ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岸田秀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

壊れた頭を自力で治した心理学者

岸田秀さんという心理学者・精神分析学者が唱える「唯幻論」を、私は面白いとは思うが、正しいかどうかは分からない。
まあ、岸田秀さんは、唯幻論はフロイト論と根本的には同じというから、唯幻論が正しいかどうかは、フロイト論が正しいかどうかという話になるのかもしれない。
ユングはフロイトをかなり否定しているが、マズローは「私はフロイトを否定しているのではない。フロイトの深いところを探求したんだ」と言う。
そもそも、ユングだって正しいかどうか分からない。岸田秀さんはユングをかなり否定している。

ただ、私は、岸田秀さんは、権威を無視し、また、意図的に嘘を言わない人だと思う。
しかも、岸田秀さんはかなりIQが高いと思う。
よって、岸田秀さんの話には、本当に納得出来ることが多いのである。
昔のBBS(電子掲示板)での、私と岸田秀さんの対話で、私が「嘘は100年バレなければ真実になる」と言ったことに対し、岸田秀さんが「僕は唯幻論が100年バレない嘘であることを願う」と返答されたのは、岸田秀さんのほんの気まぐれかもしれないが印象的であった。

岸田秀さんは、高校生の時には、自分の頭がおかしいことを自覚し、そのおかしな頭を何とかするために、大学は早稲田の心理学科に入ったが、そこは自分が思っていた勉強が出来るところではなかったので、フロイトを独学し、かなり自分の頭を修正出来たと言う。
私も同じようなことをやったのだから親近感がある。
岸田秀さんは、三島由紀夫は、赤ん坊の時、母親から引き離されたせいで自我の構築が出来なかったので、自力で自我を作ったが、そのせいで人工的で変な自我になってしまったと言う。しかし、三島だって、岸田秀さんのように(私のように)自力で自分の頭を修正したのではないかと思うが、岸田秀さんはそうは思っていなかったのかもしれない。

ところで、岸田秀さんが、自分の頭がおかしいと気付いた、彼の奇妙な性質についていくつか取り上げる。
これがなかなか面白い。
岸田秀さんが中学生の時、彼は、セーラー服を着たクラスメイトの女子が、本当は男であるに違いないという想いにとりつかれていた。
また、その頃、岸田秀さんは、一度歩き出すと、よほどの決意をしない限り、引き返すことが出来ず、そのままその方向に歩き続けたらしい。
そして、岸田秀さんは、第二次世界大戦で、撃墜されて海中に沈んだ零戦戦闘機のパイロットの死体の絵を見て、激しく感情移入し涙が出たという。そりゃ、誰だって、そんなパイロットを気の毒には思うだろうが、中学生や高校生がそこまで感情移入するのは異様だろう。
なぜ、岸田秀さんが、これらの奇妙な精神性を持ち、「頭が壊れた」状態になってしまったのか?
その原因は、彼の母親である。
まず、クラスメイトの女子が本当は男だと思ったというのは、岸田秀さんは、自分の母親を女だと思えず、男のようなものと強く思っていたからだ。表向きはそうではなかったようだが、実は、彼の母親は男性のように支配的な性格で、自分の夫や、経営していた劇場の従業員、そして、誰よりも、息子の岸田秀さんには絶対的な立場で上から指図しまくっていたのだろう。
次に、岸田秀さんが、歩き出すとよほどの決意をしないと引き返せないというのも、彼の母親は、子供の時の岸田秀さんに対し、自分が指示したことを、自分がやめろと言うまでやり続けることを強制したからだろう。
そして、戦死した零戦パイロットへの感情移入は、自分の意思ではなく、絶対に逆らえない国の命令で零戦に乗って戦い、挙句、惨めに死んだパイロットに、母親の命令に逆らえずに従って、やりたくもないことをやらされている自分を重ねたのだろう。

