ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岡潔

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

1つのことだけ出来る残念な人達

オリンピックで金メダルを取るような若い日本人選手達の、発言、振る舞いなどを見ていると、非常に幼い・・・言っては悪いが、幼稚な感じを受けることが昔から多かった。
それは、いかにも組織的に訓練された選手で、訓練したというよりは、訓練させられた選手、権力の支援を受けているような選手だ。
水泳しか出来ない、レスリングしか出来ない人達で、彼らのその後の人生は、やはり敷かれたレールの上を行くことはあっても、独自に何かをすることはない。
生涯、水泳の〇〇、体操の△△で、その分野の組織の会長や理事長といったものがゴールだろう。
これは、幼い頃から音楽教室などの中で訓練された楽器演奏者にも感じることで、子供としては優秀で、海外のコンテストなどにも出場するのだが、そんな海外の大会の運営委員長のような人の「日本のジュニアはよく訓練されているが教養が全くない」という言葉が、まさに的確な問題の指摘であったと思う。
そんな日本のジュニア達は、ピアノしか出来ないのである。

重要な原則を述べると、どんな道であれ、その道で本物になるには、その道以外のことを知らなければならない。
1980年代、マイクロソフト社長だったビル・ゲイツが言ったとされる言葉が実に素晴らしい。
それは、
「優れたプログラマーは、あらゆることを話題にする」
だ。
これは、プログラマーだけでなく、あらゆる分野で言えることで、おそらく例外はない。
スポーツ選手、音楽家、武道家、コメディアン、コック、ダンサー、殺し屋・・・およそプロが存在するあらゆることにおいてだ。

真に優秀な者は、専門用語ばかり並べて、わけの分からないことを言ったりはしない。
世の中では、スペシャリストとは、部外者には理解出来ないような話ばかりする者だと誤解されていることが多いが、そんな連中は間違いなく三流以下だ。
超一流の物理学者は、一般の人にもよく分かる物理学の話が出来るのである。それは、物理学以外のこともよく知っているからだ。
一方、物理学のことしか知らない三流以下の者は、一般の人には全く分からないことを言って、それで悦に入っていることがよくあるものだ。そんな者は、教科書に書いてあるようなことしか知らない場合が多い。
TOEICの点数が高いだけの残念な人を見ることも多い。
それに対し、たとえば数学者の岡潔は、本当に何でも知っていたと思われるのである。

最近、YouTubeで、引き寄せのことを本当によく分かっていると思える者が、こんなことを言うのを聞いた。
「引き寄せが出来るのは、引き寄せ以外のことをよく知っている者だ」
当たり前なのだが、引き寄せも同じなのである。

どうすれば、いろいろなことを知ることが出来るのだろう?
それは単に、好奇心を持てば良いのだが、では、どうすれば好奇心を持つことが出来るのか?
それは、自我(=思考=心=左脳)を出来るだけ止めることである。
そのためには、いつも言うが、単純な方法で瞑想をすると良いだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)人間の建設(岡潔、小林秀雄対談)
(2)英語だけできる残念な人々 (宋文洲)
(3)トーチェ氏の心の法則
(4)ナ・ダーム ~あなたの中の不思議な力~
(5)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)
(6)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(7)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)

空を見上げて
AIアート1128
「空を見上げて」
Kay

腕振り運動で頭が良くなる

腕振り運動を行うと、確実に頭が良くなる。
統計的なデータみたいなものがあるわけではないが、脳の仕組み的に、そうであると確信している。

今朝の記事で述べたが、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンは、2014年のTEDの講演『なぜ我々は祖父母世代よりもIQが高いのか』で、後の世代の人間の方が前の世代の人間よりIQ(知能指数)が高いという調査結果と、その理由の考察を示した。
興味があれば、このブログの、今朝の記事『目が覚めたら王様だったら?』に詳しく書いたので、ご参照願う。

