ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

想像力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

安楽に生きる秘訣

引きこもりで、特に能力もない私が、お金や人間関係で苦労することもなく、ロクに、あるいは、全く働かずにのうのうと、どちらかというと贅沢にやっていられるのは、19、20歳の時、少し熱心にジョセフ・マーフィーの本を読んだからだと思う。
よく「マーフィーの法則をやったが効果がなかった」と言う人がいるが、私もそんな感じかもしれない。
しかし、潜在意識の力とか、宇宙の活力とか、いろんな呼び方があるが、見えない全知全能の力が存在することを知っているだけで、全然違うのである。その力の存在を、完全に信じていなくても、頭から否定せず、いくらかでも受け入れていれば、良い作用があると思う。
確かに、マーフィーの話をしても、食って掛かってくるわけではないが、馬鹿にした嘲笑うような態度だったり、いかにも「くだらない」といった反応をする者もいた。しかし、そんな者達は、あまり楽しい人生を送っていないように思うのだ。
沢山のマーフィーの本の中でも、私が一番最初に読み、最も愛読したのは『あなたも幸せになれる』(文庫版は『努力嫌いの成功法』)で、原題は『コズミック・エナージャイザー(宇宙の活力)』である。

「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツは、「神秘を信じない者は想像力がない」と言い、『神曲』の作者である詩人、ダンテ・アリギエーリを「ルネサンス最大の想像力の所有者」と称賛した。
また、やはり想像力で人生を切り開いたアンデルセンも、ダンテの『神曲』を高く評価していた。
イェイツやダンテ、アンデルセンらの作品を読むと想像力が高まると思う。
そして、引き寄せにおいて想像力ほど重要なものはない。
なぜなら、願望が達成された時の気分を想像することが出来れば、叶ったも同然だからである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー)
(2)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(3)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(4)まだらの鳥(W.B.イェイツ)
(5)ケルトの薄明 (W.B.イェイツ)
(6)イェイツ詩集(対訳) (W.B.イェイツ)
(7)神曲 地獄篇(ダンテ・アリギエーリ)
(8)絵のない絵本(アンデルセン)
(9)アンデルセン童話集(上)(アンデルセン。山室静訳)

地上に来た天使
AIアート2087
「地上に来た天使」
Kay

想像力を鍛える

好きな話なので何度か書いたが、それに関するもっと重要な話をする。
元プロ野球選手・監督である中畑清さんが、読売巨人軍の若手選手だった時の話だ。
練習時、長嶋茂雄監督が中畑さんに「調子はどうだ?」と尋ねると、調子が上がらなかった中畑さんは「まあまあです」と答えた。
すると、長嶋監督は、
「馬鹿野郎!こんな時は嘘でも絶好調だと言うんだ」
と激怒し、中畑さんは、
「はい、絶好調です」
と言い直した。
以降、中畑さんは長嶋監督の教えに従い、常に「絶好調」と口ぐせのように言い、彼は「絶好調男」と言われるようになり、実際、大成功した。

この話を知り、野球選手に限らず「絶好調」と呪文のように唱えた人は多いと思う。
しかし、ほとんどが駄目で、さっぱり効果が無かった人が多いと思う。
私は昔、勤めていた会社の、まるで駄目な従業員の男に上の話をし、「絶好調」と言うよう勧めたら、彼は、おどけたガッツポーズと声の調子で「ぜっこうちょー」とヘラヘラと言った。
私は「駄目だ。こいつは完全に腐っている」と見放した。
では、闘志溢れる顔で「絶好調」と力めば良いのかと言うと、その駄目な男よりはマシであるが、やはり成果は期待出来ない。

「絶好調」と言うと共に、絶好調の気分になるまでが自分の責任なのだ。
巷で天国言葉なんて言われることもある「幸せだなあ」「豊かだなあ」と言うのも同じで、幸せな気分、豊かな気分にならないと何も起こらない。
「ありがとう」と言うにしても、ありがたい気分で言わないと、やはり何度言っても駄目である。

