ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岡潔

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

愛は時を超える

由紀さおりさんは、70歳を超えても高い実力を保つ歌手で、彼女の1969年の楽曲『夜明けのスキャット』が、2010年頃、世界中で大ヒットとなった。
これは、由紀さんの歌の実力と曲の素晴らしさは当然ながら、日本語の歌詞が良いのであると思う。
「愛し合う その時に この世は とまるの」
というのは、情緒的に美しいが、それだけではない。
世界的な数学者だった岡潔は、 小林秀雄との対談書で、「時間は情緒」とほぼ断言している。
アインシュタインが、相対性理論の一般向けの説明として「美女と一緒の1時間は短いが、熱いストーブに座る10分は長い」と言ったのも、時間が情緒であると言っているのだと思う。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の楽曲『LOTUS LOVE』でも、「Baby!ときをとびこえておいで」と歌うが、天才芸術家(作詞・作曲者の細野晴臣さん)の直観は科学と変わらないと思う。
インドの詩聖と言われたタゴールは、アインシュタインに「人間が見ている時だけ月は存在する」と量子論の真理を指摘したが、アインシュタインは理解出来なかったという話がある。
「人間が見ている時だけ月は存在する」は、量子論の比喩的表現で、人間の意識が作用するのは、あくまで極微の世界の量子に対してと考えるのが普通であるが、タゴールはそんなことは考えていなかっただろうし、湯川秀樹の師でもあった数学者、岸根卓郎さんは、「物質世界も量子で成り立つのだから、意識は物質世界に影響する」といった意味のことを著書に書かれていた。
月が存在する、しないも、意識と時間との関係があるのだと思う。

「愛は時をこえる」「愛は時を止める(消す)」というのであれば、時を消すことが愛なのかもしれない。
湯川秀樹の弟子であった物理学者の保江邦夫さんが著書の中で、ざっくりの引用だが、愛とは、頭の中で祝詞やお経や聖歌、あるいは、教会の鐘の音や『アヴェ・マリア』といった聖なるイメージのある音が鳴り響くことであると書かれていたが、聖なるイメージは、やはり、時を消すのである。
André Rieuの公式チャンネルのYouTube動画で、多少の演出もあったかもしれないが、ソプラノ歌手のMirusiaが、シューベルトの『アヴェ・マリア』を歌うと、いかにも堅苦しい顔をした一般観客達が自然に涙を流す。
◆Ave Maria - André Rieu & Mirusia - YouTube -
そこは、やはり、時が止まった世界になる。
ここはやはり、何でもいいから、保江さんの言われる通り、頭の中で聖なる音を響かせておくと良いと思う。
保江さんの著書によれば、そのようにして手術をする医者は、人間を超えた能力を発揮し、奇跡の手術を行うようだ。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版販売中。紙の本は5月30日発売。
数学やプログラミングが出来なくても、Excelが使えるなら、恐れずAIに挑み、自分でAIを作る体験をしていただきたく思います。
来るべき世界では、AIは人間とは別のものではなく、AIは人間を拡張する道具・・・長谷敏司氏のSF『BEATLESS』風に言うなら、人間とAIは1つのユニットになります。
AIも電子レンジのような道具で、マイクロ波の理論を知らなくても電子レンジを使えるように、数学やプログラミング、AI理論を知らなくてもAIは作れます。そして、早くやった者勝ちという面もあるのだと思います。

「南無阿弥陀仏」と「アジマリカン」

このブログで度々推奨している、「南無阿弥陀仏」の念仏と、「アジマリカン」の呪文は、どちらが良いのだろうか?
もちろん、これは、あまり、あるいは、ほとんど、あるいは、何の意味もない疑問かもしれないが、気になる向きもあると思う。いや、私が気にしている。
※「アジマリカン」は「神呪」と言うのが正しいらしいが、そのような言葉を使う人はいないので、不遜かもしれないが、「呪文」とした。

「アジマリカン」の呪文に関しては、山蔭基央氏に聞くしかない。
というのは、この呪文は、山蔭神道に伝えられる秘法であり、山蔭基央氏は、山蔭神道の最高位であるからだ。
しかし、山蔭基央氏は2017年3月に亡くなっておられる。
そこで、山蔭氏の著書『神道の神秘』を見ると、この呪文は、「意味は不明」「天地初元の時からある言霊」と説明している。
そして、山蔭氏は、よく知られている祝詞である「大祓詞」に強大な神秘力があると説きながらも、「アジマリカン」は、それに勝ると述べてる。
山蔭氏自身が18歳の時に肺結核に罹り、瀕死の状態(仮死状態にもなったらしい)にあったのを、「大祓詞」を唱えることで治したに関わらず、そう言うのである。
「アジマリカン」を百万回唱えることで神通力を得るとされているようだ。

