ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宿命

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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願いの叶え方完全版(保存版)

世界は、3つのレベルで構成されていると考えると便利と思う。
そうすれば、願いは叶い易いし、病気は治り易い。
3つのレベルとは、
・心と物資
・潜在意識
・霊
である。
宗教というものが、便利であると同時に問題を起こすのは、心と潜在意識と霊を一緒に扱うからだ。
例えば、物質である神仏の像を霊であるとしたり、心で直接、潜在意識や霊とコンタクトしようとしたりである。
非常に素朴な人間の場合は、それがゆるく出来るし、宗教の目的は素朴で単純な人間を作ることだ。
しかし、物質文明が発達し、物質への欲望が渦巻くこの世界では、従来の宗教では不都合が多いのだと思う。

◆心と物質
思考したり、感情を感じたり、働いたり、作ったり、遊んだり、旅行したりする世界だ。
この世界でうまくやる心構えは、肉体の欲望や感情に支配されず、ほどほどにやること。穏やかでいることだ。
熱く生きる、情熱的に行うのだって、やり過ぎはいけないのである。
◆潜在意識
無意識とも言われ、心で意識出来ない心の深い層で、心と物質の世界を支配する。
心と潜在意識の通路の鍵は呼吸だ。
心から潜在意識に願いを伝える際は呼吸を止める。
具体的に言うと、息を吸って止め、願いを表明する。
願いの表明の仕方は、「結果」をイメージするか言葉で伝える。
言葉について述べると、病気を治したければ、心で穏やかに「治った」と言い、お金が欲しければ「豊かだ」と言い、大金が欲しければ「富」と言い、仕事で成功したければ「成功」と言う。
呼吸を止めていると、余計な感情が起こらないので、イメージや言葉がスムーズに潜在意識に伝わる。
◆霊
潜在意識に伝えても、願いが叶わないことがある。
霊的な宿命がある場合だ。
分かり易い例で言えば、前世で人を苦しませていると、マイナスの宿命を背負い、願いが叶わないことがある。これは、我々が思うより多いのではないかと思う。
また、特殊な使命を宿命として背負う場合もある。
前世の罪で宿命を背負った場合は、苦しみに耐えるしかない。
だが、霊的存在の助けを願うことも出来る。
必ず助けられるとは限らないが、全く助けられないこともないと思う。
そのためには、修行を行うが、修行の方法は様々だ。
お勧めするのは、真言、念仏、神仏の名、祝詞、祓詞、お経、般若心経の呪文といったものを唱えることだ(縁のあるものをやれば良い)。
どんな修行も、無心に淡々と、しかし、丁寧に行うのが良い。
真面目に修行する姿を神霊が認めれば手を貸してくれると思うが、神霊は本質では優しい。








悪因縁を解消し、悪運、宿命を軽くする

病気や災難といった悪運は、ある程度までは心の力で解消出来るのだが、深い宿命によるものは、そうはいかない。
加持祈祷で、病気や様々な災難や悪運から人を救うことが出来る高徳な僧侶だって、「深い因縁による病気は、治せないか、時間がかかることがある」と言う。

『美少女戦士セーラームーン』が人気絶頂だった時、『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』という、かなり傑作の作品が作られているが、主題歌の作詞をした冬杜佳代子さんは、とても深い洞察力のある霊的な作詞家だったと思う。
主題歌『Moon Revenge』は、とてもではないが、子供向けアニメの歌ではなく、
「宿命の愛は、結ばれようが逃げようが死のうが終わらない。なぜなら、それが月の復讐だから」
ということを、美しくも残酷な言葉で語ったものだった。

本当は、ちょっとした風邪や事故でも、因果によらないものはなく、それらも、小さな意味での宿命である。
そして、風邪をひいたり、事故に遭うことで、因縁が解消され、宿命が浄化される。
しかし、因縁があまりに深く、重い宿命になってしまっている場合には、その因縁の解消が難しい。

まあ、因縁とか宿命という言い方が、宗教的とか、オカルト的に思うかもしれないが、運と言えば、少しは受け入れやすいだろうか?
ある程度の悪運であれば、良いことをする・・・つまり、徳を積むことで、案外簡単に解消出来る。
やや重い悪運であれば、修行の必要がある。
と言っても、別に、滝行などの宗教的修行に限るのではなく、また、極端に厳しいことではなく、「自分には、ちょっとシンドいと思えることを毎日欠かさずやる」ので良い。
例えば、「ジョギング?私にはちょっと無理」と思うなら、ジョギングで良い。
公園などの公共施設の掃除をするとか、人助けのボランティアを長く真面目にやることは、徳を積むことでもあるので、さらに良い修行になる。

あるいは、「断ち物」と言って、自分の嗜好品を、一定期間、あるいは、生涯断つという優れた修行もある。
例えば、酒とかチョコレートが好きでたまらないという人が、「1年間チョコレートを食べない」とか「一生、酒は飲まない」とするなどである。
水野南北(江戸時代の有名な占い師、啓蒙家)は、酒に目がないほど好きであったが、「1日1合」に制限した。状況によっては、そんなやり方もある。

あまりに因縁が深いと、自分が修行をすると共に、徳の高い僧や優れた霊能力者の力を必要とするし、そうしてすら、その因縁が完全には解消出来ない場合もある。

病気にしろ、悪い人間関係にしろ、自分に悪因縁の宿命があることは、歳を取ると分かってくることが多い。
それで、老人には、別に人に好かれようなどという意図はなく、公園や近所の家の前をこっそり掃除するようなことをする人が多いのである。
そして、悪因縁の解消のためにやっているという想いもなくなった時、宿命は消えていることが多い。

