ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岸田秀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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『老子』第51章を一言で言えば「捨てろ」

今回は『老子』第51章である。
この章を一言で言えば「捨てろ」である。

アメリカの思想家ヴァーノン・ハワードの本に、こんなことが書かれている。
「遠くに一軒の家が見えたとする。それだけなら何でもないが、その家が自分のものだと思うと苦しくなる」
人間というものを、うまく捉えている。
ここでは家ということにしたが、服でも、アクセサリーでも、美人でも、地位でも、何でも同じである。
人間は、自分のものでもないものを欲しい欲しいと思う。
しかし、なぜそうなのかは分からない。
本能だと言う者もいて、そうであることを合理的に説明しようとするが、そんな不自然な本能などない。
そこでフロイトは、短絡的に、人間の本能は壊れていると言ったのだ。

そうではない。
何でも欲しがるのは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配されてそうなっているだけだ。
その装置は、我々の精神に働きかけ、自分のものでもないのに、それは自分のものであると感じさせる。
だから、「欲しい」と言うよりは、「手放したくない」という気持ちなのである。
よって、完全に自分の手元にある自分のものに関しては、「絶対に手放したくない」という執着が凄いのである。
そして、これこそが、人間の不幸の原因であり、世界の悲惨の原因だ。

だから、自分が幸福になり、世界を平和にするには、自分のものでもないものを欲しいと思う・・・つまり、自分のものでもないものを「自分のものであるべきだ」と考えるのをやめることだ。
そして、そのために必要なことが、まず、自分のものを手放すことだ。
しかし、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配された人間には、そんなことは出来ない。

実を言えば、全て手放してしまえば、全宇宙が自分のものだ。
手放せば手放すほど、逆に自分のものになる。
だが、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配されているので、それが全く分からない。
しかし、心配無用だ。
ただ、「私は誰か?」と問い続ければ、自然に、何にも執着しなくなり、何も自分のものだと思わなくなり、結果、何も欲しくはなくなる。
すると、必要なものは全て、むこうからやって来る。
なぜなら、「欲しい」とか「自分のものだ」と思う主体である「私」を探求しているのだから、欲しいとか、自分のものだという意識が表に出て来れないのだ。
しかも、探求している「私」の奥深くに、憧れのエデン(楽園)、あるいは、エル・ドラド(黄金郷)があることを感じるからだ。
そして、真の自分は、そこ(エデン)の主である全知全能の無限の魂(=神)なのである。
だが、そこらのことは、単に頭の片隅に置いたままで、ただ「私は誰か?」と問うことである。
そうすれば、確実にうまくいくだろう。
宗教と違って、お金は全くかからない。

尚、最初の、ヴァーノン・ハワードの本の引用は、『コズミックマインド』という本のものだったかもしれないが、この本は絶版で、古書も高価だ。
しかし、ハワードの本は、本質はどれも同じであると思う。
また、フロイトの誤った論も、悪の宇宙人のマインドコントロール装置のことを知って読むと、とても面白いと私は思う。
これに関しては、意外に誠実なフロイト派心理学者の岸田秀氏のベストセラー『ものぐさ精神分析』が良いと思う。電子書籍が紙の文庫本の倍以上の値段という変な設定の本である。
「意外に誠実」とは失礼であるが、心理学者は誠実ではない嘘つきが多いことは、岸田氏の本にも書かれている。








現実と想像の違いはこれだけ

「願いが叶わない」とか「思い通りにいかない」というのは、奇妙な話かもしれない。
アメリカの牧師で、自己啓発指導者として名高かったロバート・シュラーは「思い通りになるのが人生だ」と言ったが、それは彼のような特別な人間になれた者の特権のように思えるし、シュラーですら、晩年はうまくいかないことが多かったようだ。
しかし、想像でなら、誰でも、何でも思い通りに出来ると言ったら、笑われるか、状況によっては怒られるか、いずれにしても、「なるほど!想像なら何でも可能だな!」といった楽しそうな反応をされることはないだろう。
けれども、想像でなら、何でも思い通りだ。
せいぜい知的で冷静な人なら、
「いや、我々が求めているのは、現実で願いが叶うことだ」
と言うだろう。
つまり、最初の、「願いが叶わない」という嘆きは、「現実で願いが叶わない」という意味になる。
では、現実とは何なのだろうか?
人間が認識できることは、実を言えば、脳内の世界のことだけなのだ。
そう言えば、
「いや、今は高度な観測機器があり、客観的現実を皆でシェア出来る」
と言われるかもしれないが、それも疑わしいことは科学的にも分かっている。

