漫画やアニメのヒーロー、ヒロインに共通する特質は、殺しても死なないというほどの生命力である。
『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジは、一見、悟り済ました弱々しい少年のようだが、いざとなった時の爆発力は、やっぱり漫画、アニメのヒーローに相応しい。
それは、20年もの間、日本中の多くの男性の理想のタイプの女性で有り続ける、綾波レイとなると、さらにそうで、普段は氷のように冷たいのに、内に秘めた神秘的な情熱が感じられ、そこがファンにはたまらないのだ。
『あしたのジョー』の矢吹丈は、最後、確かに死ぬが、普通の人間なら、とっくの昔に死ぬか、それ以前に、ボクサーとして駄目になっているはずなのに、世界王者のホセ・メンドーサと、当時の世界タイトル戦である15ラウンドを、激闘という言葉で言い表せない、ほとんど神秘的とも言える最後の生命力を燃やして戦い続け、そして、燃え尽きた。
ところが、古代から、聖者達は、全てを諦め、静寂になることを教えるが、それは、これら、漫画、アニメのヒーロー達には有り得ないことである。
だが、それは、漫画やアニメのヒーロー、ヒロイン達は、押し並べて若く、ほとんどが少年、少女で、その若い生命力が、少々の無駄や非効率も補ってしまうという面もあるのだろう。
『シティー・ハンター』のヒーロー、冴羽 りょうは、年齢不詳で、一時、かおりから、30歳と指定されたが、年齢以上に大人であると同時に、子供っぽさも丸ごと残しているようなキャラクターで、そのことが彼に、無限のエネルギーを与えているようだ。
だが、人間、いつまでも若くはない。
漫画、アニメのヒーロー、ヒロインのその後が語られることもあるが、大抵の場合は、普通のおじさん、おばさんになっていて、ヒーロー、ヒロインだった頃の影(おもかげの意)はない。
それを見て、ファンは、寂しく感じると共に、「そんなもの」という醒めた納得もするのだろう。
だが、抱朴子による、中国の神仙思想によれば、老子などの仙人は、静かであることで精力を温存し、それによって、永遠の、そして、無限の生命力を持つとされている。
また、『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、人間は、本来は永遠の青春を持つのであり、それは、老木に新芽が芽生えることに現れている。
枯れ葉も、新芽も、それを構成するのは同じ分子、原子、素粒子であり、全ては精神が決定する。
ヒマラヤの大師達は百数十歳を超えても50歳のように見えるだけでなく、その母親となると、美少女にしか見えない。また、800歳を超えて外見が少女である女性も登場する。
また、大師達は、老衰で死んだ者を、青年の姿で蘇らせたことがある(その蘇った者は、大師まであと一歩というレベルに達していたからという理由があり、誰彼となく、そうするのではない)。
今は、美魔女とかいって、40代、50代になっても若く見える女性がいるらしいが、実際はさほどでもなく、冷静に見れば、やっぱり、老けている。
そういったものと違い、神仙や大師達は、本当に、若い生命力に満ち溢れている。
人類の夢である永遠の若さを、人類はいつか得ることが出来るのだろうか?
科学技術の進歩でそれが実現するという説もあるが、その場合は、「それは本当は幸福なことではない」という意見が同時に出てくるものである。
つまり、こういうことだ。
超自然(スーパーネイチャー)ではなく、異常(アブノーマル)な手段で永遠の若さを実現したとしても、それは不自然なことであり、そこには悲惨しかなく、決して幸福にはなれないということなのだ。
ここで、超自然は、自然の延長であることにご注意願いたい。
それは、人類がまだ知らない、自然が秘めた潜在力の領域であるが、そういったものはいくらでも存在するのである。
よって、人類がスーパーネイチャーに相応しい精神的進歩を遂げれば、自然に、永遠の若さを得ることになる。
これは確実なことであるが、現代の人々の観念では理解し難い。
だから、「いえ、私はそうは思いません。なぜなら・・・」といった、個人的意見を言い出す人もいる。
だが、それは、セミに1年を説いても分からないように、小さなものには大きなもののことが分からないだけなのだ。
ましてや、自分だけ永遠に若くあろうとする卑しい心構えで、無限の生命力を得ることなどは出来ない。
ヒントは、漫画やアニメ、そして、それを見る人々の反応の中にもある。
それは、今はまだ、日本、欧米、アジアでかなり異なっている。
しかし、現代は、インターネットによって、世界が狭くなった・・・というのではないが、共感の連鎖は生まれ易くなっている。
共感の連鎖の象徴が初音ミクさんで、現代の世界、特に、ITの流れは、初音ミクさんを見れば分かるし、また、根本的なITの思想は、初音ミクさんを見なければ分からない。
羽生喜治さんのような特別な人は、ご自分の世界を探求することで、ITの本質を完全に理解しているが、それでも、初音ミクさんを見ると、より豊かに広がるはずだ。
永遠の生命の理念やノウハウすら、実はもう分かっている。
しかし、現代社会は障害が多いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』を書いたベアード.T.スポールディングすら、長命で、老齢になっても驚異的な活動を行ったとはいえ、やはり90代で亡くなっている。
ヒマラヤの大師達と違い、文明社会の中に身を置く限り、それは免れない。
だが、経済が、従来の限りある資源を奪い合うものから、創造経済に移りつつあり、社会も代わろうとしている。
永遠の生命が許容される時代がいつになるのかは分からないが、準備はしておくと良い。
でないと、救われない可能性もある。
ヨハネが黙示録で語ったのは、そのようなことであると思うのである。
