ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

抱朴子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

若さを保つ仙道の秘法

今夜は、若さを保つための簡単なアドバイスをしようと思う。
人間の身体は、血管と神経という2つの道が張り巡らされている。
若い間は血管の機能がとても良く、そのために栄養が身体中に行き渡り、肌がきめ細かく、そして、艶があって美しい。
しかし、年を取ると、血管の硬化が進み、血液の循環も悪くなって、肌の色艶も当然、悪くなる。
一方、神経は、若い間は未発達なのだ。
「年を取ったら反射神経が衰える」と言うが、そうではなく、神経自体は年を取ると、ますます発達するのだが、血液の循環が悪いので、肉体が反応できないのだ。
だから、年を取っても動こうという意志はあるのに、身体がついてこないと感じるのである。
若い時は、神経が十分に働いていないので、意外に鈍感なのだが、年を取ると、本来は敏感で思慮深くなるように出来ているのだ。
これは、1つには、若い時は、決行が良くて回復力があるので、少々身体を乱暴に扱っても良いために、さほど神経が敏感でなくて良いのだが、老人は身体の回復力が低いので、予防のためにも神経が細かくなるのである。

古代の中国には、年を取っても若者に負けないほどの色艶を保つ者がよくいて、その度合いが特に大きな者は、仙人のように思われたし、おそらく、伝説の仙人のような人もいたのだと思う。
抱朴子の書いた『神仙伝』や『抱朴子』には、老人になって、さらに何十年も経っても、ますます若くなる人や、やはり、老人の年齢でありながら、15歳くらいの美少女にしか見えない仙女が度々登場するのである。
そのような仙人達は、血管の機能を高く保ち、あるいは、回復させ、さらに、神経を過剰に敏感にしないことで若さを保っているのである。
東洋では、『抱朴子』などにある仙人の研究成果から、優れた養生の法を発見し、それを生かすことが出来た人達が今でもいて、大いに成果を上げている。
これは、必ずしも、現代の漢方薬や東洋医学と同じものと限らない。

抱朴子が残した貴重な仙道の法から、我々にも役立ち、しかも、手軽に実践できる、若さを保つ方法を取り上げてみよう。
抱朴子は、偉大な知識を持っていただけでなく、論理的で科学的な考え方のできる善意に溢れた人だったと思う。
まず、食べ物であるが、仙人が好んで食べたもので、我々でも入手しやすいものとして、肉桂(シナモン)、松の実、ドライあんずなどがある。
こんな良いものを、現代の日本人はあまり食べないのだから不思議である。
また、木の実一般に、松の実のような効用があり、アーモンド、クルミ、カシューナッツ、ピーナッツなどにも、血管の働きをよくする効果があるが、やはり、松の実は特に良いと思う。また、シナモンは、『荘子』にもよく登場する、八百年あるいは千年以上、若いまま生きたと言われる有名な仙人であった彭祖が愛食したようだが、これを食べると、確かに、全身を気が巡るのを感じるように思う。ただ、これの食べ過ぎは良くなく、私は、あらゆる飲み物に適量入れて飲んでいる。

だが、普段の食事に加えて、これらを食べるのではなく、余分な食事を減らして食べるべきだろうし、食べ物だけで十分な訳ではないと思う。
彭祖も、老子も、食事と共に、性的な慎みを強く奨めているが、総合的に言っても、エネルギーは大切に蓄えるが、その浪費は防ぐという考え方なのであり、意外と単純で分かり易いと思う。
疲れ過ぎず、怠惰過ぎずで、規則正しい生活をし、心を静かに保つことが、いつまでも若くいる最良の方法なのである。
また、神経を使い過ぎることを防ぐためには、適量のアルコールも良いだろう。酒を上手に楽しんでいる仙人の話も、実際、多いのである。
そして、老子や彭祖の時代はもちろん、それよりずっと後の抱朴子(283-343年)の時代より後に、達磨大師がインドから中国に伝えたと言われる(達磨は5世紀から6世紀の人と言われる)腕振り運動は、若さのエッセンスとも言える、活性化した気を体内に蓄える秘法なので、仙人になることを誰よりも望んだ抱朴子は、これを知っていたら、さぞ喜び、熱心にやったに違いないと思うのである。だから、我々が代わりにやれば良いのである。
腕振り運動に関しては、当ブログ内の以下の記事を参考にして欲しい。