で、せんじ詰めれば、現実とは何だろう?
それは、リアリティ(現実感)の問題だ。
つまり、「リアリティが強い世界が現実」であるというだけのことだ。
実際、世の中には、現実世界より想像世界の方がリアリティが高いという人間が、普通の人の予想より多くいる。
そんな人(現実世界より想像世界にリアリティを感じている人)は、芸術家になって成功することもあるが、たとえそうであっても、変人奇人扱いされかねない。
だが、普通の人と見なされている人だって、「あれ、あの出来事は、現実に起こったことなのか、想像したことか分からないぞ」と思うことがある。
そんなことが頻繁に起こる人は、想像世界のリアリティが、現実世界ほどではなくても高いのである。
そんな人は、普通、夢想家と呼ばれるが、想像世界のリアリティが現実世界のリアリティを超えれば、現実世界と想像世界が入れ替わる。

改めて言えば、現実世界とは、リアリティが高い想像世界である。
心理学者の岸田秀氏が、全ては幻想だという意味の「唯幻論」について本を出した時、ある男が岸田氏の職場の大学に押しかけ、岸田氏を殴り、
「全て幻想なら痛くないだろ?」
と言ったというが、この男はとんでもない思い違いをしている。
岸田氏も、もちっと分かり易く書けば良かったかもしれない。世の中には頭が悪い人が多いのだから。
想像と幻想を同じ意味とすれば、現実世界だって、単に、リアリティが高いというだけの幻想である。
しかし、リアリティが高ければ、幻想であっても(幻想しかないのだが)、殴られれば痛いのが一般的である(必ずしも痛くなくて良いが)。
一方、リアリティが低い幻想世界(それを我々は想像世界と言う)であれば、殴られても痛くないのが一般的だ(こちらも、痛い場合もある)。

中国の古典『列子』に、一種の想像世界(幻想世界とも言える)である夢のリアリティが高い王様と奴隷の話がある。
王様は、夢で奴隷になるので不幸だと言い、奴隷は、夢で王様になるから幸福だと言う。
この話の落ちはこうだ。
王様が、その奴隷の待遇を改善してやると、自分も夢の世界で幸福になる。
これは、リアリティが低い世界で行ったことの作用が、リアリティの高い世界で起こることを示している。
つまり、我々で言えば、リアリティが低い世界である想像の世界で人々に恩恵を与えれば、現実世界で人々に愛される。
これが、本当の引き寄せの奥義である。








引き寄せマスターの最大の特徴

これは重要なことだが、引き寄せが自在に出来るようになった人達が共通して言うことがある。
それは、「エゴ(自我)が騒がなくなった」ということだ。
エゴが騒がないとは、簡単に言えば、不安を感じないということだ。
とはいえ、彼ら引き寄せマスターも、エゴがなくなったわけではないと言う。
だから、時には不安になるが、全く深刻ではない。
お腹が空いたら食べるとか、身だしなみを整えようとするのもエゴの働きで、適切に働いてくれれば良いからだ。
エゴが完全になくなったあるインドの聖者は、弟子達が、その聖者の口に食べ物を押し込んで無理に食べさせないと、食べずに餓死するらしい。
その分、素晴らしい真理を語ったりもするのだろうが、自分で食べないというのも不便だ。
ジョージ・アダムスキーが、宇宙人と喫茶店で会った時、朝早かったので、アダムスキーが「朝食を食べませんか?」と提案したら、宇宙人は、「そうしましょう。身体も養わないといけませんからね」と言ったそうだ。
つまり、宇宙人もエゴは持っており、それは、「身体を養う」といったことに役に立つ。
死ぬのが不安だから食べるのだからね。
だが、過剰なエゴのために、大食・美食をするようになったら問題なのである。

