ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岡本太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第26章を一言で言えば「何もしない者が一番強い」

今回は『老子』第26章である。
この章を一言で言えば「何もしない者が一番強い」だ..

『老子』は、全章を通して思想が一貫しているが、特にこの第26章までの数章は、表現こそ違うが、全くと言って良いほど、同じことが書かれている。
だから、分かっている者が読むと退屈になるが、そもそも、『老子』は、分かってしまったら、もう読む必要はないと思う。

祖父が言っていたものだよ。
攻撃こそ最大の防御なり。
最大の攻撃とは無抵抗なり。
だから、何もしない者が一番強いんだ。
~英国テレビドラマ『ダンディ2 華麗な冒険』より、ブレット・シンクレア卿の言葉~

この祖父とやらが、老子と同じことを言っているのである。
そして、これが全てだ。
ついでに、何度も取り上げたが、ラマナ・マハルシの以下の言葉を再度提示する。
「ある事業家は、大きな事業を成し遂げようとしている。だが、彼は何もしていない」
「財務長官は、最大の注意と責任感を持って仕事を行う。だが、彼は何もしていない」
どういうことかというと、優れた力を発揮する者ほど、自分がそれをやっているという意識がないのである。
画家の横尾忠則氏も著書に書いていたものだ。
「自分でも、どんなものが出来るのか分からない時ほど、良い作品になる」
つまり、自分が描いているという意識が邪魔なのである。

『老子』第26章でも、君子が徹底的に何もしないことが書かれている。

何もしないことの無限の力について、荘厳な話をしているのが、岡本太郎の『美の呪力』の最終章『宇宙を彩る』の「無限への変転<綾とり>」だ。
あの岡本太郎が、綾とりをする幼い少女に、言いようのないエロチシズムを感じるという。
男の子は、駆けたり、取っ組んだり、飛び跳ねたり出来る。
しかし、女の子は何も出来ない、孤独で弱い存在だ。
願いしかない。
しかし、だからこそ、無限の夢が繰り広げられる。
少女はひたすら、糸を操り、運命を幻想的に繰り出し、遊ぶ。

まあ、今の時代に限らず、男の子でも、そんな女の子的な子もいる。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンなんてまさにそうで、彼は17歳になっても、綾とりはしないまでも、人形の服を縫っていたのだ。
だからこそ、あれほどの詩や童話が書けたのだ。
女の子が綾とりをしている時、アンデルセンが人形の服を縫っていた時、自分が糸を操っているとか、自分が縫っているという意識はないのである。

もし、引き寄せの秘儀があるとすれば、そこにある。
糸を操ることは、運命を操ることなのである。
そのためには、「私」が消えなければならない。
そして、そうなるための、あまりに高度な手法が、「私は誰か?」と自分に問うことなのである。
「私は誰か?」と問う際の注意点は今朝も書いたので、よければ参照願う。








個性のない生き方は破滅する生き方

ヒーローとは何だろう?
単に、強いやつ、優秀なやつ、格好良いやつではない。
強くもなければ、優秀でもなく、格好良くもないヒーローだっている。
ヒーローとは、輝く個性のあるやつ、独自の道をいくやつだ。
そして、ヒーローとは、決して、「俺のようにやれ」などとは言わない。
ヒーローは必ず、「お前のやり方でやれ」と言うのである。
そして、「俺の真似なんかするな」とさえ、はっきり言うのである。

現代の、アイドルを主役にすることが多い邦画がなぜ見るに堪えないかというと、アイドル俳優は個性がないからだ。
アイドル自体が、単に、格好良かったり、きれいなだけで、個性がない。
そして、「彼のようになりなさい」と感じさせるのだ。
本物の俳優は個性的で、欠点さえ大きいのである。
アイドルは、欠点はないが、個性もない。
個性のないアイドル俳優が、仮に演技を磨いたからって、薄っぺらであることに変わりはない。

