成功法則や引き寄せの法則では、「目標を具体的に」というものが多い。
例えば、金持ちになりたいと思うだけでは駄目で、「期限」と「金額」を明確にしないといけないと言う。
家が欲しい場合には、場所や広さ、部屋数、間取り、庭や門の様子等を全て明確にし、そのために、理想とする家の写真や絵を飾ることが勧められる。
欲しい彼氏や彼女の外見や性格に関する詳しいことを決めておき、さらには、いつまでに欲しいのか決めろと言われたりする。
そして、そうやって願ったものと、ぴったり、あるいは、ほとんどぴったりのものを、設定した期限通りに得たという話がある。
だが、そういうふうにしたい人、あるいは、そいういうふうにする必要がある願望を除き、普通の人は、もっと適当にやった方が良いと思う。
例えば、20XX年YY月XX日までに一億円得る・・・なんて目標は、ガチガチの左脳思考で、自我的思考だ。
そんな目標を立てると、自我は肥大し、欲望が大きくなり、緊張し、疲れると思う。
まるで、何月何日のダービーで優勝しろと言われた馬や、優勝が義務とされているプロ野球の監督になるようなもので、やってる当人は、絶対に楽しくないし、少なくとも、普通の人にやれることではない。
せっかくの楽しいはずの目標が、具体的な目標を立てると、そんな野球の監督のように、「やらされている」感じになってしまうのだ。
実際、ガチガチの目標の世界に生きている人は、消耗し尽くし、いずれ病気になったり。性格が破綻することが多いのだと思う。そもそもが、大半は失敗するのだ(プロ野球の監督のほとんどは失敗する)。
プロ野球の監督を、一見うまくやっているような人は、超人的な根性があったり、執念めいた意地があったりする特別な人なのだが、そんな人達だって、本当は苦しいのである。お金や名誉のために、そんなことを続けていると、まあ、あまり良いことはないと思う。
そして、おかしいのが、具体的な目標を強調する指導者が、自己暗示や口ぐせの重要性を語る際、マイナスの自己暗示や口ぐせについて、こんなことを平気で言うことだ。
「子供の時、親に『お前は駄目な子だ』『お前は大したことは出来ない』『ほら、失敗するよ』と言われ続けた子は、そんな言葉が潜在意識に入ってしまい、実際に、駄目で、大したことが出来ない、失敗する人間になる」
「お前は駄目だ」「大したことは出来ない」「失敗する」なんて、超抽象的で、少しも具体的ではないじゃないか?
それでも実現すると言っているのである。
全く変な話だ。
良いことは具体的なことが、悪いことは曖昧なことが実現するなんて馬鹿な話は無い。
つまり、曖昧な悪い暗示が実現するなら、曖昧な良い暗示も実現するのだ。
そもそも、アメリカで最高のアファーメーションと言われているものの1つが、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は素晴らしい」
という、実に曖昧で大らかなものなのだ。
これだと、健康に制限をかけず、どこまでも健康であっていいし、豊かさにも制限をかけず、いくら豊かであっても良い。
素晴らしいアファーメーションだ。
曖昧さの欠点があるとすれば、何も考えないこと・・・早い話が、曖昧な目標も立てなくなることであり、そんな人間がいることも確かだ。
「何か面白いことないかなあ」といつも言っているような人間だ。
自分は何をしたいのか、どこに行きたいのかといった目標は持たないといけない。
例えば、ミュージシャンになりたいとか、科学者になりたいとかだ。
しかし、ミュージシャンになりたいと言っても、単に、ギターを弾きながら雑音のような歌を歌っている者も、高校生や大学生などによくいるので、そんな連中を見ると、確かに「目標は具体的に」と言いたくなる気持ちも分かる。
だが、大切なのは、「適当に」「ほどほどに」である。
これに関しては、アインシュタインがうまいアドバイスをしてくれている。
「出来るだけ単純に。だが、限度を超えないように」
目標設定も、具体的にすべき部分も確かにある。
だが、お金が目的なら、「豊か」とか「富裕」としておけば、自分のイメージの範囲で、「豊か」「富裕」な金額が自動設定される。
丁度、子供の時に、親に「お前は駄目なやつだ」と言われた時の駄目が、どれほどの駄目さかは、その時々の自分がイメージ出来る範囲での駄目になるようにだ。
貧乏な人が、いくら「目標一億円」だの「目標年収3千万円」だのと言っても全くピンと来ない。
しかし、単に「私は豊かだ」とアファーメーションをすれば、「借金が返せるだけ」「今、欲しいと思うものが買えるだけ」のお金が入ることが自動的にイメージされ、その言葉を、心で丁寧に数多く繰り返せば、必ず実現する。
アインシュタイン的に言えば、
「目標は明確に。ただし、限度を超えないように」
で良いが、むしろ、
「目標は曖昧に。ただし、曖昧過ぎないように」
に近い。
人間には想像力がある。ある程度は曖昧な目標にし、後は、想像力で広げていくのが良い。
残念なことに、悪い目標の場合には、それをやっている人がすごく多いのである。