エンティティー(生命体、本質、実体)の脅威の力
決して、自分の意志で生きてはならない
腕振り運動は天と調和するための簡単で優れた方法である

















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『老子』を本当に分かっている唯一の人

『老子』は元々『道徳経』と言い、老子という至高の賢者が書いた81章からなる短い聖典である。
なぜこのような稀に見る驚くべきものが書かれたのかというと、こんな話が、抱朴子(葛洪)の『神仙伝』にある。
これが良い話であるのだ。
あくまで概略で述べるが、見ていただきたい。

老子が周の国を出て、いよいよ仙山(仙人が住むべき山)である崑崙(こんろん)山に登ろうとした時、周の関守である尹喜(いんき)が直感により、ここを大変な聖者が通ることを察知した。そこで、その大聖人が通るであろう道を40里(中国では一里が500mなので20km)も清掃して待ち受けた。
尹喜は、牛車に乗ってやって来た老子を一目見て、「この人だ」と分かったが、老子も尹喜を見て、「人物」であることを認めた。
その時、老子は、従者への長年の賃金が未払いで、それが膨大な額になっていたのだが、従者がその支払いを要求していた。
ただし、老子は、その従者が昔、貧しく、また、放っておいたら死ぬ運命だったので、身近に置くことで救ってやったのだった。しかも、いずれ賃金は支払ってやるつもりだった(仙人である老子には、黄金など自由自在に無限に得られた)。
尹喜は、自分が代わりに従者への賃金を支払うことを申し入れ、さらに、その無知な従者への恩赦を願うと、老子は受け入れた。そして尹喜は、老子に拝礼し、丁重にもてなしながら教えを乞うと、老子は快く説いた。
その後、尹喜がさらに教え(真理の精髄という意味と思う)を求めると、老子は五千語で口述し、後でそれを尹喜が筆記したものが『道徳経』、すなわち、『老子』である。つまり、『老子』は、説いたのは老子で、書いたのは尹喜であるということになる。
孔子もまた、老子に弟子入りしたことがあった。
しかし、孔子はこう言って悩んだ。
「私は相手がどんな人間でも、鳥のようなものであればそれを矢で射落とし、魚のようであれば、釣り上げることができなかったことはない。しかし、老子は竜だ。仕留めるどころか、追う事すらできぬ」
つまり、老子は、孔子にとって、全く掴みどころがなく、あまりに格違い、桁違いの境地の存在であることを認めざるを得なかったのである。
孔子はなまじ天才であるだけに、老子の側にいると、気狂いになりかねず、老子から離れた。凡人であれば、老子の偉大さの欠片にも気付かないのであるから、その点はさすが孔子なのである。

ところで、その『老子』の22章は、「曲即全」という言葉で始まる。日本語で読み下せば、「曲なれば、即ち、全(まった)し」で、「曲がれば完全だ」である。
上に述べた通り、『老子』は、老子の口述であり、宇宙の真理の概要である。
細かい説明はない。
よって、この「曲即全」も、様々に解釈でき、学者をはじめ、多くの人達が、本当に色々な解釈をし、それを発表している。
だが、私は、この「曲即全」を見て、ぞくっとした。
誰だって、頭では分からなくても、真理に出会うと、衝撃を感じ、身体や世界の存在を忘れてしまうものだ。
その時の私がそうだったのだ。
「曲即全」
何の説明がいるだろう?
曲がれば、あるいは、曲げれば、完全だ。
日本語も中国語も堪能な詩人、王明さんは、余計な解説をせず、「屈伸できれば自由自在である」と訳した。
このくらいで丁度良いかもしれない。王明さんの、詩で訳した『老子』は素晴らしい。
「曲即全」
「屈伸できれば自由自在である」
ただ覚えていれば良い。
呪文のように、ただ無心に唱えたって良いと思う。
頭で意味を考えない方が良い。
ただ覚えていれば、この教えは、あなたに最大の作用をするだろう。