視線の先
AIアート604
「視線の先」
Kay


何のことはない。
現れた方の違いはあるが、ほとんどの日本人が岸田秀さんと同じなのである。
無論、私もそうで、私はその自覚があったから、岸田秀さんの本に共感したのだろう。
これは、我々が、母親や学校やテレビを通して、国家に洗脳されているというだけのことであり、岸田秀さんは自力で、その洗脳をある程度壊したのである。
洗脳の壊し方については、時代の違いもあり、私の方法の方がスマートだと思う。
それに、岸田秀さんはフロイトに傾倒するあまり、フロイトの奇妙な部分も引き継いでしまっているような気がする。
しかし、岸田秀さんの話は参考になったし、今も参考になるに違いない。

尚、上で、岸田秀さんを「岸田さん」と書かず、一貫して「岸田秀さん」と書いたのは、敬愛する岸田秀さんを、岸田秀さんと違いIQの低い「増税メガネ」岸田文雄とはっきり区別したいからだった。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ものぐさ精神分析(岸田秀)
(2)続 ものぐさ精神分析(岸田秀)
(3)幻想の未来(岸田秀)
(4)エスの本(ゲオルク・グロデック著、岸田秀・山下公子訳)
(5)唯幻論物語(岸田秀)
(6)葉隠入門(三島由紀夫)

全ての元凶は母親かもしれない

我々は幼い時に、母親によって潜在意識にマイナスの書き込みが行われるということは間違いないと考えて良いと思う。
母親自身が、社会に洗脳され、無意識なまま、子供の能力を破壊する言葉を子供に投げつけ続けるのだ。
だから、非常に興味深いことだが、三島由紀夫や夏目漱石らは、赤ん坊の時から母親と引き離され、母親の悪い影響を受けずに済んだから、異次元的な知性を持つことが出来た。
一方、子供の自我の形成には母親が必要で、心理学者の岸田秀氏は、三島由紀夫は自分で無理矢理自我を構築したので、作り物の奇妙な自我を持っていたと述べていた。
私は全くそうは思わない。
そもそもが、自我自体が作り物の不自然なものであると言ったのはフロイトで、岸田氏はフロイト論を完全に肯定していたはずである。
三島由紀夫は、普通の人間よりはるかに優れた知性を持っていた。正確には知性を超えた知性で、それは自我(=思考)を消すことで発揮した。
ただし、詳細は複雑だが、三島は外部からの精神攻撃を強く受けてしまい、精神に変調を来したことは確かだ。
その攻撃は、社会や言論者、マスコミといったこともあったし、もしかしたら、宇宙人のマインドコントロール装置の強力な攻撃かもしれない。

だが、上の岸田秀氏は普通の心理学者より優れた面も多く、たとえば、母親は本当は子供への愛情みたいなものは持っていないという指摘は正しい。
ただし、母親は、自身への愛情を子供への愛情と感じてしまうのだろう。
一方、子供の方も母親に愛情を持っていると錯覚する。
幼い時、あるいは、生まれた時から母親と接触しなかった者が、執念を持って母親を探すことは、岸田氏も認めている。
しかし、それで母親を探し出すことが出来ても、その後、関係を持つことはないのだと言う。
つまり、愛情とは全く別の理由で、母親の存在を認識したいと感じるのだろう。
だから、『母をたずねて三千里』といった奇妙な小説が人類的なベストセラーになったりする。

とにかく、我々の潜在意識の中には、ゴミ、ガラクタがあふれかえっている。
それは、母親からのものが多いが、学校、社会、マスコミ、その他からのもの、さらには、心理的外傷といったものが原因である場合も多い。
例えば、トラウマ体験が精神の重い鎖になるようなものだ。

