ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

弥勒菩薩

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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『イーハトーヴ交響曲』には聖なる技がいっぱい

アドルフ・ヒットラーの映像を見ると、握り締めた拳を振りかざして喚くように言葉を発している。
握った拳を掲げる政治家は信用してはならないし、そもそも、拳を握って力むような人間は信用ができないのである。
ただ、奴隷はいつも手を握っている。また、力だけで成り立つ主従関係においては、家来は握った拳を胸に当てて忠誠を示す。彼らは不幸である。手を開くことができた時に幸福が訪れる。尚、その場合も、愚かな主の場合は、握った拳を上に挙げ、いくらかましな主の場合は、開いた手をほんの少し挙げて、家来の忠誠に応える。

自然に人差し指を立てる人は高貴であり、力がある。
昨夜も書いたが、それを最も力強く、そして、美しく示したのが、京都広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)である。
『古事記』において、大国主(オオクニヌシ)は、スサノオに命じられてヘビの室(むろ)で寝たり、ムカデやハチの室で寝たが、大国主は、スサノオの娘のスセリビメにもらったヒレ(女性が肩にかける布)を、スセリビメに教えられたとおり三度振ると、ヘビもムカデもハチも近寄って来なかった。
『古事記』では、スセリビメのヒレは魔法のヒレであることになっているが、実際は、スセリビメは、大国主に、薬指を中心に小指と中指を折り、人差し指を優雅に伸ばし、親指はこれとほぼ直角を描くように伸ばして指を弧を描くように左右に振るという密教の秘法を教えたのである。これは今では完全に秘されている。
だが、これと同じ秘法が、昨年(2012年)11月23日に、東京オペラシティ・コンサートホールで公演された、冨田勲さん制作の『イーハトーヴ交響曲』で、初音ミクが完全にやってみせた。この作品に神が関与している証拠である。第5楽章の『銀河鉄道の夜』の初めと終りで、ミクは2回、それをやったのである。あれを見て、人々は神の叡智を感じてくれただろうか?
そして、第7楽章『岩手山の大鷲』の終り、同時に、この交響曲の最後の最後で、ミクはうつむき、握り締めた両手をお腹の前で交差させて静止した後、いっきに身体を起こしながら、右手を肩より少し高い位置に上げたが、その時、人差し指は伸び、中指が添えられていた。これが弥勒菩薩の指である。
ミク(39)はミロク(369)の応身(応化身、法身)である。弥勒は釈迦(ゴータマ・ブッダ)とイエス・キリストの後継である未来仏であり、ミクは未来(ミク)である。
私は、今年の『イーハトーヴ交響曲』のチケットを既に入手したが、この神に祝福された作品を鑑賞し、ミクの指を見たいと思う。

人差し指を反らない程度に伸ばして天を指すと、あなたには霊的な力が注がれる。天からは精妙な光の気が降って来るからだ。
それは、ウンディーネ(水の精)とシルフ(空気の精)が自らを犠牲として捧げたものである。
緑の髪の初音ミクは、ウンディーネをモデルに描かれている。それは、ダイモーン(一種の神霊)によって、人の集合意識の中に伝えられて、この世に現れた。
『イーハトーヴ交響曲』の『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが、何度も何度も、「ケンタウルスよ、露を降らせ」と澄み切った声で歌ったのは、このことである。
冨田勲×初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~









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弥勒菩薩の指に秘められたもの

人は、自分の身体と心を手放した時、無になり、同時に生命力は無限に高まる。
ここまでは、多くの聖者が言っているが、どうやって自分を手放せば良いのかを教えてはくれなかった。
無論、自己犠牲や利他に徹すればそれで良いのであるが、我々のような凡人にそんなことはできない。
いや、それは話が逆で、自分を手放してこそ、利得を他に回す、菩薩行、天使の行ができるのである。
そして、人は、自分を人差し指で掴むのである。
なぜ楽器演奏や武道が人類の歴史の中でいつも、かくも盛んであるかというと、それを通して、人差し指から力を抜くことを知り、人を超えるためなのである。
人差し指から力が抜ければ、武道では限りなく強くなり、楽器演奏では、神界に響く音楽に近付いていき、ますます美しい音が出せるようになる。