ただ、五井昌久さんという有名な宗教家が『老子講義』という本で、この意味を解説されていたのを見て、私は本当に感服した。
五井さんは、解説することを余計なことだとは自分でも述べているのであるが、あまりに親切な人なのだろう。本当に懇切丁寧に説明しておられた。
無論、私など思いつきもしない大変な解釈である。五井さんは、老子と霊的に合体したと言うが、それは本当だろうと思った。
私は宗教には興味はないが、五井昌久さんという人そのものに対しては、ああ、この人は本当に聖人なんだろうなと思う。
無論、老子も完全に理解しておられる・・・いや、老子そのものであるのだから当然であるが。できれば、生きておられた時に一目、お姿を見ておきたかったが、きっと今でも、望めば誰でも逢えるのだろう。









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仙人が愛食する、疲れに勝ち身体を活性化する食物

最近、体調が良くないというコメントがいくつかあったので、その対応について書こうと思う。
とはいえ、基本は、心を静かに保ち、心配をしないこと。働き過ぎず、疲れ過ぎないこと。決まった時間に適切な睡眠を取ること。性エネルギーを節約すること。そして、適切な食事をすることである。
しかし、そうは言っても、私も忙しいことがあり、時間が不規則になることもある。
そんな場合には、少し食事に気を付け、疲労回復に努めることが効果的だ。
普段であれば、肉を少なくし、満腹するまで食べなければそれで良いのであるが、疲れていて、身体にエネルギーを補給しないといけない場合は、少しは特別な食べ方も必要である。
私の例を参考に述べる。
最近の私は、食事らしい食事はほとんどしない。
昼と夜は食べないのであるが、朝は、ナッツ類とクッキーを食べる。
ナッツであるが、アーモンド、クルミは、非常に身体に良く、カロリーは高いが、緩やかに吸収されるので身体の負担にならず、太ることもない。私は、これらを欠かさない。Amazonで業務用製品を購入すれば、極めて安い。
ところで、古代中国では、仙道(仙人になる道)において、松の実を重視していた。
日本では、小さい松の実は、あまり食用にされないのではないかと思う。
しかし、抱朴子(葛洪)の『神仙伝』や、劉向の『列仙伝』でも、多くの仙人が松の実を愛食し、抱朴子は『抱朴子』の中で、松の実が若さを保ち、長寿をもたらすことを述べている。
栄養素においては、松の実も、他のナッツ類と似ており、良質のタンパク質や老化を防ぐビタミンEが確かに豊富であるが、経験上、これは仙人食に相応しく、非常に精妙なエネルギーを与えてくれるのである。
また、やはり仙人が好んだものに、肉桂(ニッキ)がある。これは、シナモンと言った方が馴染みがあるだろう。
シナミンは、薬効も非常に大きく、身体を実に見事に調整してくれる。
また、シナモンは、御存知のように、好みもあるが、香りが非常に良く、私は、日本茶、紅茶、コーヒー、何にでも入れて飲んでいる。
松の実は、他のナッツ類に比べ、やや高価かもしれないが、多量に食べる必要はないので問題はない。
そして、シナモンは、粉にしたものがよく売られているが、お茶に少し入れて飲む程度なら、極めて安価である。300gも買えば、当分持つだろう。
私の個人的感覚であるが、松の実やシナモンが、仙人の秘薬として好まれたのは、身体の気が通り易くなるからで、私の解釈では、体内の気を活性化させるのである。他にも、良質なアンズが奨められ、これを好んだ仙人もおり、抱朴子も奨めている。
加えて腕振り運動をして、活性化した気(関英男博士にとればGTP)を体内に蓄積すれば、エネルギーが高まり、若返るだろう。
だが、最も大切なことは、気持ちを穏やかにすることだ。そうすれば、呼吸の回数が減り、気(GTP)を消費しない。ただ、無理矢理に呼吸の回数を減らすのではなく、気持ちを落ち着かせることで、自然に呼吸を深く、長くしなければならない。

