岡田虎二郎(1872~1920)の岡田式静坐法は、心身鍛錬の法と見なされるが、明らかに引き寄せ手法の一種でもあり、岡田には大物の弟子も多く、静坐法の会員は正規登録者だけで2万人いたというし、岡田式静坐法関連の本もベストセラーになっていたことから、かなり優れたものであったと思う。
その岡田虎二郎は「努力、忍耐、克己の必要を感じない」と言ったといわれる。
引き寄せの指導者にも「努力は不要」と言う人は多い。
しかし、全く努力、忍耐、克己(自分に打ち勝つ)が出来ないというのでは話にならない。
つまり、ある程度の努力、忍耐、克己は必要である。
『成功の扉』という、引き寄せのベストセラーを書いたアメリカの作家マイク・ハーナッキーは、この本を読んでも成功しないという読者と面談を行った時のことを『成功の翼』に書いていた。
『成功の扉』では、努力は全く不要で、必要なことは、この本に書いた、たった1つの心構えであると書かれている。
しかし、それを読んだ読者の多くが、電話1本かければ解決するようなことでも、その電話をかけないことを知り、ハーナッキーはかなり面食らったようだ。
私も、ひきこもり青年のカウンセリングをしていた時、「いくら何でも、このくらいの努力はしろよ」と呆れることがよくあった。
また、引き寄せ書には「悪人でも引き寄せが出来る」と書かれているものがある。
それはそうで、どんな人間でも、ある程度は悪人であり、天使のように慈悲深く清浄な心の人間などいない。
とはいえ、全くのエゴイストでは引き寄せは出来ない。
ある程度の道徳観みたいなものは絶対必要だ。
そして、どう言っても、ある程度の常識は必要だ。
40代、50代まで働いたことがない人が、初めて勤めに出たら、職場でいかに奇妙な言動をするかという報告がよくある。
また、常識のない親に育てられた若者が、学校に入学したら周囲の生徒がドン引きするほど、当たり前のことが出来なかったり、そこまででなくても、初めてアルバイトに行ったら、高校生や大学生なのに、まるで幼稚園児のような甘えた考え方を持っていて職場の人達が戸惑うことも、特に最近は多いようだ。
ところで、常識というものは、怒られない限り身に付かないのだ。
ところが、今は、児童虐待とか、パワハラに過敏になり、怒られないまま、つまり、常識を身に付けないまま、大人になり、さらに中年になった人が多い。
正直、以前は、理不尽、横暴、利己的と思えるパワハラは、学校でも職場でもあったが、そんなもので鍛えられたことがプラスになった人が相当いるはずなのだ。
「愛情ある体罰ならいい」なんてとんでもない。「愛情ない体罰」が人を大きく育てる。
もちろん、限度はあるから、それを超えないような仕組みが必要なのは言うまでもない。
だが、思想家の吉本隆明さんが『ひきこもれ』に、「学校で理不尽なこともあるだろうが、世の中の理不尽はそれどころではない。学校で理不尽な目に遭わずに世の中に出たら耐えられない」みたいなことを書かれていたが、その通りだ。
人生には「耐える力」は絶対に必要である。
AIアート606
「窓辺の花」
Kay
佐川幸義流四股でお世話になっている(直接世話になってはいないが)、大東流合気柔術の達人、佐川幸義が言ったらしい。
「僕は特訓なんかしない。当たり前のことをやっているだけ」
私も、しごきに耐えるような、努力、忍耐、克己が必要とは全く言わない。
ところが、腕振り運動のことを書くと、昔、こんなコメントをしてきた人がいた。
「今は50回しか出来ませんが、100回くらい出来るようになります」
こんな感じの人が割とよくいたが、それらの人は、身体に障害があるわけではなさそうだった。
300回くらいなら、子供や老人でも、それほど大変ではない。
それを50回しか出来ないという人は、言っては悪いが、もう駄目である。
あるいは、「今日は千回やろう」とかよく言う人・・・つまり、やったりやらなかったりというか、普段はやらない人。
これらのような人には引き寄せは絶対に出来ないだろう。
逆に、よほどのことがない限り、腕振り運動を毎朝必ず千回やる人は、願わずとも幸運に恵まれ、引き寄せが起こることがよくある。
私も努力は好きではないが、嫌う必要はないと思う。
尚、私も以前はやっていたが「超少食」「超短眠」「超禁欲」みたいな変な努力をしても引き寄せが起こるわけではないが、ある程度の節制がなければ引き寄せが出来ないことも間違いないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)岡田式静坐のすすめ
(2)岡田式 静坐のこころ
(3)静坐の道―岡田式
(4)成功の扉―すべての望みはかなえられる(マイク・ハーナッキー)
