ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

怪傑ゾロ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ヒーロー

『怪傑ゾロ』というアメリカの作家ジョンストン・マッカレーが1919年に執筆した小説は何度も映画化され、世界を変えてきた。
私は、この『怪傑ゾロ』は、小学4年生の時、子供向け版の小説で読んだ記憶しかないが、面白い作品だと思う。
この作品がなぜ、これほどの異常とも言える人気が続くのかと言うと、良くも悪くも、人類が考えるヒーローの原型がここにあるからだと思う。
だから、世界中に、怪傑ゾロタイプのヒーローがいる。
『怪傑ゾロ』は、悪い支配者に虐げられる善良な人々という不条理を見た14歳のドン・ディエゴ・ベガが、自らを鍛えぬき、ゾロ(スペイン語でキツネ)という名のヒーローになって悪と戦うという痛快な話だ。
正義のヒーローが独り巨悪に立ち向かう・・・これこそがヒーローの原型である。
今で言えば、アメリカのドナルド・トランプを、そんなヒーローと見ている人が多いだろう。
だが・・・
ヒーローになりたい人は多いのである。
ヒーロー願望の人々の理屈は、この世には、裁かれない悪が沢山いるので、それを自分の手で狩り出して、自分の手で始末するというものだ。
分かり易い例で言えば、パンデミック時にマスクをしていない者に厳しい注意を与えたり、暴力的に強制するといったものだ。
あるいは、動画でもよく見るが、自動車からゴミを捨てる者がいたら、そんな者に自分で制裁を与えるというものもある。
珍しいところでは、ヨーロッパのある国で、電車内の椅子で股を広げて座っている男性の股に水をかける若い女性もいた。
空手などの格闘技を学ぶ人の中にも、自分の力で悪を懲らしめたいと思っている人はいると思う。
また、近年では、SNSで、悪徳な政治家や事業家などを言葉で糾弾してヒーローの気分を味わう人も多い。

ヒーロー願望というのは、潜在的にはほとんどの人にあり、それで言えば、案外に人間の本性は善であるのだと思われる。
しかし、個人の力は弱く、『怪傑ゾロ』のように、1人の人間が剣と拳銃の腕前で出来ることなど、当時でさえ、たかが知れているし、今の時代ではなおさらだ。
多少の徒党を組んで自警団を作ったところで、やはり大したものではない。

ところが、最近知ったが、『乱歩奇譚』というアニメで、なかなか面白いものを見た。
この作品は、江戸川乱歩の『怪人二十面相』のキャラクターの名を借りてはいるが全くの別作品だ。
江戸川乱歩作品では、怪人二十面相は天才的な盗賊だが、『乱歩奇譚』では、まさに、上で述べた、自分の力で正義を為すヒーローというか義人である。
ところが、そんな義人も、優秀で数が多くなれば世界を動かす力になる。
そして、優秀な義人「二十面相」を数多く作り出すことを、天才的な2人の少年が量子力学を応用して成し遂げようとするのである。
『乱歩奇譚』は2015年の作品であるが、この2023年を予言するような作品である。
その2人の天才少年達は、世の中の不条理に絶望し、それを自分達で正そうとして、未来を自由に決定出来る「ラプラスの悪魔」を数学とプログラミングで作り上げようとする。
これは、多くの人間の潜在的な願望である。

雨の予感
AIアート380
「雨の予感」
Kay


もちろん、いかに天才でも、人間の頭脳でラプラスの悪魔は作れない。
しかし、魂の知性をもってすれば、簡単なことかもしれない。
そして、人間は本来、魂なのであり、その知性を使うことは当然出来る。
だが、今の人類は、たとえ善人であっても、そのやり方を知らない。
いや、正しくは、そのやり方が分からないように、人々の魂を覆い隠す大きな力が存在する。
釈迦が説いたのもそんなことだが、理由はともかく、それは現代にほとんど伝わっていない。
だが、それを成す鍵は、やはり呼吸である。








子供の時の憧れは何だったか?

あなたが子供の頃、繰り返し読んだ本は何だろう?
それを、くれぐれも軽く扱ってはならない。
それらの本に、あなたの本質が隠されている。
参考に、私の場合について、そんなものから自分をどう分析するかを述べておくので、参考になればと思う。

私は、まず、『ピノッキオ』を何度も読み、それからしばらくして、『みつばちマーヤの冒険』を、そして、少し大きくなってから(10歳くらい)、『怪傑ゾロ』を読んだ。
それぞれの時期に、そのいずれかの1冊ばかりを何度も読み、他の本には目を向けなかった。
これらの3つの作品に共通するのは、弱い者が、訓練や経験を積んで強くなり、自らの正義のために戦うというものだ。
怪傑ゾロこと、ドン・ディエゴ・ベガも、最初は、家が大富豪というだけで、彼自身には、何の力もなかった。
だが、少年だった彼は、虐げられている人達を見て、そんな人々を救おうと、自主的に、剣や銃や馬術の練習に励んだ。
また、優れた書物を読んで精神を鍛えることも、強くなるために必要であることを、ディエゴ・ベガが教えてくれたのだった。

マーヤも初めは幼かったが、未知の世界に旅立ち、多くの出来事や多くの者たちに出逢い、冒険を重ねて知恵をつけ、心身を磨き、強く、強くなった。
1つの場所でじっとしていては、マーヤのような向上はない。
そして、高貴な優れた精神は、相手の良い部分だけを見るのであることを、マーヤが教えてくれたのだ。

