ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

手塚治虫

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自分の駄目さ加減も思い知るべき

宮崎駿の『君たちはどう生きるか』というアニメ映画を私は見ていないし、「百万円やるから見ろ」と言われても絶対見ない。一千万円なら、嫌々見るかなあという感じだ(笑)。
あの映画の宣伝などで見られる、主人公達のまゆの外側が吊り上がった真剣な顔つきを見ると、私は心からゾッとする。
それに現れているのは、
「頭が悪い権力者が思想の押し付けをする気満々」
でしかないように思えるからだ。

宮崎駿は何度も引退を宣言しながらいつも復帰し、若い人が革新的な作品を作ることを邪魔した業の深い人間であると思う。
そりゃ、宮崎は才能もあったし、努力もしたのだろうが、たまたま大成功したことで大きな勘違いをしてしまったのだろう。
大成功とは言っても、スタジオジブリは経営的には破綻しており、沢山の人を不幸にしているのだと思う。
そして、ジブリの成功は鈴木敏夫という天才プロデューサーに負うところが大きい。鈴木がいなければ、何も起こらなかった。
そんなジブリを傾かせたのは宮崎だろう。
宮崎の勘違いとは、自分は真理を語るに足る人間だと思ってしまっているということだ。
宮崎は職人としては超一流で、巨匠と呼ぶに相応しいのだが、あくまで職人である。
これは、庵野秀明も同じで、2人とも、それほど頭の良い人ではないと思う。
無論、普通の人の中ではそこそこ賢いのだと思うが、分を超えたら滑稽なレベルだ。そして、彼らは分を超えている。
そもそも、あまり賢くないから、大衆に受ける作品を作れるのだと思う。
そして、彼らの職人としての才能をうまく引き出せる人がいたのが、彼らの幸運だったに違いない。

宮崎や庵野のように、自分が哲学者だと勘違いした雰囲気がないのが手塚治虫だと思う。
手塚は本当に天才なのだが、彼は心に悪魔のようなものを飼っていて、その悪魔のようなものが彼の能力を抑え込んでいた。
だから、彼は大衆受けするものが作れたのだと思う。
彼の作品を見る限り、天才の閃きのようなものは感じるが、それほど優秀な人の創作物とは思えない。
しかし、だから売れたのである。
ところが、彼には売れない時期があった。
あるいは、後輩漫画家に「負けた」とはっきり認めたこともあった。だが、その後輩漫画家の名は、今や誰も知らない。
なぜ、そんなことが起こったのかというと、彼の中の悪魔が弱くなって彼の能力を抑える力も弱くなり、彼が天才に戻っていったからだ。
大衆は天才の作品を求めてなどいないのだ。
極端な言い方をすれば、手塚や宮崎や庵野がある程度馬鹿だから大衆は彼らの作品を受け入れるのである。大衆は馬鹿だからだ。

手塚は、後輩漫画家に負けたと認める知性があるところは、宮崎や庵野に優ると思う。
手塚は、自分の駄目さ加減をよく分かっていたに違いない。

『俺だけレベルアップな件』というアニメに、最上真(もがみしん)という完璧なエリートが登場する。
国内最大手ギルド(企業の一種)代表(社長のようなもの)で、「人類最終兵器」と呼ばれる超一流のハンターでもある。
その最上が、主人公の水篠旬(みずしのしゅん)に軽く無視されて面目を失った際、「どうやら私は自惚れていたようです」と言い、部下に婉曲(露骨にならないよう遠まわしに言うこと)にだが、自分が水篠旬に劣ることを指摘された時、「人類最終兵器などと言われてチヤホヤされていることが恥ずかしい」と言うのを見て、私は清々しいものを感じるが、現実にはあり得ない話だろうと思う。

エマソンが言うように「無謀なまでに自分を信じる」ことも大切だが、手塚治虫や最上真のように、自分の駄目さ加減を思い知ることも必要だ。
エマソンの『自己信頼』が、やや押しつけがましく感じるのは、エマソンも自分の駄目さを知っているからだろう。
エマソンは、大衆を戒めるようなフリで、実は自分を戒めている。それで表現が厳しくなるのだと思う。

I am owner of the sphere,
Of the seven stars and the solar year,
Of Caesar's hand, and Plato's brain,
Of Lord Christ's heart, and Shakespeare's strain.