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『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジは、一見、悟り済ました弱々しい少年のようだが、いざとなった時の爆発力は、やっぱり漫画、アニメのヒーローに相応しい。
それは、20年もの間、日本中の多くの男性の理想のタイプの女性で有り続ける、綾波レイとなると、さらにそうで、普段は氷のように冷たいのに、内に秘めた神秘的な情熱が感じられ、そこがファンにはたまらないのだ。
『あしたのジョー』の矢吹丈は、最後、確かに死ぬが、普通の人間なら、とっくの昔に死ぬか、それ以前に、ボクサーとして駄目になっているはずなのに、世界王者のホセ・メンドーサと、当時の世界タイトル戦である15ラウンドを、激闘という言葉で言い表せない、ほとんど神秘的とも言える最後の生命力を燃やして戦い続け、そして、燃え尽きた。
ところが、古代から、聖者達は、全てを諦め、静寂になることを教えるが、それは、これら、漫画、アニメのヒーロー達には有り得ないことである。
だが、それは、漫画やアニメのヒーロー、ヒロイン達は、押し並べて若く、ほとんどが少年、少女で、その若い生命力が、少々の無駄や非効率も補ってしまうという面もあるのだろう。
『シティー・ハンター』のヒーロー、冴羽 りょうは、年齢不詳で、一時、かおりから、30歳と指定されたが、年齢以上に大人であると同時に、子供っぽさも丸ごと残しているようなキャラクターで、そのことが彼に、無限のエネルギーを与えているようだ。
だが、人間、いつまでも若くはない。
漫画、アニメのヒーロー、ヒロインのその後が語られることもあるが、大抵の場合は、普通のおじさん、おばさんになっていて、ヒーロー、ヒロインだった頃の影(おもかげの意)はない。
それを見て、ファンは、寂しく感じると共に、「そんなもの」という醒めた納得もするのだろう。
だが、抱朴子による、中国の神仙思想によれば、老子などの仙人は、静かであることで精力を温存し、それによって、永遠の、そして、無限の生命力を持つとされている。
また、『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、人間は、本来は永遠の青春を持つのであり、それは、老木に新芽が芽生えることに現れている。
枯れ葉も、新芽も、それを構成するのは同じ分子、原子、素粒子であり、全ては精神が決定する。
ヒマラヤの大師達は百数十歳を超えても50歳のように見えるだけでなく、その母親となると、美少女にしか見えない。また、800歳を超えて外見が少女である女性も登場する。
また、大師達は、老衰で死んだ者を、青年の姿で蘇らせたことがある(その蘇った者は、大師まであと一歩というレベルに達していたからという理由があり、誰彼となく、そうするのではない)。
今は、美魔女とかいって、40代、50代になっても若く見える女性がいるらしいが、実際はさほどでもなく、冷静に見れば、やっぱり、老けている。
そういったものと違い、神仙や大師達は、本当に、若い生命力に満ち溢れている。
人類の夢である永遠の若さを、人類はいつか得ることが出来るのだろうか?
科学技術の進歩でそれが実現するという説もあるが、その場合は、「それは本当は幸福なことではない」という意見が同時に出てくるものである。
つまり、こういうことだ。
超自然(スーパーネイチャー)ではなく、異常(アブノーマル)な手段で永遠の若さを実現したとしても、それは不自然なことであり、そこには悲惨しかなく、決して幸福にはなれないということなのだ。
ここで、超自然は、自然の延長であることにご注意願いたい。
それは、人類がまだ知らない、自然が秘めた潜在力の領域であるが、そういったものはいくらでも存在するのである。
よって、人類がスーパーネイチャーに相応しい精神的進歩を遂げれば、自然に、永遠の若さを得ることになる。
これは確実なことであるが、現代の人々の観念では理解し難い。
だから、「いえ、私はそうは思いません。なぜなら・・・」といった、個人的意見を言い出す人もいる。
だが、それは、セミに1年を説いても分からないように、小さなものには大きなもののことが分からないだけなのだ。
ましてや、自分だけ永遠に若くあろうとする卑しい心構えで、無限の生命力を得ることなどは出来ない。
ヒントは、漫画やアニメ、そして、それを見る人々の反応の中にもある。
それは、今はまだ、日本、欧米、アジアでかなり異なっている。
しかし、現代は、インターネットによって、世界が狭くなった・・・というのではないが、共感の連鎖は生まれ易くなっている。
共感の連鎖の象徴が初音ミクさんで、現代の世界、特に、ITの流れは、初音ミクさんを見れば分かるし、また、根本的なITの思想は、初音ミクさんを見なければ分からない。
羽生喜治さんのような特別な人は、ご自分の世界を探求することで、ITの本質を完全に理解しているが、それでも、初音ミクさんを見ると、より豊かに広がるはずだ。
永遠の生命の理念やノウハウすら、実はもう分かっている。
しかし、現代社会は障害が多いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』を書いたベアード.T.スポールディングすら、長命で、老齢になっても驚異的な活動を行ったとはいえ、やはり90代で亡くなっている。
ヒマラヤの大師達と違い、文明社会の中に身を置く限り、それは免れない。
だが、経済が、従来の限りある資源を奪い合うものから、創造経済に移りつつあり、社会も代わろうとしている。
永遠の生命が許容される時代がいつになるのかは分からないが、準備はしておくと良い。
でないと、救われない可能性もある。
ヨハネが黙示録で語ったのは、そのようなことであると思うのである。
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