次に、念仏である。
念仏の効能に関しては、法然が『選択本願念仏集』の中で、自信たっぷりに書いているのであるが、その根拠は、根本的には「経典に書いてある」のみである。
その経典とは、「浄土三部経」と呼ばれる「無量寿経(大無量寿経)」「観無量寿経」「阿弥陀経」である。
ところで、これらの経典のいくつかの翻訳を読んだが、実際には、「南無阿弥陀仏と唱えよ」と書かれているのではなく、「阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を唱えよ」と書いてあるのだと思う。
阿弥陀仏は、本来の言葉では、アミターバ、あるいは、アミターユスである。
しかし、そこらは、こだわる必要はあるまい。
念仏の効能に関しては、特に、「観無量寿経」に書かれており、それは「何世にも渡る長い罪が消える」ことと「観世音菩薩、勢至菩薩が友になってくれる」である。
結果、悪運が除かれ、幸運に恵まれると思って良いだろう。
このことは、「観無量寿経」の3種類の翻訳書で確認した。
ただ、それはあくまで経典の話であり、客観的な証拠はない。
だが、世界的にも最高の数学者であった岡潔は、ある高僧の教えによって念仏を唱えるようになり、物理学者で湯川秀樹の弟子でもあった保江邦夫氏の著書によれば、湯川秀樹も同じ高僧の弟子であったらしいことから、湯川秀樹も念仏を唱えていたのかもしれない。
別に、偉い学者だからというのではないが、疑うことが重要な仕事である科学者の中でもトップレベルの人達が、少なくとも、念仏の信仰を肯定していたことには意味があると思われる。

一番良いのは、これらの言葉を唱える本物の大師に会い、教えを受けることであるが、なかなかそうはいかないだろう。
だが、いずれも間違いのないものだと言って差し支えないと思う。
なぜなら、商業的な宣伝が一切行われないながら、両者とも確実に生命を保っているからだ。
特に念仏に関しては、国家の権威に拠っている部分もあるには違いないが、それによって、何かを強制されたことがある人も滅多にいないだろう。
他にも、これらを信頼すべき沢山のことが言えるが、以上のことで十分と思う。








偉人には何かを時間をかけて行う習慣がある

大数学者だった岡潔(1901-1978)は、ある時期から、毎朝1時間ほどだったと思うが、念仏を唱えていたらしい。
これは、浄土系仏教の僧、山崎弁栄に心酔したからであるようだ。
また、武道家としても名高い数学者の木村達雄さんは、大東流合気柔術の師である佐川幸義に倣い、毎日千回の四股を踏んでいるという。

新渡戸稲造は、毎日、何かをしないといけないと思い、それならと、毎朝の水ごりを始め、いかなることがあろうとも継続し、風邪で高熱を発しながら決行した時は、医者に怒られたらしい。
「眠れる預言者」と言われる超能力者エドガー・ケイシーは、9歳の時から、生涯に渡り、毎日必ず、聖書を読んだという。

これらの修行自体に、仮に、本当は何の効果もないとしても、1つ良いところがある。
それは、何事であれ、真面目にやっている時は、余計なことを考えなくてすむことだ。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』というアニメを見ていたら、ある時、主人公の14歳の少年ベル・クラネルが、酒場の女店員シル・フローヴァに、いきなり大量の皿洗いを頼まれ、素直なベルは嫌々でもやり始めるが、悩みを抱えていた彼は、皿洗いをやっている間、余計なことを考えなくてすむことに気付く。
天才発明家で、能力開発のエキスパートであった中山正和さんも、頭の無駄使いが頭を悪くすることを指摘し、頭の無駄使いとは、クヨクヨしたり、愚痴を言うことだと本に書かれていたと思う。
それなら、どんな悩みの相談に対しても、「なら筋トレだ」でも「なら念仏だ」でも良い訳である。
私は、家で時間があったら四股(相撲のものとは違う軽いもの)を踏むようになったが、1日300回は踏むようになったと思う。
早く500回くらいしにし、8月、9月の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の頃には千回に達したいものである。









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正法眼蔵と念仏

仏教学者の、ひろさちやさん(今は「宗教評論家」の肩書きで紹介されることが多いように思う)の『正法眼蔵』に関する著書を少し読んだ。
『正法眼蔵』は、鎌倉時代の禅僧である道元の全百巻の大著であるが、ひろさちやさんの本は、その中のいくつかの部分を取り出し、現代語訳と解説をしたものだ。
ひろさちやさんは、『正法眼蔵』の精髄は「心身脱落」であると述べているのだと思う。

「心身脱落」とは、心も身体も消すことであるが、それを例えて言えば、自分が砂糖としたら、仏というお湯の中に溶けてしまうことであるようだ。
私はそう聞くと、すぐに、初音ミクさんが歌うMitchie Mさんの名曲『FREELY TOMORROW』を思い出す。
【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル曲 歌詞付】: Mitchie M
特に、