私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者
~エマソン『歴史』(エッセイ)の冒頭の詩より。訳は『精神について』(入江勇起男訳)より~


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)僕は漫画家(手塚治虫)
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン) ※『自己信頼』含む
(4)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video

乙女の肖像
AIアート1524
「乙女の肖像」
Kay

妄想の大切さ

金持ちにお金を得る方法を聞くのは馬鹿なことだと思うことがある。
多くの金持ちは、「金を稼ぐのは簡単。何をやっても入って来るじゃないか」と言い、どうも本当にそう思っているらしい。
同じく、モテる人にモテるようになる方法を聞くのも的外れかもしれない。
モテる人はどうしたってモテるし、あるいは、ごく当たり前の方法でモテているかだ。たとえば、男の場合であれば、数多くの女性に声をかけたり、小まめであったり、女性であればまっとうなことで自分に磨きをかけたりだ。
私は、小学5年生の時にモテまくったことがあるが、その時悟ったモテる秘訣は、自分はモテるという自信を持つことだった。
とにかく、当時の私は、自分は特別なんだ、自分はモテて当然なんだという、妙な、根拠のない自信があった。
これは、モテることだけでなく、金儲けでも、その他の引き寄せ的なことでも同じと思う。
ただ、根拠のない自信を持つために、「私は金持ちだ」「私はモテる」といったアファーメーションをするのは効率が悪いと思う。
よほどの時間やれば、うまくいくと思うが、私はそれほどやれたことはない。
アファーメーションでいくなら、スピリチュアル界隈で199式と呼ばれる「なぜか分からないがモテる」といったような、「なぜか分からないが」を頭につけたり、「私はモテて当たり前なんだ」と後ろに「当たり前」「当然」と付けると良いだろう。
当たり前と思うことしか引き寄せられないのが引き寄せの大原則だからだ。

『荘子』の中に、アイタイダという異常にモテる男の話がある。
これが、非常にブ男で能力もない、どこにも取り柄(とりえ。長所)が見当たらないような男であるが、どんな女にも男にもモテる。男にモテるといっても昨今でいうLGBTQ的なことでなく、男惚れするという意味だ。
だが、彼はモテようとは全く思っていないし、また、モテるという自覚もないのかもしれない。
ではなぜ、彼がそんなにモテるかというと、彼が無為自然であるからだ。
自然の天性のまま生きているのであるが、それは、自然に逆らう自分がないからだ。
つまり、簡単に言えば、余計な思考をしないのである。
なるほど、これなら究極的にモテるが、なかなかこの境地には行けないかもしれない。しかし、これが一番簡単なこととも言える。

そういえば、私がモテた時の、根拠のない自信は自分ででっち上げたものだと言えるかもしれない。
『君は僕をスキになる』(1989)という邦画にモテる男が登場し、イケメンだからモテるというのもあるが、多分、映画スタッフはモテる男の研究をしたのだと思えるほど、自然にモテる。このモテる男が「思い込みってのは大切だ」と言う。
全くそうだが、思い込むのも難しい。
私の場合は、こんなことを利用した。
今はそんなことはないだろうし、昔としても一部ではあったと思うが、外人タレントの男性がやたらモテた時代があった。
タレントでなくても、ちょっとイケメンの白人男性でもモテるように見えた。
私はなぜか、自分がそんな白人の男であると思い込むことが出来た。
そして、「だからモテる」という、全く何の根拠もない法則的なものが自分の中にあったのだと思う。
全く滅茶苦茶だが、ご存じかもしれないが、私は、子供の時から、キリスト級の奇跡を起こすことが出来た。
それも、なぜか自分には出来るという、全く何の根拠もない自信から来るものであったと思う。
ある意味、妄想力とも言えるが、確かに、学校やテレビや一般社会は、そんな妄想を叩き壊すので、ほとんどの人は奇跡を起こせない。
まあ、妄想だらけでも駄目だろうが、妄想は大切である。

