ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

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仙人の力を復活させる

聞いた話では、アニメを制作する際、調査すべきことはかなり本格的に調べるらしい。
たとえば、舞台がエーゲ海ならエーゲ海に、南アルプスなら南アルプスに実際に行って、風景を味わったり、撮影したりする。
今の時代ではない都市の風景でも、やはり、それなり以上の調査をして、実際に近い姿を再現するのだろう。
それは、本物らしく見えるだけでは駄目で、詳しい、あるいは、マニアックな視聴者を納得させる必要もある。
「あの時代のあの国では、まだあの家具はなかった」とか、「この地方で、この衣装を着た一般人がいるのはおかしい」とか言われたら、無視するわけにはいかないだろう。
例えば、ジブリの『魔女の宅急便』で、キキを追い越した複葉機(翼が縦に2枚ある飛行機)が、あの時代にあるのはおかしいと指摘する飛行機マニアもいたらしい(製作側の意図で、わざと登場させたらしいが)。

それで、最近、面白いものを見た。
『刀語』というアニメで、忍者が長距離を走って移動するシーンがあるが、どの忍者も、現在のマラソンランナーのようなフォームでは走らないのである。
もし、そんな走り方をさせていたら、私だけでなく、多くの視聴者が違和感を持つはずだ。忍者が、そんな走り方をするはずがない。
ある忍者は、両腕を後ろに伸ばし、その腕を動かさずに走っていたが、確かに忍者らしい感じがした。
それが正しい忍者の走り方かどうかは分からないが、少なくとも、現在の陸上選手のような走り方だと、嘘っぽさは半端ないと思う。
昔の忍者は、1日に200km以上走ることもあったらしいが、それがナンバ走りかどうかはともかく、それだけ走れる走法だったのだろう。

私は、小学1年生頃までは、その気になれば、誰にも負けずに速く走れたし、距離も、いくらでも気分よく走れた。
だが、小学1年生の時、腕を前後に振る現代風の走り方を教えてもらってから、走るのが苦手になった。
そして、それ以前に、どんな走り方をしていたのか、分からなくなった。ただ、今の陸上競技ランナーのように腕を振っていたのではないことは間違いない。
一方、走り高跳びのフォームは、中学1年生まで、誰にも教えられなかったので、それまでは、少なくとも、普通の生徒相手では無敵だった。
私は、特に長身だったわけでも、身体が強かったわけでもない。
それでも、誰も飛べない高さでも、全く失敗する気が起こらず、軽々と飛べた。
だが、中学1年生の時の、校内のスポーツ大会みたいなものの時だった。
私は、得意の走り高跳びに出たが、他の生徒が、一般的なはさみ飛びで飛ぶのを見て、私は、バーの正面から走る、私独自の飛び方をするのが恥ずかしいと思った。
それで、私は初めて、はさみ飛びで飛び、それまでなら、軽く飛べた高さで失敗した。
そして、それまでの飛び方を忘れてしまい、それ以降、どうしても思い出せなかった。

それで、最近、ナンバ歩き、ナンバ走りなどの、日本古来の歩き方、走り方を調べ、それと、上記のような自分の経験と合わせ、西洋の軍隊やスポーツの歩き方、走り方は、特に、日本人には、そして、おそらく、人間には向いていないのだと確信した。
そして、現在、日本でも行われている、西洋から導入された運動の多くは、身体だけではなく、精神にも悪影響を与えているに違いないと思う。
私自身は、割と西洋人体形で、西洋の運動が良いものなら向いていると思うが、そうではないと感じる。
また、特に子供の時、今からすれば異常な引き寄せ能力を持っていたのも、子供の時は、今よりは日本古来の身体の動かし方をしていたためもあると思う。
今後、さらに、ナンバ歩きや、その他の人間本来の動きを、古武術、あるいは、易筋経、仙道、太極拳などの動きを調べながら習得・・・というか、回復させようと思う。
特に、日本人は、元々、仙人や天狗のようなものになる素質があり、それを正しく育てるのは良いことと思う。








忍者最大の秘法

忍者というのは、超人的に鍛えられた身体と心でもって、重い使命を持ち、不屈の信念でそれを成し遂げる・・・といったような者達であったらしい。
それが善いか悪いかはさておくが、一般的に知られる忍者のイメージには、当然ながら色々おかしな飾りも付いているにしろ、だいたいそのような者達はいたのである。
ところで、これはほとんど知られていないが、忍者は、ある1つの特別な忍術を必ず修得したのである。
それがなんと呼ばれていたかは色々なのであるが、一言で言えば、「狂いの術」とでも言えるものである。ここでも一応、狂いの術と呼ぶ。
これは忍者最大の秘法であるが、実は、世俗においては、人間最大の秘法である。闇に住む者とは言え、忍者もまた世俗にしか生きられない存在なのだ。
いざという時、忍者は狂いの術を発動させる。
すると、なんと、忍者は、一番大切な使命を忘れてしまう。本当にきれいさっぱり捨ててしまうのだ。
徳川の忍者が捕らえられて、「お前の使命は?」と聞かれて拷問されたりしても、忍者は不屈の精神で耐え抜き・・・なんてことはアニメや映画の世界であるが、徳川がそんな個人的スキルというあやふやなものに頼ったりはしない。
「使命は?」と聞かれたら、ペラペラ喋ってしまう。それは全部本当のことだ。しかし、何か違うのだ。使命を忘れた者の言うことは、全く重みが無い上に、齟齬だらけだ。いくら喋っても大した問題ではない。
狂いの術は、一見、自己暗示のようにも見える。しかし、そうではないのだ。暗示とは、心を変化させる手段であるが、そんな心そのものを捨ててしまうのが狂いの術である。
それは高度な秘術である。
「くノ一(くのいち)」などという女忍者を指す言葉があるが、本当にそんな言葉があった訳ではない。それはともかく、忍者の里では、忍者に育てている少女にこんなことをさせる。着飾るというほどではないが、清楚で可憐な身だしなみに整え、わざと野蛮な男達がたむろする場所を歩き回らせる。当然、たちまち捕まってしまう。だが、何の被害にも遭わずに帰って来る。別に凄い戦闘力を持っている訳ではない。狂いの術によって、自分が女であることを忘れてしまうのだ。娘も10歳にもなれば、かなり女を背負っているものであるが、それを捨ててしまうのである。すると、相手にも女に見えなくなってしまう。
それがどれほどの威力あるものであるか、なかなか分からないであろう。
人間の抱える問題の多くは、プライドを捨てれば簡単に解決する。たかが自尊心を捨てるだけでそうなのだ。
しかし、心を捨てきれば、その者へのいかなる攻撃も無効化される。
我々は、もっと狂いを学ぶべきである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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