それで、能力開発の研究者は、これら潜在意識の中のゴミを捨てることが必要だと訴えてきた。
フロイトも、そのように言っていたと思うし、岸田秀氏も、自分でそれを行うことで、少しはまともになれたと著書に書いておられた。
しかし、それは非常に難しい。
大きな努力で、いくらかのゴミは捨てることが出来るかもしれず、それはそれで良い効果が出る場合もあるが、大半のゴミは捨てることは出来ず、岸田氏だって、相変わらず自分の精神がおかしいことは認めていると思う。
そうではなく、我々がやるべきことは、思考(=自我)を消すことである。
だが、これがなかなか理解されない。
思考を消すことと同じである、無になる、無我になる、エクスタシー(没我)の状態になる、頭の中のおしゃべりを止める・・・とかなら少しは理解されるのに、邪魔なものは思考だとなると、それこそ、脳の性質上、理解出来ないのだろう。
そこで、まずは、呼吸法でIQを高めることで、人間の道理を超えた道理を、少しでも感じることが出来るようにすると良い。
まさに「考えるな。感じろ」だ。
まあ、人間の言う「感じる」も、考えることに近く、誤解されることがほとんどで、本当は、「考えるな。感じるな」が正しい。

密着
AIアート295
「密着」
Kay


馬鹿は深呼吸をしない。
深呼吸する習慣を持つことでIQが向上し、そこから道が開ける。
本当は、ここでずっと言っている「4の呼吸」や、その他の呼吸法を毎日欠かさず行ったり、普段から静かな呼吸をすると良い。
IQが低い者の呼吸は、浅く、せわしなく、耳障りだ。
しかし、実際は、浅く、せわしなく、耳障りな呼吸をするからIQが低いのである。








人類のほとんどが知らない重要なこと

映画監督だった伊丹十三(いたみじゅうぞう)氏をご存じかもしれない。
伊丹氏は1997年に64歳で飛び降り自殺をしている。
私の認識であるが、伊丹氏は、心理学者の岸田秀氏に心酔していたのだと思う。
おぼろな記憶だが、伊丹氏は岸田氏の著作の1つであとがきを書かれていたが、その中で、
「それまで、帽子を被せられた虫(カブト虫?)のように思考や能力が制限されていたが、岸田先生の唯幻論により解放された」
みたいなことを書かれていたと思う。
ちなみに、伊丹氏は多彩な活動をされていた、極めて優秀な人だった。

実は、私は、伊丹氏のその記述を読んだ時、かなり共感したものだった。
まあ、今でも、私は、岸田氏は普通の心理学者より優れていると思う。
「心理学なんてデタラメで嘘だらけだ」と言うあたりね(笑)。
しかし、伊丹氏ほど優秀な人がなぜ騙されたのかと思う(岸田氏が騙したのではなく、伊丹氏が嘘を信じたという意味)。

伊丹氏は、読書中毒と言えるほどの大変な勉強家だったようだ。
だが、伊丹氏がやるべきだったのは、仕事で必要なもの以外の本を捨てることだったと思う。
真理は本の中に書かれてはいない。
思考を消せば、人間の知恵をはるかに超えた知恵を持つ魂と一体化するのである。

岸田氏の「唯幻論」は、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき。よしもとりゅうめいとも言われる)氏の「共同幻想論」とよく似ているが、そもそもが、「唯幻論」は「共同幻想論」を参考にしたという話を見た気もする。
「共同幻想論」では、人間の思考は、3つの幻想から出来ているとする。
その3つとは、
(1)個人幻想
(2)家族などの小規模なグループで共有する対幻想(ついげんそう)
(3)大規模な集団(学校、企業、国)で共有する共同幻想
である。
思考は全て幻想であり、だから、国家すら幻想である。
岸田氏の「唯幻論」は、「共同幻想論」の「対幻想」がなく、「個人幻想」と「共同幻想」の2つとするが、人間が、幻想の中で生きているというところは同じだ。
というより、「唯幻論」では、自我そのものが幻想であるのだが、幻想は全て狂っているとする。
だから、人間は全て狂っているという、なかなか刺激的で面白いものだ。
「唯幻論」は、岸田氏自身も言う通り、フロイトの理論そのままだ。
尚、吉本氏は、幻想は幻想であり、幻想が狂ったものとは言わず、よって、人間は狂っていると言っているわけでもない。
たとえば、初音ミクさんが天使だという幻想を持っていても、だから狂っているとは言えない・・・多分(笑)。