ところが、フリンの研究の後も、人々のIQに関して統計が行われているのだが、何と、IQの伸びは1990年あたりに頭打ちとなり、2010年頃から明確に下がり続けているらしい。
これに関し、岡田斗司夫さんが動画でうまく説明してくれているが、私が見たのは非正規動画(いわゆる「切り抜き」)だったので、岡田さんの話を参考にしつつ新たに(多分もっと良くw)述べる。

頭が良いことを含め、能力が高いというのは「集中力がある」ことだ。
集中するほど、持っている実力を発揮出来るだけでなく、集中する訓練により集中力が高まると、実力も高くなることは、だいたい同意いただけると思う。
つまり、スポーツ、音楽演奏、武道、勉強などで、集中して行う訓練をすればするほど(限度はあるが)、訓練している分野はもちろん、人間として全体的に優秀になっていくのである。
ところが、よく、「この子は集中力がない」などと言われる生徒等がおり、そんな者は、確かに優秀になれない。
だが、学校等で集中力のない生徒や選手がいるのは、指導者の問題なのである。
なぜか?
人間は(特に子供は)、集中力がないのが当たり前であり、有能な指導者のみが、指導している相手に集中をさせることが出来るからである。

人間というのは集中力がない・・・元々、集中するように出来ていない。これは本当だ。
文明なんてものが出来たのは、人類の長い歴史の中で、ごく最近のことである。
だから、今の人類だって、原始時代の名残を色濃く残している。
原始時代、人間は、猛獣の襲撃に備え、常に周囲に意識を向ける必要があり、自分がやっていることに集中することなど出来なかったのだ。
農耕社会の歴史も狩猟時代に比べると短いし、農耕地帯にも野獣はいただろうから、やはり、人間は「集中してはいけなかった」のである。

そんなわけで、人間は本来、集中力がなく、うまく訓練しないと、能力は低いままだ。
だが、集中した方が仕事や戦いのパフォーマンスが上がることが自然に理解され、徐々にだが、人類は集中することを覚え、だんだん能力が高くなってきた。
だが、やはり、その進歩は一般には鈍い。
ところが、特殊なグループの中で、優れた集中の訓練が開発され、そんなところでは、異常に優秀な人間が育ったし、また、生徒をうまく集中に導くことが出来る学校では、多くの生徒を優秀にしてきたのである。
仏教では、特に真言密教では、真言を長時間唱えることで、集中力を磨き、集中力が高度になれば超能力を発揮することも分かっているのだと思う。

だが、テレビやラジオ、あるいは、音楽レコードのプレーヤーが普及することで、それらを見たり聞いたりしながら、勉強や仕事をすることで、人々は集中力を失い、それで、1960年代から、人間のIQの向上が鈍り、1990年くらいには完全に頭打ちとなり、スマートフォンが普及した2010年頃からは、人々のIQは坂を転げ落ちるように低下したのである。
スティーブ・ジョブズが、自分の子供に決してスマートフォンを与えなかったのは、ジョブズには、直観的にそれが分かっていたからだろう。

そんなわけで、集中力を失くし、頭を悪くしたくなければ、スマートフォンをなるべく、見ない、触らないことである。
スマートフォンを見る時間が長い人ほど頭が悪いことは、なんとなく分かると思う。

そして、例えば、一部の密教の教団が行ったように、真言を長時間唱えて、集中力を上げることは、頭を良くする良い方法なのである。
真言でなくても、中村天風が教えたように、常に肛門を引き締めることに意識を向けることで、余計なことに意識が向かず、集中力を高めることが出来る。
超一流数学者の岡潔が毎朝、念仏を1時間唱えていたのは、あくまで信仰のためではあったが、これもまた集中力を磨くのに役立ち、岡潔は数学のみならず、あらゆることで高度な能力を発揮したのだと思う。
しかし、岡潔のように念仏に集中するには、強い信仰が必要で、岡潔の場合は、弁栄という素晴らしい僧に会ったから、そんな信仰を持てたのである。
念仏以外の、真言、お経、祝詞、神仏の名・・・なども、毎日、それなりの時間唱えることは難しく、私も苦労した。
しかし、身体を動かす腕振り運動であれば、私は、多少の根気は要るとしても、かなり気持ち良くやれるのである。

