ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せの法則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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悪しき願望を持ってしまったら

引き寄せの法則で叶う願望の範囲はどこまでか?
限界は一切ないが、制限はあるのか?
分かり易い例で言えば、不倫の願望でも叶えて良いのか?
それはあくまで一例であるが、「不倫は文化」などという戯言を支持するかどうかは別として、社会学の1つの説では、法的な規制がない限り、不倫は止められないものであるらしい。
つまりが、元々、人間は一夫一婦制に適合するように出来ていないということだ。
しかし、法律的、道徳的、倫理的、あるいは、宗教的には、厳しく非難される。
ところが、おかしなことに、科学だけが、それに同調しない。
それがどういう意味かは、考えても仕方がない。
単に、そういうことに関しては、科学より、法律、道徳、倫理、宗教、さらに、伝統や慣習がはるかに重要視されるというだけのことだ。

同性愛に関しては、昔は激しく非難され、法律で禁じる場合すらあったが、今や文明国では、それを非難することの方が偏見と言われるまでになっている。
だがまあ、不倫までがそうなるのは(なるとしたらだが)相当先の話かもしれない。
とはいえ、イエス・キリストの時代では、不倫は死罪もあり得、マリア(イエスの母)だって、ヨセフの態度如何では処刑されたと考える学者も多いが、それに比べれば、今はだいぶ緩くなり、「不倫は文化」という発言が称賛されることすらあるという訳だ。
では、ロリコンは、どうかというと、世界で5000万部を売り上げた(世界歴代22位)『ロリータ』の中に、そういったことも肯定される場合があるという証拠が、おそらく、著者のウラジミール・ナボコフの研究から示されている。

2400年のロングセラー『荘子』には、「善悪は立場の問題でしかない」と言い、中島敦の『名人伝』(『列氏』の引用と思われる)では、悟りを開いた弓の名人は「私には善と悪の区別がつかない」と言う。
CLAMPの漫画『魔法騎士レイアース』の主題は、「この世に絶対的な正義、絶対的な悪は存在しない」らしく、1つの世界を、自分の感情に従って滅ぼそうとした神官ザガートも英雄と見なされるかもしれない。
私は、ザガートは嫌いではないが、「もっと考えろよ」とは言いたいと思う(笑)。

結論として、やはり、悪というものを定義することは難しい。
そんなことをするよりも、ヒトラーのような者が現れた時、その被害に遭わないよう、引き寄せの法則をマスターした方が良いのではないかと思う。
むろん、引き寄せの法則を受け入れることが出来ない者には、それは妄言である。
それはつまり、引き寄せの法則を認めない者が、悪という概念を作り出しているとも言えるのではないかと思うのである。

悪がないと言うなら、盗んでも構わないのかといった極端論が出されることがある。
それに対し、キリスト教では「与えたものが与えられる」とし、「盗めば盗まれる」と教え、道徳ではなく、法則として「損だよ」と教えたとも考えられる。
だが、むしろ、「盗めば盗まれる」のではなく、「盗む者は既に自分から盗んでいる」のであり、だから、物質的にも精神的にも貧しいのだ。
また、引き寄せの法則では、盗まれる者も、盗まれる状況を自分で引き寄せたのだとされる。
納得しない人が多いと思うが、私は、その通りだと思う。
あなたは、引き寄せをマスターする限り、ロリコンもヒトラーも、あなたに害を及ぼすことはない。

『幻魔大戦』で、高校3年生の東丈は、深い劣等感や虐げられ否定されてきた屈辱や恨みから、ヒトラーになることを夢見ていた。
また、現代日本で、自分はヒトラーの再来だと言う、出版や映画界の大物もいる。
ある意味、彼らは、そんな状況を引き寄せた。
だが、正義というよりは、彼らは、ヒトラーよりも宇宙の法則を理解していたので、ことさらに悲惨を引き寄せなかっただけなのかもしれない。
2人とも、どこか純粋なところがあったのだ。
いや、ヒトラーだって、根は純情な小心者である。それに、当時は、今とは比較にならない偏見や横暴がまかり通っていた(だからといって擁護される訳ではないが)。
むしろ、彼の欠陥は、引き寄せの法則を正しく理解していなかったことだろう。
ヒトラーになるとまでは言わなくても、悪と見なされる願望が強ければ、東丈を参考にしたりして、賢くなることだ。
実を言えば、そんなプロセスを通った人間でなければ、世界は救えないのである。








引き寄せの素振り

北野たけしさんが言ったからどうというのではないが、彼が著名人の話をする時、実際に会って話していると思える場合には、多少、ポイントが高い(信憑性がある)かもしれない。
で、その北野さんが以前、何かのテレビ番組で、プロ野球のバッターの素振りについて、
「一晩中、バット振ってるやつって、やっぱり好きでやってんだ」
みたいなことを言われていたが、それが当たり前であることと共に、北野さんは、実際に思い知ったことがあるのかもしれない。