尚、生まれた星座や、身体の症状に合わせた栄養については、『エメラルド・タブレット』の著者であるドウリル博士が『星化学分析』という素晴らしい本を書いているので、参考にしていただくと、利益は実に大きいと思う。
100ページもない、薄くて小さな本であるが、この世界最高の賢者が、実に分かり易く、必要とする食べ物の外、生活で気をつけるべきことや、心の導き方をシンプルに語っている。
抱朴子は、『抱朴子』で様々な植物の薬効を詳しく記述し、仙道を目指す者への貴重な資料となっているが、ドウリル博士のこの『星化学分析』は、もっと驚くべきものであると思う。実際、よく読むと、『抱朴子』との共通点も多いが、それよりも科学的で正確であり、仙人のような超人を目指す者にも有益であると思う。

















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天は天を助ける者を助ける

神秘的なことが好きで、熱心に探求している者というのは、経済的にも、金持ちとまではいかないまでも案外に豊かなものである。また、中には、相当な富を得ている者もいる。
こう言うと、「いや、宗教の信者やオカルティストには貧窮者が多いと思う」と言いたい人がいるかもしれない。
その通りであるが、これは別に矛盾していない。
問題は熱心さである。
たとえば、ロックをやっていても、もてる男とそうでない男がいるだろう?
だが、ロックというのは、もてるためといのではないが、そういったことも含めて楽しくやろうというものである。しかし、ロックそのものを真剣にやっていない男が全然もてないことから、やはり熱心さの問題であることが分かる。
宗教の狂信者のようなものは、肝心の神秘の探求に関しては全く熱心でないのだ。一見、神仏を崇拝しているようであっても、その実、自我を守ろうとしているだけなのである。

神秘というのは、文字通り、神の秘密を求めることであり、それを本当に熱意を持ってやっている者を、神は助けるのである。
オーストリア帝国(現クロアチア)出身の神秘家ルドルフ・シュタイナーは元々は貧しかったが、神秘主義に目覚めてからは、不思議なほど良い仕事に恵まれ、経済的な問題は何もなくなっている。
ブラヴァツキー夫人で通っているウクライナ出身の神秘家ヘレナ.P.ブラヴァツキーも、世界を放浪したりしながら、良い人の援助を受けたりして、海外渡航も難しい時代に、世界各地で大いに活躍した。
「岡田式静坐法」で知られ、あまり神秘家扱いされることはないが、世間的には明らかに神秘思想家だった岡田虎二郎も、優れた稲作の技術を持っていたこともあるが、良い地位を自然に得、さらに、明治34年に米国に渡って研究し、帰国してからも、特に商売をしていた訳でもないが、経済的に困ることもなく、人々の啓蒙活動に邁進していた。

これらは、著名人の場合であるが、一般的にも、熱心に、物質世界の裏側に隠された世界の真理を求める者には、それを十分に行えるよう、天は援助するのである。
サミュエル・スマイルズの有名な言葉、「天は自らを助ける者を助けるのだ」は、一般社会のことに限定して考えることが多いと思われるが、深い意味で言うなら、「天は天を助ける者を助ける」のである。
人間が、天を熱心に求めることは、天を助けるのである。
イエスは、「求めよ、そうすれば与えられる」と言ったが、これは、聖霊を求めるという意味で、やはり、宇宙の深い英知を熱心に探求する者には、いつかはそれが与えられということなのだが、そのために必要な日々の糧も十分に与えられるのである。だからイエスは、「天の父はお前達に必要なものなど十分に御存知だ。生活の心配などするな」と言ったのだ。