人差し指から力抜き、自分を手放す最も良い方法は、京都広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)をしっかり見て、弥勒菩薩のあの比類なく美しい右手の指に注意することだ。人差し指が、流麗、美妙に開き、中指がそれに添えられている。対して、薬指は曲げて輪を作っている。薬指は愛である意思であり、自分を縛らない。
真似したっていい。あの手の形を真似ると、心が静まるのを感じるだろう。
一方、イギリスの天使の像の多くは、人差し指で天を指している。これも、自分を手放しているという意味もあるのだが、むしろ、生命力をスパークさせて人を助けようとしているのだ。天使ともあろう者が、天国が空の上にあるなんて思ってやしない。
人差し指を立てると、エネルギーが身体全体から放出される。しかし、そうやって放出されたエネルギーは即時に補給される。
レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた洗礼のヨハネも天を指差しているように見えるが、あれも、生命力を輝かせながら四方に放ち、人々を救おうとしているのだ。あの絵をセクシーだとか官能的だなどと言う者がいるが、神の生命力が輝いている存在をそんな風に言うもんじゃあない。
初音ミクも、『ファインダー』という歌の最後の決めポーズでは人差し指を立て、『1/6』という歌では、やはりエレガントに人差し指を立てて、その手を優美に振っていたものだ。
あの姿は偶然に出来たのではなく、天使を通じて神がその意思を及ぼしたのである。

そういった、美しく人差し指を立てた姿を忘れず、覚えていて、考えることなく、同じ姿になるよう、身を任せるのである。
この秘法を聞いた者は、あり得ないほど幸運なのであり、祖先の徳に感謝すべきである。









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ヒロイン達の下半身がとても逞しいのはなぜか

40年以上にも亘って歌い継がれているアニメソング『キューティーハニー』は、「この頃はやりの女の子、お尻の小さな女の子」から始まる。
いつの時代もスリムな女性には一定の憧れがあるものだが、ある時期からその傾向が度を越えていたと思われる。それが40年程前なのかもしれない。
ところが、おかしなことに、『キューティーハニー』の原作者である、巨匠・永井豪さんの描く女の子達のお尻は決して小さくない。むしろ、お尻だけでなく、一般的に細い方が良いと言われる脚も共に、「立派」で逞しい感じの美少女が永井流と思うのである。
そして、やはり40年くらいも前からかもしれないが、特に少女漫画や女の子向けアニメで、極端にお尻や脚が細い女の子が描かれることがよくあるのだが、かなりスリムなタイプが好みの私でさえ、子供の頃からそれらの、下半身が「か細い」女の子の絵を、あまり美的に感じなかった。

初音ミクの映像を見ても、ミクは十分にスリムなのであるが、決して脚が物凄く細いわけではなく、むしろ、しっかりとした太さのある逞しい脚をしている。そうでないと、バランスが悪く感じるに違いないのだ。巡音ルカは、ミクよりずっと脚が長いので、その分すらりとして見えるが、やっぱり逞しい脚をしていると思う。
まして、「この頃はやり」のアイドル達は、若くても体形を保つために努力しているらしいが、それでも、やはり下半身が逞しく、がっしりしているのである。むしろ、街で、もっともっと、本当に細い腰や脚をした女性を見かけることがよくある。

下半身の逞しい女の子でなければ、アイドルになど決してなれない。
人間は「頭寒足熱」でなければならないというのは、生命エネルギーの源は肚(腹)や腰や太腿あたりにあるからで、そこが貧弱では生命力が強くない。
アイドルなんて、肉体も精神も極めて強靭でなければやってられるものではない。可愛い、美人、性格が良いというのは大切なことであっても、アイドルにとっては2番目以降であって、まずはエネルギーである。
そして、エネルギーがあれば魅力的にもなるのである。アイドルだって、必ずしも美人ばかりではない。無論、総合的にはきれいな子が多いのだが、中には、普通以下なんじゃないかと思われるような人もいる。しかし、それでアイドルになった子は、特に人気が出る。極めて強い生命力があるので、目には見えなくても、ファンはその輝きを感じて惹き込まれるのだ。

肚を中心に渦巻く生命エネルギーは、いくら栄養のあるものを食べても増える訳ではなく、活用することもできない。
必要なことは、先ほども述べた「頭寒足熱」ということで、これは物理的な温度のことばかりでなく、あまり頭で考えず、腹に任せるという態度が大切だということだ。
感情的な煩いごとは特に悪く、何事も気にしない、さっぱりした性格であることが、アイドルのオーディションなどでも重視されているに違いない。
また、修養を通じて、心を静かに出来る者は、生命力が高い。
人気アイドルにも、剣道の有段者であったり、書道をやらせたら師範並といった、隠れた特技のある人が多いものである。
若いうちは、目立ち、喝采を浴びることで自己の存在意義を確かめたがる傾向が強いのは仕方がないが、私としては、アイドルになれるほどの人達は、もっと良い道に進んで欲しいというのが、正直な願いだ。そして、金や栄誉は獲られなくても、もっともっと素晴らしい世界があるのである。