岡本太郎は、「私は常に破滅する道を選んだ」と言っていたが、これを、「破滅する道を選ぶべき」と大誤解した人が多い。
そうではないのだ。
個性的な道、自分の個性に合った道、独自の道を選んだら、それが、たまたま、破滅に通じる道だったというだけのことだ。
まあ、極端に個性的な道というのは、破滅の危険性が高いのであるが、実際は、個性的な道を選べば、生きこそすれすれ、破滅などしない。
没個性な道、皆と同じ道こそが、本当の意味で破滅する道なのである。
イエスもまた、「生きるためには死ななければいけない」と遠回しな言い方をした。
ちゃんと分かり易く言ってよ・・・とちょっと文句を言いたい(笑)。
これも、「死を覚悟してでも、個性的な道を行け、そうすれば、本当の意味で生きられる」という意味である。

社是ほど下らないものはない。
社是は、社員を没個性にし、社畜にするためのものだ。
社是など、決して憶えてはならない。
だが、世の中には、高次元な意味で良いと言われる社是がある。
たとえば、ダスキンの「得な道と損な道があれば、自分に関しては損な道を行く」という社是は、創業者の哲学が込められた良い社是だとよく言われる。まあ、私もそう思っていた・・・が騙されていた(笑)。
創業者がそう思うなら、勝手にそうすれば良かったというだけのことだ。
それは別に反対しない。
しかし、そんなものを社是にして、あたかも、社員に「従え」と感じさせるなら、「自分の個性を殺して社の精神に洗脳されろ」という、一般的な社是と全く同じになってしまう。
勘違いして欲しくないが、「損な道を行く」は、個人的信念としては素晴らしいものである。
しかし、他人の信念であることに変わりはなく、真似した途端に、真似した人を動物や奴隷のようにしてしまうのである。

岸田総理は、個性がない総理だとよく言われるが、その通りで、何の力もない。
河野太郎は、特徴はあるだろうが個性がない。
そんな政治家(特徴はあるが個性がない)としては、麻生元総理がいる。
菅前総理はまだ個性があったし、安倍元総理もいくらか個性があった。
個性のない政治家は、毒にも薬にもならない。
個性のある政治家は、毒もあるが、薬にもなるのである。
アメリカのバイデン大統領は、全く個性がなく、ただの操り人形で、本当の大統領でないことはすぐに分かる。
オバマ元大統領は、黒人でスリムということで目立ったが、実は、個性は全くなく、実際、大統領としての成果は何もなく、むしろ、害が大きかった。
ヒラリー・クリントンも、女性ということで注目されただけで、個性は全くない。
だが、トランプ大統領は、トランプ以外の何者でもないと言えるほどの強烈な個性がある。
もちろん、主要メディアは・・・というより、主要メディアを動かしている者は、個性ある本物の大統領は困るので、トランプのこき下ろしに必死であることが露骨に分かる。まあ、権力と結びついていれば、これほど露骨でも強いのであるが。

だが、自分に個性がなければ、個性ある人物が分からないのだ。
そして、皆と同じ、知名度の高い候補者、マスコミ受けする政治家に投票するのである。
これが国を亡ぼすということに、いい加減気付かないといけない。
日本は停滞し、先進国の中で唯一、20年間、平均給与が変わらない国だと言われるが、それは、有名タレントに投票した、個性のない投票者の責任なのである。確かに、有名タレントに投票させる働きかけも大きかっただろうが、個性がないから、そんなものに引っかかったのである。
芸能人や元人気スポーツ選手に投票する意味があったことなど、一例もなかったはずだ。
個性ある人間は、権力者の策略に引っかかったり、洗脳されたりしないのである。
個性ある人間は、ワクチンを打たないか、仕方なく打ったはずである。

個性ある人間だけが、人間の偉大な真の力を自在に行使出来る。
個性のない人間は、人間としての死である、ロボットのような、奴隷のような、家畜のような道を行くしかないのである。

『マスターの教え』で、マスターも言っていたのである。
「マスターは人の真似をしない。私のやり方なら教えるが、真似をしてはならない。マスターは自分のやり方でやる。人真似をする者はマスターになれない」








あなたも本日ただ今より芸術家になれる

ドイツの文豪ゲーテが存命中の話である。
ゲーテに憧れる青年が、ゲーテの邸宅に、当時のことだから、おそらくはアポなしで訪問した。
そして、青年は、運良く、ゲーテに会えた。
その時・・・青年の顔には、明らかに失望の色が浮かんだ。
若い頃は美男子だったゲーテだが、中年過ぎたその頃には肥満し、見栄えは悪く、その時着ていた普段着もダサかったのかもしれない。
とはいえ、ゲーテは70歳を過ぎても、十代の彼女を次々に作っていたのだから、やっぱり芸術力とは素晴らしい(笑)。

