自分の夢が、本物か妄想かの区別は難しい。
今は、サラリーマンをしているが、いつか、歌手や女優やモデルやミュージシャン、あるいは、プロスポーツ選手や作家や科学者になりたいと言っても、叶う可能性は、ほぼ・・・と言うより、全くないと断言出来る場合が多い。
しかし、確率としては、ほぼゼロだった夢を叶えた人もいるし、商売のために、そんな稀な例をクローズアップする迷惑なやつも多い(笑)。
また、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則や、その他のニューソート(新思想とか光明思想と訳される)の教えによれば、人間は、内なる無限の力を使えば、叶わない夢はないはずである。
だが、ジョセフ・マーフィーの本の中にも、女優になることを夢見ている若い女性に対し、マーフィーが「子供の夢を卒業しなくてはいけない」と嗜める話もある。
ところで、こんな話もある。
「叶う叶わないは問題ではない。これは生き甲斐であり、この夢があるから、辛い人生を生きていられる」
思わず納得しかけるが、言ってる本人は、その夢が叶わないとは思っていない場合がほとんどだ。
30歳近くにもなって、実業団チームのトップというわけでもないのにプロサッカー選手になるとか、40歳も過ぎてミュージシャンになるため、毎晩、ギターを弾いて近所迷惑になっているとか。
そして、そんな夢を本気で追って、人生を無駄にしてしまうことも多いのである。つまり、やるべきことをせず、無駄なことに時間やお金を使ってしまうのである。
本物の夢と子供の夢(妄想の夢)との違いは、現状認識の違いと言って良い。
たとえば、いい歳をしてミュージシャンになりたいと本気で思っている人は、単に、現実が見えていないだけだ。
傍から見れば、絶対に無理だと一目瞭然であるが、そんな傍の人も、優しいというのではなく、わざわざ反発を食らうのも面倒だしシンドいので、「まあ、頑張れよ」とお茶を濁す(いい加減な言葉で誤魔化す)のであるが、言われた馬鹿は(笑)、「ああ、頑張るよ」と真顔で応えて見放されるのである。
ただ、そんなミュージシャンを夢見る精神的幼児も、実際にオーディションに言ったり、プロダクションに売り込みに行ったりすれば、すぐに現実が見えるのに、それをせず、動画を投稿していれば、いつか注目されて・・・とか思っているのだが、積極的な行動に出ないのは、実際のところ、本人も自分には無理だと分かっているからである。
また、ミュージシャンを目指して、現実的に挑戦する若い人も、諦めるのが遅い人が多いのではと思う。
30歳くらいでやっと諦め、まともな社会人になろうとしても、その歳ではなかなか厳しい。本当は25歳までに諦めるべきだったのだ。
「いや、30歳近く、あるいは、それ以上で成功したミュージシャンもいる」と言っても、それは才能がある人の話だし、ある程度やれば自分に才能がないくらい気付かないといけない・・・のだが、なかなか気付かないと言うより、認めないものなんだなあ(笑)。
こんな事実を知っておくと良いと思う。
「成功した人は、たまたま成功したのだ」
これは、もう絶対に本当だ。
ミュージシャンの才能があるのに、ミュージシャンになれなかった人なんていくらでもいる。そんな人は「たまたま成功する」ということがなかっただけだ。
私は、アインシュタイン並の天才で、普通の事務員や労働者をやっている人なんて、いくらでもいると思う。
アインシュタインだって、「たまたま」がなければ、やっぱり、埋もれたまま一生を終わったのだ。
正直な成功者は、全員が、「私が成功したのはたまたまだ」と言うのだ。
そう言わない不正直な成功者も多いし、あるいは、自分がたまたま成功したことを自覚していない成功者も少なくないかもしれない。
自分に「たまたま」が来そうにないと分かったら、諦めることだ。
だが、「たまたま」を呼ぶことは出来る。
「たまたま」とは、いわば、「神に(あるいは天に)選ばれる」ということだ。
なら、神に(天に)選ばれるような者になれば良いのである。
どうすれば・・・って、そんなこと、分からないはずがないじゃないか?