集中力が高まれば、知性などの能力が高まるだけでなく、直観が冴えたり、アイデアが閃くようになる。さらには、特殊な密教的集団では知られていると思うが、神秘的な力が現れ、シンクロニシティ(共時性)が起こったり、超能力が備わったり、世界を支配する力にまでいたる可能性がある。
腕振り運動は、努力、忍耐、克己等の資質を持ち合わせていなくても、集中力を獲得出来る秘法であると思う。
やらなければもったいないと思う。








1つに徹するということ

時々、親切からなのかもしれないが、このブログのコメントで、
「Kayさん(筆者のこと)は、いろいろやり過ぎて迷っているので、念仏だけにすればいいですよ」
「Kayさんは『神様の奇跡が起こる』だけにしてはどうですか?」
あるいは、
「なんで『神様の奇跡が起こる』だけで良いと言いながら、別のことを書くのですか?無責任だ」
と怒りのコメントをしてくる方もいる。
そういったコメントは公開していない。
まあ、ごく稀な人達と思うが、一応、このことについて書いておこうと思う。

世界的な数学者の岡潔氏は、確かに、毎朝1時間、熱心に念仏を唱えておられたらしい。
しかし、彼は、『正法眼蔵』を座右の書とし、20年間、熱心に読んで、ある時、天啓を得て、その内容が全て分かったという。
そして、彼は、その他にも、あらゆることをやっておられたはずなのだ。

一休は、晩年、確かに、念仏に転向したが、臨済宗の名僧でもあり続けたのである。

度々取り上げる、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え、1憶円を2回当て、ローマ法王に謁見したホームレスだって、知られていないだけで、他にもいろいろやっていたはずなのだ。人間なんだから。
例えば、他のホームレスの手助けをしたり、猫や鳩に餌をやったり(公園などでやると怒られるが)、自分とは関係ない場所でもゴミ掃除をしたりとか、あるいは、それこそ念仏を唱えたりもしたかもしれない。
しかし、「神様の奇跡が起こる」を、1日1万回やそこらは唱えていたのである。
それだけやっていれば、自ずと、何か良いこともしてしまうはずである。そう考えるのが自然ではないか?

史上最高のプロレスラー、ルー・テーズは、確かに、「技を1つと言われたら、ダブル・リストロック」と自伝に書いているが、彼は多才な技を達人レベルに磨いていたのである。彼の代名詞でもあったバックドロップという大技は、確かにテレビ用の見栄えの良い技として用意したのだろうが、それでも、あのスピード、格好良さは、大変な練習の賜物であることが分かる。
とはいえ、彼が心の支えとしていた技は「いつでも相手の腕を折れる」ダブル・リストロックなのだ。
柔道の木村政彦で言えば、エリオ・グレイシーに勝ったキムラロック(腕がらみ。テーズのダブル・リストロックと同じ技)が切り札だったが、必殺技は高速大外刈りで、また、彼は、あらゆる技が超一流だったのだ。

1つの技、1つの能力を磨き抜いていれば、自ずと、他のことにも手が広がるし、沢山の力がつくのである。
ただし、まずは、1つのことをしっかりやらなければならない。
1つのことをしっかりやらないのに、ふらふらと別のことをやる者は、確かに、何も成しえない。
また、せっかく続けていたことを、長くやめていたが、また戻ってくる場合や、もうそのことはやめて別のことをやるということもあるだろう。
そして、1つのことを長くやっていたら、ものごとの原理が分かって来て、何をやって何をやめるかを良い形で自由にやれるようになる。
それまでは、1つのことを磨き抜くべきであろう。
私は、一頃は、プログラミング言語のC言語の名人だったが、やがて、広く「MAGIC(データベースシステム開発ツール)のKay」と知られるようになり、その間にも、JavaScript、VisualStudio、Smalltalk、PHP、Perl、Pythonその他をやり、ある時期からはVBAを熱心にやっているが、まだまだ他のものにも手を出している。
で、プログラミングに関して、何が私の核かと言うと、実は、これに関しては分からない。ザッカーバーグのPHPや、ビル・ゲイツのBASICのように、はっきりしたものがあれば良かったかもしれないが、彼らも、それは若い頃のことで、彼ら同様、私もプログラミングという枠を超えたので、それで良いと思う。