エゴのない人間はいないが、引き寄せマスターになると、エゴが騒がない。
ところが、心理学者の岸田秀氏が、著書にこんなことを書かれていた。
「どれほど強く見える人間でも、エゴがぐらつかない人間はいない」
エゴがぐらつくとは、エゴが騒ぐということで、エゴによって不安で不快になるということだ。
岸田氏は、自分もエゴがぐらつくことを認めている。
聞くまでもなく、岸田氏は引き寄せなど、信じていないだろう。
岸田氏は完全無神論者だ。
エゴの最大の特徴が、神的なものを信じないことで、引き寄せは神的な力で起こるので、無神論者が引き寄せを信じないのは当たり前だ。
ところが、岸田氏だって、エゴが騒ぐのは不快だから、エゴを静めたいと思っている。
それで、岸田氏は、神の概念を全く使わずに、エゴを静めるコツを考えてしまったのだ。
これは、なかなか凄い・・・というより、呆れる。
もちろん、彼の言うことは穴だらけである。
しかし、そこそこ実用的なのだ。
だから、有名な映画監督の伊丹十三氏がそうだったが、無神論者には、岸田理論に心酔する人が沢山いる。
だが、やはり、穴だらけでデタラメな部分も多い。
けれども、岸田氏は「そんなことは知ったことではない」という立場のようだ。
実際、実用的なのだから、ある程度はそれは許されると思う。それに、宗教に騙されることに比べれば、被害は少ないかもしれない。
しかし、伊丹十三監督は結局自殺した。
昔、SNSで岸田氏が対話の流れの中で私に、
「僕は唯幻論(岸田理論の中心)が百年バレない嘘であることを誰よりも願っている」
と述べたのが印象的だった。
岸田氏だって、自分の理論が穴だらけであるとは分かっているのだ。
しかし、神を信じられないなら、彼の理論にすがるしかない。

問題は、間違った神の概念を信じるというか、信じさせられたり、信じようとすることで、宗教の最大の欠点がこれだ。
宗教は、正しい神を教えない。
そんなこと(正しい神を教えること)をしたら、宗教組織の権威がなくなり、お布施も集まらなくなるからね。

岸田理論(唯幻論)は、いろんな人のエゴによって作られた世の中の嘘を暴くのには凄く役に立った。
しかし、やはり弱いものである。
そして、岸田理論でエゴがずっと大人しくなったりはしない。
一時的に誤魔化して大人しくさせることが出来るだけだ。

宗教の神など信じなくて良いが、無限の力は存在し、それと同調すべきで、それだけが安心を得る方法である・・・などと言うと、エゴは「それは宗教だ。胡散臭い」と言うのだ。
確かに胡散臭い宗教が多いから、そんなエゴの声も説得力がある。
だから、変な宗教に騙されないためにもエゴが役に立つこともある。
だが、同時に、エゴを利用されて、変な宗教を信じてしまうのである(宗教は全部、変であるのだが)。
一方、引き寄せマスターというのは、本当の神・・・無限の力を「直接知ってしまった」から、エゴが騒がないのである。
つまり、エゴが屈服したのだ。

「今」を意識する「今今メソッド」をやれば、いずれ、神のような力を直接知ることになる。
確かに、他にも方法がある。
エゴはかなりしつこいが、案外に粘りがない。
だから、「神様の奇跡が起こる」と1日中言い続けることを2週間やったホームレスは、エゴが屈服し、神の力と通じてしまい、宝くじの1憶円の当たり番号が分かってしまい、1憶円を2回当てた。
そのホームレスは、たまたま宝くじを当てただけで「宝くじを当てるぞ」とか思うのはエゴであるから、そんな気でいると決して当たらない。
しかし、心配しなくても、エゴが大人しくなれば、必要なものは何でも得られる。
エゴを従わせる方法は、本当に沢山あるが、「今今メソッド」は楽な方法だ。
単に、「今」に集中すれば良いだけだ。
「今」を意識することとも言える。
分からなければ、とりえず、思い出した時に「今、今、今・・・」と心で言えば良い。
ただし、穏やかに、ゆっくり言うことだ。
噛みしめるように「今」と言うと良いと思う。
人によっては、どんな時でも「完璧だ」と言う方が早いかもしれない。口に出して言うと、「どこが完璧だ」って文句を言われる場合もあるだろうから、心で言った方が良い。
面倒なら両方やるという手もあるが、どちらも続かないと悲惨である(笑)。








この世の一切は幻か?