人間は中身であるが、やはり、有名で尊敬される人物は、出来る範囲で、少なくともさっぱりとした外見を保っておくべきかもしれない。
しかし、外見ではなく、会ってみたら、内面的な印象が悪くてがっかりするというのは、特に、芸術家など、普段、あまり人前に出ない偉人には、意外に多い。
美しい絵画を描く画家や、感動させる文章を書く作家、絶妙な音階を紡ぐ音楽家が、会ってみたら、鼻持ちならないほど高慢だったり、下種な野郎だったりするというのは、そう不思議なことではない。
私も、直接会ったのではないが、有名な作家や音楽家とネットで対話した時、その作家などに対し、なんと高圧的で、了見の狭いやつだと呆れたことがある。誰とは言わないが、まあ、最近のことではないとだけ言っておく。

それで思い出すのが、ソクラテスが、優れた人物を求めて、評判の人がいたら、片っ端から会いに行ったという話だ。
結果、ソクラテスは、それらの高名な誉れ高い人達が、全く優れた人間でないことが分かった。

つまり、こういうことだ。
優れた作品を作った作家や音楽家が、人間として優れているかどうかは全く関係がなく、むしろ、人々に称賛されている分、尊大になっている場合が多い。それは人間だから、ある程度は仕方がない。
ソクラテスは、そんな人達が優れた仕事をするのは、その人達の内部にいるダイモーンという霊的存在が神の英知を運んでくるからであると考えた。
それを今日的に言えば、潜在意識との交流が出来る人間が偉大な仕事をするのである。
そして、偉人も、普段は、普通の人間と全く変わらないのだ。
ただ、彼らは、潜在意識と交流するための、何等かの方法を知っているのである。
中には、明示的に、神への長時間の祈りを捧げた後、素晴らしい想像力を発揮するという者もいる。
あるいは、坐禅を組んだり、何らかの音楽を聴くことで、スイッチが入る・・・これが潜在意識との交流が開始されるということなのだろう。
方法は様々であるが、とにかく、何らの方法で、いわゆる脳波がアルファー波やシータ波になったり、ゾーンやフローに入る術を心得ているのだろう。
そして、これまでは、高い創造性を発揮したことがない平凡な人間も、潜在意識と交流する術を修得すれば、岡本太郎が言うように「本日、ただ今から芸術家になれる」のである。
実際、岡本太郎のところに取材に来ていた40歳過ぎの記者が、次に岡本太郎に会った時には偉大な画家になっていた。
ロシアでは、ただの労働者が、猛然と絵を描き始め、最初は下手だったが、みるみる上達し、やがて、クレムリン宮殿内に作品が展示されるまでになったという話もある。

引き寄せも全く同じ・・・と言うより、引き寄せも芸術なのである。
潜在意識と交流するには、エゴが弱くなっていないといけない。
芸術家の中には、上にも述べたように、普段はエゴまみれのような人物だが、創作に入れば、エゴが静まり、潜在意識と交流出来る人もいる。
だが、ほとんどの場合、あまりにエゴが強いと、それを静めるのは難しい。
有名な芸術家がエゴにまみれている場合、その芸術家は既に、潜在意識と交流することが出来ず、さっぱり作品を作っていない場合がほとんどで、昔の作品の残光だけでやっているのだろう。
実際、芸術家に限らないが、優れたクリエーターの創造寿命は短いものである。
かつては偉大な音楽家や画家であっても、今はさっぱりという場合が多いものだ。

だから、今朝も書いたように、引き寄せが上手くなりたかったり、あるいは、芸術家になりたい場合は、普段からエゴを大人しくさせるよう取り組んでおくと良い。
そのためには、自慢をしないことで(現在すっかり駄目な元大芸術家は自慢が多い)、そうなるためには、「今今メソッド」がお奨めである。
「今今メソッド」という言い方はしていないが、詳しく知りたい場合は、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』が最も良い教科書であると思う。