初音ミクが、もっと下半身がスリムに描かれていたり、もっと感情的なイメージを与えていたら、世界的に人気を得ることはなかっただろう。
ミニスカートから覗く太腿が案外に逞しく、また、あまり何も考えていない雰囲気が、心の静かさという最大の美点を表し、男も女も虜にするのだ。
我が国の国宝指定第一号(彫刻部門。昭和27年指定)である、京都広隆寺の弥勒菩薩像は、おそらく男性なのだろうが、その割には非常に華奢な身体つきで、特にウエストが細く、身長が160~170センチとすれば、せいぜいが70センチ程度だろう。それは、食を慎んでいる様子を表しているのだろう。ところが、腰から下となると、これが実に逞しいのである。
この弥勒菩薩像は、「半跏思惟像(はんかしいぞう)」と言われるように、また、海外からは、「東洋の詩人」と言われるように、深い思索に耽っている様子なのも確かだが、弥勒菩薩は慈悲の菩薩であり、何かあれば、その逞しい足腰ですぐに駆けつけるのである。

生命エネルギーが高いとは、下半身を通じ、宇宙から無限に引き出せる気(プラーナ)のエネルギーが全身や魂に行き渡った状態であるが、そのためには、物質的にも精神的にも足熱頭寒でなければならない。
そのためには、昨夜も述べた通り、理屈の頭を退けて心で神話を読むことが効果的である。
また、上に述べた広隆寺の弥勒菩薩像を、写真で良いからよく見て、そのイメージを浮かべながら、「南無弥勒仏」と唱えれば、たちまち、エネルギーに満ちてきて、何をやってもうまくいく。
私には、あの弥勒菩薩像が初音ミクそのものに感じるが、名前もまた、弥勒(369)とミク(39)と似ているのである。
さらには、弥勒菩薩は、「未来仏」と呼ばれ、遠い未来に地上に降り立つのだが、ミクは漢字では「未来」であり、初音ミクとは、「未来から来た初めての音」という意味でもある。
尚、弥勒菩薩が肉身で地上に現れるのは遠い未来だが、弥勒菩薩の生命体は、聖霊として我々の内に流れ入るのであり、呼べばいつでも答えてくれるのである。

世界的音楽家の冨田勲さんが初音ミクをソリストに採用して『イーハトーヴ交響曲』を制作、公演したことで、世界は滅びを免れたのであるが、この事実は未来に明らかにされるかもしれない。そして、今年の夏以降、いよいよ、『イーハトーヴ交響曲』の全国公演が始まる。日本から世界に力強い平和の波が流れていくだろう。我々は、無(6)になることで、弥勒(369)であるミク(39)と融合し、止揚して聖霊を現すのである。
冨田勲・初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~









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大黒様、えびす様のお姿は何を表しているのか?

日本人であれば、大黒様、えびす様と呼ばれる神様をご存知だと思うし、これらの神の像を置いておられる家も多いと思う。
私の家の居間には、誰が置いたのは私も知らないが、ガラスケースに入った金色のえびす様と大黒様の「豪華タッグ」の像がある。
えびす様も大黒様も、みごとに太っておられるが、注意すべきことは、神は肉体を持たないのであり、これらのお姿も肉体の姿ではない。
神の姿をあえて形にすればこうなるのであるが、これは、霊的に豊かであるという意味なのである。
魂の食物をたっぷりと摂ることで、魂が非常に豊かになった・・・そういうお姿なのである。
魂の食物とは、人に優しくし、辛いことをものともせず、好んで人の前に立たないことで摂る、慈愛、無執着、謙譲という、霊的に素晴らしい食べ物である。

水野南北は、「身体が痩せていると、精神が肥えている」と言ったが、食を慎んで痩せている者の場合は、そういったことが多いのである。
また、さほど食べない、あるいは、非常に少食でありながら太っている人もいる。
岡田虎二郎がそうで、大食な訳ではないのだが、100kgをはるかに超える巨漢であった。このような人は、魂の姿が肉体に現れるのであり、太っているからといって見苦しいということは全くなく、むしろ美しく、豊かで立派に見えるのである。そして、それは肉の身体を持つ必要がないレベルに進歩しているということなので、本人がこの世に留まる意思がなければ夭逝(ようせい。年若くして死ぬこと)することが多いのである。岡田虎二郎も、周囲には健康な姿を見せたまま、49歳で亡くなっている。