改めて言うのも何だが、人間は好きなこと、楽しいこと、面白いことをしなければならない。
イチローが素振りをする時、
「苦しいけど、打撃上達のために」
なんて思っているはずがない。
楽しいから振っていたに決まっている。
だが、やっぱり、何かのために、シンドいけど、筋トレしたり、勉強したりする人が多いのだ。
それが、一般の人間の能力を、低レベルに留めておきたい支配者の企てでもあるかのようにね(笑)。

『信念の魔術』という本で知られるクラウド・ブリストルは、暇があったら、そこらの紙に$(ドル)マークを書いてしまうらしい。
つまり、お金が大好きで、実際に、大きな富を築いたようである。
だが、皆が皆、お金が好きな訳ではないので、各自、自分が好きなことをやれば良い。
私は¥マークを書いても、そんなに楽しくはない(笑)。

プログラミングの素振りは、「写経」で、良いプログラムを何も考えずタイピングすることだ。
写経が楽しいなら、間違いなく優れたプログラマーになれると思う。

引き寄せの法則では、イメージして楽しい気分になれば、イメージした通りが現実になる。
だが、「イメージしなければならない」と思ってイメージしても、楽しいはずがないから、それは現実にならない。
イメージするだけでは駄目で、良い気分になることが絶対条件だ。そこを省いてしまっている引き寄せの本が多い。
それどころか、良い気分でいれば、宇宙の方で、あなたをさらに良い気分にする出来事を「みつくろって」くれる。
政木和三さんは、研究所の近くのホテルのレストランでは、初めて行った時から、座っても何も注文しなかったらしいが、いつも、丁度良いものを出してくれると言う。
実際、私が一緒に行った時も、政木さんも私も何も注文しなかったが、和風の美味しい料理が出てきたものだった。
本当の願いなら、それが実現した時のことを考えると楽しくなり、宇宙は、その良い気分に同調して、それを実現してしまうのである。
そして、本当に楽しいことなら、長い時間でも考えていられるだろう。
イチローの素振りや、ブリストルの$マークのように。
(願った後、忘れてしまうという手もあるが、つい考えてしまうほど楽しければ仕方がない。大いに考えると良い)

また、『イット・ワークス!』で教えていることも、毎日、楽しく出来るし、考えるだけなら、いくらでも考えることが出来、それが楽しければ、やればやるほど願望の実現は速くなる。
これが、引き寄せの素振りと言えるかもしれない。








本当の引き寄せは実に簡単

最近、「引き寄せの法則」について、よく書いているが、現在、「引き寄せの法則」は、ヒックス夫妻の『引き寄せの法則』と、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の2つが並び立っているのだと思う。
以前は、一般大衆に受け入れられたものは、何と言っても、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』だった。

私は、これらの中では、ヒックス夫妻の『引き寄せの法則』を最初に読み、大変に良いと思ったが、これで引き寄せをマスターしようと思ったら、一生かかっても足りないと判断した。
ナポレオン・ヒルの『成功哲学』も同様だ。
いずれも、本は、あまりに長く、内容てんこ盛りで、難しく(どちらかというと曖昧という意味だが)、引き寄せそのものが趣味なら、本を楽しむことは出来るが、実際に引き寄せが出来るようにはなれない。
また、ヒックス夫妻の『実践 引き寄せの法則』に書かれていて、それを信用するなら、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』は、肝心な部分が意図的に省かれていること、そして、ロンダ・バーンとヒックス夫妻は実は関係があったが、いろいろあって関係を断ち、結果、『ザ・シークレット』も不完全であるということだ。
私も、確認した訳ではないが、だいたいそうではないかと思う。
(ただ、ヒルの新しい本は、削除された部分が元に戻されているという話もある。しかし、やっぱり長くて難しい)
だが、ヒックス夫妻の『引き寄せの法則』が完全かというと、そんなことは分からないが、とにかく、複雑過ぎ、いろいろ書き過ぎで、面白くはあっても、少なくとも、普通の人にとっては実用的とはほど遠いと思う。
個人的な考えでは、引き寄せの法則と言う、当たり前のものを使うのに、賢者の霊(グループらしいが)が必要だとは、とても思えない。
しかし、好みは人それぞれなので、そんなのが良いと言う人もいるだろうし、バシャールが良いと思う人もいるだろう。

そもそも、私は、何度も書いたが、子供の時には、奇跡のような引き寄せは普通に行っていたのであり、その後は、学校や社会の影響で、ややうまくいかないところもあるかもしれないが、やはり、引き寄せは簡単であると思う。
私は、有名人になることや、事業に興味がなかったので(有名人や社長達には、出来るからやれとよく薦められたが)、あまり華々しいことはやっていないが、とにかく、苦労というものは全く知らないし、大多数の人には出来ないこともかなりやったと思う。
しかも、本来なら、私の性格からいえば、一生引きこもりニートのはずだ(実際、数年そうだったが)。

