ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

推理小説

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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芸術家になるために本当に必要なこと

絵を描こうと思ったら、描く対象をよく観察しなければならない。
良い絵になるかどうかは観察力次第だ。
逆に言えば、絵を描くことは観察力の訓練になる。
たとえ心の中の想像を描くのだとしても、それが少女であれば、実際の少女をよく観察しないと絵にならない。
抽象画を描くような場合も、その元となる何かは鋭く観察しなければならない。
そして、本当に心の中のイメージだけを描く場合であれば、心を観察するという難しいことをしなければならない。
そのためには、まずは外界をよく観察して、観察力を極めて高度に高めておかなくてはならないのだ。

絵に関することは、詩や文章にも全くあてはまるだろう。
優れた詩や小説を読むと圧倒されることは、それがたとえ抒情詩(感情を描いた詩)や空想的な小説であっても、光景や物の描写が実に繊細で生き生きとしていることだ。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むと、その不思議な列車の中の様子や、列車の窓から見える風景が具体的に細やかに描かれていて、それが実に美しい。
読んでいて、描写されていることの実際の様子が分からない場合もある。今では使われていない物や、自分が見たことのないものが描かれている場合や、あるいは、文章自体が(時には欠陥があるのかもしれないが)、よく理解できない場合である。
しかし、それでも、何かを賢明に描写しようとしていることが分かるし、それが作品にリズムを与えているのである。
ダンテの『神曲』では、ダンテは、(おそらく見たことのあるはずがない)地獄や天国の様子を事細かに描写して見せる。
イェイツはダンテを「ルネッサンス随一の想像力の持ち主」と言ったが、ダンテには天才的な観察力があったから、あのようなものが書けたのだ。
観察力がなければ、あれほど真に迫った想像は絶対にできない。
つまり、いかなる詩や小説を書く場合であろうと、作者は高度な観察力を持ち、その能力を発揮しなければならないのだ。
まして、ドキュメンタリーや叙事詩(出来事を描いた詩)であれば、描写が優れていなければ話にならず、そのためには高度な観察力を発揮しなければならない。

絵画や文学はもちろん、記録文書でも、最終的には、その良し悪しを決するのは表現力である。
だが、観察力がなければ、優れた表現はできない。
作家志望や画家志望の者がしばしばよく犯す間違いは、表現力にばかり心を向け、観察力の重要さに気が付いていないことだ。
美大などでは、最初、猛烈にデッサンをさせられるらしいが、その目的が、観察することより、デッサンのテクニックに偏ってしまっていれば、いくら厳しいデッサンの修行をしても良い画家にはなれない。
画家が書いた絵の描き方の本でも、著者の画家が、自分には普通の人よりはるかに高度な観察力があることを忘れていたり、そもそも最初から気付いていなかったりで、技術的なことを書くのに終始して、結局、読者の役に立たないものが多いのだ。
実際、世の中には、描くテクニックはかなりあっても、観察力がないので画家になれない人は多いのだと思う。
同じようなことが、詩や小説の分野でも言えるのだと思う。

画家や作家になりたいければ、優れた推理小説(探偵小説)を読むと良いと思う。
そこには、探偵の繊細で粘り強い、集中された観察に関してよく描かれているからであり、その重要性に気付くと思うからである。
そして、観察力の大切さが分かれば、それを磨かなくてはならない。
つまり、作家、詩人、画家、その他の芸術家になるには、研ぎ澄まされた観察力がなくてはならない。
そして、実際は、作家や画家に関わらず、何をするにも、観察ほど大切なことはない。
作家や画家、そして、推理小説の中の探偵は、観察力がなければ全く成り立たないという意味において、いかなることをする場合でも重要な参考になり、貴重な示唆を与えてくれるのである。









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これであなたは夢でも何でも分かるようになる

何年か前のことだが、若者の社会問題を扱ったような討論番組か何かだったと思うが、頼りなさそうな暗い感じの男子大学生が、「僕には夢がないんですよね」と言っていたのを憶えている。
まるで、社会が悪いから「僕が夢を持てない」のだと言いたいような態度だった。
しかし、言うまでもなく、夢は誰かが与えてくれるものではない。
本当に夢も希望もない国があるのかもしれないが、日本は夢だらけの国で、夢がないと言うなら、そう言う者が愚かであるとしか言いようがない。

確かに、日本人の大半は、やりたいことや目標がないのが弱味なのだろうが、自分でなんとかそれを見つけるか、あるいは、自分の意志で人生に目標はないことを本気で納得するしかない。
しかし、特殊な人を除いて、夢や生きがいは必要である。
では、それをどう見つけるかだが、それには、自分を観察することが必要なのだ。
ところが、聖者達も、「自分を観察しろ」と言うが、ほとんどの人は、観察力というものを全く持っていない。
自分どころか、自分以外の何も、まともに観察できない。
学校というものが、生徒に観察力を持たせない教育を押し付けているからであるが、これについては特に説明は必要ない。大切なことは、我々に観察力がないということだ。

ネコでも星でも花でもいいから、真剣に観察することだ。
それは楽しいことのはずだ。
あるテレビ番組で、家の家具の配置や、オフィスのデスクの上の物の配置をこっそり変え、それに気付くかどうかテストとするといったことをやっていたが、ほとんどの人が気付かず、せいぜい、言われた後で、「ちょっと変だと思いました」と言うくらいだった。
この観察力のなさ、それによる感性の鈍さは救いがたい。
そんなことではいけない。
身近にある何でも、意識して観察するのだ。
それによって、初めて、意識というものの存在が明確になるだろう。
人間は意識なのである。
観察力がなければ、自分が何かすら分からないのだ。
「私って何?」と言うなら、まずは、何でもいいから観察するのだ。
観察力が上がってきたら、自分の身体の様子、感情、呼吸を、これも真剣に観察すると良い。
そうすると、不思議なことに、何でも分かるようになる。
お金を得る方法も、好きな人に愛される方法も「ふっと」分かるようになる。
当然、自分が目標とすべきことも分かってくる。
優れた探偵小説を読んで、心、気、意識、魂を込めた観察の雰囲気を掴むのも実に有益である。
なぜなら、面白い探偵小説を書ける作家は、間違いなく、高度な観察力を持っているからだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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