ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

思考を消す

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

重要なタイムリープの準備

タイムリープ(意識が過去や未来の自分に乗り移ること)に対する、2つの極端な観念がある。
1つは、タイムリープなど、あり得ないと思うこと。
もう1つは、タイムリープしさえすれば、全てうまくいくと思うこと。
これらの極端な考え方をする理由は、思考がまるで消えていないからで、心が重い・・・つまり、自我が強いからである。
こんな人間でもタイムリープが起こる場合もある。
たとえば、過去のある時点に戻りたいという執着が強く、それに集中してしまったり、眠って夢を見ている時、意識はあるが思考が消えた状態になった時、あるいは、その他の理由(事故で気を失う前に、瞬間、思考が消えたような場合)で、たまたま、意識はあるが思考が消えた状態になった場合だ。
だから、これらの状態でタイムリープし、運よく記憶を失わずに済んだ者が、タイムリープは、「戻りたい時を強くイメージするすべし」とか「明晰夢を利用すべし」などと言うのである。
だが、そうやってタイムリープした場合は、ほとんどの場合、記憶が消えるし、なぜか運よく記憶が残っていたとしても、それは「前世を記憶している子供」のようなもので、人生を支配することは出来ない。
尚、珍しいかもしれないが、タイムリープした先の自分が死んでいる場合は、意識だけが存在し、希薄な肉体の現象化を起こすことで地縛霊や浮遊霊のような存在になることもある。
よくよく、中途半端なタイムリープは避けるべきである。

魂の対話
AIアート131
「魂の対話」
Kay


タイムリープに限らないが、本当に有益な活動というものは、思考が消える時に起こるのである。
よって、我々が目指すべきことは、いかなる状況にあろうと同じで、思考(=心)を消すことである。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことである。
また、世界コマンド「私は何も考えない」「私は何も信じない」「私は何も愛さない」を唱えることをお薦めする。
これらを行っている限り、いかなる意味においても失敗はないと思う。
だが、そう言われても、なかなかそれらが長続きせず、他のことをやるが、それも続かない場合が多いのである。
そこで、思考を消すことに成功して偉大な魂の存在になれた者に学ぶことも有益である。
例えば、老子、釈迦、バガヴァッド・ギーター、福音書、荘子、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジなどであるが、これらの書物は、思考ばかりする学者が捻じ曲げた加筆をしている場合が多いので、なるべく解説の少ないシンプルなものが良く、私も、分かる範囲でご紹介している。
この中で、かなり実践的なものは『荘子』であると思う(個人的には、内容的に徳間書店版を最もお薦めする)。
興味があれば量子物理学も有益な情報を提供するが、ファインマン(ノーベル賞を受賞した物理学者)も言っていたが、量子力学を本当に理解している者はいないのである。それが分かっている著者の本で学ぶと良いだろう。
「量子力学による引き寄せ」みたいな本には、あまり良いものがなかったように思う。








馬鹿は駄目である

馬鹿であることはやめないといけない。
馬鹿は何をやっても駄目である。
馬鹿は人の役に立つことが出来ないばかりか、人の迷惑にしかならない。
馬鹿は自分を助けることも出来ないばかりか、自分を不幸にする。
馬鹿に存在価値はない。

賢くある必要はない。
ただ、馬鹿をやめれば良いだけだ。
そもそも賢い人間などいない。
人間の頭なんて大して賢くないからだ。
だから、馬鹿でなければ合格である。
ソクラテスの態度が一番正しい。
「私は自分が賢くないことを分かっている」
一般には、ソクラテスか言ったとされているのは「私は自分が何も知らないことだけを知っている」だが、これでは、ソクラテスが自分は知識がないと言ったのだと誤解される。
ソクラテスは、自分が賢くないことを完全に理解していた。
だから、彼は人間の中では一番賢かったのだ。
言い方を変えれば、他の人間は馬鹿だったが、ソクラテスだけが馬鹿ではなかったのである。