それを、良い目標でやれば良いのである。
例えば、金持ちになりたいと思うだけでは駄目で、「期限」と「金額」を明確にしないといけないと言う。
家が欲しい場合には、場所や広さ、部屋数、間取り、庭や門の様子等を全て明確にし、そのために、理想とする家の写真や絵を飾ることが勧められる。
欲しい彼氏や彼女の外見や性格に関する詳しいことを決めておき、さらには、いつまでに欲しいのか決めろと言われたりする。
そして、そうやって願ったものと、ぴったり、あるいは、ほとんどぴったりのものを、設定した期限通りに得たという話がある。
だが、そういうふうにしたい人、あるいは、そいういうふうにする必要がある願望を除き、普通の人は、もっと適当にやった方が良いと思う。
例えば、20XX年YY月XX日までに一億円得る・・・なんて目標は、ガチガチの左脳思考で、自我的思考だ。
そんな目標を立てると、自我は肥大し、欲望が大きくなり、緊張し、疲れると思う。
まるで、何月何日のダービーで優勝しろと言われた馬や、優勝が義務とされているプロ野球の監督になるようなもので、やってる当人は、絶対に楽しくないし、少なくとも、普通の人にやれることではない。
せっかくの楽しいはずの目標が、具体的な目標を立てると、そんな野球の監督のように、「やらされている」感じになってしまうのだ。
実際、ガチガチの目標の世界に生きている人は、消耗し尽くし、いずれ病気になったり。性格が破綻することが多いのだと思う。そもそもが、大半は失敗するのだ(プロ野球の監督のほとんどは失敗する)。
プロ野球の監督を、一見うまくやっているような人は、超人的な根性があったり、執念めいた意地があったりする特別な人なのだが、そんな人達だって、本当は苦しいのである。お金や名誉のために、そんなことを続けていると、まあ、あまり良いことはないと思う。
そして、おかしいのが、具体的な目標を強調する指導者が、自己暗示や口ぐせの重要性を語る際、マイナスの自己暗示や口ぐせについて、こんなことを平気で言うことだ。
「子供の時、親に『お前は駄目な子だ』『お前は大したことは出来ない』『ほら、失敗するよ』と言われ続けた子は、そんな言葉が潜在意識に入ってしまい、実際に、駄目で、大したことが出来ない、失敗する人間になる」
「お前は駄目だ」「大したことは出来ない」「失敗する」なんて、超抽象的で、少しも具体的ではないじゃないか?
それでも実現すると言っているのである。
全く変な話だ。
良いことは具体的なことが、悪いことは曖昧なことが実現するなんて馬鹿な話は無い。
つまり、曖昧な悪い暗示が実現するなら、曖昧な良い暗示も実現するのだ。
そもそも、アメリカで最高のアファーメーションと言われているものの1つが、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は素晴らしい」
という、実に曖昧で大らかなものなのだ。
これだと、健康に制限をかけず、どこまでも健康であっていいし、豊かさにも制限をかけず、いくら豊かであっても良い。
素晴らしいアファーメーションだ。
曖昧さの欠点があるとすれば、何も考えないこと・・・早い話が、曖昧な目標も立てなくなることであり、そんな人間がいることも確かだ。
「何か面白いことないかなあ」といつも言っているような人間だ。
自分は何をしたいのか、どこに行きたいのかといった目標は持たないといけない。
例えば、ミュージシャンになりたいとか、科学者になりたいとかだ。
しかし、ミュージシャンになりたいと言っても、単に、ギターを弾きながら雑音のような歌を歌っている者も、高校生や大学生などによくいるので、そんな連中を見ると、確かに「目標は具体的に」と言いたくなる気持ちも分かる。
だが、大切なのは、「適当に」「ほどほどに」である。
これに関しては、アインシュタインがうまいアドバイスをしてくれている。
「出来るだけ単純に。だが、限度を超えないように」
目標設定も、具体的にすべき部分も確かにある。
だが、お金が目的なら、「豊か」とか「富裕」としておけば、自分のイメージの範囲で、「豊か」「富裕」な金額が自動設定される。
丁度、子供の時に、親に「お前は駄目なやつだ」と言われた時の駄目が、どれほどの駄目さかは、その時々の自分がイメージ出来る範囲での駄目になるようにだ。
貧乏な人が、いくら「目標一億円」だの「目標年収3千万円」だのと言っても全くピンと来ない。
しかし、単に「私は豊かだ」とアファーメーションをすれば、「借金が返せるだけ」「今、欲しいと思うものが買えるだけ」のお金が入ることが自動的にイメージされ、その言葉を、心で丁寧に数多く繰り返せば、必ず実現する。
アインシュタイン的に言えば、
「目標は明確に。ただし、限度を超えないように」
で良いが、むしろ、
「目標は曖昧に。ただし、曖昧過ぎないように」
に近い。
人間には想像力がある。ある程度は曖昧な目標にし、後は、想像力で広げていくのが良い。
残念なことに、悪い目標の場合には、それをやっている人がすごく多いのである。
それを、良い目標でやれば良いのである。