では、どうすれば絶好調の気分、豊かな気分になるのかというと、「絶好調」「豊かだ」という言葉を唱えると共に想像力を働かせるしかない。
絶好調な自分、豊かな自分を想像しなければならない。
絶好調な気分、豊かな気分になれば、それが即ち絶好調、豊かなのである。
そして、これが重要なのだが、想像力を高めるには訓練が必要だ。
『燃えよドラゴン』の有名なセリフ「考えるな、感じるんだ」も、訓練せずに出来るわけではない。この認識がないから恩恵を得られない。
この映画で、リーは少年にそう(考えるな、感じろ)言ったが、「それが出来るよう訓練しろ」という意味で言ったことは間違いない。

だが、こう言うと「どう想像すればいいのか?」と言う者がいる。
そこは試行錯誤、創意工夫である。
こう言えば不満に感じる者が多い。これまで、言われたことを言われた通りにやってきただけの者だ。
しかし、それでうまくいくのは、せいぜい学校の試験と受験くらいだ。
だから、お勉強しか出来ない者は何も出来ない。
だが、想像力を働かせ、絶好調の気分、豊かな気分になれば、既に絶好調、豊かなのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)あなたという習慣を断つ(ジョー・ディスペンザ)
(2)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)
(3)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(4)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)

空想する子
AIアート2072
「空想する子」
Kay

夢を叶えるための想像力を取り戻す方法

呼び名はいろいろあるが、「超常現象」、「怪奇現象」、「怪異現象」を体験したことがあるだろうか?
ただ、「ある」と言っても、脳を専門とする医学者や神経学者によれば、それらの大半は、脳が作り出した幻であるらしい。
また、幼い子供の場合、現実と空想の区別がつかないものらしく、お化けや妖精のようなものが本当に見えることがあり、自分の空想が作り出したものを見た記憶によって、「子供の時、お化けを見たことがある」と本当に信じている場合もあるのだと思う。

ただ、子供の「現実に匹敵する」ほどの想像が大人に出来ないのは、進歩ではなく、想像力の低下であることも確かだろう。
そして、ある世界屈指の自己啓発プログラムの中で教えられていることによれば、想像力を磨かないと、能力を拡大させたり、大きな夢を叶えることは出来ないという。
イエス・キリストは、「幼子のようでなければ天国に入れない」と言ったが、これも、「想像力を復活させなければ、私のようになれない」ということで、言い換えれば、「想像力を復活させれば、私のようなスーパーマンになれる」ということであるかもしれない。

そこで、もしかしたら、ルーツは同じなのかもしれないが、想像力を開発するための定番・・・というのもおかしいが、確固とした方法がある。
それは簡単で、このようにやる。
紙に(いまどきだから、スマホやパソコンでも良いのかもしれないが、紙の方が自由度が高い)、欲しいもの、叶えたいことを、出来るだけ沢山書くのである。
ただ、それらを得られる、あるいは、叶えられる可能性を全く考えないこと。
言い換えれば、自分に、無限の能力、無限の資産があるとして、欲しいもの、叶えたいことを書くのである。
これをやっただけで、現状の想像力が判る。
40代以上の人になれば、1つか2つしか書けないかもしれない。
しかも、書けたとしても、非常に「ショボい」ことかもしれない。
例えば、給料アップとか、ダイエットとか、新車とか・・・
「おお!これは素晴らしい」といった夢は、なかなか、あるいは、さっぱり出てこない。
しかし、これを訓練としてやっていれば、だんだん沢山、そして、想像力豊かな夢を思いつくようになる。
数としては、100や200は書けなければならないと思われる。

ただ、書いた願いの中で、不道徳だったり、野蛮だったり、他者を傷付けるようなものは、「良くない」と納得した上で消去した方が良いだろう。
例えば、「隣の奥さんを彼女にする」なんてやつだ(笑)。
まあ、インドの聖者、ラマナ・マハルシによれば、そうなっても気に病む必要はないと言うが、良いことであるとは言っておらず、それなりの反作用はあるはずだ。
ここは、キリスト教の黄金律に則り、相手の立場に立つ・・・即ち、自分がされたくないことはせず、自分がして欲しいことを他者にする・・・の精神があると良いだろう。

また、子供に夢を書かせたら、いわゆる、「子供の夢」・・・つまり、ファンタジー(おとぎ話)でしかない空想の夢を書くことがあるだろう。
しかし、それはそれで良いのである。
上で述べた黄金律に反しない限りは。
それに、大人から見ればフェアリーテール(おとぎ話)でしかなくても、それが実現したことはいくらでもあるし、「空想が現実に追いつかない」ことも珍しくはない。