早朝の散歩
AIアート129
「早朝の散歩」
Kay


矢追純一氏は、「僕は頭が悪いから、考えることを放棄した」と言ったらしいが、それなら、彼だけが馬鹿ではなかった。
頭が悪くない人間は1人もいない。
だが、自分の頭が悪いことが分かっているなら馬鹿ではない。
自分の頭が良いと思っているほど馬鹿なのである。

頭が悪いことと学校の成績は何の関係もない。
なぜなら、成績が悪い者は確かに全員頭が悪いが、成績が良い者も全員頭が悪いのである。
「そんなことはない。僕は頭が良い」と言う成績が良い者は、自分は頭が悪いと言う成績が悪い者よりずっと劣る。

ドワンゴ創業者の川上量生氏が、「企業は成績が良い人間が欲しいのではなく、地頭が良い人間が欲しいんだ」と言われていて、意をくみ取ればその通りであるが、実際は地頭の良い人間なんていない。
地頭が良い人間なんていないが、「あまり馬鹿でない人間」と言える者がいて、そんな者は人間の中では値打ちがあるのである。
逆に言えば、馬鹿には何の値打ちもない。
企業が採用すべきは、そんな「あまり馬鹿でない人間」である。
言っても仕方がないが、あえて言うと、最も有能な人間は、自分がタイムリープしたことを知っている人間である。
まあ、本当に、いろんな意味で、言っても全く仕方がないが(笑)。

では、馬鹿でなくなるにはどうすれば良いのかというと、もうご存じかもしれないが、思考を消せば良いのである。
思考を消すとは、心を消すというのと同じで、これに近い概念として割と世間で通っているのが「自分がない」ということだ。
自分がない人間は、とても賢く見える。
ソクラテスのように。
ただ、馬鹿でないがゆえに。
企業が本当に欲しいのも、実のところ、なるべく自分がない人間である。

思考を消す方法は「私は誰か?」と自分に問うことだと分かっている。
ただ、大多数の人間は「私は誰か?」と問うことを始めても長続きしないので、世界コマンドを併用することを奨める。
世界コマンドとは、
「私は何も考えない」
「私は何も信じない」
「私は何も愛さない」
で、1つでも良いし、2つ、3つでも構わない。
こちらは、呪文のように唱えるだけで良い。

ちなみに、馬鹿はタイムリープしても記憶を失くしているので、馬鹿にはタイムリープは何の意味もないのである。








経験・キャリアに大した意味はない

スポーツでも武道でも音楽でも、キャリアを積んで実力をつけるのではない。
思考を消すことで実力をつけるのである。
「キャリア20年のベテラン」とか言っても、その者がコツとか金科玉条としているものは、案外に駆け出しの頃に身につけたものである。
キャリアがそんなに良いものなら、大ベテランが若い選手に勝つはずだが、やはり、若くて力がある方が勝つことが圧倒的である。
人気漫画家も、代表作は20代の時に書いており、石ノ森章太郎氏の、今でも映像化される代表作『サイボーグ009』や『仮面ライダー』がまさに20代の時の作品で、音楽家でも、坂本龍一氏の代表作は、やはり20代の時に作った『BEHIND THE MASK』である。
これは、20代の時の感性が高度であるということもあるが、彼らは何らかの理由で、若い時に思考を消すことが出来たのである。
だが、歳を取り、地位も名誉も得ると、なかなか思考を消せない。
それでも、自分が一音楽家、一漫画家であるという自覚があれば、歳を取っても思考を消して(即ち無になって)良い作品を作るが、やはり、偉くなると、考えることも多くなり、若い時ほどのことは出来ないのである。
手塚治虫氏がある程度の年齢になって『ブラックジャック』のような傑作を書けたのは、その頃、手塚氏は他の漫画家の台頭で見向きもされなくなったり、あまりに多忙だったり、また、その他の手塚氏の独特の思想性などが重なり、思考を消すことが出来たのである。
手塚氏は実に複雑で個性的な人物で、極端に思考することと思考を消すことを繰り返していたことが、彼の自伝的著書を見ても感じる。