神秘主義になれば、物質的にも豊かでいられると言ったら、顔をしかめる人も多いだろうが、あくまで熱心さがあればである。単に、楽に得をしようなどと思っている卑しい考え方の者であれば、やはり貧窮の憂き目に遭うであろう。
私は長くニートをやっていた時に、ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』という本を読んだ。この本は、マーフィーの成功法則の1つであるが、神秘傾向の強いものだった。私は、元々は神秘に関心があったのだが、受験に嫌々ながらも巻き込まれるうちに、精神を病んでエネルギーを失くしていたのだと思う。
しかし、この本を読んで、健康的な神秘思想に目覚めてからは、不思議な出来事が次々に起こり、大金を得るということはないのだが、社会的にも苦労することはなく、常に安楽であった。そして、普通なら不健康な労働環境で知られるコンピューターソフト開発業界にあって、いつも楽で豊かであるのは、常々言うように、dbMAGIC(現在はMAGIC)や、マイクロソフトAccessという、「素人でも出来る」と言われるものを、見栄を張らずに積極的に採用してきたからで、これも神の導きであったのだろう。
尚、『あなたも幸せになれる』は、『努力嫌いの成功法』といった書名が付けられて文庫化されているが、原題は、「宇宙エネルギーの奇跡」といった感じのものである。

ただ、抱朴子が言ったように、神秘を熱心に求めるかどうかは(抱朴子が言う場合は、仙人になることを決意するかどうか)、天の定めた運命による。
例えば、その運命になかった孔子は、あれほどの天才でありながら、世俗にしか関心がなかったので、辛く貧しい人生を送るしかなかったのだ。
だが、道(タオ)という、この世の究極の真理を求め続けた老子や荘子は、世間的にも悠々と安楽に過ごした。抱朴子も、そのようであるのが自然なことであると述べている。抱朴子は、自分は貧窮であると言っているが、あの時代に膨大な書物を得ているのであるから、そのまま受け取る訳にはいかない。

神秘好きであることを躊躇する必要はない。世間に向かっては隠しておくべきかもしれないが、熱心に真理を求めれば、経済的にも恵まれるだろう。
だが、それは、「天は天を助ける者を助ける」ためであり、天の恵みである仕事や技能を大切にし、それに感謝しながら、熱心に神秘行に励むべきである。









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怒らないことは我々の想像をはるかに超えて大切である

宮沢賢治の有名な『雨ニモマケズ』の始めの方に、「決して怒らず、いつも静かに笑っている」と書かれている。
なぜ怒ってはいけないのだろう?
それが、人々や、その他のものに対する慈愛であるからだろうか?
それもあるだろうし、賢治はそのつもりで書いたのかもしれないが、私は、それよりも、怒らないことが、自分のために物凄く重要だということを強調したいものだと思う。
早い話が、怒るとエネルギーを急激に失うのである。つまり、元気や精力がなくなるのだ。
エネルギーというと、物質主義の現代人は、食べ物や健康ドリンクで得られると思っているだろう。
しかし、栄養たっぷりの健康ドリンクの空き瓶が山のようになるほど飲んでいるのに、いつも疲れてへとへとという人は多いのではないだろうか?
食べ物で得られるエネルギーなど、本当は知れており、必要以上に摂っても脂肪になって蓄積されるだけで、「決してエネルギーになったりしない」のである。
むしろ、栄養を摂り過ぎると身体の機能を損なって、ますます元気がなくなり、下手をすると病気になる。
病気の要因は誰もが持っているが、それを抑える力があるから病気にならないのであり、エネルギーがなくなると、それを抑えられなくなって、病因が働き出してしまうのである。