(5)成功の翼―忘れられた秘訣(マイク・ハーナッキー)
(6)ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ(吉本隆明)
その岡田虎二郎は「努力、忍耐、克己の必要を感じない」と言ったといわれる。
引き寄せの指導者にも「努力は不要」と言う人は多い。
しかし、全く努力、忍耐、克己(自分に打ち勝つ)が出来ないというのでは話にならない。
つまり、ある程度の努力、忍耐、克己は必要である。
『成功の扉』という、引き寄せのベストセラーを書いたアメリカの作家マイク・ハーナッキーは、この本を読んでも成功しないという読者と面談を行った時のことを『成功の翼』に書いていた。
『成功の扉』では、努力は全く不要で、必要なことは、この本に書いた、たった1つの心構えであると書かれている。
しかし、それを読んだ読者の多くが、電話1本かければ解決するようなことでも、その電話をかけないことを知り、ハーナッキーはかなり面食らったようだ。
私も、ひきこもり青年のカウンセリングをしていた時、「いくら何でも、このくらいの努力はしろよ」と呆れることがよくあった。
また、引き寄せ書には「悪人でも引き寄せが出来る」と書かれているものがある。
それはそうで、どんな人間でも、ある程度は悪人であり、天使のように慈悲深く清浄な心の人間などいない。
とはいえ、全くのエゴイストでは引き寄せは出来ない。
ある程度の道徳観みたいなものは絶対必要だ。
そして、どう言っても、ある程度の常識は必要だ。
40代、50代まで働いたことがない人が、初めて勤めに出たら、職場でいかに奇妙な言動をするかという報告がよくある。
また、常識のない親に育てられた若者が、学校に入学したら周囲の生徒がドン引きするほど、当たり前のことが出来なかったり、そこまででなくても、初めてアルバイトに行ったら、高校生や大学生なのに、まるで幼稚園児のような甘えた考え方を持っていて職場の人達が戸惑うことも、特に最近は多いようだ。
ところで、常識というものは、怒られない限り身に付かないのだ。
ところが、今は、児童虐待とか、パワハラに過敏になり、怒られないまま、つまり、常識を身に付けないまま、大人になり、さらに中年になった人が多い。
正直、以前は、理不尽、横暴、利己的と思えるパワハラは、学校でも職場でもあったが、そんなもので鍛えられたことがプラスになった人が相当いるはずなのだ。
「愛情ある体罰ならいい」なんてとんでもない。「愛情ない体罰」が人を大きく育てる。
もちろん、限度はあるから、それを超えないような仕組みが必要なのは言うまでもない。
だが、思想家の吉本隆明さんが『ひきこもれ』に、「学校で理不尽なこともあるだろうが、世の中の理不尽はそれどころではない。学校で理不尽な目に遭わずに世の中に出たら耐えられない」みたいなことを書かれていたが、その通りだ。
人生には「耐える力」は絶対に必要である。
AIアート606
「窓辺の花」
Kay
佐川幸義流四股でお世話になっている(直接世話になってはいないが)、大東流合気柔術の達人、佐川幸義が言ったらしい。
「僕は特訓なんかしない。当たり前のことをやっているだけ」
私も、しごきに耐えるような、努力、忍耐、克己が必要とは全く言わない。
ところが、腕振り運動のことを書くと、昔、こんなコメントをしてきた人がいた。
「今は50回しか出来ませんが、100回くらい出来るようになります」
こんな感じの人が割とよくいたが、それらの人は、身体に障害があるわけではなさそうだった。
300回くらいなら、子供や老人でも、それほど大変ではない。
それを50回しか出来ないという人は、言っては悪いが、もう駄目である。
あるいは、「今日は千回やろう」とかよく言う人・・・つまり、やったりやらなかったりというか、普段はやらない人。
これらのような人には引き寄せは絶対に出来ないだろう。
逆に、よほどのことがない限り、腕振り運動を毎朝必ず千回やる人は、願わずとも幸運に恵まれ、引き寄せが起こることがよくある。
私も努力は好きではないが、嫌う必要はないと思う。
尚、私も以前はやっていたが「超少食」「超短眠」「超禁欲」みたいな変な努力をしても引き寄せが起こるわけではないが、ある程度の節制がなければ引き寄せが出来ないことも間違いないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)岡田式静坐のすすめ
(2)岡田式 静坐のこころ
(3)静坐の道―岡田式
(4)成功の扉―すべての望みはかなえられる(マイク・ハーナッキー)
(5)成功の翼―忘れられた秘訣(マイク・ハーナッキー)
(6)ひきこもれ~ひとりの時間をもつということ(吉本隆明)