世界のほとんどの国では、災害が起こると秩序が崩壊し、商店の商品が強奪され、金持ちが食品その他の生活物資を買い占め、食品や生活物資を販売する業者は値段を引き上げ、女性がレイプされるといったことが当たり前に起こるが、日本では、それが非常に少ないことが、外国から驚かれたり、称賛されたりする。
これは、四季の変化が激しく、山が多い厳しい自然環境の中で協力し合わなければ生きていけない日本では、暴力的でなく大人しくて協調性があり、考え深い人間でないと生きていけず、そんな人間の遺伝子が受け継がれたためと考えられる。
だから、その悪い面である、集団に頑なに従う、また、従わせるという面がある。
だが、少なくとも見かけ上は善良である。
では、西洋の人間が邪悪であるかというと、そうではない。
むしろ、災害時に善意を守る日本人を称賛するということは、西洋人の中に善の魂があるからであり、集団の制裁を恐れることで見かけ上の善意を守っている場合も多い日本人が必ずしも上とは言えないかもしれない。
1940年代のアメリカで、特に少年達が熱狂した『ローン・レンジャー』という、ラジオ・テレビドラマがあった。
仮面をつけたヒーロー、ローン・レンジャーが愛馬シルバーを駆り、早撃ちの腕前で、人々を苦しめる悪を倒すというヒーローものである。
また、ローン・レンジャーはインディアンの青年とコンビを組んでいるのは、人種的偏見が大きかった当時のアメリカでは異例な設定であった。
このローン・レンジャーが、かつて、彼がこよなく敬愛した兄を殺した、邪悪の権化とも言える悪党と激しい戦いをするお話があった。
卑怯な手を駆使する悪党にピンチの連続のローン・レンジャーだが、悪党は誤って崖から転落して死ぬ。
その時、ローン・レンジャーとコンビを組むことになる善良なインディアンの青年が、
「こんなやつ、死んで当然さ」
と言う。
だが、ローン・レンジャーは苦しい顔をして、
「死んで当然のやつなんていない」
と言い、悪党の墓を作る。
アメリカにはアメリカの善があり、本来なら、災害時に略奪をしたりはしないが、何かがアメリカ人を邪悪にした・・・と言うより、アメリカ人のIQを叩き落したのだし、その何かは日本人のIQも落とし尽くし、今の日本人は、集団を恐れる心でなんとか善を保っているだけという部分が大きくなってきた。
だが、所詮、幸運とか、神助というのは、善である者にしか与えられない。
悪は栄えても、得た歓楽以上の苦痛を与えられて滅ぶし、栄えているように見える悪人は実は苦しい。
1980年代の日本に『スペースコブラ』という漫画・アニメが人気があった。
主人公の宇宙海賊コブラは、女好きで豪放なナイスガイで、一応は、高額の賞金がかけられたお尋ね者で、それが悪の魅力でもあった。
だが、コブラは、個人的な挑発を受けても笑って受け流す余裕があり、そして、自分を殺そうとした悪人でも、死にそうになっていれば助けた。
そんなコブラが危機一髪を切り抜ける場面は、どう見ても、ただの幸運という場合が多かった。
そして、それが自然に感じる。作者も、そう感じていたのだろう。
魂が善であるから幸運が味方するのではないだろうか?