怒るとエネルギーを失うと言ったが、もっと正しく言うなら、心が静かでないほどエネルギーは失われるのである。
だから、イライラしたり、憎んだり、妬んだりするのも、心が荒れて揺れ動いているのであるから、やはりエネルギーがなくなる。
だが、憎しみや妬み、イライラも、怒りの一種であるから、総じて「怒り」と言っても、おかしくはないと思う。
宗教的な意味でも、憎しみや妬みがいけないとよく言われると思うが、宗教ではやはり、高貴な意味で言うのであろうが、そんなことより、まず、個人のエネルギーが大量に失われることが問題なのである。

「怒るとエネルギーを失う」と言うと、多くの人が、「ああ、そうだろうね」と一応は肯定するが、皆、軽く受け取ってしまって、本気で考えない。
やはり、エネルギーは物質的なものであるという観念に慣れ切ってしまっていて、精神との関連が分からないからだ。
ガソリンという物質が燃焼してエネルギーを発生して、自動車のエンジンを動かすということは誰もが受け入れている。
放射性物質が核融合でエネルギーを発生するということも、実感は無いながら、なんとなく認めているかもしれない。
だが、アインシュタインが、物質とエネルギーは同じものだと言ったことに対しては、「試験にでも出るなら暗記するよ」程度の扱いになる。つまり、利益がなければ関心を持たないのが現代人だ。
まして、現代科学で認められていない、精神とエネルギーが同じものであるということになると、現代人は誰も真面目に考えないのだ。
だから、みだりに怒ったり、憎んだり、妬んだり、イライラしたり、実質は、それらと同様である、叱責、非難、批判を止め処もなく行い、愚痴を言い、嫌悪を持つことも平気でやってしまうのである。
それで、どんどん老化し、健康は失われ、病気になってしまうのである。

世間の常識とは逆に、粗食・少食を厳しく守っていれば、力が溢れるはずであるが、それでも、怒ったり、批判したり、煩い事が多いと、エネルギーが足りなくなってしまうので、少食の奨めを説くような人達が、さほどの年でもないのに亡くなったり、重い病気になってしまうのである。
また、極端な喜びや、悲しみもまた、心の静寂を損ない、やはり、エネルギーを失くすのである。

抱朴子は、最高の仙人として、老子と彭祖(ほうそ)を挙げることが多いが、この2人の教えの要諦は、「精力を得るが失わない」ことであり、そのための重要なことの1つとして、精神の調和を挙げているが、それは、心が静かで安定した状態である。その他には、性的な放蕩(耽ること)を戒めることと、適切な食事をすることとしている。
道(タオ)という、宇宙で最も大切な良いものを得た老子や彭祖が、これだけで道は得られると述べることもあったのである。
老子は、自著の『老子(道徳経)』に、「私は3つの宝を持つ。慈愛と倹約と、天下の人の前に立たないこと」と述べているが、この意味は、様々に解釈されている。
私は、「慈愛」は、身体への慈愛で、適切な食事を意味し、「倹約」は、性的な節制で精力を浪費しないこと、「天下の人の前に立たない」とは、煩い事から遠ざかることと解釈すればぴったりすると思っている。

アントニオ猪木さんの「元気ですかあ!」は有名であるが、どうすれば元気でいられるかを、もっと真面目に考えるべきだ。
元気であるためには、エネルギーの浪費を無くすことだ。
猪木さんは、そのための素晴らしい人間性を持っていると思う。
事務所に泥棒が入り、250万円盗まれた時、「なんで俺のいる時に来ない?俺がいたら500万やる。猪木の事務所は250万しかないのかと思われたらカッコ悪いじゃないか」と言ったが、これは、猪木さんが大物であるということなのであるが、いつまでも怒ってエネルギーを失わない素晴らしい発想でもある。
猪木さんは、鷹揚(鷹が飛ぶようにゆったりした人間性)な人なのだろうと思う。
猪木さんは、少年時代に移民したブラジルで苦難の日々を送り、プロレスラーとして事業家として大変な苦労をし、糖尿病にもなる中で、身体のエネルギーの大切さを強く実感し、小さなことにこだわらない、ゆったりとした人間性を身につけたのだと思うのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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