ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岡田虎二郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

息の圧力と引き寄せ

「神の圧力呼吸」を行うほど、これまで不可思議だったことの秘密が明晰になる。
今回は、私が十数年前から関心があった、岡田虎二郎の興味深いエピソードである。
岡田虎二郎(1872~1920)は、明治・大正時代の教育者、農業家で、明治34年に単身渡米し、そこで多くの文献を読み、帰国後に「岡田式静坐法」を指導し、これが健康法としてブームを呼んだ。ただ、岡田式静坐法は単なる健康法ではなく、人間のあらゆる力を覚醒させるための高度なメソッド(手法)であった、

その岡田の、私がよく覚えているエピソードは次のものである。
人々を直接指導し、沢山の人と交流した岡田だが、その中で、こんなことがあった。
ある男が、自分は金に困っていると岡田に言ったところ、岡田は、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と応えた。
腹に力がつくとはどういうことだろうか?
1つには、岡田式静坐法を行うということであるが、岡田は正座して行うことだけを静坐とは言わなかった。
岡田は、「常に腹に力を込めよ。人間は腹から力が抜けた時に邪なことを考えるものである」と教えた。これも静坐である。
これは、中村天風が、常に肛門を引き締めていろと教えたこととも似ている。
だが、現実にはそんなことは出来ないように思える。
また、岡田式静坐法は呼吸法でもあり、岡田は、やはり常に腹式呼吸で深い呼吸をすることを教えていた。

岡田の教えは、個々のことは弟子達が文章に残してはいるのだが、岡田自身は本を著していないばかりか、自分が書いたものは死ぬ前に全部燃やしてしまった。
岡田は49歳で亡くなる直前まで元気で、そのように、死ぬ前に書いたものを燃やしたり、また、自分の死を予言するようなことを弟子に語っていたりで、様々な謎のある人物であるが、今となっては謎は謎のままだ。
そして、岡田の教えの深いところ、そして、岡田式静座法も、誤解されている部分があると思われる。

だが、『弓と禅』の阿波研造の呼吸法を基にした「神の圧力呼吸」で完全に腹の力を付けることが出来る。
これは、息をたっぷり吸った時の胸の内部(肺ということになろうが)の空気の圧力を感じることで、息を吸って胸の内部を意識するだけで十分である。
その空気の圧力を腹に持っていく。
つまり、腹の内部に圧力を感じるのであるが、これは、腹の内部に圧力を作り出すことであると言える。
(その時、腹が膨らみ腹が張っている感じになるだろう)
腹の内部の圧力を保つことで息を保つ。
もし、腹の内部に圧力を作ることが難しければ、胸の内部の圧力を意識し、この圧力を保つことで息を保っても良い。効果は劣るが、それでも優れた効果がある。そして、やがて、腹の内部に圧力を作ることが出来るようになるだろう。
こうやって無理のない範囲で息を保った後、ゆっくり息を吐く。
無理に多く息を吐かず、十分なだけ吐いた後、少し休んで、また息を吸うところから繰り返す。

命の輝き
AIアート368
「命の輝き」
Kay


この「神の圧力呼吸」をやればやるほど、岡田の言う「腹の力」がつき、金だけでなく、あらゆる引き寄せが可能になる。
やっていれば、割とすぐに「あ、引き寄せが出来る」と感じると思う。








モテモテになる呼吸法

呼吸法として完璧なのは『弓と禅』の、弓術の達人、阿波研造が教えたものであると思う。
原文がドイツ語であり、旧訳と新訳で少し異なる訳がされていて、原文を照合したわけではないが、おそらく旧訳の方が良い。
以前、引用したが、再度、引用する。
読み易いよう、改行を付ける。

息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息をゆるやかに圧(お)し下げなさい。
そこでしばらくの間息をぐっと止めるのです。
それからできるだけゆっくりと一様に息を吐きなさい。
そして少し休んだ後、急に一息でまた空気を吸うのです。
こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動(リズム)は、次第に独りでに決ってきます。

あまり良い説明ではないと思う(笑)。
おそらく、呼吸に関するヘリゲルの理解力がないので、阿波がいろいろに説明するのを、通訳者が苦労してドイツ語にし、それを後にヘリゲルがまとめ、それをさらに日本語に訳したのだから、おかしな訳になってしまうのもやむを得ない。

だが、旧訳と新訳で共通し、阿波が言ったことで正しく伝わったのは、「腹壁が張る」だ。
これを、日本の呼吸法の達人であった、岡田式静座法の岡田虎二郎の、「胸を張るのではなく腹を張れ」「常に腹に力をこめよ」という教えと、『神秘のカバラー』の「神とは圧力である」を重ねると、ようやく分かる。
胸を張ると言ったら、普通は、上体を立て、背筋を真っすぐにし、胸を突き出すようにすると思う。
しかし、岡田が言った「胸を張る」は、肺に空気をいっぱいに吸うことである。
そして、「胸を張るな」というのは、岡田は胸式呼吸を否定し、腹式呼吸を薦めたのだ。
胸を突き出す姿勢は、カールフリート・デュルクハイムの『肚』でも否定されていたが、デュルクハイムもまた、腹式呼吸が本来の呼吸だと言いたかったのだろう。