やりたいことをしないと危ない

願いさえすれば、どんな大きな願いも即座に叶う・・・いや、正しくは「既に叶っている」。
だが、すぐにキャンセルしてしまい、叶っていない状態になってしまう。
受験に合格しているのに、それもキャンセルし、不合格にしてしまう。
そんなふうに、ガッカリすることを繰り返していると、どんなふうにガッカリするかが願いになる。
1点で不合格になるか、全くお話にならない成績で不合格になるか、どっちにしようかなんてね。

なぜ、ガッカリ体験ばかり選ぶのというと、やっぱり、好きなことをしていないからだ。
自分が好きなこと、やりたいことではあく、褒められることというか、怒られないことばかりするからだ。

イタリア映画『愛のほほえみ』で、可愛い少女オルガは言う。
「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」
彼女に、あれは駄目これも駄目と言う大人が、いつもガッカリ体験しかしていないことを、オルガは見抜いているのである。
つまり、「やれ」と言われることは全部面白くなく、「やっちゃいけない」と言われることは大抵面白いんだ(笑)。
確かに、我々だって、テレビが「やると良い」と言うものは全部「やるべきでない」とし、テレビが「駄目ですよ」と言うなら「なら良いことなのだな」と思えば、大体正解なのだが、やはり大人なら、自分が好きなこと、楽しいと思うこと、面白いと思うことを自主的に選んでやるべきである。
それが人に迷惑をかけるようなことでなければ、遠慮なくやれば良い。
そんな心構えでいれば、願ったことはどうせすぐ叶う・・・いや、叶っているのだが、それをキャンセルすることはない。

岡本太郎は「嫌われたっていい。いや、嫌われないといけない」と言ったが、人間として、好きなこと、楽しいこと、面白いことをやれば、世間の人々には嫌われることが多いからそう言ったのである。
だが、本当に好きなことをやっていたら、そのうち、嫌われなくなり、好かれるようになってくる。
実際、岡本太郎のような、超変なオッサンだってアイドル並に好かれていたじゃないか?(笑)
でも、「好かれよう」と思ったら、やっぱり鈍ってくる。
好かれる、嫌われるには無頓着で、とにかく、自分が楽しいことをするのだ。
宇宙人バシャールも、そういう意味でワクワクすることをやりなさいと言っただけで、ワクワクしてボランティアをするような者達は、まあ、本当に楽しいのかもしれないが、多くの場合は、やっぱり他者の承認を求めているだけなのだ。

こんなこともある。
強く願ったことに対し、「叶わくなくて良かった」と思う。
彼女にしたい女の子が、実はかなり性悪だったと、後で分かった場合がそうだ。
実はそれ、いったん、彼女にして、散々酷い目に遭った後で、自分で意図的にキャンセルした場合が多いのだ。
その子を彼女にした記憶がなんとなるあるようなら確実にそうである。
実際、人生なんて、ところどころ、妙に記憶が途切れていたり、2重の記憶があるものなのだ。
願った時にはもう叶っている・・・すでにある・・・を知っていれば、その謎が解け、そして、正しいことが出来るようになる。
記憶の改ざんや、デジャヴュ―(既視感)なんてのも、上で述べたようなことが原因である場合が多い。
とにもかくにも、やりたいことをやることである。








闇の勢力や偽賢者との戦い方

世界が闇の勢力に支配され、庶民は家畜化、奴隷化されているというのは陰謀論だと言われるが、もう普通に考えても、その通りであることは分かるのではないかと思う。
しかし、「現代の普通」は、「家畜の普通」、「奴隷の普通」になってしまっていて、人間らしい普通が通用しないので、そのこと(我々は既に家畜・奴隷である)に気付かない人が多い。
ジョセフ・マーフィーを有名にしたマーフィーの著書は『眠りながら成功する』という1963年の本だが、実は、それ以前の1959年にマーフィーは『あなたは不安なしに生きられる』という本を出している。
その中で、マーフィーは何度も、
「我々は何もしなければ、世間の教義や信念に飲み込まれる」
と警告しているが、これが、今、せいぜいネットの一部で話題になる、民衆の洗脳と家畜化、奴隷化のことで、このことを、マーフィーは60年以上も昔に、本で知らせていたのである。
今は、「我々は洗脳されている」とか、闇の勢力とは何かといったことをネット等で話す人もおり、その8割はいかがわしい情報だが、中には、情報としては正しいものもある。
ただ、洗脳とか闇の勢力といったところで、それらが全く隠されているわけではなく、教科書的な本ではそうではないが、真面目な歴史学者の本や、政治・経済の本には、かなり書かれているのである。
確かに、歴史や政治・経済の本にも、フェイク(嘘)の本も多いのであるが、それも、普通の頭があれば、嘘は見抜けるはずである。しかし、洗脳された頭ではそれが出来ない。

