タイムリープ(意識が過去や未来の自分に乗り移ること)に対する、2つの極端な観念がある。
1つは、タイムリープなど、あり得ないと思うこと。
もう1つは、タイムリープしさえすれば、全てうまくいくと思うこと。
これらの極端な考え方をする理由は、思考がまるで消えていないからで、心が重い・・・つまり、自我が強いからである。
こんな人間でもタイムリープが起こる場合もある。
たとえば、過去のある時点に戻りたいという執着が強く、それに集中してしまったり、眠って夢を見ている時、意識はあるが思考が消えた状態になった時、あるいは、その他の理由(事故で気を失う前に、瞬間、思考が消えたような場合)で、たまたま、意識はあるが思考が消えた状態になった場合だ。
だから、これらの状態でタイムリープし、運よく記憶を失わずに済んだ者が、タイムリープは、「戻りたい時を強くイメージするすべし」とか「明晰夢を利用すべし」などと言うのである。
だが、そうやってタイムリープした場合は、ほとんどの場合、記憶が消えるし、なぜか運よく記憶が残っていたとしても、それは「前世を記憶している子供」のようなもので、人生を支配することは出来ない。
尚、珍しいかもしれないが、タイムリープした先の自分が死んでいる場合は、意識だけが存在し、希薄な肉体の現象化を起こすことで地縛霊や浮遊霊のような存在になることもある。
よくよく、中途半端なタイムリープは避けるべきである。

AIアート131
「魂の対話」
Kay
タイムリープに限らないが、本当に有益な活動というものは、思考が消える時に起こるのである。
よって、我々が目指すべきことは、いかなる状況にあろうと同じで、思考(=心)を消すことである。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことである。
また、世界コマンド「私は何も考えない」「私は何も信じない」「私は何も愛さない」を唱えることをお薦めする。
これらを行っている限り、いかなる意味においても失敗はないと思う。
だが、そう言われても、なかなかそれらが長続きせず、他のことをやるが、それも続かない場合が多いのである。
そこで、思考を消すことに成功して偉大な魂の存在になれた者に学ぶことも有益である。
例えば、老子、釈迦、バガヴァッド・ギーター、福音書、荘子、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジなどであるが、これらの書物は、思考ばかりする学者が捻じ曲げた加筆をしている場合が多いので、なるべく解説の少ないシンプルなものが良く、私も、分かる範囲でご紹介している。
この中で、かなり実践的なものは『荘子』であると思う(個人的には、内容的に徳間書店版を最もお薦めする)。
興味があれば量子物理学も有益な情報を提供するが、ファインマン(ノーベル賞を受賞した物理学者)も言っていたが、量子力学を本当に理解している者はいないのである。それが分かっている著者の本で学ぶと良いだろう。
「量子力学による引き寄せ」みたいな本には、あまり良いものがなかったように思う。
1つは、タイムリープなど、あり得ないと思うこと。
もう1つは、タイムリープしさえすれば、全てうまくいくと思うこと。
これらの極端な考え方をする理由は、思考がまるで消えていないからで、心が重い・・・つまり、自我が強いからである。
こんな人間でもタイムリープが起こる場合もある。
たとえば、過去のある時点に戻りたいという執着が強く、それに集中してしまったり、眠って夢を見ている時、意識はあるが思考が消えた状態になった時、あるいは、その他の理由(事故で気を失う前に、瞬間、思考が消えたような場合)で、たまたま、意識はあるが思考が消えた状態になった場合だ。
だから、これらの状態でタイムリープし、運よく記憶を失わずに済んだ者が、タイムリープは、「戻りたい時を強くイメージするすべし」とか「明晰夢を利用すべし」などと言うのである。
だが、そうやってタイムリープした場合は、ほとんどの場合、記憶が消えるし、なぜか運よく記憶が残っていたとしても、それは「前世を記憶している子供」のようなもので、人生を支配することは出来ない。
尚、珍しいかもしれないが、タイムリープした先の自分が死んでいる場合は、意識だけが存在し、希薄な肉体の現象化を起こすことで地縛霊や浮遊霊のような存在になることもある。
よくよく、中途半端なタイムリープは避けるべきである。

AIアート131
「魂の対話」
Kay
タイムリープに限らないが、本当に有益な活動というものは、思考が消える時に起こるのである。
よって、我々が目指すべきことは、いかなる状況にあろうと同じで、思考(=心)を消すことである。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことである。
また、世界コマンド「私は何も考えない」「私は何も信じない」「私は何も愛さない」を唱えることをお薦めする。
これらを行っている限り、いかなる意味においても失敗はないと思う。
だが、そう言われても、なかなかそれらが長続きせず、他のことをやるが、それも続かない場合が多いのである。
そこで、思考を消すことに成功して偉大な魂の存在になれた者に学ぶことも有益である。
例えば、老子、釈迦、バガヴァッド・ギーター、福音書、荘子、ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジなどであるが、これらの書物は、思考ばかりする学者が捻じ曲げた加筆をしている場合が多いので、なるべく解説の少ないシンプルなものが良く、私も、分かる範囲でご紹介している。
この中で、かなり実践的なものは『荘子』であると思う(個人的には、内容的に徳間書店版を最もお薦めする)。
興味があれば量子物理学も有益な情報を提供するが、ファインマン(ノーベル賞を受賞した物理学者)も言っていたが、量子力学を本当に理解している者はいないのである。それが分かっている著者の本で学ぶと良いだろう。
「量子力学による引き寄せ」みたいな本には、あまり良いものがなかったように思う。