科学者で発明家の政木和三さんの前に、3体の大黒天像が出現しているが、顔が政木さんの顔をしているのである。
その姿は当然、立派に太っており、これらの像の出現は、政木さんの魂が豊かになったということを示しているのである。

最近の日本では、身体は肥満しているのに、魂は餓鬼のようにガリガリに痩せている者が多いのである。
肉体の栄養は過剰に摂っているのに、魂の栄養を全く摂らないからだ。
肉体が肥えていても、魂が貧しければ、物質世界でも力はない。
逆に、魂に豊かな栄養を与え、肥えさせていれば、物質世界にも強力な力を及ぼすことができるのである。
聖典を読むというのは、本来は魂の栄養を摂ることなのであるが、「これを読めば世俗の強者、例えば金持ちになれる」とかいった邪まな気持ちで読むと、魂の栄養は全く摂れない。しかし、聖典の教えを敬い、無心で読めば、それは霊的な無限の食物なのであるから、制限なく魂の栄養を得られるのである。
また、人に優しくし、人を思いやり、驕る(思い上がる)心を抑え、へりくだって奉仕すれば、神はその者の魂をどんどん豊かにしてくれるのである。

この世で肥満している者が天の国では痩せていて、この世で痩せている者が天の国では豊かに太っていることが多いのである。
昨夜も述べた通り、この世でいう微かな声が、天の国では大きな声であり、この世での大きな声は天の国には存在しないのである。
この世とかの世(天国、神界、真の世界、エデン、楽園)では、全く逆なのである。
デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と言ったのはこの世でのことで、霊的世界では、「我思わず、ゆえに我あり」なのである。
簡単に言えば、無心で私心なく、忘我であれば、天の国に存在しているということである。そうであれば、たかがこの世で不可能などあるはずがないのである。
そして、昨夜も述べた通り、心の中で微かな声で神や仏の名を唱えれば、自然に天の国に在るようになるのである。

仏様の姿は豊かに太っているが、それは、この世のものではないからである。
一方、菩薩様の姿は痩せているのである。それは、菩薩様というのは、この世に降りて来て、人々のために働いておられるからである。
広隆寺の弥勒菩薩像も、肉体はとても痩せているが、その表情は限りなく豊かで慈愛に満ち、魂の豊かさを表しているのである。この像を、写真でも良いから、よく見て、霊的な豊かさを感じれば、あなたの魂にも栄養が流れ込んで来るのである。この像を見れば、たちまち癒され、無限の力を得る秘密はこういうことなのである。

言うまでもなく、優れた芸術は魂の栄養である。
特に、人を思いやる気持ち、慈愛の想いを込めて創られた優れた芸術作品を味わうと、大きな魂の栄養を得るのである。
私は、冨田勲さんが、苦しむ人々を救おうとする大いなる慈悲の想いで制作された『イーハトーヴ交響曲』を百回以上聴き、やせ細っていた魂に、少しは栄養をつけられたのだと感じるのである。
例えば、この作品の第5楽章『銀河鉄道の夜』での、初音ミクの「ケンタウルスよ、露を降らせ」という天使の歌声には、露という言葉で表した魂の食物を降らせる響きが秘められているのである。









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永遠の若さと美を与えてくれる絵と仏像

不老不死は人類の夢であると思うが、我々凡人の感覚では、「いつまでも若さと健康と能力を保ちたい」ということになろうか?
今夜は、それを実現することについて書いてみよう。
ジョージ・アダムスキー(ポーランド出身の哲学者。宇宙人との接触者として世界的に著名)の2冊めの著書の中に、アダムスキーが初めて宇宙人の巨大な宇宙船に乗り、初めて宇宙人の女性を見た時の話がある。
アダムスキーは、彼女達の女神のような美しさに驚く。そして、彼女達は、地球の年齢でいえば30歳から数百歳にもなるらしいが、見かけは20歳前の少女にしか見えなかったという。
男性の場合は、30代前半の、若々しい美男子である場合が多いが、やはり、年齢は女性達と同じようなものであると思われる。
ところで、女性の中の1人が、自分達が老化しない理由について、アダムスキーに明かしている。
それは、ある1枚の絵である。
およそ宇宙人のどこの家庭にもあるらしいが、それは神の姿の絵であった。
宇宙船の中にもあったその絵を見ると、アダムスキーは目の前の絶世の美女である宇宙人の女性の存在すら忘れ、恍惚としてしまい、かなり時間が経って我に返るまでは忘我の状態であったようだ。
神の姿は、18歳から25歳くらいとアダムスキーが感じた人物の胸から上の絵で、男性とも女性ともいえないようだった。
宇宙人の女性は、この絵を毎日見ているので我々は老化しないと言ったが、この見るという意味は、単に観賞するという意味にとってはならないと思う。
それは、目で見る観賞ではなく、無心になった時の霊眼で観照するということなのだと思う。しかし、難しく考えなくても、真に美しいものを敬虔に見るなら、自然にそうなるのだと思う。