長々述べたが、要は、阿波も岡田も「腹式呼吸をしろ」と言ったのだが、腹式呼吸をまともに説明しているのを見たことがない。
皆、「腹に息を入れる」と言うが、腹に息が入るはずがない。腹に肺はないからだ。
正しくは、横隔膜を下げるということであるが、横隔膜なんてものを見た者は滅多にいないし、解剖図で見たところでピンとこず、それを下げろと言われても困る。
「腹を膨らませながら息を吸え」というのもよく言われるが、これだと、呼吸と横隔膜の動きがちぐはぐになる。

正しくは、「息を吸うと共に腹の内部に圧力を作る」である。
この腹は、臍の高さである。丹田ではない。
(松木草垣は臍を重要視した)
臍の内部に圧力が起こるよう想像すれば、阿波や岡田が言うように、腹(腹壁)が張るのである。
この時、腹の中に神のエネルギーが宿る。
この状態では思考が消えている。
そんな時は、魂が現れ、全知全能である。
尚、胸の中に圧力を発生させても、腹に圧力を発生させるのに比べて弱いが、ちゃんとエネルギーが生じるし、胸の方がやり易いので、初心者には向いており、私もよく多用する。
ところで、特に立った場合、胸を張っている(胸を突き出していると)と、腹に圧力を発生させることは難しいので、腹に圧力を発生させる場合は、胸を張ってはならない。

絵のない絵本34話
AIアート362
「絵のない絵本34話」
Kay


やはり説明が難しい。
引き続き、角度を変えて説明しようと思う。
最後に、こんな興味深い話をする。
胸に圧力を発生させると、爽やかさや活気を感じさせ、好かれるようになる。
腹に圧力を発生させると、男であれば貫禄を感じさせ、女性であれば慈愛を感じさせ、モテモテになる。

尚、カールフリート・デュルクハイムの『肚』や、岡田虎二郎関連の本は、古書も入手が難しく、あっても高価である場合が多いので紹介しない。








唯一効果がある引き寄せメソッド

引き寄せメソッドで、唯一効果があるのは、「元祖一式」だけだ。
他のやり方で効果があった場合も、「元祖一式」の原理が働いたに過ぎない。

「元祖一式」も、根本原理は私がいつもいう「神になる方法」と同じだ。
共に、やることはただ1つで「思考を消す」だけだ。
(「元祖一式」では「思考を止める」という表現を使っているが同じことだ)
で、思考を消すために、元祖一式では、ひたすらアファーメーションを行う。
アファーメーションは、各自、合ったものを使えば良い。
早い話が、何でも良い。
とにかく、徹底的にアファーメーションを行う。
すると、どうしても、「元祖一式」の元祖氏がどんなアファメーションを使うのか知りたい人がいるので、一応明かすと、
「自分で何も考えない。そうすれば完璧な潜在意識が完璧な形となって現実に現れます」
らしい。
私の方法は、アファーメーションではなく、
「私は誰か?」
と自分に問うことだ。
思考を消す効果は、上の元祖氏のアファーメーションより・・・というか、いかなるアファーメーションよりはるかに高いが、結果は同じなのだから、好きなものをやれば良い。

矢追純一氏のように、
「僕は頭が悪いから、自分で考えることを放棄する」
という確固たる信条があれば、アファーメーションを行う必要はない。
黒住宗忠は「ありがたい」という言葉をひたすら(1日1万回)唱えることを指示したことがあるが、これの効果も、感謝の効果というより、思考が消える効果である。
感謝は見返りを期待して行うものではない。
だから、「あろがとう」で奇跡が起こるのも、この言葉に特別な意味があるのではなく、とんでもない回数唱えることで思考が消えた時に奇跡が起こるのだ。

一瞬の永遠
AIアート184
「一瞬の永遠」
Kay


「私は誰か?」と問うのが一番良い。
だが、アファーメーションが好きなら、私がお薦めするのは、
「神様の奇跡が起こる」か「お金がある」である。
ただし、やはり、1日中唱えることで効果が出る。

以前にも述べたが、重要なので繰り返す。
ある人が、ラマナ・マハルシに尋ねた。
「1日半時間ほど、『私は誰か?』と問えばいいですか?」
マハルシが答えた。
「1日中が良い。それが無理でも、なるべく長く」
また、ある人がマハルシに尋ねた。
「時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」
マハルシが答えた。
「いつもが良い」
岡田虎二郎が言った。
「生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活するようでなければならない」
「自主的に長く」これが、人生で憶えておくべき唯一のコツである。