AIアート320
「伸びやかな天使」
Kay
だが、戦争や事業では、善意だけでは生きていけないと言われる。
リー・ヴァン・クリーフ、ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・ウェスタン『怒りの荒野』では、ジェンマ演じる若いガンマン、マリー・スコットは、クリーフ演じる恩のある老ガンマン(と言っても渋い40代後半だが)のタルビーが命乞いをするのに撃ち殺す。
生かしておいたら、いつか自分が殺されるという意味で「傷を負わせたら殺せ」というのがガンマンの掟であるからだ。
だが、ローン・レンジャーなら殺さなかったかもしれない。
ところが、タルビーを撃ち殺した後、マリー・スコットは銃を投げ捨てる。
「こんなことは俺たちで終わりだ」と言いたげであった。
そもそもの発端は、町の人々が娼婦マリーの息子のスコット(マリー・スコット)を虐げたことだ。
そのようなことをしたのは、町の人々の道徳とか善意の問題ではない。
町の人々のIQが低かったからだ。
そして、何者かは分からないが、悪の勢力は、アメリカ、日本など、全ての国の人々のIQを引き落とし、低俗で邪悪な人間にしようとしている。
解決策は、思考を消し、本物のIQを上げることだが、洗脳された我々はそれを理解出来ない。
だから、呼吸法で脳波をアルファー波からシータ波近くまで下げ、余計な思考を消すことを、いつもお勧めするのである。
これは、四季の変化が激しく、山が多い厳しい自然環境の中で協力し合わなければ生きていけない日本では、暴力的でなく大人しくて協調性があり、考え深い人間でないと生きていけず、そんな人間の遺伝子が受け継がれたためと考えられる。
だから、その悪い面である、集団に頑なに従う、また、従わせるという面がある。
だが、少なくとも見かけ上は善良である。
では、西洋の人間が邪悪であるかというと、そうではない。
むしろ、災害時に善意を守る日本人を称賛するということは、西洋人の中に善の魂があるからであり、集団の制裁を恐れることで見かけ上の善意を守っている場合も多い日本人が必ずしも上とは言えないかもしれない。
1940年代のアメリカで、特に少年達が熱狂した『ローン・レンジャー』という、ラジオ・テレビドラマがあった。
仮面をつけたヒーロー、ローン・レンジャーが愛馬シルバーを駆り、早撃ちの腕前で、人々を苦しめる悪を倒すというヒーローものである。
また、ローン・レンジャーはインディアンの青年とコンビを組んでいるのは、人種的偏見が大きかった当時のアメリカでは異例な設定であった。
このローン・レンジャーが、かつて、彼がこよなく敬愛した兄を殺した、邪悪の権化とも言える悪党と激しい戦いをするお話があった。
卑怯な手を駆使する悪党にピンチの連続のローン・レンジャーだが、悪党は誤って崖から転落して死ぬ。
その時、ローン・レンジャーとコンビを組むことになる善良なインディアンの青年が、
「こんなやつ、死んで当然さ」
と言う。
だが、ローン・レンジャーは苦しい顔をして、
「死んで当然のやつなんていない」
と言い、悪党の墓を作る。
アメリカにはアメリカの善があり、本来なら、災害時に略奪をしたりはしないが、何かがアメリカ人を邪悪にした・・・と言うより、アメリカ人のIQを叩き落したのだし、その何かは日本人のIQも落とし尽くし、今の日本人は、集団を恐れる心でなんとか善を保っているだけという部分が大きくなってきた。
だが、所詮、幸運とか、神助というのは、善である者にしか与えられない。
悪は栄えても、得た歓楽以上の苦痛を与えられて滅ぶし、栄えているように見える悪人は実は苦しい。
1980年代の日本に『スペースコブラ』という漫画・アニメが人気があった。
主人公の宇宙海賊コブラは、女好きで豪放なナイスガイで、一応は、高額の賞金がかけられたお尋ね者で、それが悪の魅力でもあった。
だが、コブラは、個人的な挑発を受けても笑って受け流す余裕があり、そして、自分を殺そうとした悪人でも、死にそうになっていれば助けた。
そんなコブラが危機一髪を切り抜ける場面は、どう見ても、ただの幸運という場合が多かった。
そして、それが自然に感じる。作者も、そう感じていたのだろう。
魂が善であるから幸運が味方するのではないだろうか?

AIアート320
「伸びやかな天使」
Kay
だが、戦争や事業では、善意だけでは生きていけないと言われる。
リー・ヴァン・クリーフ、ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・ウェスタン『怒りの荒野』では、ジェンマ演じる若いガンマン、マリー・スコットは、クリーフ演じる恩のある老ガンマン(と言っても渋い40代後半だが)のタルビーが命乞いをするのに撃ち殺す。
生かしておいたら、いつか自分が殺されるという意味で「傷を負わせたら殺せ」というのがガンマンの掟であるからだ。
だが、ローン・レンジャーなら殺さなかったかもしれない。
ところが、タルビーを撃ち殺した後、マリー・スコットは銃を投げ捨てる。
「こんなことは俺たちで終わりだ」と言いたげであった。
そもそもの発端は、町の人々が娼婦マリーの息子のスコット(マリー・スコット)を虐げたことだ。
そのようなことをしたのは、町の人々の道徳とか善意の問題ではない。
町の人々のIQが低かったからだ。
そして、何者かは分からないが、悪の勢力は、アメリカ、日本など、全ての国の人々のIQを引き落とし、低俗で邪悪な人間にしようとしている。
解決策は、思考を消し、本物のIQを上げることだが、洗脳された我々はそれを理解出来ない。
だから、呼吸法で脳波をアルファー波からシータ波近くまで下げ、余計な思考を消すことを、いつもお勧めするのである。