ところが、貴重な恐ろしい事実を提示しても、「ではどうすれば良いのか?」の具体的対策として示されることは非常にお寒い。
せいぜいが「騙されないようにしましょう」で、騙されないことで奴隷化、家畜化されるのを防ぎましょうだが、騙されなかったとしても、力がなくては闇の勢力に全く抵抗出来ない。
そもそも、闇の勢力のやり方というのは、庶民に対し、無力感を叩き込むことだ。それはもう完全に成功している。
そして、闇の勢力に立ち向かっているように見える英雄的な人達だって、知恵や力は自分にだけあり、やっぱり庶民は無知・無力だと思わせて、自分が庶民から巻き上げる、新・闇の勢力を目指しているに過ぎない。

我々が持てる力は引き寄せであるが、長い支配者の洗脳により、引き寄せは、馬鹿が信じるもの、怪しいもの、ただのおとぎ話、信じると恥ずかしいものと思わされており、善意の引き寄せの本も、なるべく引き寄せの本に見えないように、宗教や哲学、心理学の立場で書かれているものも多い。
しかし、もう猶予はなく、引き寄せが出来ないと、自分も親しい人も守れない。
そもそも、引き寄せが出来ないと生活が破綻しかねない状況になっている。
これに関し、「これまで普通に手に入っていたものが得られなくなる」「とんでもないことが起こる」と不安ばかり煽る者が沢山出てきたが、そんな者の多くは、自分だけは儲けて良い思いをしようとしているのである。だから、そんな偽物のヒーローにも騙されないようにしないといけないが、そんな連中はインフルエンサーと呼ばれ、愚民に支持されている。こう言って、誰のことか分からないのも問題かもしれない。

そんなわけで、脳内お花畑と蔑まれることなど構わず、引き寄せを学ばないといけないが、確かに、引き寄せを学ぶ者の中には、悪い意味で脳内お花畑の者が多い。
そんな者の特徴は、誰かに言われた簡単なことをやってさえいれば自分も得を出来ると思っており、それでうまくいくかどうかの責任は自分にはないと主張していることである。
不満や文句を言う者には引き寄せは出来ない。
不満や文句は決して言ってはならない。このことは、いくら強調してもし過ぎであることはない。
不満や文句は絶対に言ってはならない。もちろん、思ってもならない。
そして、自分がやることを決めてもらいたがる者、他者からの承認欲求が強い者・・・つまり、認めて欲しがる者も駄目なのだ。
岡本太郎が言った「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」は、別に芸術家の心構えではなく、現代においては、誰にも必須の心構えである。
だが、岡本太郎は、世の中と戦うことには意欲的であったが、問題解決の具体的方法は、ほとんど提示していない。
彼は特別過ぎたのだと思う。
彼の考え方は、世間の考え方との違いが大きいので、それが世間とのコントラストの差になり、ショッキングで分かり易い。しかし、あまり引っ張られないことも必要である。
岡本太郎主義者ってのは、ほとんどが、精神的にはどこか光るものがある場合でも、無力な変人である。
彼の考え方は引き寄せの役に立つが、引き寄せそのものではない。
崇拝の対象ではないのだ。
そこを間違えなければ、彼は素晴らしい存在である。
ちなみに、闇の勢力が使うのは力業だけで、偽の正義の味方(ネットのインフルエンサー)は騙すだけである。つまり、彼らには引き寄せは出来ない。よって、引き寄せが出来れば勝てるのであるが、敵さんもそこは分かっているので「自己啓発書を読むやつは馬鹿ですよ」「自己啓発書を読んで成功した人は1人もいません」とか言うのである。
確かに、変な自己啓発書も多いが、その中でも最も変に見える引き寄せの本の中で、宣伝なしに長く生き残ったものは読んでおくと良いだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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