中村天風や岡田虎二郎が超偉い本当の理由

中村天風という偉人がいたが、その弟子で有名な合氣道家だった藤平光一によれば、天風は亡くなる時、「俺の教えは全て忘れろ」と言ったらしい。
つまり、天風は自分の教えは全部間違いだったと認めたということらしい。
そうではない。
中村天風の間違いは、沢山の本を書き、沢山の講演を行って余計なことを教えたことだ。
彼の教えはただ1つと私は思っている。
それは「肛門を引き締めよ」だ。
それだけで良かった。
なぜなら、人間は肛門を引き締めながら思考することは出来ないからだ。
つまり、本当に大切なことは、思考を消すということだけだ。
それさえ分かれば、中村天風は間違ってはおらず、1つの正しい道を示した。
ただし、あくまで1つの道だ。
それで言えば、私はよく知らないが、藤平光一は、難しいことは言ったが、何か残しただろうか?
私には、藤平光一の話は、面白くはあるが、何も分からない。

中村天風よりも分かり易く教えたのは、むしろ、明治・大正の偉人で、岡田式静座法で知られた岡田虎二郎だった。
岡田式静座法とは、早い話が、腹に力を込めることだった。
正座そのものはしなくて良いと私は思う。
実際、岡田は「常に腹に力を込めよ」と言い、「生活しながら静座するのではなく、静座しながら生活せよ」と言ったように、起きている限りは静座・・・その実は腹に力を込めることをやれと言ったのである。
岡田の場合は、中村天風と違い、その理由も述べている。
「人間が下らないことを考えるのは、腹から力が抜けているからだ」
だが、岡田も分かっていなかったのは(言わなかっただけかもしれないが)、人間の考えは全部下らないということだ。
腹に力を込めれば、その下らないものである思考の一切を消すことが出来るのである。

現代の座敷童
AIアート169
「現代の座敷童」
Kay


中村天風の「肛門を引き締める」も、岡田虎二郎の「腹に力を込める」も、目的は同じで「思考を消す」ことだけだ。
どっちのやり方でも等しく効果があり、好きな方でやれば良い。
ちなみに、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、常に下腹に力を込めよと教え、岡田虎二郎に近い。
中村天風のように、ヨガをやった者は、肛門を締める教えを受けているので、そっちを勧めるのだと思われる。

だが、思考を消すもっと優れた方法は、ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と自分に問うことである。
マハルシも「私は誰か?」以外の想念を起こしてはならないと教えた・・・つまり、常に「私は誰か?」と問えということだ。
もちろん、実際は、出来るだけ多くとしか言いようがないが、「私は誰か?」は、直接思考を消してしまう点、腹や肛門に力を込めることより優れているし、やり易いと思う。
とはいえ、好きな場合は、肛門を引き締めたり、腹に力を込める方法も導入しても良いが、彼らも認めたように、彼らのその他の教えは不要である。
岡田虎二郎も、死の直前、自分が書いたものは全部燃やしたのである。
こういったことはなかなか出来ず、中村天風も岡田虎二郎も、そういった点、最も偉大なことをしたのであり、やはり偉い人達であったと思う。








本当に良い書物とは

書物が読者に知恵を与えることはある。
しかし、それはいつも、極めて限られた読者に対してである。
一方、書物が読者の大半を愚鈍にしてしまうことならザラにあると思う。

老子や荘子が言うように、人の作為は悪い結果を生み易い。
だから、著者が「読者に知恵を与えよう」と意図して書いた書物は、読者に悪い影響を与え易い。
本当に良い書物は、著者の備忘録(早い話がメモ)であった場合が多い。

岡田虎二郎は、小学生の時、ルソーの『エミール』を読んで人生を変え、偉大な賢者になったが、彼が読んだのは『エミール』の前書きだけだった。
ルソーは、元々、『エミール』の前書きだけを、備忘録として書くつもりだったらしいが、その後で余計なことをしたのかもしれない。

宮沢賢治は、『雨にも負けず』を、やはり自分だけの備忘録として書き、人に見せる気などさらさらなかったのに、誰かがそれを発見して公開したのだが、おかげで、大勢の人々が、『雨にも負けず』を大誤解して、悪い影響を受けたのかもしれない。
私はそう思う。
そもそも、あれは宮沢賢治の心象世界・・・つまり、想像世界であるが、宮沢賢治すら、その世界にリアリティを感じていなかった。
だから、宮沢賢治は、親が残した有り余る資産で、あの時代の日本でグルメ三昧していたのだ。
宮沢賢治は善良な魂の持ち主ではあったが、現実の問題解決には全く適さない人間だった。
それこそ、それは『雨にも負けず』を見れば分かりそうなものだ。
ちなみに、宮沢賢治の座右の書は『化学本論』(片山正夫。1916)であった。

ラマナ・マハルシの『私は誰か?』という短い問答集がある。
これは、ある人が、当時21歳だったマハルシに質問をし、沈黙の行の最中であったマハルシは、砂に指で回答を書き、それを質問者が書き写したものだ。
実に素晴らしい内容で、後に、マハルシも「これで十分」と言ったらしいが、公開された時には、かなりの加筆がされていた。
まあ、それでも短くて良いものではあるが。

さりげなく書かれた知恵を発見出来た者は幸福である。
これはというものを見つけたら、他を捨て、それを大切にすることだ。
そして、おそらくは、誰もがそんなものを見つけているのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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