心理学者の岸田秀氏の本は人気がある。
いや、ひょっとしたら今はそうではないかもしれないが、昔は人気があった(笑)。
なぜ人気があるのかというと、痛快であると共に「腑に落ちる」からだと思う。
かと言って、別に理論的に正しいことを書いているというのではない。
そもそも、岸田氏は、心理学は科学でも何でもない、いい加減なものと言う。
だから、「心理学的には・・・」なんて話をする心理学者は皆、嘘つきだと言う。
また、岸田氏は、面白い本を書こうとしたわけでもないと思う。
書きたいことを書いただけだと思うが、ただ、正直に書いたのだと思う。
そして、正直なことを言う学者は少ないのだ。
結果、世の中の嘘だらけの心理学の話の中で、岸田氏の話だけが腑に落ち、そのためだと思うが、著名人の中でも頭の良い人達が、岸田氏の本を愛読していることを表明している。
そして、岸田氏の本は実際に面白い。
分かり易く、なおかつ、腑に落ちるのだから、しかも、それが心の話となれば、面白くないはずがない。
別に、岸田氏の話が正しいと言うつもりはないが、心の問題について、岸田氏のような頭の良い知識のある人が正直な解釈をし、それを分かり易く説明しているのだから、かなり役に立つ可能性がある。
私には役に立った。
正直、妙に思う話もないではないが、悪意のある嘘はついていないので、納得出来なくても、そんなに嫌な気はしないのである。

岸田氏の有名な理論は「唯幻論」で、意味はそのまま「ただ、幻想だけがある」つまり「全ては幻想」だ。
ただ、インドの聖者が言うような意味で「一切は幻」と言っているのかどうかは分からないが、表向きではやはり同じ意味だ。
私は昔、SNSで岸田氏に、「一切は幻だと言うインドの聖者は、死後数十年経っても、彼の道場には毎年数万の人が訪れる」と言ったら、岸田氏は「私のところには、今年は1人しか来ていない」と返事をしてくれた。
また、岸田氏に、「百年騙せば、嘘も真実になる」と言ったら、岸田氏は「僕は唯幻論が百年バレない嘘であることを願う」と返事をしてくれた。
こんな人が、嘘つきのはずがない。
岸田氏は、フランスのストラスブール大学に留学した時(引きこもりのニートで暇だったから留学したらしい)、博士号を取ったと思い込み、心理学博士を名乗っていたが、ストラスブール大学の博士の会合に言ったら、「あなたは博士に登録されていない」と言われ、博士号取得が勘違いであると分かったらしい。
母校の早稲田大学で博士号取得の機会があったが、一部の教授連の強硬な反対に遭い、取得が出来なかったという。
しかし、博士号があるかないかに関係なく、岸田氏の本は最も値打ちのあるものだと思う。
岸田氏の本はデタラメという人もいて、その言い分を否定はしないが、岸田氏の話は面白くて役に立つのだから、デタラメかどうかは全くどうでも良い。

ところで、岸田氏の、こんな面白い話がある。
岸田氏の唯幻論の本がベストセラーになった後、岸田氏が務める大学(岸田氏は和光大学教授だった)に、1人の男が訪ねて来て、「全て幻想だから痛くないだろう」と言って、岸田氏を殴ったという。
これについて、岸田氏が何とコメントしていたか、あるいは、コメントしなかったのかも忘れたが、そもそも、「痛い」ってのが幻想じゃないのか?(笑)
私も、全てが幻想というのは、岸田氏と同じ意味ではないかもしれないが、全く賛成である。
ただ、今はスマートに「この世界はメタバース(あるいは仮想現実とかシミュレーション)」と言った方が便利だ。

で、岸田氏は、全くこんなことは言っていないが、願望は、浮かんだ瞬間に叶っている。
しかし、叶っていない世界が見えている人が多いことだろう。
その叶っていない世界が幻で、叶っている世界が真実だ。まあ、厳密には、叶っている世界も幻ではあるのだが、願望を真実の基準とすれば、やはり、叶っている世界が真実だ。
幻を幻と見ることが出来れば、真実の世界になる。つまり、願望が叶っている世界だけが真実だと分かれば、世界は意のままである。
それが引き寄せの根本原理なのである。

