才能がなければ成功出来ない。
スポーツ選手やミュージシャン、作家、画家等といったものは、才能がなければ、プロにすらなれない。
成功した経営者の中には、「私は凡人だ」なんて言う人がいるが、彼は、経営に関しては絶対に天才だ。
優秀な経営者の息子は(娘もだが)、多くの場合、経営の才能を多少なりとも親から譲り受けているので、会社をうまく引き継げる。しかし、息子に経営の才能がないと判断したら、会社を譲るのは諦めた方が良い。会社が駄目になるだけでなく、向かない社長になった息子も楽しくないし、その息子は人間的に駄目になったり、悪い方向に行ってしまうことになるだろう。
「才能がなければ駄目」と露骨に言うのは、世間ではタブーである。
それに触れてしまったから、陸上選手だった為末大さんは非難された。
あるアメリカの教育心理学者は、「黒人は遺伝的に白人よりIQが低い」ことを統計調査で確認したが、それを論文で書いてしまったから、非難どころか、生命の危機に晒されたらしい。
アメリカには、そんな過激な平等思想、反差別主義がある。
日本では、為末さんは、生命の危険にまでは遭わなかったと思う。
トランプ大統領の発言が差別的として、ハリウッドスターや大物歌手達が激しいバッシングをする様子は、日本人には異様に見えたと思う。
物凄いセレブ生活をし、訪問先のホテルの部屋の調度品からシーツ、カーテンに至るまで細かい要求を出すような大物スター達の方がよほど差別的と思うのだが。だって、彼らは自分を庶民よりはるかに高い位置に平然と置いているのだから。
だが、今はそれも非難されるようになり、最近は大物スター達も慎み深さをアピールするようになった。
しかし、有名な評論家の宇野常寛氏が対談書で、「(インターネットの発達により)個人での発信が平易になると、個人間の才能の開きが露骨に見えるようになった」と述べられていた通りである。
まあ、宇野氏は、才能がない者でも、作品を発表して楽しくやっている人達がいるといったことも言われていたと思うが、才能がない人の作品は、見てもらえるのは、ほとんど仲間内だけだろう。
最近は、動画配信が簡単になったせいと思うが、路上ライブをやる人が少なくなったが、路上ライブも、大半の才能がない人達のものは、言っては悪いが騒音でしかない。
ほとんどの人間には、大した才能はないのだ。
インターネットの発達は、それを冷酷に突きつけてくる。
だが、才能がないと幸福になれない訳ではない。
そりゃ、才能がなければ、金持ちや有名人にはなれないが、それは人生の満足に必ずしも関係しない。
とはいえ、天才でなければ、妄想でないヒーロー、ヒロインの気分には浸れないのだ。
そして、それがどうしても嫌だという人もいる。
生まれつきの才能には恵まれていないのに、凡人の群れに居るのは嫌だという困った人である。
いわゆる「一生中2病」というやつだ。
天才の「一生中2病」は素敵だが、凡人の「一生中2病」は滑稽で哀れである。
ラ・マルセイエーズを作ったのは、素人音楽家で、天才ではないと言われている。
しかし、そうではない。
この名曲を作った職業軍人は天才なのだが、普段は、その才能を発揮出来なかっただけである。
では、「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか?
出来れば、中2病をやめることだ。実際は、それしか、まともな道はない。
それが駄目なら、いつも念仏を称えるか、聖書や仏典、あるいは、バガヴァッド・ギーターをいつも読むことだ(どれか1つで良い)。
それで自分が消えれば、望む形でないにしろ、不思議な才能が現れるかもしれない。
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スポーツ選手やミュージシャン、作家、画家等といったものは、才能がなければ、プロにすらなれない。
成功した経営者の中には、「私は凡人だ」なんて言う人がいるが、彼は、経営に関しては絶対に天才だ。
優秀な経営者の息子は(娘もだが)、多くの場合、経営の才能を多少なりとも親から譲り受けているので、会社をうまく引き継げる。しかし、息子に経営の才能がないと判断したら、会社を譲るのは諦めた方が良い。会社が駄目になるだけでなく、向かない社長になった息子も楽しくないし、その息子は人間的に駄目になったり、悪い方向に行ってしまうことになるだろう。
「才能がなければ駄目」と露骨に言うのは、世間ではタブーである。
それに触れてしまったから、陸上選手だった為末大さんは非難された。
あるアメリカの教育心理学者は、「黒人は遺伝的に白人よりIQが低い」ことを統計調査で確認したが、それを論文で書いてしまったから、非難どころか、生命の危機に晒されたらしい。
アメリカには、そんな過激な平等思想、反差別主義がある。
日本では、為末さんは、生命の危険にまでは遭わなかったと思う。
トランプ大統領の発言が差別的として、ハリウッドスターや大物歌手達が激しいバッシングをする様子は、日本人には異様に見えたと思う。
物凄いセレブ生活をし、訪問先のホテルの部屋の調度品からシーツ、カーテンに至るまで細かい要求を出すような大物スター達の方がよほど差別的と思うのだが。だって、彼らは自分を庶民よりはるかに高い位置に平然と置いているのだから。
だが、今はそれも非難されるようになり、最近は大物スター達も慎み深さをアピールするようになった。
しかし、有名な評論家の宇野常寛氏が対談書で、「(インターネットの発達により)個人での発信が平易になると、個人間の才能の開きが露骨に見えるようになった」と述べられていた通りである。
まあ、宇野氏は、才能がない者でも、作品を発表して楽しくやっている人達がいるといったことも言われていたと思うが、才能がない人の作品は、見てもらえるのは、ほとんど仲間内だけだろう。
最近は、動画配信が簡単になったせいと思うが、路上ライブをやる人が少なくなったが、路上ライブも、大半の才能がない人達のものは、言っては悪いが騒音でしかない。
ほとんどの人間には、大した才能はないのだ。
インターネットの発達は、それを冷酷に突きつけてくる。
だが、才能がないと幸福になれない訳ではない。
そりゃ、才能がなければ、金持ちや有名人にはなれないが、それは人生の満足に必ずしも関係しない。
とはいえ、天才でなければ、妄想でないヒーロー、ヒロインの気分には浸れないのだ。
そして、それがどうしても嫌だという人もいる。
生まれつきの才能には恵まれていないのに、凡人の群れに居るのは嫌だという困った人である。
いわゆる「一生中2病」というやつだ。
天才の「一生中2病」は素敵だが、凡人の「一生中2病」は滑稽で哀れである。
ラ・マルセイエーズを作ったのは、素人音楽家で、天才ではないと言われている。
しかし、そうではない。
この名曲を作った職業軍人は天才なのだが、普段は、その才能を発揮出来なかっただけである。
では、「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか?
出来れば、中2病をやめることだ。実際は、それしか、まともな道はない。
それが駄目なら、いつも念仏を称えるか、聖書や仏典、あるいは、バガヴァッド・ギーターをいつも読むことだ(どれか1つで良い)。
それで自分が消えれば、望む形でないにしろ、不思議な才能が現れるかもしれない。
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