私は、毎朝、通勤で駅へ向かって歩いている時、中学生が通学する集団と対向する形になる。
私は大抵、毎日同じ時間に家を出るし、彼らもそうであろうから、顔を合わせる相手はほぼ決まっているはずだ。
そこそこには、彼らの顔を見ているはずであるが、彼らの顔を憶えていることは全く無い。
ところが、ただ1人、はっきり憶えてしまった女子生徒がいる。
美少女なのかといえば、確かに美少女だが、同じくらいの美少女なら、多分、他にもいるだろうから、それが理由で憶えている訳ではない。
ところで、大学生も、あまり多くはないながら、すれ違うのであるが、こちらは、格好の良い服装をした女子大生や、逆に、あまりにだらしない格好の女子大生であれば、憶えていることもある。だが、見れば美人でも、顔をあまり憶えていない。そして、男子学生を憶えていることは全く無い。
ところが、やはり、女子大生の1人をはっきり憶えてしまった。こちらは、相当な美人で、服のセンスも抜群であるのだが、どうも、それが理由で憶えた訳ではないような気がする。
なぜ、女子中学生の1人、女子大生の1人をはっきり憶えてしまったかというと、それは目だ。
特に中学生の場合、前を見ないで歩いている子が多く、対向して歩いていると、こちらが避けないと衝突しそうな感じになることが多い。だがこれは、大学生でもあまり変わらないように思う。いや、実際は大人も同じなのだ。
誰も、意識して前を見て歩いていないのだ。
ところが、上記の2人は、そうではない。そして、今では珍しい特性と言えるが、自分から避けて道を空けるのである。特に、その女子中学生の慎ましい歩き方は好意に値する。また、その女子大生は、ちょっと鋭い感じの素晴らしい目をしている。私は、彼女を心の中でアテーナーと呼んでいる。最も輝く瞳を持つ女神だ。一方、中学生の子はアルテミスと呼んでいる。理性と芸術の神アポローンの双子の妹、最もおがやかな女神レートーの娘で、新月の女神とも言われる純潔の女神だ。
前を見て歩いていない者は、意識を捨てて生きている。意識を捨てているということは、人生を捨てているのである。そして、そんな人が非常に多い。
竹宮恵子さんの漫画で、純粋な心を持っているがゆえに、文明社会で生きるのが辛い青年の話がある。彼は、街の中の、虚ろな、死んだような顔の人を見るのが辛かった。きっと、そんな人々はいつもうつむき、前を見て歩いていない。だが、ある時、彼は1人の少女を見て驚愕する。「生きている!あの子は生きている」。彼女は、他の子と違う。生命が息づいていた。
古い漫画で、なんという題名だったか思い出せないが、ホラーもので、その少女も魔の者だったというおちであったとは思う。多分、『少女の魔女があなたの心臓を食べる歌』なんて歌になっている元の漫画のように思う。
本当に、前を見て歩いていない者が多い。人の行動は、心構えを表していることが多い。前を見て歩いていない者は、実際に、人生においても、前を見て歩いていない。
ずっとうつむいて歩いている女子大生と対向して歩いていて、試しに避けずに放っておいたら、本当に真正面ぎりぎりまできてしまったことがある。顔を見ると、きれいな顔をしているのに、知性が全く感じられない薄気味悪い顔だった。
携帯やスマホを見ながら歩いている者は、人生を携帯に渡してしまったと言って良い。この場合の携帯、スマホとは、世間の象徴である。まさに、自分の人生、自分の内面を見ず、世間だけを見ているのだ。世間にひれ伏す者は、自分で生きることを止めたのだ。イエスは、「私は生命を与えるために来た」と言ったが、その意味がよく分かるように思う。だが、現代はもはや手遅れかもしれないのだ。
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私は大抵、毎日同じ時間に家を出るし、彼らもそうであろうから、顔を合わせる相手はほぼ決まっているはずだ。
そこそこには、彼らの顔を見ているはずであるが、彼らの顔を憶えていることは全く無い。
ところが、ただ1人、はっきり憶えてしまった女子生徒がいる。
美少女なのかといえば、確かに美少女だが、同じくらいの美少女なら、多分、他にもいるだろうから、それが理由で憶えている訳ではない。
ところで、大学生も、あまり多くはないながら、すれ違うのであるが、こちらは、格好の良い服装をした女子大生や、逆に、あまりにだらしない格好の女子大生であれば、憶えていることもある。だが、見れば美人でも、顔をあまり憶えていない。そして、男子学生を憶えていることは全く無い。
ところが、やはり、女子大生の1人をはっきり憶えてしまった。こちらは、相当な美人で、服のセンスも抜群であるのだが、どうも、それが理由で憶えた訳ではないような気がする。
なぜ、女子中学生の1人、女子大生の1人をはっきり憶えてしまったかというと、それは目だ。
特に中学生の場合、前を見ないで歩いている子が多く、対向して歩いていると、こちらが避けないと衝突しそうな感じになることが多い。だがこれは、大学生でもあまり変わらないように思う。いや、実際は大人も同じなのだ。
誰も、意識して前を見て歩いていないのだ。
ところが、上記の2人は、そうではない。そして、今では珍しい特性と言えるが、自分から避けて道を空けるのである。特に、その女子中学生の慎ましい歩き方は好意に値する。また、その女子大生は、ちょっと鋭い感じの素晴らしい目をしている。私は、彼女を心の中でアテーナーと呼んでいる。最も輝く瞳を持つ女神だ。一方、中学生の子はアルテミスと呼んでいる。理性と芸術の神アポローンの双子の妹、最もおがやかな女神レートーの娘で、新月の女神とも言われる純潔の女神だ。
前を見て歩いていない者は、意識を捨てて生きている。意識を捨てているということは、人生を捨てているのである。そして、そんな人が非常に多い。
竹宮恵子さんの漫画で、純粋な心を持っているがゆえに、文明社会で生きるのが辛い青年の話がある。彼は、街の中の、虚ろな、死んだような顔の人を見るのが辛かった。きっと、そんな人々はいつもうつむき、前を見て歩いていない。だが、ある時、彼は1人の少女を見て驚愕する。「生きている!あの子は生きている」。彼女は、他の子と違う。生命が息づいていた。
古い漫画で、なんという題名だったか思い出せないが、ホラーもので、その少女も魔の者だったというおちであったとは思う。多分、『少女の魔女があなたの心臓を食べる歌』なんて歌になっている元の漫画のように思う。
本当に、前を見て歩いていない者が多い。人の行動は、心構えを表していることが多い。前を見て歩いていない者は、実際に、人生においても、前を見て歩いていない。
ずっとうつむいて歩いている女子大生と対向して歩いていて、試しに避けずに放っておいたら、本当に真正面ぎりぎりまできてしまったことがある。顔を見ると、きれいな顔をしているのに、知性が全く感じられない薄気味悪い顔だった。
携帯やスマホを見ながら歩いている者は、人生を携帯に渡してしまったと言って良い。この場合の携帯、スマホとは、世間の象徴である。まさに、自分の人生、自分の内面を見ず、世間だけを見ているのだ。世間にひれ伏す者は、自分で生きることを止めたのだ。イエスは、「私は生命を与えるために来た」と言ったが、その意味がよく分かるように思う。だが、現代はもはや手遅れかもしれないのだ。
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