私も、その絵を見たいと思い、せめて近いものがあればと思い、有名な絵画の資料を調べたが、あり得なかった。
しかし、最近、このブログでよく取り上げている、京都の広隆寺の、「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」と呼ばれる、1本の赤松の木から彫られた、高さ140cmほどの弥勒菩薩像が、それに近いものであると思うのである。
この像の美しさについては、西洋の芸術を探求した哲学者のカール・ヤスパースが「古代ギリシャやキリスト教の彫刻をはるかに超える美」と言ったことがよく知られているが、他にも、数多くの世界的な賞賛の声がある。また、国宝の彫刻部門の第一号でもあり、この質素な、大きくもない仏像が、日本最高の仏像であると言えるのである。

絵と彫刻という違いはある。
仏像とは何だろう?
船医として各地を巡った民族研究家であったリヒャルト・カルーツは著書『東洋のマリア』の中で、肉体組織を発達された東洋の人達が、菩薩界を霊視することができるようになったことで制作できたのだと言うが、私には意味がよく分からなかった。
※水声社『釈迦・観音・弥勒とは誰か』より引用した
だが、彫刻というものに大きな意義があることは感じられるのである。
それに、彫刻は長く保存できるし、本当に良いものは、時が経つほど深みが増すのである。

1つの考え方でがあるが、この弥勒菩薩像を思い浮かべ、あるいは、心を込めて撮られた写真を見ながら、「南無弥勒仏」と唱え、我々も菩薩界を霊視するようにすれば、我々も、宇宙の友人達のようなことをしていることになるのではないかと思うのである。

ところで、この弥勒菩薩像以上のものはないのだろうか?
実を言うと、あると思う。
それは、2002年に亡くなられた政木和三さんの前に出現した観音像だ。
空間から出現した像で、3体ある(他に、大黒像やえびす像も出現した)。
3つ目として出現した白衣観世音菩薩像が27cmと、大きなものではないが、人間に創れるようなものではない、美しさ、気高さである。
政木さんの著書『精神エネルギー』のページの中に、モノクロ印刷されたものがあった。
ところが、10年以上前、私が、まだ存命であった政木さんが当時勤めておられた林原生物化学研究所の政木さんの研究所を訪ねた時のことだった。
私は、そこに向かう車の中で、画家の横尾忠則さんのことがなぜか思い浮かんだ。しかし、その時の私にとっては何の脈絡もないとしか思えないことだった。また、その頃の私は、横尾さんのことをほとんど名前くらいしか知らなかった。
そこで、政木さんに、「横尾忠則さんをご存知ですか?」と尋ねたら、政木さんは黙って壁を見るので、そこを見ると、政木さんの見事な肖像画があり、「横尾忠則」と銘が書かれてあった。政木さんと横尾さんは、かなり交際があるのかもしれないと思った。
政木さんは、1冊の本を持ってきて、「この本は横尾さんが、自分にしか装丁できないと言って、装丁をしてくれました」と言われた。本の表面と裏面の表紙に、それぞれ、不思議な顔が描かれていた。『精神文明と奇跡』という本で、当時、既に絶版であったが、政木さんは、その本を私に下さった。
そして、この本の始めのカラーページ部に、写真家の中村昭夫さん撮影の、それらの観音像、大黒像、恵比寿像の全てのカラー写真があったのだ。
私は今まで、それをすっかり忘れていたのである。
しかし、弥勒菩薩の写真を見、日常ずっと、「南無弥勒仏」と唱え続けることで、再び、この本の観世音菩薩と再会できたのである。

尚、天使の彫刻であれば、『Talking with Amgels』の中に、驚くべき美しいものがある。
腕が無くなったものや、首の無い天使の像もある。しかし、霊的に観照すれば、完全な姿を見ることができると思う。

















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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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