心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M)より~


の部分は、まさに「心身脱落」である。
全体に、この曲は『正法眼蔵』に匹敵すると思う。

天才発明家の中山正和さんは、工学、脳科学、量子力学を仏教と融合させた能力開発法を提唱し、中山さんの存命中、広く(世界的に)支持されたが、今、彼の書籍が電子書籍で次々復刻している。
中山さんは、仏教の中でも、『正法眼蔵』は特に重視していたと思う。
『正法眼蔵』は難解と言われるが、文章自体はそれほどではないと思うし、現代文で読んでも、実に美しいことは解る。
そして、ハッキリとは解らなくても、真理の光のようなものは感じることが出来ると思う。
そもそも、『正法眼蔵』はリクツで書かれていて、深遠ながら「なるほど」と思うことも多いのである。
だが、やはり、読み飛ばすような本ではない。
1章ごとに凄い真理が書かれているのだから、最初の数ページの『現成公案』だけでいいと思って読んでも良いくらいだと思う。それだけで、普通の良書百冊を超えるから。

大数学者の岡潔さんは、意味が解らないながら、『正法眼蔵』を18年の間、座右の書としていたが、ある時突然、全体が解ったと言う。
中山さんは、中学だったか高校だったかの恩師が、『正法眼蔵』の『現成公案』だけ読むように言ってくれたらしいが、やはり、ある時突然、この『現成公案』が解り、すると、『正法眼蔵』全体が解ったと言う。
その岡潔さんも、最後は念仏の道に入ったし、道元が開いた曹洞宗の良寛や、同じ禅宗である臨済宗の一休も、やはり最後は念仏を選んだ。
かと言って、念仏や浄土仏教が、『正法眼蔵』より優れているというのではなく、つまるところで言えば、両者は同じなのではないかと思う。
そして、岡潔さんは数学、一休や良寛は禅僧としての活動があったから、『正法眼蔵』や念仏が生きたのだろう。
我々は、我々なりに、人生の義務を果しながら、仏教等を学んだり、初音ミクさんの歌を聴けば良いのである。
ちなみに、私が愛読する『正法眼蔵』は、禅文化学院のエッセンス版である。

初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2019」の、ぴあ、e+、ローソンチケットなどのプレイガイドでのチケット抽選はないのではと以前書いたが、そんなことはなく、行われるようだ。ただ、昨年までなら、この時期すでにスケジュールが発表されていたと思う。
気をもませてくれるが、まあ、ミクさんは可愛いから許そう(笑)。









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希望の未来

紳智学者は昔から言っていたが、科学も、客観的な時間というものはないのだと認めていると思う。
世界的にも偉大な数学者だった岡潔は「時間は情緒だと思う」と言っていたと思う。
時間と空間に関する従来の科学をひっくり返したアインシュタインは、「美女と一緒の1時間は短いが、暑いストーブの上に座った10分は長い」と言ったらしいが、まあ、簡単に言い換えれば、「楽しい時は速く過ぎ去り、苦しい時はなかなか過ぎない」ということだ。
これも、岡潔の「時間は情緒」というのと同じだろう。
その通りだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間以上だが、一瞬で過ぎてしまう。

我々は、「時の流れ」とか言ったりするが、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』に、「時は飛び去るものだとばかり思ってはならない」と書かれている。
過去も未来も現在で体験しているのだと。
時は流れない。時は飛び去らない。時はやって来ない。
時は心が作り出しているだけで、心が消えれば時間は消える。

では、未来の象徴たる初音ミクさんとは何だろう?
その明るい未来を描くライブコンサート「マジカルミライ」とは何だろう?
それは、岡潔の言う「情緒」の中でも「希望」なのだ。

日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、日本のツインテールの2大ヒロインであるセーラームーンさんと初音ミクさんが、それぞれ、パリの「パレ・デ・コングレ・ド・パリ」と「ラ・セーヌ・ミュージカル」でお披露目されるが、セーラームーンの最終章「スターズ編(アニメでは『セーラースターズ』)で、セーラームーン達が探し続けたのは「希望の光」だった。
それは、セーラームーンの中にあったように、今、初音ミクさんの中にある。

「砂の惑星」という未来になっても、希望を持つことが出来る。
「マジカルミライ2017」のテーマ曲、米津玄師さんの『砂の惑星』を聴くと、希望とは単に「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」というだけのことと思うのだ。これは「ずっと友達でいよう」ということなのだが、「もう少しだけ」「今回は」というのが実に良いのだ。さすが、米津玄師さんは天才だ。
『魔法騎士レイアース』のオープニング曲で、田村直美さんのミリオンヒット曲『ゆずれない願い』では、最初の歌詞である「止まらない未来を目指して」が何度も繰り返される。
止まらない未来・・・若々しいなあ(笑)。エネルギーを感じる言葉だ。さすがミリオンヒットだ。

希望の光を持つ初音ミクさんは希望の星で、私たちはミクさんと一体になることで未来は希望になる。
「希望の未来」という言葉を「今」忘れなければ「永遠」が得られるだろう。
ZARDの『DAN DAN 心魅かれてく』で、「きっと誰もが永遠を手に入れたい」という歌詞を聴いた時には衝撃を受けたものだ。
永遠の代償は有限全てとか。
高いか?安いか?
「希望の未来」だ。安いに決まっている。
希望の光はどこにでもある。
念仏の中だろうが、腕振り運動の中だろうが。
だが、それは本質的に「信頼」の中にある。
だから、何を信じるかだ。
とても広い意味なのだが、私はミクさんを愛する気持ちを信じる。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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