一指も万物
AIアート113
「一指も万物」
Kay


ところで、武道で、歳を取って思考を消すことが出来れば老達人になるが、実際は、恰好だけ無になったフリをしているが、内実は我の塊(つまり、思考が多い)である者が多く、そんな者は力のある若い者に全く敵わない。
こういったこともまた、思考を消す(無になる)ことの価値が認められない原因になってしまっているので困ったものである。
一方、本物の武道家であった塩田剛三や佐川幸義は老齢になっても思考を消すことが出来、ずっと達人であった。
だが、ビジネスや工芸などの世界でよくあるように思うが、歳を取って思考を消す術を見い出して力をつけた者に対し、それが経験の力であるかのように言われたり、本人すらそう思っている場合がよくあるのが残念である。

情熱や修行を否定するのではなく、基礎は大事であるが、逆に言えば、基礎が出来ていれば、思考を消すほど力は果てしなく高くなる。
確かに、10年20年やっているのに基礎がさっぱりという者もいるが、それは、そもそも熱意がなく・・・というよりは、好きなことをやっていないことが原因だ。
一方で、「こいつ、思考さえ消せば無敵なのだが」という者は多いのである。
だが、金銭欲、名誉欲に囚われると、無への扉・・・つまり、思考を消すことから遠ざかってしまう。
とはいえ、「私は誰か?」と自分に問えば思考を消すことが出来ることが確実であることは分かっている。
だが、これを出来ない者が多いのである。
あるいは、肝心の「私は誰か?」の問いや探求に励まず、「私は誰か?」を思想的、哲学的に考えたがるのは自我(これが思考の塊である)が強い者に多い。
それこそ、余計な思考をせずに、ただ問えば良いのにである。

とはいえ、こんな簡単なことが分からない者が多いし、ある程度分かっていても、十分に「私は誰か?」と問えない者が多い。
悪霊なのか、超高度なテクノロジーで作られたマインドコントロール装置の影響なのかは分かり難いが、人間が思考を消し、神のようになることを強力に邪魔する何かはあるように思える。
それに打ち勝つ機会に恵まれた者は幸いであり、歳を取ってもそうあり続けることが必要であるが、現代人でそれが出来る者は稀である。








奴隷をやめる本当の方法

今はどうか知らないが、GAFAの1つであるアップルでは、社員証の裏に、11の成功の秘訣が書かれているそうだ。
これが本当に成功の秘訣かというと、見るまでもなく嘘である。
企業が社員に与える規則だの、社訓だの、規律だの、あるいは、そのような成功の秘訣だのは全て、社員を奴隷にするためのものだ。
企業が社員の成功を願うはずがない。
企業が社員に願うことは、ただ1つ。良い奴隷であることだ。
まともなアップル社員でいて成功した者なんて、当然ながら皆無で、その成功の秘訣が何の役にも立たないことが分かる。

社員が楽しくやっていけるルールがあるとすれば「みんな仲良く」だが、そんなルールは押し付けるものではないし、いずれにせよ、絶対に守られない。なら、他の全てのルールは無効である。

白百合の代弁者
AIアート107
「白百合の代弁者」
Kay


成功の秘訣も、楽しくやっていく秘訣も1つであり、他にない。
それは「思考を消す」である。
思考を消す、心を消す、思考を止める、考えることをやめる、頭の中のおしゃべりをやめる、頭の中の独り言をやめる・・・全部同じである。
思考を消せば、心を消せば、何でも出来るし、不幸にならない。
しかし、我々が、考えることが貴く、偉く立派であると思い込んでいるのは、そう思っている者が良い奴隷になるからである。

思考を消す最上の方法は「私は誰か?」と自分に問うことであることは、20世紀初頭にラマナ・マハルシがバラシてしまった。
だが、ほとんど誰もやらなかったし、やらないし、ますます、やらなくなるだろう。
支配者が大衆に押し付けた思想と全く違う・・・いや、真逆だからだ。
それなら、「私は誰か?」と自分に問えば、絶対成功するし、幸福になれると決まったようなものだ。
何と言っても、支配者が大衆にやって欲しくないものなのだから、絶対にやるべきものに決まっている。
まあ、考えたら分からないのだが、考えるのをやめたら分かる。