それで、いろいろ研究した結果、おそらく、引き寄せを実用的に使おうと思ったら、30ページの『イット・ワークス!』で十分と思う。
ただ、確かに、特に学校、そして、世間の因習というものが弊害になっている人が大多数なので、工夫が必要になるかもしれない。
ただし、だからといって、学校や、世間や、マスコミや大企業、あるいは、政治といったものを批判することにエネルギーを使ってはならない。
そんなことをしたら、ますます、それらに影響されてしまうのだ。
学校やマスコミが悪だという認識を持つこと自体は、何が本当に正しいかを知る上で良いことだが、学校などの悪いところをあげつらったりすることに耽ると、結局は、学校的な人間になってしまうのだ。
また、『イット・ワークス!』に欠陥はないが、敢えて言えば、笑顔とガッツポーズ、それに、舌を思い切り出すことはやった方が良いと思う。
尚、ナポレオン・ヒルも、ヒックス夫妻も、ロンダ・バーンも、善意に満ちていると思う。
彼らの本は、大いに参考にはなるが、あくまで参考であり、ひれ伏したりしてはならない。
これらの中では、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』が最も中庸であるという意味で良いと思う。








月給百万円以上かマイナス十万円かの分かれ目

若い人に限らず、
「ムカつく」
「落ち込んでいる」
「腹が立つ」
「悔しい」
と感じ、それを言葉にする。
それ自体は、まあ、仕方がない。
しかし、
「いつまでも腹の虫が収まらない」
「悔しくて眠れなかった」
「この恨み、忘れまじ」
「あの時、ああしてさえいれば(あの人がああしてくれれば)」
と思っているなら、それがたとえ愛すべき人であっても、救いようのない大馬鹿者、最低の愚か者だ。

賢い人は、常に自分の心を見張り、心が憎しみや恨みを感じていることに気付けば、即座に、それを恐れ、好きなもの、楽しいことを考えたり、そうなるようなことをするものだ。
これは、決して、善人は憎んだり、恨んだりしないといった、道徳的、あるいは、宗教的な理由ではない・・・いや、もし、それで本当に、悪い感情を消せるなら、それが最良なのかもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。
そうではなく、憎しみ、恨み、怒り、妬み、あるいは、悲痛な感情を持ち続けることが、現実的に損だからだ。
喩えてみれば、頭に感情記録装置を取り付け、給料日にその装置の記録データをチェックされ、恨みや妬みといった感情が多ければ月給はマイナス10万円(つまり会社に10万円払う)で、幸福感が多ければ月給は百万円(あるいはもっと多額)であるというようなものだ。
もし、そうであれば、恨みなんか感じたら、別に「神の御心に背くから」ではなく、「給料が減るのは嫌だ」という理由で、「楽しいことを考えよう」となるだろう。
あるいは、「今月のペナルティーは、最悪、脚1本」となっているかもしれない。
まあ、本当は、マイナスの報いは、かなり軽く済むものだが、プラスの報酬は、気分で大きく変わるのである。
楽しい気分でいれば、素敵なあの人が高価なプレゼントを持って告白に来るが、嫌な気分でいれば、彼は、別の人にそうするだろう。
この世界は、ヴァーチャルワールド(仮想現実世界)のようなもので、幸不幸に関し、そのように、割とシンプルにプログラムされているのだと思う。

だから、自分の気分にいつも気を付け、悪い気分であれば、好きなもののことを考えたりして、気持ちを切り替えなければならない。
10分とか20分とかでもあれば、心を落ち着け、楽しい気分になれる、望ましい状況を静かに想像すると、さらに良いだろう。
ただ、良い気分は、あくまで、「幸福感」を感じるものでないといけない。
憎いあん畜生を殴り倒したり、大勢のイケメン男子に傅(かしず)かれたり、可愛い女の子を辱めて良い気分だと思っても、そんなことで、「幸せだなあ」と心の底から思ったりは出来ない。
そんな低レベルなことではなく、「幸せだなあ」と心から思える、心から期待すべき状況を想像することだ。
大学に合格することにしても、「これでやりたい勉強が出来る」という希望で嬉しいと思う時には幸福感があるが、「これで自慢出来る」といったような根性で嬉しい場合には、その時は幸福だと思っても、すぐに虚しさや、さらに見栄を張るためのものが必要になるという辛さしかないだろう。
あるいは、馬鹿な親が、子供が欲しがるものをどんどん与え、いい気分にさせてやっていると大誤解すると、悲惨なことになる(そんな人達が多いが)。
その子供は、自分の心を管理することを覚えず、しかも、次々に「ゴキゲン」になるものを与えられないと、被害者意識を持ち、怒りを爆発させるようになる。
甘やかされた犬も同じようなものだろう。