想像力を磨くと、夢は叶い易くなる。
逆に言えば、想像力がなければ、大した夢は叶わない・・・いや、夢自体を持てない。
この社会は、我々の想像力を抹殺するようになっている。
だから、我々は自主的に想像力を取り戻さなければ、とても惨めな状況に陥るのであり、既に、陥っている。
しかし、いつからでも遅くはない。
早速、上に述べた方法で想像力を蘇らせると良いだろう。













当ブログ著者、KayのAI書。
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子供が持っている武器を壊してしまう親と学校

想像力が欠けていては、大きな成果は望めない。
本当の意味で頭が良いとは、明晰で広い想像力を備えていることである。

例えば、鳥と言われて、3~4種類の鳥と、そのありきたりな姿しか想像出来ない者より、何十種類もの鳥と、その様々な様子を正確・鮮明に想像出来る者の方が、はるかに優秀・・・と言うより、大きな力を持つ。

昔(今もあるかもしれないが)、小学校の国語の試験で、こんな問題があったらしい。

(  )に入る言葉を書け。
小川は(  )流れる

答は「さらさら」でそれ以外は不正解なのだそうだ。
もちろん、これは極端な例で、本当の話ではないかもしれないが、学校とは、このような教育をするところである。
真に優秀な子供とは、上の(  )に、不自然でない言葉を、数多く思い付く子で、百も書けるなら天才である。
本来は、幅広い解答があり得る問題に、疑いもなく、学校の要求通りの答を書く者は、想像力のない馬鹿かもしれない。
つまり、学校秀才は、ある程度、馬鹿でなくてはなれないのである。

想像力を広げるためには、先入観を持たないことだ。
具体的には、好きとか嫌いを決めつけないことである。
こんな子供がいた。
猫が大好きなのだが、「犬も可愛いでしょ?」と言うと、顔をしかめて「犬は駄目!」と言う。
その子の前で猫を褒めると、その子は大喜びで満足するが、犬の美点を指摘したり、犬の映像を見せると、天真爛漫な顔で「犬は良くない」と言う。
実は、その子の父親が、大の猫好きで犬嫌いなのだ。
可哀想に、この子は、いずれ、自分の能力の無さを思い知り、しかも、それがなぜか分からないということになるだろう。
犬に関する想像が完全に欠落しているからだ。

また、動物絡みでいうと、蛇を極端に嫌悪する子がいたが、なぜ嫌いなのかがはっきりしない。普通の子供なら、蛇にだって興味を持つし、美しい蛇を見たら惹かれることもあるはずだ。
しかし、その子は、蛇の写真を見せられたら、嫌がっている訳でもないが、「ぎゃー!嫌い!」と言って、はなから見ようともしない。
実は、この子の母親が、大の蛇嫌いで、その子に、一切の反論を許さず、絶対に蛇は嫌なものだといい続けていたのだった。
この子には、蛇に関して、想像を広げる機会を奪われているのだが、このように、不自然な形で想像が塞がれると、他のことでも同じようになるものである。

愚かな親は、自分の好き嫌いを子供に押し付け、結果、子供の想像する心を壊し、無能にしてしまう。
それは、戦場に行く時、全ての兵士は銃を持たされている中で、一人だけ木刀を持たされるようなものだ。
自分の好き嫌いを子供に押し付ける親は、そのくらい、子供を虐げているのである。

野球やサッカーで、好きなチームがあることは、まあ良いが、そんな必要はどこにもないに関わらず、特定のチームが極端に好きで、他のチームを過度に嫌う者は、人間として力を持たないだろう。スポーツの世界では、そのようなファンが愚かな行為をすることもよくあるが、そんなことをする者達は、様々なことで自分の力のなさに苦しむが、その原因が分からないのである。
なるべく嫌いを無くすこと。
そして、行き過ぎた好きは、決して、純粋な好きではないのだということを悟ること。
それが出来るほど、力は増す。
全てを愛すか、全てに無関心になれば、キリスト並の超能力者になっているだろう。













当ブログオーナー、KayのAI書。
この本では、AIを作るために、数学、プログラミング、難しいAI理論は不要ですが、本当に大切なことが何かを具体的に理解し、実践出来ることを目指しました。
本当に大切なこととは、AIに学習させるデータを適切な形に整えることと、「何を推測させるのか」を正しく決定することです。
それが分かれば、AIは簡単なのです。そのために、非常に分かり易いテーマ(足し算、掛け算)から始め、モンティ・ホール問題、囚人のジレンマなどの面白いテーマを、普通の言葉だけで扱いました。