岸田氏の本は大変にお奨めである。
岸田氏の本は、Amazonで、古書でも凄く高い本が、もっと古い版や文庫版なら凄く安いことがあるので、安いのを選んで読めば良い。2度読むことはほとんどないので(笑 再読する価値ある本もあるが)。








古事記を読むことはメリットだらけ

男性の場合を想定したのだと思うが、兵士が戦場で死ぬ時、意識があったら、必ず「お母さん」とか「ママ」とか言うらしい。
まあ、嘘である(笑)。
ただ、そんな話がまことしやかに言われる理由もある。
人間の自我の土台部分には、母親の性質がかなり組み込まれていて、母親の印象は決して忘れないものであることは確かだろう。
母親に育てられず、自我の土台に母親の色がないと、自我が不安定で苦しいものらしい。
それで、母親を知らない人は、いくつになっても、母親を探したい気持ちが強いことが多いのである。
ただし、本当の母親でなくても、とにかく、自我の土台に母親のパターンが入っていれば、それで良いらしい。
とはいえ、自分の母親が本当の母親ではないと知ると、自分の自我を偽物っぽく感じて、本当の母親を探したいと思う場合も多いようだ。

心理学者の岸田秀さんの本に、本当か嘘かは分からないが、面白いことが書かれていた。
三島由紀夫って人は、生まれてから母親から離されて育ち(お婆さんか誰かが育てた)、自我の土台に母親が組み込まれていないのだが、岸田さんが言うには、母親に育てられないと、自我自体がちゃんと構築されず、不完全になるのだそうだ。
そこで、三島はどうしたかというと、ある程度成長してから、独力で自我を構築し、結果、作り物の人工的で変な自我が出来たらしい(確かに三島は変人だ 笑)。
それでどうなったかというと、三島自体は優秀な部分も当然あるのだが、自衛隊員達に「君たちは武士だろう」と(本気で)言うなど、いかにも作り物の自我らしい発想をするのだそうだ。
三島は、「悩みがあれば腹筋をやれ」と言ったりもしたそうで、今でも、「人生の問題の99パーセントは筋トレで解決する」と言う人気のある人がいるが、そんなことを、ずっと昔に言ったようなのだ(笑)。
まあ、今も、そんな人が人気があるのも、下で述べるが、自我が不安定な人が多いからだと思う。

母親に育てられても、母親が本当に子育てが嫌で、「何で私がこんなことしなきゃいけないの」とか思っている場合は、やっぱり、子供の自我の土台がおかしくなる。
そして、今は、自我の土台がガタガタの人がひどく多い。
あなたもそうかもしれない。
その場合、三島のような変な自我を構築してはならない。
鎌田東二さんという哲学者・宗教学者がいるが、彼が、子供の時、ものすごく精神が不安定だったらしい。やはり、自我の土台がおかしかったのだろう。
しかし、彼は、『古事記』と『ギリシャ神話』を読んだら、精神が安定したと言う。つまり、それで、自我の土台がしっかりしたのだろう。
そりゃ、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、世界誕生の物語であると同時に、それがそのまま、1人の人間の誕生と成長の物語なのであり、子供のように、あまり理屈を考えずに読むと、素晴らしい効果がある。
で、鎌田さんは、子供の時は鬼が見えたのに、それが見えなくなり、天使が見えるようになった。学習塾の講師をやっていた時、小学5年生の女の子達の中に天使がいたのだそうだ。
これは、決して、ロリコンというのではなく(ロリコンかもしれないが 笑)、私も、小学1年生の時、クラスの中に天使がいたのを、はっきり覚えている。
私は、幼稚園の時に、『古事記』や、その他にも、いろいろな神話やおとぎ話に接する機会が多かったので、それが影響したのだろう。
尚、神話を読むと、当然のことなのだが、引き寄せの力も強くなり、私は、あまり実用的とは言えないことが多かったが、とんでもない奇跡を数多く起こしたのである。
その鎌田東二さんが書かれた『超訳 古事記』は本当にお奨めである。
ギリシャ神話であれば、『神統記』が最もお奨めだが、里中満智子さんの『マンガ・ギリシャ神話』が、ストーリーを把握し易く、しかも面白い。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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