2011年に、兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館で、
『第53回企画展 osamu moet moso feat.いとうのいぢ ニュース 企画展』
という企画展が行われたが、これは、多くのクリエイター達が手塚作品を妄想して創作するという素晴らしいものだった。
私も行ったが、当時、『涼宮ハルヒ』シリーズや『灼眼のシャナ』でブレークしたイラストレーターのいとうのいぢさんや、初音ミクをデザインしたKEIさんその他の大勢の人気クリエイター達が、手塚作品をリクリエイト(再生)していた。
手塚治虫は自分のことを「誇大妄想的突発性錯乱症」と言っていたらしい。彼は医学博士でもあるから、真面目に言ったのだと思うし、私は納得出来る。
妄想は大切である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)君は僕をスキになる [DVD](山田邦子、斉藤由貴)
(2)ぼくは漫画家(手塚治虫)
(3)I.L 手塚治虫文庫全集(手塚治虫)
(4)新釈 荘子 (PHP文庫)

乙女の肖像
AIアート1500
「乙女の肖像」
Kay

魔法は誰でも使える

私は中学1年生の時、ウォルター・アーネスト・バトラー(1987~1977)の『魔法入門』を読み、この著者の魔法の定義が「精神に自在に変革を起こす技術」だということを知ったが、これがかなり衝撃的だった。
つまり、魔法現象を起こすのは精神の力であり、精神操作が出来れば、魔法を使えるという理屈になる。
現代では、ほぼ世代を問わず(相当な高齢の場合は別だが)、「魔法少女」アニメ等により多少の魔法の概念があるが、魔法の原理にまで触れる作品はなかったと思う。
ゲーテの『ファウスト』では、ファウストは悪魔と契約することで、若返るなどの魔法の恩恵は得るが、魔法を使うのはもっぱら悪魔だ。ファウストも魔法の研究はしていたが、成果は芳しくなかったと思う。
ところが、私は、やはり中学1年生の時、H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』を読んだが、ここでは、万能の魔法の力と人間の意識との関係について示唆するところがあった。
H.G.ウェルズは『宇宙戦争』や『タイムマシン』の作者として知られる歴史的なSF作家であったが、若い頃は科学ジャーナリストとして活躍しており、日本では科学者として紹介されていた。
アメリカを代表する現代作家のカート・ヴォネガットや、イギリスの世界的作家であるコリン・ウィルソンは、ウェルズをSF分野を超え、最高の作家と言っていた。
『ヒューマノイド』(1948)の著者で、私も大好きなSF作家のジャック・ウィリアムスンは、12歳まで学校に行かず、20歳で学校をやめたが、H.G.ウェルズの研究により、コロラド大学ボルダー校から英文学の博士号を得ている。
これほどの作家であるウェルズが『奇跡を起こせる男』で、魔法と言って差し支えない奇跡の力を惜しみなく描写した。
ただ、魔法の使い手が、平凡な30歳の男で発想力が乏しいので、起こす奇跡もぱっとしない。
物を空中に浮かせたり、ローソクに火をつけたり、灰皿を金魚鉢に変えたり、マッチを出現させたり、朝食にアヒルの卵を出したりと、本当にショボいが、それでも、あり得ない奇跡である。
自分に詰め寄ってきた警官を地獄に送ったこともあるが、それは咄嗟にやったことで、その奇跡を起こせる男も、地獄とは本当は何でどんなところかは全く分からない。

中学1年生と言えば、私はとっくに奇跡を起こし慣れていた頃だが、『奇跡を起こせる男』で描かれるような即物的な奇跡はあまり起こしたことがないので、当然、興味を持ってやってみたが、そうしたら、出来るとは思うが、心の奥で制止する力が働くのを感じた。
そんな制止する力が働く理由は、手塚治虫の漫画『ユフラテの樹』を読んでピンときた。
この漫画では、リンゴに似たユフラテの樹の実を食べることで、3人の中学生(男2女1)が、『奇跡を起こせる男』並の力を得る。
ところが、この中の1人の少年が、人を殺してしまうが、奇跡の力を使えば、それは容易い。
私の場合、そんなことが出来ないよう、ストッパーがかかるのだと思えた。
『奇跡を起こせる男』でも『ユフラテの樹』でも、強大なる力を持つには円熟を伴う精神の進歩が必要であることが強く示唆されている。
だが、イエス・キリストも言ったように、奇跡の力は誰でも使える。
その原理は、マイケル・タルボットの『投影された宇宙』に書かれているが、今日で言えば、この世界が、コンピューターゲームのような仮想世界であるとするシミュレーション仮説でかなりはっきり分かると思う。
つまり、奇跡も魔法も可能で、どちらかというと、人間には、それを行使する権利がある。
しかし、そのために必要なこともあるのである。
だが、まずは、上記の作品を読んで、発想を広げておくと良いだろう。
後は、思考を消しさえすれば良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)タイム・マシン ~ウェルズSF傑作集~(H.G.ウェルズ)※『奇跡を起こせる男』含む
(2)ユフラテの樹(手塚治虫)
(3)ファウスト(一)(ゲーテ)
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(5)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待(マイケル・タルボット)
(6)この世に不可能はない(政木和三)
(7)トーチェ氏の心の法則(トーチェ夫妻)