私などは、幼い時から皮膚の病気(多分、乾癬だ)があり、よほど深い因縁のようで、治すのは無理かもしれない。
症状が軽い時は、ほとんど忘れていることもあるが、完全に消えていることはない。
この5年以上は、非常に良好だったが、一か月ほど前、非常に悪い状態になってきた。
これは、どんな治療や健康法を持ってしても、治すことは出来ない。
だが、逆に、何もしなくても、因縁を解消すれば(完全には解消出来ないだろうが)、すぐに楽になるのである。
辛いことも多いが、この因縁があるおかげで、命までは取られなかったり、致命的な出来事が回避されているかもしれないのである。
そう思えば、安いものである。

皆さんも、自分では気付かないかもしれないが、健康、経済、恋愛、家族や友人との人間関係、仕事、その他で、なぜかうまくいかないことがあれば、悪因縁による宿命であるかもしれない。
その場合、因縁の重さもあるが、出来る範囲で徳を積んだり、何かの修行をすることが勧められる。
真言を唱えることも良い修行で、唱える数は多ければ多いほど良い。
特に真言を知らないとか、お気に入りの真言がない場合は、「ありがたい」と唱えれば、最高の真言になり、数多く唱えれば、相当な因縁でも解消することもある。
もちろん、お気に入りの真言があれば、それを唱えれば良いのである。
私も、少し、修行に励もうと思う。








真言は宿命を変える

これまでの、あなたの人生は、誰が作ったのだろう?
一言で言えば「宿命」だが、直接的には、親、学校、マスコミだ(さらに二次的なものとして、政治、経済、会社、交友関係等がある)。
我々のこれまでの人生は、純粋に神が創ったものではなかったが、それも宿命だったのだ。
ではなぜ、純粋に、神があなたの人生を創る宿命になかったのかというと、正確な言い方ではないが、分かり易く言えば、悪魔の妨害があったからで、言い換えれば、悪魔の妨害を許したのだ。
悪魔は、学校やマスコミを使い、我々の人生を、純粋な神の人生から遠ざけることが大好きだ(その理由は省く)。
なぜ、悪魔の妨害を許し、こんな惨めな人生を送っているのかというと、悪魔の妨害を防ぐ手立てがなかったからだ。
しかし、真言を唱えれば、悪魔の妨害を受けることはなくなるので、今後の人生は、純粋な神の人生になる。
おそらく、それは、あなたと神が協力して創る人生であり、どんな未来が待っているかは分からないが、納得のいく人生になるだろう。
滅多にあることではないが、周りからは悲惨な人生に見えても、自分と神が協力して創った人生なら、本人は、面白くて、楽しくて、嬉しいのだ。
まあ、それは滅多にあることではなく、普通は、安楽で喜ばしい人生になる。
私の場合、普通の人よりは、多少、多く真言を唱えてきたので、かなり安楽で面白いことが多い人生だった。
今後は、生活しながら真言を唱えるのではなく、真言を唱えながら生活する気なので、さらに安楽で、さらにエキサイティングな人生になるだろう。
実際、私は、多少、真言を唱えただけでも、あり得ないことが沢山起こったのだ。

安楽で面白い人生に興味がなければ、何も変える必要はないが、そうでないならば、真言を唱えた方が良い。
涼宮ハルヒは、面白いことがやって来なくてイライラしていたが、彼女は、真言を唱えれば良かったのだ。
もちろん、真言が全てと言うつもりはなく、ハルヒにだっていろんなことが起こったが、それを見ている我々には面白くても、本人は随分微妙だったでのはないかと思う。
我々は、そうであってはならない。
真言を唱え、おかしくてビックリするが、面白いことを体験すべきである。
あんなことやあんなこと、さらには、あんなことまで起こるが、それを言ったり、人目につくところに書いたりしてはならない。

真言を唱えていれば、基本的には、親鸞やラマナ・マハルシや黒住宗忠やトーシャ・シルバーやイエスが言ったように、神様に全てまかせておけば良い。
しかし、真言を唱えていれば、神の魂があなたの魂に入り込み、あなたの魂が神の魂の中に入り込むので、結果、神のエネルギーを纏い、思ったことが実現するようになってしまうだろう。
それは、焦らず、真言を続けていけばそうなる。
自分では、願ったり、念じたりしたつもりでなくても、心で望んだ通りになる。
全ては、真言を唱え続けることにかかっている。
これは、いつも言う通り、そして、時々はややこしい説明もするように(笑)、宗教と言うよりは芸術に近く、もっと適切に言えば、未来の科学である。
阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」
観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」
弥勒菩薩真言「オン、マイタレイヤ、ソワカ」(個人的には、サンスクリット語の「オーン、マイトレーヤ、スヴァーハー」が好きだ)
大日如来真言「オン、アビラウンケン」または「オン、バザラダト、バン」
般若心経真言「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」または「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
神道真言「アジマリカン」、あるいは、「トホカミエミタメ」
あるいは、言霊「アー」や「アーオーウーエーイー」

唱える真言は、1つでも、2つでも、3つでも、4つでも、上の全部でも良い。さらに、他のものでも良い。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無観世音菩薩」「南無弥勒菩薩」「南無弥勒仏」でも同じなのだ。
真言に上下優劣はない。
ただ唱えた者勝ちである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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