そんなことを教えてもらおうなんて者は、決して選ばれない。私はそう思う。
今は、サラリーマンをしているが、いつか、歌手や女優やモデルやミュージシャン、あるいは、プロスポーツ選手や作家や科学者になりたいと言っても、叶う可能性は、ほぼ・・・と言うより、全くないと断言出来る場合が多い。
しかし、確率としては、ほぼゼロだった夢を叶えた人もいるし、商売のために、そんな稀な例をクローズアップする迷惑なやつも多い(笑)。
また、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則や、その他のニューソート(新思想とか光明思想と訳される)の教えによれば、人間は、内なる無限の力を使えば、叶わない夢はないはずである。
だが、ジョセフ・マーフィーの本の中にも、女優になることを夢見ている若い女性に対し、マーフィーが「子供の夢を卒業しなくてはいけない」と嗜める話もある。
ところで、こんな話もある。
「叶う叶わないは問題ではない。これは生き甲斐であり、この夢があるから、辛い人生を生きていられる」
思わず納得しかけるが、言ってる本人は、その夢が叶わないとは思っていない場合がほとんどだ。
30歳近くにもなって、実業団チームのトップというわけでもないのにプロサッカー選手になるとか、40歳も過ぎてミュージシャンになるため、毎晩、ギターを弾いて近所迷惑になっているとか。
そして、そんな夢を本気で追って、人生を無駄にしてしまうことも多いのである。つまり、やるべきことをせず、無駄なことに時間やお金を使ってしまうのである。
本物の夢と子供の夢(妄想の夢)との違いは、現状認識の違いと言って良い。
たとえば、いい歳をしてミュージシャンになりたいと本気で思っている人は、単に、現実が見えていないだけだ。
傍から見れば、絶対に無理だと一目瞭然であるが、そんな傍の人も、優しいというのではなく、わざわざ反発を食らうのも面倒だしシンドいので、「まあ、頑張れよ」とお茶を濁す(いい加減な言葉で誤魔化す)のであるが、言われた馬鹿は(笑)、「ああ、頑張るよ」と真顔で応えて見放されるのである。
ただ、そんなミュージシャンを夢見る精神的幼児も、実際にオーディションに言ったり、プロダクションに売り込みに行ったりすれば、すぐに現実が見えるのに、それをせず、動画を投稿していれば、いつか注目されて・・・とか思っているのだが、積極的な行動に出ないのは、実際のところ、本人も自分には無理だと分かっているからである。
また、ミュージシャンを目指して、現実的に挑戦する若い人も、諦めるのが遅い人が多いのではと思う。
30歳くらいでやっと諦め、まともな社会人になろうとしても、その歳ではなかなか厳しい。本当は25歳までに諦めるべきだったのだ。
「いや、30歳近く、あるいは、それ以上で成功したミュージシャンもいる」と言っても、それは才能がある人の話だし、ある程度やれば自分に才能がないくらい気付かないといけない・・・のだが、なかなか気付かないと言うより、認めないものなんだなあ(笑)。
こんな事実を知っておくと良いと思う。
「成功した人は、たまたま成功したのだ」
これは、もう絶対に本当だ。
ミュージシャンの才能があるのに、ミュージシャンになれなかった人なんていくらでもいる。そんな人は「たまたま成功する」ということがなかっただけだ。
私は、アインシュタイン並の天才で、普通の事務員や労働者をやっている人なんて、いくらでもいると思う。
アインシュタインだって、「たまたま」がなければ、やっぱり、埋もれたまま一生を終わったのだ。
正直な成功者は、全員が、「私が成功したのはたまたまだ」と言うのだ。
そう言わない不正直な成功者も多いし、あるいは、自分がたまたま成功したことを自覚していない成功者も少なくないかもしれない。
自分に「たまたま」が来そうにないと分かったら、諦めることだ。
だが、「たまたま」を呼ぶことは出来る。
「たまたま」とは、いわば、「神に(あるいは天に)選ばれる」ということだ。
なら、神に(天に)選ばれるような者になれば良いのである。
どうすれば・・・って、そんなこと、分からないはずがないじゃないか?
そんなことを教えてもらおうなんて者は、決して選ばれない。私はそう思う。