待ち合わせ
AIアート1219
「待ち合わせ」
Kay

経験・キャリアに大した意味はない

スポーツでも武道でも音楽でも、キャリアを積んで実力をつけるのではない。
思考を消すことで実力をつけるのである。
「キャリア20年のベテラン」とか言っても、その者がコツとか金科玉条としているものは、案外に駆け出しの頃に身につけたものである。
キャリアがそんなに良いものなら、大ベテランが若い選手に勝つはずだが、やはり、若くて力がある方が勝つことが圧倒的である。
人気漫画家も、代表作は20代の時に書いており、石ノ森章太郎氏の、今でも映像化される代表作『サイボーグ009』や『仮面ライダー』がまさに20代の時の作品で、音楽家でも、坂本龍一氏の代表作は、やはり20代の時に作った『BEHIND THE MASK』である。
これは、20代の時の感性が高度であるということもあるが、彼らは何らかの理由で、若い時に思考を消すことが出来たのである。
だが、歳を取り、地位も名誉も得ると、なかなか思考を消せない。
それでも、自分が一音楽家、一漫画家であるという自覚があれば、歳を取っても思考を消して(即ち無になって)良い作品を作るが、やはり、偉くなると、考えることも多くなり、若い時ほどのことは出来ないのである。
手塚治虫氏がある程度の年齢になって『ブラックジャック』のような傑作を書けたのは、その頃、手塚氏は他の漫画家の台頭で見向きもされなくなったり、あまりに多忙だったり、また、その他の手塚氏の独特の思想性などが重なり、思考を消すことが出来たのである。
手塚氏は実に複雑で個性的な人物で、極端に思考することと思考を消すことを繰り返していたことが、彼の自伝的著書を見ても感じる。

一指も万物
AIアート113
「一指も万物」
Kay


ところで、武道で、歳を取って思考を消すことが出来れば老達人になるが、実際は、恰好だけ無になったフリをしているが、内実は我の塊(つまり、思考が多い)である者が多く、そんな者は力のある若い者に全く敵わない。
こういったこともまた、思考を消す(無になる)ことの価値が認められない原因になってしまっているので困ったものである。
一方、本物の武道家であった塩田剛三や佐川幸義は老齢になっても思考を消すことが出来、ずっと達人であった。
だが、ビジネスや工芸などの世界でよくあるように思うが、歳を取って思考を消す術を見い出して力をつけた者に対し、それが経験の力であるかのように言われたり、本人すらそう思っている場合がよくあるのが残念である。

情熱や修行を否定するのではなく、基礎は大事であるが、逆に言えば、基礎が出来ていれば、思考を消すほど力は果てしなく高くなる。
確かに、10年20年やっているのに基礎がさっぱりという者もいるが、それは、そもそも熱意がなく・・・というよりは、好きなことをやっていないことが原因だ。
一方で、「こいつ、思考さえ消せば無敵なのだが」という者は多いのである。
だが、金銭欲、名誉欲に囚われると、無への扉・・・つまり、思考を消すことから遠ざかってしまう。
とはいえ、「私は誰か?」と自分に問えば思考を消すことが出来ることが確実であることは分かっている。
だが、これを出来ない者が多いのである。
あるいは、肝心の「私は誰か?」の問いや探求に励まず、「私は誰か?」を思想的、哲学的に考えたがるのは自我(これが思考の塊である)が強い者に多い。
それこそ、余計な思考をせずに、ただ問えば良いのにである。

とはいえ、こんな簡単なことが分からない者が多いし、ある程度分かっていても、十分に「私は誰か?」と問えない者が多い。
悪霊なのか、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の影響なのかは分かり難いが、人間が思考を消し、神のようになることを強力に邪魔する何かはあるように思える。
それに打ち勝つ機会に恵まれた者は幸いであり、歳を取ってもそうあり続けることが必要であるが、現代人でそれが出来る者は稀である。








