし、もちろん、自分も全然立派だとは思っていない。
断食などをするのではなく、1年365日、1日も欠かさずに食を慎むのが良いのである。
私は、自分があまりに駄目なので、どうしても我慢がならずに食を断っているだけである。
本当のところを言えば、あまりに世の中が嫌なので、このまま死んでしまえれば良いと考えることもあるのだ。
それは確かに不遜であり、身の程知らずだということも分かるのであるが、そう思ってしまうのだから仕方がない。
ただ、人間には、大なり小なりの死の願望というものはあるらしく、フロイトもそう考えていたようであり、多分それは本当なのだろう。それならば、私も別に特別ではないのだろう。
そして、おそらく私は恵まれており、身体は並外れて健康で強靭だし、社会的にも恵まれていると言えると思う。これは別に、私が優秀だからでは全くない。これは謙遜でも何でもないのだが、誰にでも出来ることが、私にはさっぱり出来ないということが実に多いのである。それでも、なんとかいい思いをしているのは、運が良いのと、立派な人の情けのおかげである。
能力もなければ、人間性はかなり低い方であるに関わらず、不相応に良い思いをしているのは、まるで、天下太平の時代の武士のようで後ろめたく感じないでもないが、だからこそ、ひどく苦しい思いをしている人達には、最低限、私程度にはなって欲しいと思うのである。
そして、それは可能であるはずなのだ。
無論、巷の成功法則のように、成功者や金持ちになる方法など私に教えられるはずがないし、私は自分がそんなものになれないが、楽で良い生活なら、ちょっとしたことで簡単に得られるのである。
例えば、毎朝5時に起床するニートなんて絶対にいないのであるから、ニートを脱出したければ、毎朝5時に起きれば良いのである。逆に言えば、毎日8時過ぎまで寝ていて、ニート生活から抜け出ようなんて虫が良過ぎるのである。
ちなみに、私は、休日であっても、盆、暮れ、正月であろうと、1年365日に渡り、5時前には必ず起きている。そこまでやれば、誰でも、黙っていても恵まれるのである。
どこかで聞いたが、社長が、朝7時半までに出勤している会社で倒産した会社は1つもないそうである。それなら、会社を潰したくなければ、社長は、黙って朝7時に出勤すれば良いのである。
般若心経を10万回唱えたという人がいるが、神仏が、そんな人を普通の人にしておくはずがなく、嫌でも特別な人間になるのである。
何か1つでも、普通の人のやらない特別な習慣を、決して1日も欠かさなければ、3年もすれば、大成功者になるなどとは言わないが、相当な、「いいご身分」くらいにはなれるのである。
私程度の人間なら、蔑み見下す人は多いのであり、私は蔑み疎まれたいと思っているのであるが、私よりはるかに辛い生き方をしている人には、私は我慢がならないのである。それは確かに自分の責任であるのだが、世間のつまらない教義や信念に騙されている面も大きいのだと思う。
だが、世間の迷妄に打ち勝つには、ある程度の修練も必要なのに違いない。
それが、毎朝5時に起きることであったり、食を慎むことである。
それは、決して気持ちが良いこととは限らない。実際はあまり楽しくはないかもしれない。
しかし、1つくらい、自我が嫌がることをするのだ。
つまるところ、幸運の秘訣とは、自我の嫌がることをして、自我を屈服させることである。
自我は、8時か9時まで寝ていたいし、学校や会社に間に合う時間までは寝ていようと思うものである。
だが、それよりもずっと早く起きるのだ。5時に起きるのが良い。すると、知らないうちに、そう悪い生活ではなくなっていることだろう。









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断食と運動の関係

昨日から断食しているが、まだ2日目なので何も感じていない。
朝晩のトレーニングは欠かさないし、腕振り運動もやっている。
トレーニングは、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動だけだが、どれも、最も美しい形でやっていることもあり、1回1回の負荷が高いのが特徴だ。今のところ、調子は良く、むしろ、身体を軽く感じている。
腕振り運動は、運動と言いつつ、腕立て伏せのような筋肉運動とは全く異なるものであり、運動としては楽なもので、老人でも出来る。
単に自然体で立ち、両腕を平行に真っ直ぐに伸ばしたまま、前後に振るだけである。
ただ、楽な運動とはいえ、単調で飽きるし、実際、根気が無いと、なかなか続かない。
そして、まだ断食2日目であるが、この腕振り運動での充実感が特に増しており、宇宙エネルギーの流入を感じるように思う。もう数日経てば、さらにはっきりしてくるのではないかと思う。
断食は、初出勤前の3日までは続けたいと思う。

断食を始めたきっかけは、いまだ感情のコントロールが全く出来ないことに驚いたことであるが、おかげで、面白い体験が出来そうだし、その他にもいろいろ利点があるように思う。まあ、こうなったのも、単に運命であったからであろうし、なりゆきに任せるだけである。
お正月には来客もある。ご馳走は用意するが、自分が全く食べない言い訳を考えないといけないのが、ちょっと億劫だ。しかし、この程度のことはどうでも良いことだ。