私は、1日1時間は『願いをかなえるお清めCDブック』のCDを聴いているし(『和の成功法則』のものでも良い)、毎日ではないが『バガヴァッド・ギーター』や『福音書』を読むし、他にも、いろんなものを読む。
だが、最も基本は、社会人になった時から続けている真言である。
運動で言えば、腕振り運動と四股は欠かさないが、腕立て伏せやスクワットも、毎日、少しはやるし、他の運動も必ず毎日やっている。しかし、運動に関しては、核となるのは、腕振り運動と四股である。

確かに、私も基本がぐらついていることがあり、それに気付いたら、基本をしっかりやろうと思うことはある。
そして、根本的には、「馬鹿の1つ覚え」を信条としており、「これだけあれば、他は捨てて良い」と思っている。
しかし、自分の好きに捨てたりは出来ないものであるし、無理に捨てなくて良い。
だが、核の1つがしっかりしていないなら、お話にならない。
そんな者ほど、「うまくいきませんが、念仏は唱えています」といった、わけの分からないコメントをする。
念仏をしっかり唱えて、うまくいかないはずがない。
それは、唱え方が足りないのである。








AIには不可能な啓示を得る方法

人間の思考は、大脳皮質の約200億のニューロン(神経細胞)が、シナプスにより化学的・電気的に様々な強度で複雑に結合することで行われていると考えられているが、そこまでなら、現在のAIは同じことを行っていると思われる。しかし、人間は、AIには不可能な、論理的には得られるはずのない解答を一瞬で出す直観とか閃きと呼ばれる現象を起こす。AIは、高度な解答(実際には解答の推測だが)を出すには時間がかかるのだ。
人間の直観の中でも、高度なものを啓示、天啓などと言うが、それは、「神の声」とでも言うべきものであると思う。
世界的数学者だった、岡潔が、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』を全く意味が分からないまま読み続けたが、20年後、天啓が訪れ、一瞬で『正法眼蔵』の全てが理解出来たという話がある。これは、20年の間、岡潔の頭の中で、『正法眼蔵』の情報が意味付けされ、組み直されたというのではなく、脳内の「神」(あるいは、「神」と通信出来る脳内の機能)との間の扉が開いたのだと思う。
脳には、AIにはない量子的な機能があると言われ、例えば、イギリスの8月8日生まれで現在(2020年6月6日)88歳の数学者・物理学者、ロジャー・ペンローズが、量子脳理論の仮説の1つを立てている。
人間の脳は、AIとは比較にならない、神秘で複雑なものであり、その機能は分からないことだらけと言って差し支えないと思う。我々が、岡潔のように『正法眼蔵』を20年読んでも、天啓は得られないかもしれない。ところが、一度読んだだけで、そんなことが起こるかもしれない。また、天啓そのものは同じでも、受け取る人によって意味は異なるかもしれず、さらには、それを使った場合には、全く別の作用を引き起こすに違いない。
天啓は、神秘体験の代表的なものだが、今朝も書いた通り、長い緊張状態から解放された時に、それは起こる。岡潔の場合、『正法眼蔵』の意味が全く解らないストレスに耐え続けることが緊張を生み、ほんの僅かな部分が解って緊張から解放された時に、一気に全体が解ったのであると思えるのである。
説明を省くが、啓示を得る良質なストレスを持つ方法は、次の2つである。
1.辛いことに前向きに耐える
2.自分の好みを誰にも押し付けない