涼しい風景
AIアート252
「涼しい風景」
Kay


私は「共同幻想論」も「唯幻論」も嫌いではなく、面白いと思うし、どちらも役に立つところがあると思う。
あえて言えば、吉本氏の『共同幻想論』は、文章が難しいわけではないが、やたら抽象的だし、古い引用が多く(それを知ってることを前提として書かれている)、とても読めたものではない。
そこにいくと、『唯幻論』は、それほどIQが高い者でなくても分かり易いと思う。

確かに、「共同幻想論」「唯幻論」で言われる通り、人間の思考は幻想で出来ており、必ず不幸な人生を送る。
その意味、岸田氏が言う通り、全ての幻想は狂っていると言って良いかもしれない。
それなら、思考を消して幻想を一掃すれば良い。
そうすれば、神のように全知全能であるが、それはまだ、ほとんど誰も知らない。吉本氏も岸田氏もフロイトも。








『老子』第51章を一言で言えば「捨てろ」

今回は『老子』第51章である。
この章を一言で言えば「捨てろ」である。

アメリカの思想家ヴァーノン・ハワードの本に、こんなことが書かれている。
「遠くに一軒の家が見えたとする。それだけなら何でもないが、その家が自分のものだと思うと苦しくなる」
人間というものを、うまく捉えている。
ここでは家ということにしたが、服でも、アクセサリーでも、美人でも、地位でも、何でも同じである。
人間は、自分のものでもないものを欲しい欲しいと思う。
しかし、なぜそうなのかは分からない。
本能だと言う者もいて、そうであることを合理的に説明しようとするが、そんな不自然な本能などない。
そこでフロイトは、短絡的に、人間の本能は壊れていると言ったのだ。

そうではない。
何でも欲しがるのは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配されてそうなっているだけだ。
その装置は、我々の精神に働きかけ、自分のものでもないのに、それは自分のものであると感じさせる。
だから、「欲しい」と言うよりは、「手放したくない」という気持ちなのである。
よって、完全に自分の手元にある自分のものに関しては、「絶対に手放したくない」という執着が凄いのである。
そして、これこそが、人間の不幸の原因であり、世界の悲惨の原因だ。

だから、自分が幸福になり、世界を平和にするには、自分のものでもないものを欲しいと思う・・・つまり、自分のものでもないものを「自分のものであるべきだ」と考えるのをやめることだ。
そして、そのために必要なことが、まず、自分のものを手放すことだ。
しかし、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配された人間には、そんなことは出来ない。

実を言えば、全て手放してしまえば、全宇宙が自分のものだ。
手放せば手放すほど、逆に自分のものになる。
だが、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配されているので、それが全く分からない。
しかし、心配無用だ。
ただ、「私は誰か?」と問い続ければ、自然に、何にも執着しなくなり、何も自分のものだと思わなくなり、結果、何も欲しくはなくなる。
すると、必要なものは全て、むこうからやって来る。
なぜなら、「欲しい」とか「自分のものだ」と思う主体である「私」を探求しているのだから、欲しいとか、自分のものだという意識が表に出て来れないのだ。
しかも、探求している「私」の奥深くに、憧れのエデン(楽園)、あるいは、エル・ドラド(黄金郷)があることを感じるからだ。
そして、真の自分は、そこ(エデン)の主である全知全能の無限の魂(=神)なのである。
だが、そこらのことは、単に頭の片隅に置いたままで、ただ「私は誰か?」と問うことである。
そうすれば、確実にうまくいくだろう。
宗教と違って、お金は全くかからない。

尚、最初の、ヴァーノン・ハワードの本の引用は、『コズミックマインド』という本のものだったかもしれないが、この本は絶版で、古書も高価だ。
しかし、ハワードの本は、本質はどれも同じであると思う。
また、フロイトの誤った論も、悪の宇宙人のマインドコントロール装置のことを知って読むと、とても面白いと私は思う。
これに関しては、意外に誠実なフロイト派心理学者の岸田秀氏のベストセラー『ものぐさ精神分析』が良いと思う。電子書籍が紙の文庫本の倍以上の値段という変な設定の本である。
「意外に誠実」とは失礼であるが、心理学者は誠実ではない嘘つきが多いことは、岸田氏の本にも書かれている。