ピノッキオは、最初は最も出来が悪かった。
自分の小さな欲に囚われた愚かさのために何度も痛い目に遭った。本当に馬鹿だ。
しかし、そんな愚か者でも、助けようとする高貴な存在は必ずいるのだと教えられたように思う。
聖母様らの優しくも厳しい導きにより、少しずつではあったが、ピノッキオの心の奥に隠された優しさや気高さが現れてくる。
そして、最後は自分を犠牲にしてでも、誰かを救おうとする崇高さを自らの内から引き出すことで、遂に彼は、大いなる変容を遂げることに成功したのだ。

このように、最初は誰もが弱いのだが、目標や努力、そして、真の自己を見つけることで、天使にも匹敵する存在になれることが確実であると思われたのだ。
だが、現実の世界は辛く、いかに鍛え、向上したところで、人間1人の力など知れている。
そして、何が本当に善いのかは、人間には分からない。
自分が善いと思っていることが悪いことであるかもしれず、悪いと思っていることが、誰かにとっては良いことなのかもしれないのだ。
それで、悩み、深い迷いに沈み、苦しむことになる。
そして、道元は、「ただ座れ」と座禅を勧め、法然は、「ただ念仏せよ」と教えたのだと知る。
それが真理なのだろう。
いつか、そこにたどり着くことができれば良い。

まずは、自分が子供の頃や、若い時に好きだったもの、夢中になったもの、思い出すと懐かしくてたまらない何かを見つめてみることである。
もちろん、懐古趣味に陥るだけではいけない。
その精妙なエネルギーを借りて、確固とした目標を打ち立て、行動してみなければならない。
そこから道は開けるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

スーパーマンとバットマンの本当の悩み

アメリカのヒーロー、スーパーマンとバッドマンというのは、奇想天外のように見えて、とても人間的だ。
スーパーマンは、クラーク・ケントという少年が、人並み外れた力が自分にあると分かった時、それを、悪と戦う正義の力にしようと考えたのは自然なことかもしれない。
しかし、近年の映画作品では、スーパーマン不要論が、愛するロイス・レーンから出てきたりする。そして、その通りだ。
巨大な正義の力があれば、それに対抗する巨大な悪が現れるものである。
現実世界にスーパーマンがいない、あるいは、いても表に現れずにいることは幸いである。

バットマンは、両親を悪人に殺されたブルース・ウェインが、復讐心に燃えて悪人を倒していくのだが、こういった発想の作品は意外に多い。
ただ、ブルースは、親が大富豪であったことから、その財産を受け継いだ彼には望みを実現する力があったのだが、これも、スーパーマン的発想をするならば、親から受け継いだ巨大な資産を、正義のために使おうと考えたというのが正解と思う。
怪傑ゾロの、ドン・ディエゴ・ベガもそうではないだろうか。彼は、虐げられた人達を救おうと、身体を鍛え、剣や銃の練習に励んで強くなり、悪人と戦ったというのが表向きだが、やはり、親から受け継いだ莫大な富で良いことをしたかったのだろう。
それは、ブルースが、彼の豪邸を見た人に、「あなたらしくない家だ」と言われ、「仕方がない。僕が建てたんじゃないからね」と言った言葉にも表れている。
つまり、彼らは、うしろめたいというか、自分の存在意義に悩んでいたのだろう。
人も羨む力や富に恵まれはいるが、それは自分で得たものではなく、自分の価値が見出せず、自信を持てない。受け継いだものが、自分に不相応に大きいほど、そう思うものなのだ。
新渡戸稲造の武士道では、特権階級の武士達は、本当はみんなそう思っていたらしい。働かなくても食べていけるが、戦もない大平の世に、自分達の存在意義がどこにあるのか?それで、せめて立派な人間になろうとして、自己向上に励んだ結果生まれたのが、武士道であると新渡戸は言う。

しかし、スーパーマンも、バットマンも、ゾロも、そして、武士も、現代人から見れば普通の発想だ。
特に、親が立派であるほどそうなのであるが、恵まれていて、多くのものを持ち、安楽に暮らしているが、何一つ、本当は自分のものではなく、自信が持てなくて悩んでいるのが現代の大半の日本人だ。それで、自分の価値を渇望するあまり、いじめをやったりするのだろう。一方、欝になって自殺する者もいる。
『涼宮ハルヒの憂鬱』のハルヒという少女も、それが現れたタイプの典型のように思う。

ところで、面白いことに、子供を憂鬱にさせる立派な親自体が、同じことで悩んでいるのだ。
どんな実力者であっても、本当は自分のものなんて何もありはしないのだ。それは、がんばって成果を上げるほどに分かってくる。それを早く知るために、いったんは世俗で懸命にやってみることだ。
そして、自分のものが何もないと分かった時に、全てを手放すのだ。手放すといっても、最初から自分のものではないのだから、実際に手放すのは幻想だ。
すると、その時、面白いことが起こる。
王子様として生まれ、豪奢な生活をしていたが、それを捨て、最後には完全に自分すら捨ててしまったお釈迦様が、悟りへの道を示しているのである。
手放せば手放すほど、お釈迦様に近付くのだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード