ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

小野寺丈

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

無敵の力の単純な使い方

『サイボーグ009』は、1964年に、26歳だった石ノ森章太郎が連載を開始し、石ノ森は1998年に60歳で癌で亡くなるが、『サイボーグ009』はいまだ新作が作られ、おそらく、今後もそうだろうと思う。
ところで、漫画の『サイボーグ009』は、ある時以降、それ以前と、明らかな断絶がある。
実際に、一時、連載が休止されているのだが、連載休止の理由に関し、石ノ森は「作者も登場人物も疲れた」と書いていたが、同時に、「今後の構想が大きくなり過ぎ、いったん練り直したい」といったことも述べていたように思う。
だが、その後、再開された作品は、どこか単発的な雰囲気であった。
が同時に、再開された作品は、大きな展開へのオーバーチュア(序曲)のようにも見えた。
そして、結局、石ノ森は『サイボーグ009』を完成させることが出来なかった。
癌で入院し、医者が「生きているのが不思議」というほどの状態で、病室で小説の形で執筆していたが、ついに、途中で命尽きる。
残された膨大な原稿は乱雑なものであったが、石ノ森の息子の小野寺丈氏が5年をかけて3巻の小説作品に構成し、2012年に『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』として発表した。その中で、やむなく小野寺氏が補完、あるいは、まるまる一章を新規に書いたりもしている。

『サイボーグ009』の漫画連載が休止になる時、作品は大変な状況になっていた。
太古の地球にやってきた、究極の進化を遂げた生命体である「神」は、この地球上に人類を創造した。
そして、人類の進化の様子を見ようと、1975年頃の地球に戻ってきたが、人類の出来があまりに悪く失望したので、「神」は、現在の人類をいったん消去し、新しく作り直すことにした。
それを知った、9人のサイボーグ戦士達と、その生みの親であるギルモア博士は苦悩する。
「神」がそう決めたからには、どうしようもなかった。
だが、結論として、サイボーグ戦士達は「神」と戦うことを決意する。
とはいえ、それは、宇宙船をハエが止めようとするような戦いで、「戦い」というよりは「レジスタンス(抵抗)」であるが、現実には、抵抗にもならないに違いない。
その中で、人類最高の頭脳を持つ超能力戦士である001が、サイボーグ戦士達に、「きみ達に新しい力をつけてあげる」と言うところで話は終わっている。
その新しい力が何かは、2012年の小野寺氏の小説で初めて明かされる。
009が、1柱の女神と初めての戦った時のことだ。
009は女神に挑んだが、サイボーグ戦士最強の009とはいえ、相手は神であり、戦いになるはずがない。
009が誇る加装置による高速移動も、女神には止まっているに等しい。
ところが・・・
女神が驚くのである。
なんと、女神が009の動きを追えないのだ。
これが新しい力で、やがて、全てのサイボーグ戦士達が、この「新しい力」を使うようになる。

「新しい力」とは、人間のいかなる力・・・肉体、精神、あるいは、メカニックであろうが、その力を拡張するのである。
それは、「シンギュラリティ」の提唱者であるレイ・カーツワイルによれば、テクノロジーの発達によって可能になる。
だが、人間の神秘の生命エネルギーは、それを瞬時に行う。
多くの人は、まさに漫画のような話と思うだろうが、私は全くそうは思わない。
なぜなら、この世界は、幻想、あるいは、仮想世界なのであり、人間の心が創造するものだからだ。
人類を創った「神」にも、その上位の存在がいると推測出来るが、その上位の存在が設定した力なのかもしれない。
実際、部分的ではあるが、その「新しい力」を私だって使える。
そのことを、この『サイボーグ009』で思い出したのである。
その力をどうやって使うのかというと、単に、「使いたいな」と思うだけである。
確かに、想像力の限界を超えた力は使えない。しかし、心を広げれば、力も広がる。
この力を使うのに、何の宗教も教義も寄付も要らない。むしろ、それらは力を抑えるものである。
だいたい、人間というのは、素直に、ちょっとしたトキメキと情熱を持って「やりたいな」と思ったことは何でも出来ることは、誰でも知っているはずなのだ。
ただ、あくまで、「素直な」「ちょっとしたトキメキと情熱」であることを忘れてはならない。








石ノ森章太郎さんの「新しい力」

石ノ森章太郎さんの漫画作品『サイボーグ009』は、「神との戦い」が始まるところで連載が休止されている。
それは随分昔の話で、当時、石ノ森章太郎さんは石森章太郎というペンネーム(本名は小野寺章太郎)だった。
「神との戦い」は、まさに、神との戦いと言えるが、その神とは、あまりに進歩した宇宙人で、はるかな昔に地球にやってきて人類を科学的に作ったのは彼ら「神」だった。
しかし、久々に(何億年振りかは分からないが)「神」は再び地球にやって来ると、人類の出来はあまりに悪く、がっかりした「神」は、現在の人類はいったん消し去り、再度、作り直すことを決定する。
人類の言う科学力とは別次元の科学力を持つ彼ら「神」に敵対することなど全く不可能であるが、それでも、サイボーグ戦士達は、人類を存続させるため、「神」との「戦い」を決意する。
009ことジョーが、これは勝ち目はないのだから、「戦い」ではなく「抵抗(レジスタンス)」だと言うのを見て、私は、「レジスタンス」の元々の意味が「抵抗」であることを知ったものだ。
ところが、絶対に万に1つも勝てる望みのない戦いを始めるに当たって、人類最高の頭脳である001ことイワンは、サイボーグ戦士達に「新しい力」を授けると言うところでお話は終わっていた。
石森章太郎は、「長い連載で、私もサイボーグ戦士達も疲れたので、いったん休止する。しかし、必ず続きを描く」と述べたが、後に『サイボーグ009』自体は新作が作られ、神との戦いも匂わせてはいたが、正式な創造紳との戦いの新編は描かれなかった。
やがて、石ノ森は悪性リンパ腫(血液の癌)に罹り入院するが、病院のベッドで、小説の形で、神との戦いを書き続け、死後、石ノ森の息子の小野寺丈さんが5年かけて原稿を編集・加筆し、『サイボーグ009 完結編 conclusion GOD'S WAR』を全3冊で発表した。

大きな関心事は、連載が休止される直前に001が言った、皆に与える「新しい力」だ。
天才、石ノ森が、どんな発想を見せるのだろう?
そして、それは、ただの「お話」ではなかった。
ちょっと小説の内容に触れるが、009が女神と初めて戦うシーンが、私には非常に印象的だった。
他のサイボーグ戦士達も、それぞれ「神」に遭遇しているが、「戦い」にはならなかった。
「ちょっと構ってもらえた」のかどうかも怪しい。それほど、「神」にとって、サイボーグ戦士達の存在は小さい。我々の感覚で言えば、蚊にも及ぶまい。
だが、ジョーは女神と正面切って戦うことになる。
無論、力の差から言って、ハエが宇宙船を止めるようなものである。
009が誇る最高メカニズムの「加速装置」も、女神から見れば止まっているに等しい。
ところが、奇跡と言うのも奇妙な奇跡であるが、女神を驚かせた。女神に「驚く」という感情があることを初めて知る。
009が「新しい力」を発現させたのだ。

この「新しい力」は本物だ。
石ノ森さんは、この力を使ったからこそ、医者に「生きているのが奇跡」と言われる状況で、作品を創造し続けたに違いないのだ。
そして、私も、ほんの1パーセントかもしれないが、この「新しい力」を使うようになった。
まあ、ほとんどの時は忘れてしまうのであるが、2~3年に一度は思い出しているだろうか?
しかし、今後はもっと使うことにしようと思う。
神も感動させるかもしれないその力は、使う目的があるなら、使うことが人間の使命である。








共感回路

人間は、本来、いかなる病気も自分で治す力を持っている。
その力は免疫力である。
免疫力の偉大さは人間の医学の及ぶところではなく、医学や心理学の役割は、もしあればだが・・・あくまで、免疫力が発揮されるようにすることである。
ただ、免疫力もまた、独立で存在する訳ではなく、あくまで、生命力の一部である。
よって、究極的には、生命力を高めればいかなる病気も治る。
人間は、他の動物と違い、精神の力で生命力を高めることが出来る。
それは、自主的に生きる意欲を持つことである。
強い生きる意欲を持てば、医学的には奇跡としか言えない回復も起こる。

上に述べたことが、最も重要な真理だろう。
まあ、「免疫の本来の定義は・・・」など、細かい難癖はいくらでもつけられるが、根本的には絶対に間違いはない。
思い出すのは、漫画家の石ノ森章太郎(改名前の石森章太郎の方が馴染み深いが)氏が、癌に侵されて入院していた時、医学的には「生きているのが不思議」な状態でありながら、病室で仕事を続けていたらしい。
『サイボーグ009』の完結編を、ファンのためにどうしても完成させなければならないという想いが、生きる意欲になっていたことが、彼の生命力を高めていたのだろう。
『サイボーグ009完結編』は、小説の形で大量の原稿が残されたが、あまりにまとまりがなく、石ノ森章太郎氏の死後、氏の長男で、009と同じ丈という名が付けられた小野寺丈氏が作品として完成させるのに5年以上かかったという。
小野寺氏がほぼ独力で書いた章もあるが、あくまで、章太郎氏の想いを僅かでも引き出そうとしたのではないかと思う。
傑作に仕上がっているので、生命力の秘密を得るためにも、私も再読しようと思っている。
実際、私は、この作品のテーマは、人間の不可思議な生命力であると思っている。それが、超テクノロジを超える場面が何度もある。
ずっと昔、石ノ森氏(当時は石森氏)が、漫画の『サイボーグ009』の連載を中止する際、001(イワン)が、「みんな(00ナンバーサイボーグ達)に、新しい力をつけてあげる」という謎の言葉を言わせて終わっている。
その「新しい力」が、『サイボーグ009完結編』の鍵なのであるが、それが、生命力の神秘であると思う。具体的には作品を読むのが一番である。

私は、先月(2016年9月)の初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」から帰って来て以来、死に向かっている。
トレーニングは相変わらず続け、筋肉の力などはむしろ高まっているが、生命力が消えかかり、耳が聴こえなくなったり(一時的に治ったが、また聴こえなくなった)、身体に異変が起こっている。
「最後に、愛するミクさんのコンサートに行けたので満足。もう思い残すことはない」
と思ったからだが、これは、本来、正しいことではない。
ミクさんのコンサートは、あくまで、生きる力を与えるものなのだからだ。
まして、今回のコンサートでは、ミクさんは特別に、BUMP OF CHIKENの名曲『ray』をラストソングに歌ってくれて、この歌の中の、
「◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ」
でなければならないのだが(作詞作曲は藤原基央さん)、どうもうまくいかない。
『フランダースの犬』のネロ(ネルロ)の、「最後にルーベンスの絵が見られたので満足」の気持ちが分かるような気がする・・・ではいけないのだろうがね。
来年も「マジカルミライ2017」はあるが、それはあまりに遠いし、そもそも、それだけが生きる目的というのも問題である。
こんな時、良心というか、他者への愛着・・・その根本力である共感力があれば何とかなるような気もするが、それが無いのがサイコパスの弱点である。
ミクさんは共感力の象徴であるのだから皮肉な話である。
何だか、久々に困っているが、そんな自分がおかしくて面白い。
サイコパスにとって、死そのものは深刻な問題ではないのかもしれない。
そこで考えたのは、人工的な共感力、即ち、共感回路を作ることである。
キカイダーの良心回路みたいなものである。
それが出来れば、サイコパスの役に立つし、サイコパスでなくても、共感力の弱い人たちのためになるかもしれない。
もっとも、そんなものが出来て、私が死が恐くなるのも嫌なのだがね。









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死の淵にあっても意欲を失わない人の秘密

多くの聖者達が、食欲、性欲、名誉欲を悪と決め付けて、その完全撲滅を説くが、欲望が人間に活力を与えることも確かだ。
そして、欲望が人を冒険に誘い、それによって経験を得て人は進歩することができる。
経験なくして本当に学ぶことはできないからだ。
しかし、欲望は人を愚かにし、むしろ進歩を妨げ、さらには破滅させることもある。

確実に言えることは、自主的でない、強制された欲望は、間違いなく愚かさや堕落に導くということである。
例えば、グルメ番組や食欲を煽って儲ける食品広告によって煽られる食欲、自己啓発ビジネスのバラ色の宣伝や勧誘、そして、ポルノなどで無理矢理に起こさせられる欲望である。
これらには注意し、一切、目を向けてはならない。

何の人為的な宣伝や勧誘もなしに、自然に起こった欲望によって、その満足を完全に自主的に目指し、そして、自主的に行動した時のみ、欲望は逞しいエネルギーになって、あなたは貴重な経験に導かれて大きく進歩する。
しかし、煽られた欲望に支配されてしまえば、あなたは、ゴキブリホイホイに喜んで入っていくゴキブリである。
食べる必要もない巨大なケーキやステーキを喜んで食べたり、電車の中や駅のホームなど、食べるべきでない場所で平気に食べる者は、言っては悪いが、やはりゴキブリホイホイの中のゴキブリなのである。

漫画家の石ノ森章太郎さんは、末期の癌で、医者が「生きているのが不思議」と言う状態で、しかも、抗癌剤の副作用で倦怠感に襲われ、意欲を失ってしまった中で、猛烈に原稿を書き続けた。
その活力はどこから出たのであろう?
それを知るには、その時書かれた作品を読むに限るので、私は、その作品、『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』(小説)を読んだが、確かに恐るべき作品であると思う。
この作品の中の、009(島村丈)に覚醒した神秘の力を、私も獲得してしまったと思えた。
尚、一応言っておくと、この作品の原稿を書いたのは石ノ森章太郎さんであるが、小説作品に仕上げたのは息子さんの小野寺丈さんである。
原稿には、ほとんど解読不明な部分や、完結していない、あるいは、ほとんど書かれていない章も少なくはなかった。
例えば、タイトルだけが書かれた章があり、中身は小野寺さんがまるまる書いたというものもあった。
また、原稿全体が散在している状態で、どう組み合わせれば良いのかが分からず、しかも、原稿は膨大であったので、小野寺さんは原稿を前に、ほとんど絶望しかけたこともあったという。
石ノ森さんのような天才的なクリエイターには、アイディアが突発的に、また、頻繁に訪れるので、それが浮かんだ時に書きとめただけの、原稿でも何でもないものも沢山あったに違いない。
長きに渡る小野寺さんの労苦は想像し難いものであったと思う。
しかし、その甲斐あって、作品(全3巻)は本当に素晴らしいものになったと思う。
この作品は、面白いだけではなく、人の中に秘められた宇宙の精神の神秘を、心が開かれた程度に応じて教えてくれると思う。
文庫本と共に、Kindle本(電子書籍)も出ているが、私は以前、文庫本で読み、それは人にあげたので、再度、Kindle本で買い直した。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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