良い気分でいること、つまり、幸福感を感じることは、義務でも何でもない。
いつも悪い気分でいて、現実が悲惨になっても、他の誰にも関係ないからだ。
それが自分で作った運命である。
だが、もし、幸福になりたいなら、良い気分でいなければならないが、自分を良い気分にする責任は自分にしかないのである。








名作文学は子供向けを読むべし

強く願ったことは現実になる。
ただ、願った後、しばらくの間、少しも叶いそうにない状況になことが多い。
それでも諦めなければ叶う。
ただし、そこで力んで唸る必要はない。
けれども、ある程度は耐え忍ばねばならない。

フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』のことはご存じと思う。
私は、この世界的名作を、小学5年生の時以来、読んでいなかったが、最近、やや古い訳ではあったが、大人向けのものを読んでみたところ、肝心のところで文章が難し過ぎてさっぱり解らない。
訳者は、ここぞという場面では、より重厚で格調高い文にしたがり、結果、全然意味が解らない言葉使いになるのだと思う。
また、国も時代も違うのだから、事細かに説明されても、全くイメージが湧かないことも多い。
正直、重要人物ではあっても、ミリエル司教の細かい経歴など、長々読む意味など全くないと言ったら怒られるかもしれないが、私にはそうとしか思えないのである。
それで私は、子供向きのものを読んでみたが、これが実に素晴らしかった。
異論もあろうが、特に長編の文学に関しては、小学5年生以上を対象にした子供向けのもので十分と思った。
そもそも、我々は、大文学の大半を読まないまま死ぬのであり、それなら、最初から子供版を、1冊でも多く読めば良い。
それに、大人版を読んで、全体の2割しか解らないとしても、最初から6割の内容の子供版を9割理解すれば、半分以上(54パーセント)解るのであるから、ずっと良いことになるのではあるまいか。

そして、子供版の『レ・ミゼラブル』(子供版の場合『ああ無情』のタイトルが使われることが多い)を読んでも、引き寄せの法則をくっきり理解出来る。
大文学こそ、我々にとって最も有益な宇宙の法則である「引き寄せの法則」を使う能力を得るために読むべきである。
実際、名作文学は、その目的に極めて適している。
何より、感動的な文学は、圧倒的、あるいは、神秘的なほど気分が良くなるので(読んで陰鬱になるようなものは読まない方が良い)、それだけでも素晴らしいメリットである。
いつも言うように、この宇宙は「良い気分でいれば良いことが、悪い気分でいれば悪いことが引き寄せられる」仕組みだからである。

さて、『レ・ミゼラブル』の、ジャン・ヴァルジャンの、よく知られているお話を振り返る。
ジャン・ヴァルジャンは、刑務所で19年服役し、46歳で出所した日、1日中歩き続け、空腹で疲れていたが、どこの食堂も宿屋も、彼を入れてくれなかった。
彼が、前科者の黄色い身分証明書を持っていたからだ。
夜になり、冬で寒かったが、野宿するより仕方がなく、公園のベンチで横になると、通りかかった女性が声をかけた。
ジャン・ヴァルジャンの心が、この女性を引き寄せたと言うしかない。
普通なら、よそ者の、ボロを着た、人相の悪い男に、女性が声をかけるはずがないからだ。
とにかく、女性は、ジャン・ヴァルジャンに、「あそこに行きなさい」と指を指し、「必ず泊めてもらえる」と断言した。
そこにいたのが、ミリエル司教だった。
ミリエルは、あまりにも当然というふうに、ジャン・ヴァルジャンに食事を与え、寝室の用意をした。
だが、ジャン・ヴァルジャンは、ミリエルの銀の食器を盗んで逃げた。
そして、3人の警官に連れられて、再び現れたジャン・ヴァルジャンを見て、ミリエルは、
「あなたに差し上げた銀の食器はどうしました?この2つの銀の燭台も差し上げたのに、なぜ持って行かなかったのですか?」
と平然と言い、警官は、ジャン・ヴァルジャンに銀の食器を返して引き上げた。
それから、ミリエルはジャン・ヴァルジャンに、2つの銀の燭台も渡し、
「これは、新しく生まれ変わったあなたへの神からのプレゼントです」
と言った。
それから、ジャン・ヴァルジャンの人生は幸運なものに変わったが、それは、ミリエルが、ジャン・ヴァルジャンがずっといい気分でいられれるようにしてくれたからだ。
ミリエルは、ジャン・ヴァルジャンに、引き寄せの魔法の杖を与えたのである。
それを理解すれば、あなたも同じ魔法の杖を得られるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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