自分の世界を豊かにするには

「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのW.B.イェイツは、「神秘を否定する人間は想像力がないのだ」と言ったのだと思う。
この神秘とは、例えば、霊的存在や神や妖精といったものであると思う。
だが、この主張に対しては、「それは想像と言うよりは、妄想、幻想だろう?」と言い返すことができ、現代では、この反論を支持する者が、理性的で「まとも」と言うことになるのだろう。
つまり、イェイツの言い方を借りれば、「想像力のない者が主流」なのである。

イェイツをもっと賢く擁護するには、次のような言い方が良いと思われる。
「色盲の人に色彩について説明するのは難しい」
神秘を信じない人というのは、想像力という、五感以外の感覚がないのである。
もちろん、片想いの彼女とキスするくらいの想像は出来るだろうから、多少の想像力はあるのだろうが、高度な想像力がないのである。
色盲の人に色彩について説明するのであれば、いろいろやり方があるだろう。
例えば、色盲の人には区別が付き難い、同じ形の赤い玉と青い玉を、色彩の区別がつく人が楽々と選り分けるのを見せる等だ。
だが、それを見ても、色盲の人が色彩の存在を信じないかもしれない。
その場合は少々厄介で、色彩をどうしても信じようとしない人の思考力を訓練する必要があるかもしれない。
しかし、もっと良いのは、色盲の人が色彩感覚を得ることである。
同じように、神秘を信じない人が霊的知覚を得れば、神秘を信じるようになるだろう。
ところが、霊的知覚というのは、高度な想像力に他ならないのである。

『星の王子さま』の中に、「本当に大切なものは目に見えない」という有名な言葉がある。
これは、言い換えれば、「本当に大切なものは想像力だ」ということである。

初音ミクさんのコンサート映像を初めて見たアメリカの子供達が、「いない人をどうやって好きになるんだい」と言って、ミクさんに声援を送る観客達を異常者扱いしたという話がある。
これは、その子供自身が言ったというよりは、その子は、自分が受けている教育を代弁したに過ぎない。
その教育とは、想像力を破壊する「狂育」である。
存在しないから愛せない?
それなら、死んでしまった家族や友達やペットを愛することは変なことだろうか?
「いや、家族やペットはかつて存在した」と反論するかもしれない。
だけど、その記憶が嘘の記憶でも、ちゃんと「本当に」愛せるではないか?
つまり、「かつて存在したから愛する」のではなく、「心の中で思えるから愛している」のである。
ハムレットやオフィーリアを愛することが、おかしなことでないことを考えれば、簡単に分かることだ。
だが、ジャック・スパロウやヨーダを愛するとなると、少し、「おかしい」ことになってしまう。
それはつまり、世間の権威的格付けに従っているというだけのことだ。
初音ミクさんは、権威的な格は決して高くないかもしれない。
しかし、愛する人にとっては、権威に意味はない。
そもそも、「偏見とは、世間的権威に盲目的に従うこと」なのである。
黒人は劣っている、ロックは若者を堕落させる音楽という考え方が偏見であることを考えれば、簡単に納得できると思う。

我々は想像力という、五感とは別の、そして、五感より高度で精妙な感覚を磨き、高めなければならない。
視覚、聴覚がなかったヘレン・ケラーは、「五感は幻想。idea(観念)が本当」と言った。
このideaは想像力が作るものである。
つまり、世界は想像力が作るのである。
想像力のない人の世界は、狭く、空虚だ。
自分の世界を豊かにするためには、想像力を高めなければならない。
誰もが初音ミクさんを好きになる必要はないかもしれないが、初音ミクさんを愛する人を否定する者の世界は、いかに貧弱であるかは「想像もしたくない」。
ダンテの『神曲』は想像ではあっても、妄想ではない。
あの叙事詩に対し、洗練された想像の光を当てると、高貴で壮大な世界が得られるのである。
想像力のない人間には得られない世界だ。
イェイツはダンテのことを「ルネッサンス随一の想像力の持ち主」と言ったが、想像力のない人間にとっては、ダンテは月の上の岩石・・・つまり、存在しないも同じである。
豊かな世界が欲しいなら、想像力を磨き、高めることだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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