当ブログオーナー、KayのAI書。
AIは、「思考するマシン」ではなく「推測するマシン」です。
現代のAIは、恐るべき推測能力を発揮することが出来ます。この能力を使えるか、そうでないかで、努力の成果が大きく変わります。
権力者や大企業は、この力を既に手中にし、さらに、拡大しようとしています。このまま手をこまねいていては、我々は彼らの奴隷になる恐れがあります。
この本では、数学もプログラミングも必要とせずに、誰でもAIを作れるようになることを目指しました。しかも、面白く練習出来るよう配慮したつもりです。

愛は時を超える

由紀さおりさんは、70歳を超えても高い実力を保つ歌手で、彼女の1969年の楽曲『夜明けのスキャット』が、2010年頃、世界中で大ヒットとなった。
これは、由紀さんの歌の実力と曲の素晴らしさは当然ながら、日本語の歌詞が良いのであると思う。
「愛し合う その時に この世は とまるの」
というのは、情緒的に美しいが、それだけではない。
世界的な数学者だった岡潔は、 小林秀雄との対談書で、「時間は情緒」とほぼ断言している。
アインシュタインが、相対性理論の一般向けの説明として「美女と一緒の1時間は短いが、熱いストーブに座る10分は長い」と言ったのも、時間が情緒であると言っているのだと思う。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の楽曲『LOTUS LOVE』でも、「Baby!ときをとびこえておいで」と歌うが、天才芸術家(作詞・作曲者の細野晴臣さん)の直観は科学と変わらないと思う。
インドの詩聖と言われたタゴールは、アインシュタインに「人間が見ている時だけ月は存在する」と量子論の真理を指摘したが、アインシュタインは理解出来なかったという話がある。
「人間が見ている時だけ月は存在する」は、量子論の比喩的表現で、人間の意識が作用するのは、あくまで極微の世界の量子に対してと考えるのが普通であるが、タゴールはそんなことは考えていなかっただろうし、湯川秀樹の師でもあった数学者、岸根卓郎さんは、「物質世界も量子で成り立つのだから、意識は物質世界に影響する」といった意味のことを著書に書かれていた。
月が存在する、しないも、意識と時間との関係があるのだと思う。

「愛は時をこえる」「愛は時を止める(消す)」というのであれば、時を消すことが愛なのかもしれない。
湯川秀樹の弟子であった物理学者の保江邦夫さんが著書の中で、ざっくりの引用だが、愛とは、頭の中で祝詞やお経や聖歌、あるいは、教会の鐘の音や『アヴェ・マリア』といった聖なるイメージのある音が鳴り響くことであると書かれていたが、聖なるイメージは、やはり、時を消すのである。
André Rieuの公式チャンネルのYouTube動画で、多少の演出もあったかもしれないが、ソプラノ歌手のMirusiaが、シューベルトの『アヴェ・マリア』を歌うと、いかにも堅苦しい顔をした一般観客達が自然に涙を流す。
◆Ave Maria - André Rieu & Mirusia - YouTube -
そこは、やはり、時が止まった世界になる。
ここはやはり、何でもいいから、保江さんの言われる通り、頭の中で聖なる音を響かせておくと良いと思う。
保江さんの著書によれば、そのようにして手術をする医者は、人間を超えた能力を発揮し、奇跡の手術を行うようだ。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版販売中。紙の本は5月30日発売。
数学やプログラミングが出来なくても、Excelが使えるなら、恐れずAIに挑み、自分でAIを作る体験をしていただきたく思います。
来るべき世界では、AIは人間とは別のものではなく、AIは人間を拡張する道具・・・長谷敏司氏のSF『BEATLESS』風に言うなら、人間とAIは1つのユニットになります。
AIも電子レンジのような道具で、マイクロ波の理論を知らなくても電子レンジを使えるように、数学やプログラミング、AI理論を知らなくてもAIは作れます。そして、早くやった者勝ちという面もあるのだと思います。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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