次善の策として、自分の呼吸を意識するという方法がある。
だが、マハルシは、呼吸の制御は、一時的に心を消せるだけだと言った。
一時的でも心が消せるなら価値がある。
そして、私が今勧めたのは、呼吸の制御ではなく、呼吸を意識することである。
むしろ制御してはならない。
心を観察する・・・つまり、心を意識しろと教える者もいるが、私はお勧めしない。
その理由は、それは悪い方法ではないが、残念ながら非常に難しく、成功するには、少なくとも30年はかかる。
対して、呼吸を意識する方は、多少は皆、すぐに成功する。
支配者の催眠術で「私は誰か?」と問い難いから述べたが、もちろん、本当は「私は誰か?」と問うのが一番である。








思考を消せばうまくいく

幸せになるとか、大きな力を得るとか、神の加護を得るとか、幸運に恵まれるために必要なことはただ1つで、「考えない」ことだ。
よく、難しく「無になる」なんて言う人もいるが、これも単に「考えない」ことで、多少、現実味を持って言うなら「頭の中のお喋りを止める」である。
世の中には、「思考停止」する者は愚か者で、「自分の頭で考える」ことが立派だという考え方が浸透してしまっている。
だが、「愚か者」とは、余計なことを考える者のことで、人間の思考は全て余計なことなのだから、やっぱり考える者が愚かなのである。

良いアイデアを出さないといけないという切羽詰まった状況の時、人はじっと眉間に意識を集中し、何も考えないものだ。
すると、素晴らしいアイデアが浮かぶものである。
そうではなく、まだ、あれこれ余計なことを考えていると、最悪のアイデアを思いついて、結果、ジ・エンドだ。

将棋やチェスで、実力の差が大きい相手と対局すると、考えてしまって何も出来ず、そのままでは一手も打てないので、結局、最悪の手を打つ。
だが、本当に何も考えないと、案外に良い対局が出来、ことによれば勝ってしまう。これを世の中ではビギナーズラックとか言うが、ビギナーズラックは、初心者が思考を捨てれば頻繁に起こる。
私も、プログラミングをしている時、考えていたらミスが多く、考えずにタイピングしている時に、良いプログラムが出来るのである。
ただ、プログラミングは手順が多いので、初心者のうちは多少は考えながらでないと出来ないが、手順がルーチンとして身に付き、何も考えなくなった時に、ちゃんとしたプログラミングが出来るのである。
「考えないからミスをする」のではなく、「余計なことを考えるからミスをする」のである。
一頃、「ルーチン」という言葉が流行ったが、あれも思考を消すテクニックなのである。

場所が空いてる
AIアート80
「場所が空いている」
Kay


そして、その場で、頭の中のお喋りを止(と)め、考えることを止(や)める最上の方法は、いつも言う通り「私は誰か?」と自分に問うことだが、普段からたゆみなくこれをやっていれば、いざという時には、ぱっと思考を止め、奇跡を起こす可能性が高まる。

ただ、現実的に、「私は誰か?」と問うことに取り組めない人が多い。
それなら、言葉は何でもいいから、考える暇もないほど繰り返せば、それ(「私は誰か?」と自分に問うこと)に近い効果がある。
本当に何でも良いが、唱え難い言葉を選ぶのは賢明なことではない。
やはり、心にとって、ちょっと嬉しい言葉が良いのだ。
例えば、「ありがたい」「お金がある」「生きている」とか、あるいは、「神様の奇跡が起こる」を好ましく思う人もいる。
その中で、特にお奨めするわけでもないが、ちょっと合理的な言葉がある。
それは、「なぜか分からないが〇〇」で、〇〇の部分は、嬉しいと思うことを入れれば良い。
たとえば、「なぜか分からないがお金がどんどん入ってくる」とか、「なぜか分からないがすごくもてる」とか。
なぜ、これが良いのかというと、分かるかもしれないが「なぜか分からないが」と言うことで、考えることを放棄することを宣言するからだ。
「なぜか分からないが」の後に続けた言葉は叶い易いのは当然である。
ただ、お金が入ったり、もてたりすると、面倒なことになる場合が多い。
適当に良い想いをしたら、欲張らず、「私は誰か?」に切り替えていただきたいと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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