現実と想像の違いはこれだけ

「願いが叶わない」とか「思い通りにいかない」というのは、奇妙な話かもしれない。
アメリカの牧師で、自己啓発指導者として名高かったロバート・シュラーは「思い通りになるのが人生だ」と言ったが、それは彼のような特別な人間になれた者の特権のように思えるし、シュラーですら、晩年はうまくいかないことが多かったようだ。
しかし、想像でなら、誰でも、何でも思い通りに出来ると言ったら、笑われるか、状況によっては怒られるか、いずれにしても、「なるほど!想像なら何でも可能だな!」といった楽しそうな反応をされることはないだろう。
けれども、想像でなら、何でも思い通りだ。
せいぜい知的で冷静な人なら、
「いや、我々が求めているのは、現実で願いが叶うことだ」
と言うだろう。
つまり、最初の、「願いが叶わない」という嘆きは、「現実で願いが叶わない」という意味になる。
では、現実とは何なのだろうか?
人間が認識できることは、実を言えば、脳内の世界のことだけなのだ。
そう言えば、
「いや、今は高度な観測機器があり、客観的現実を皆でシェア出来る」
と言われるかもしれないが、それも疑わしいことは科学的にも分かっている。

で、せんじ詰めれば、現実とは何だろう?
それは、リアリティ(現実感)の問題だ。
つまり、「リアリティが強い世界が現実」であるというだけのことだ。
実際、世の中には、現実世界より想像世界の方がリアリティが高いという人間が、普通の人の予想より多くいる。
そんな人(現実世界より想像世界にリアリティを感じている人)は、芸術家になって成功することもあるが、たとえそうであっても、変人奇人扱いされかねない。
だが、普通の人と見なされている人だって、「あれ、あの出来事は、現実に起こったことなのか、想像したことか分からないぞ」と思うことがある。
そんなことが頻繁に起こる人は、想像世界のリアリティが、現実世界ほどではなくても高いのである。
そんな人は、普通、夢想家と呼ばれるが、想像世界のリアリティが現実世界のリアリティを超えれば、現実世界と想像世界が入れ替わる。

改めて言えば、現実世界とは、リアリティが高い想像世界である。
心理学者の岸田秀氏が、全ては幻想だという意味の「唯幻論」について本を出した時、ある男が岸田氏の職場の大学に押しかけ、岸田氏を殴り、
「全て幻想なら痛くないだろ?」
と言ったというが、この男はとんでもない思い違いをしている。
岸田氏も、もちっと分かり易く書けば良かったかもしれない。世の中には頭が悪い人が多いのだから。
想像と幻想を同じ意味とすれば、現実世界だって、単に、リアリティが高いというだけの幻想である。
しかし、リアリティが高ければ、幻想であっても(幻想しかないのだが)、殴られれば痛いのが一般的である(必ずしも痛くなくて良いが)。
一方、リアリティが低い幻想世界(それを我々は想像世界と言う)であれば、殴られても痛くないのが一般的だ(こちらも、痛い場合もある)。

中国の古典『列子』に、一種の想像世界(幻想世界とも言える)である夢のリアリティが高い王様と奴隷の話がある。
王様は、夢で奴隷になるので不幸だと言い、奴隷は、夢で王様になるから幸福だと言う。
この話の落ちはこうだ。
王様が、その奴隷の待遇を改善してやると、自分も夢の世界で幸福になる。
これは、リアリティが低い世界で行ったことの作用が、リアリティの高い世界で起こることを示している。
つまり、我々で言えば、リアリティが低い世界である想像の世界で人々に恩恵を与えれば、現実世界で人々に愛される。
これが、本当の引き寄せの奥義である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード