スポーツでも武道でも音楽でも、キャリアを積んで実力をつけるのではない。
思考を消すことで実力をつけるのである。
「キャリア20年のベテラン」とか言っても、その者がコツとか金科玉条としているものは、案外に駆け出しの頃に身につけたものである。
キャリアがそんなに良いものなら、大ベテランが若い選手に勝つはずだが、やはり、若くて力がある方が勝つことが圧倒的である。
人気漫画家も、代表作は20代の時に書いており、石ノ森章太郎氏の、今でも映像化される代表作『サイボーグ009』や『仮面ライダー』がまさに20代の時の作品で、音楽家でも、坂本龍一氏の代表作は、やはり20代の時に作った『BEHIND THE MASK』である。
これは、20代の時の感性が高度であるということもあるが、彼らは何らかの理由で、若い時に思考を消すことが出来たのである。
だが、歳を取り、地位も名誉も得ると、なかなか思考を消せない。
それでも、自分が一音楽家、一漫画家であるという自覚があれば、歳を取っても思考を消して(即ち無になって)良い作品を作るが、やはり、偉くなると、考えることも多くなり、若い時ほどのことは出来ないのである。
手塚治虫氏がある程度の年齢になって『ブラックジャック』のような傑作を書けたのは、その頃、手塚氏は他の漫画家の台頭で見向きもされなくなったり、あまりに多忙だったり、また、その他の手塚氏の独特の思想性などが重なり、思考を消すことが出来たのである。
手塚氏は実に複雑で個性的な人物で、極端に思考することと思考を消すことを繰り返していたことが、彼の自伝的著書を見ても感じる。
AIアート113
「一指も万物」
Kay
ところで、武道で、歳を取って思考を消すことが出来れば老達人になるが、実際は、恰好だけ無になったフリをしているが、内実は我の塊(つまり、思考が多い)である者が多く、そんな者は力のある若い者に全く敵わない。
こういったこともまた、思考を消す(無になる)ことの価値が認められない原因になってしまっているので困ったものである。
一方、本物の武道家であった塩田剛三や佐川幸義は老齢になっても思考を消すことが出来、ずっと達人であった。
だが、ビジネスや工芸などの世界でよくあるように思うが、歳を取って思考を消す術を見い出して力をつけた者に対し、それが経験の力であるかのように言われたり、本人すらそう思っている場合がよくあるのが残念である。
情熱や修行を否定するのではなく、基礎は大事であるが、逆に言えば、基礎が出来ていれば、思考を消すほど力は果てしなく高くなる。
確かに、10年20年やっているのに基礎がさっぱりという者もいるが、それは、そもそも熱意がなく・・・というよりは、好きなことをやっていないことが原因だ。
一方で、「こいつ、思考さえ消せば無敵なのだが」という者は多いのである。
だが、金銭欲、名誉欲に囚われると、無への扉・・・つまり、思考を消すことから遠ざかってしまう。
とはいえ、「私は誰か?」と自分に問えば思考を消すことが出来ることが確実であることは分かっている。
だが、これを出来ない者が多いのである。
あるいは、肝心の「私は誰か?」の問いや探求に励まず、「私は誰か?」を思想的、哲学的に考えたがるのは自我(これが思考の塊である)が強い者に多い。
それこそ、余計な思考をせずに、ただ問えば良いのにである。
とはいえ、こんな簡単なことが分からない者が多いし、ある程度分かっていても、十分に「私は誰か?」と問えない者が多い。
悪霊なのか、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の影響なのかは分かり難いが、人間が思考を消し、神のようになることを強力に邪魔する何かはあるように思える。
それに打ち勝つ機会に恵まれた者は幸いであり、歳を取ってもそうあり続けることが必要であるが、現代人でそれが出来る者は稀である。
思考を消すことで実力をつけるのである。
「キャリア20年のベテラン」とか言っても、その者がコツとか金科玉条としているものは、案外に駆け出しの頃に身につけたものである。
キャリアがそんなに良いものなら、大ベテランが若い選手に勝つはずだが、やはり、若くて力がある方が勝つことが圧倒的である。
人気漫画家も、代表作は20代の時に書いており、石ノ森章太郎氏の、今でも映像化される代表作『サイボーグ009』や『仮面ライダー』がまさに20代の時の作品で、音楽家でも、坂本龍一氏の代表作は、やはり20代の時に作った『BEHIND THE MASK』である。
これは、20代の時の感性が高度であるということもあるが、彼らは何らかの理由で、若い時に思考を消すことが出来たのである。
だが、歳を取り、地位も名誉も得ると、なかなか思考を消せない。
それでも、自分が一音楽家、一漫画家であるという自覚があれば、歳を取っても思考を消して(即ち無になって)良い作品を作るが、やはり、偉くなると、考えることも多くなり、若い時ほどのことは出来ないのである。
手塚治虫氏がある程度の年齢になって『ブラックジャック』のような傑作を書けたのは、その頃、手塚氏は他の漫画家の台頭で見向きもされなくなったり、あまりに多忙だったり、また、その他の手塚氏の独特の思想性などが重なり、思考を消すことが出来たのである。
手塚氏は実に複雑で個性的な人物で、極端に思考することと思考を消すことを繰り返していたことが、彼の自伝的著書を見ても感じる。
AIアート113
「一指も万物」
Kay
ところで、武道で、歳を取って思考を消すことが出来れば老達人になるが、実際は、恰好だけ無になったフリをしているが、内実は我の塊(つまり、思考が多い)である者が多く、そんな者は力のある若い者に全く敵わない。
こういったこともまた、思考を消す(無になる)ことの価値が認められない原因になってしまっているので困ったものである。
一方、本物の武道家であった塩田剛三や佐川幸義は老齢になっても思考を消すことが出来、ずっと達人であった。
だが、ビジネスや工芸などの世界でよくあるように思うが、歳を取って思考を消す術を見い出して力をつけた者に対し、それが経験の力であるかのように言われたり、本人すらそう思っている場合がよくあるのが残念である。
情熱や修行を否定するのではなく、基礎は大事であるが、逆に言えば、基礎が出来ていれば、思考を消すほど力は果てしなく高くなる。
確かに、10年20年やっているのに基礎がさっぱりという者もいるが、それは、そもそも熱意がなく・・・というよりは、好きなことをやっていないことが原因だ。
一方で、「こいつ、思考さえ消せば無敵なのだが」という者は多いのである。
だが、金銭欲、名誉欲に囚われると、無への扉・・・つまり、思考を消すことから遠ざかってしまう。
とはいえ、「私は誰か?」と自分に問えば思考を消すことが出来ることが確実であることは分かっている。
だが、これを出来ない者が多いのである。
あるいは、肝心の「私は誰か?」の問いや探求に励まず、「私は誰か?」を思想的、哲学的に考えたがるのは自我(これが思考の塊である)が強い者に多い。
それこそ、余計な思考をせずに、ただ問えば良いのにである。
とはいえ、こんな簡単なことが分からない者が多いし、ある程度分かっていても、十分に「私は誰か?」と問えない者が多い。
悪霊なのか、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の影響なのかは分かり難いが、人間が思考を消し、神のようになることを強力に邪魔する何かはあるように思える。
それに打ち勝つ機会に恵まれた者は幸いであり、歳を取ってもそうあり続けることが必要であるが、現代人でそれが出来る者は稀である。