お金を引き寄せられない本当の理由

手塚治虫の『バンパイヤ』という作品の中で、クールな極悪人ロックは、 お金というものを見たことがないトッペイという名の少年に十円硬貨を渡して言う。
「これを沢山集めた者が勝ちなんだ」
これを読む読者は、全面的ではないにしろ、いくらかは同意するだろう。
全面的に否定する者は、まず、いないと思う。
ところが、面白いのは、ロックが言うことが正しいかどうかの判断がつかないはずのトッペイが、否定はしないながらも、怯えた表情をすることだ。
まさに、トッペイは、読者の心情を反映して見せているのである。
お金を沢山得た者が勝ちだと、信じたくはないが、否定も出来ないという苦しい気持ちを、読者はトッペイの表情に見るのである。
同時に、トッペイの反応は、お金が一番大切なものではないということも示しているのである。
実際、誰もが、お金が一番大切だとは思っていない。
たとえ口では「お金ほど大切なものはない」と言う者ですら、心の底からそう思っているわけではない。
お金が一番ではないことは、お金を一度も見たことがないトッペイですら分かることだと、手塚治虫は言いたいのだろうと思う。

だが、お金が一番大切なものではないことが、本当にはっきり分かるのは、お金の良さと悪さをたっぷり味わってからのことだろう。
ある経営者が「お金の苦労は知らない方が良い」と言っていたが、その経営者は、お金で苦労しており、それもあって、現時点では、お金の価値を非常に高く評価していると思う。
そんな時期があるからこそ、ずっと後で、「お金はそれほど大切なものではない」と分かる可能性がある。
早い話が、「お金の苦労は知らない方が良い」とあえて言うのは、「お金の苦労は知っておいた方が良い」と分かっているから言うのである。
ただし、自分の子供には、そんな苦労はして欲しくないといったところから、そんな言葉が出て来てしまうのだろう。

だが、お金の苦労を知らないと、きれいごとばかり言うようになる。
邱永漢という有名な事業家が、「地元で商売をするな」と本に書いていたことがあった。
どういうことかと言うと、金儲けというのは、地元では出来ないような、恥ずかしい面があるということだ。汚いとは言わないが、きれいごとでは済まないことが多いのである。邱永漢は、そんなことを嫌というほど知っているのだ。
じゃあ、地元で商売をして成功している人がいないかというと、そんなことはない。だが、そんな人だって、馬鹿でない限り、何らかの後ろめたさは感じている。
世界2位の富豪ジェフ・ベゾスは、アメリカ全部が地元のようなもので、Amazonでアメリカ中の小売店を潰してしまったが、一方で人類文化を大きく向上させたのである。だが、普通の人なら、膨大な数の、不幸にしてしまった人達に対する後ろめたさに耐えられない。ベゾスだって、良い面がなければ平気ではないだろう。
ずっと長く世界一の富豪だったビル・ゲイツも、自分の会社が作ったパソコン用OSを全世界に圧倒的に普及させることで、もっと良いOSを潰してしまったことは分かっているだろう。とはいえ、全ての人がコンピューターを所有し、便利に活用して、仕事や学習や生活の質を、以前は誰も想像しなかったほど向上させたのも確かで、その点は、ゲイツほどうまくやれる人はいなかったと思える。
世界一の富豪イーロン・マスクは、最近、政治的な活動が目立つが、それはまさに、正義のヒーローのような行いだ。
マスクは、少年時代に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、人類を救う使命に目覚めたというが、それがあるからやってこれたのであり、これからもやっていけるのである。
あまり言ってはならないのかもしれないが、ヤクザやマフィアは、当然、悪い面もあるが、儲けているなら、普通の人や団体では不可能な大きな善も成しているのである。
規模に関わらず、金儲けには、それに見合う善を行う必要があるのである。

引き寄せの本や自己啓発の本にはよく、お金に対する悪いイメージがあるからお金を得られないのだといったことが書かれている。
だが、お金や、お金儲けには、悪い面、恥ずかしい面も、事実としてある。
それを埋め合わせる善を持てば持つほど、得られるお金の規模も大きくなる。
サラリーマンの場合は、せいぜい、自分や家族が、人様に迷惑をかけないという善の分だけのお金が得られるのである。
ほとんどの引き寄せの本には、そんなことが書かれていないので、読んでもお金を引き寄せることが出来ない者が多いのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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