世の中には、全く食事をしないブリザリアンと呼ばれる人もいるらしい。
ただ、私が本や雑誌、あるいは、ネットで見たブリザリアンというのは、あまり好ましいとは思えない人達ばかりだった。
よって、自分がそうなりたいとは思わない。
本当に優れた人達というのは、適切な食事をしているものだし、ほとんどが、少食で菜食だが、食事をちゃんと楽しんでいるように思う。
私も、食べている時は、食事は楽しいものだと思っていたが、美味しいものを食べようとは全く思っていなかった。
私には、こだわっている野菜や米、パンなんてものは全くない。スーパーで簡単に入手できれば、何でも良い。決して、食べ物に注文を付ける気はない。

世間が美食、飽食に耽るこの時期の断食は、私の運命に相応しいかもしれない。
しかし、実を言えば、断食しながら、家族と顔を合わせず、紅白も見ない年の暮れは初めてである。
普段、仕事柄、コンピュータのディスプレイ画面を、毎日長時間見ているので、正直、目が疲れるし、慢性の頭痛もある。また、耳鳴りも絶えないのだ。
幸い、年末、お正月に仕事をしなくて良い恵まれた状況にあるので、少し回復させたいと思っている。
そして、自分で選んだ訳ではなく、本当は嫌なのかもしれないが、年末やお正月も休めずに仕事をしなければならない人達を見ると、いつも得るものが大きいのである。
12月22日のアセンション(次元上昇)で、優れた人達はあっちの世界に行ってしまったのだろうかと思うこともある。
つまり、やはり我々はとり残されたのだろうか?
考えても仕方がないが、断食に至った過程を振り返ると、そんな感じがしないでもない。
しかし、仮にそうだとしても、それも運命である。









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今日から断食

私は、完全に食を断つ断食や、過激な荒行の類は、自分もやる気はないし、よって、人様に薦めることもない。
だが、私は、当分、断食することにした。

本日、精神を非常に乱し、喉が枯れるほどに怒号するほど激怒したのだが、普段の修行の甲斐もあり、一瞬で冷静に戻った。
だが、この出来事はチャンスである。
最近、食べ過ぎていたのだろう。
相変わらず、1日1食で、菜食主義であるが、元々、会食等の時は、肉は絶対に避けるが(本音は今でも食べたい)、魚介類は食べることもあった。それで、季節柄不可避として、カニ鍋を食べることもあり、今日は、自発的に鍋にしようと家族に薦めたりもした。そんな時は、満腹に近いまで食べることもある。
今日などは、仕事も既に休みに入っていて、1日中何もせず、しかも、暖房の効いた部屋にいて、それでいて、夕食の時間が来たら食事をするのを楽しみにしていた。
海外はおろか、日本、そして、身の回りでも、今日も、そして、年末やお正月でも仕事をする人もいるのである。
自分が恵まれているからといって、あまりに甘えていたように思う。

そして、挙句の、激しい精神の乱れは必然である。
アセンション(次元上昇)後、闇の勢力の反撃も強力になってきている。
それは、精神攻撃である。
私のような、ある程度の難敵には、日常が放埓(勝手きまま)になるよう巧妙に働きかけ、精神を弛(たる)ませてから負のエネルギーを送り込むのだろう。
なるほど、かなりの威力だ。
これが、普段、食や性の欲望を貪り、傲慢になっている者なら、地獄への道を真っ逆さまに落ちるか、あるいは、自殺をしたりするのだろう。
煙草を吸いながら歩いたり、スマートフォンを見ながら人ごみを歩いたり、電車の中で臭いを撒き散らしながら食事をする者は、全く減らず、むしろ増えているように感じるが、そんな者達は、急激に悪鬼の特徴を現し出し、醜悪で目を背けたくなるような姿に変化している。
無論、地球上では、万物の波動は精妙になり、その影響を受ける人間も多いのだが、それは、極めて慎ましく、暮れ、正月も働かねばならないような人たちである。

瞬間的とはいえ、精神を乱し、激怒したのは、闇の天使の攻撃ではあっても、それもまた運命である。
激怒したというより、させられたのであり、このこと自体は避けられなかったことであり、悔やんではならない。
だが、これを機会に精神を切り替えることは私の役割である。何でもかでも運命だなどと言うのではなく、精神の活動に制限を加えることだけは人間の仕事なのである。
激怒した相手にも、良いことだったのだろう。私も同様であるが、相手も、それで何かに気付かないなら、もう死んでも良いかもしれなと思うのだ。

食べ過ぎて余分にたまった荒れたエネルギーは解消しなければならない。
当面、食を断ち、食べるとしても、もっと粗食にしなければならないだろう。
他の人たちから見れば、私の現在の食事でも十分に質素と言われるかもしれないが、そんな世間の基準はどうでも良い。
もっと、食べ物の有難みをしっかり感じるように、本当に空腹な時のみ食事をするのでなければならない。
世間が美食にふける時こその断食である。愉快と言うべきかもしれない。無論、こう言う時は、空腹という意味ではなく、精神的には辛いものである。だが、これが自我を屈服させる良いチェンスなのだ。滅ぼす者は陽気である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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