ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮沢賢治

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ライトノベルは存在しない

ライトノベルという言葉が一般用語として通用するのかは、私は今も疑問だ。世代にもよるのだろうが、若くても知らない人は知らないし、年配でも知っている人は知っている。
SNSとかAIとかIoTのように、「現代の常識」というほどではないし、「知っていた方が良い」とすら言い難い。
GPUとかヒッグス粒子のように、十分に説明出来たら知的であるというのとも全然違う。
そもそも、ライトノベルの正確な定義などないと思う。そのくらい曖昧なものだ。
ライトノベルは、単に小説なのだが、その言葉通り「軽い小説」という雰囲気だが、軽いか重いかは、読む人の価値観次第だ。
いろいろ考えるに、私は、ライトノベルなんてものは存在しないと結論付けた。
百年後の世界で、「この作品は、当時、ライトノベルと呼ばれました」なんて言われることのイメージが出来ない。
昔だって、ある種の小説や、あるいは、ある種の絵画などが、独特な名称で呼ばれていたが、現代では一般的には知られていないということはあると思う。

SF小説だって、SFとその他の小説を分ける意味はないと思う。
ライトノベル同様、SFといったら、その他の小説より価値が低いというイメージがあると思う。
これは全く不当な評価だろう。
カート・ヴォネガットやコリン・ウィルソンといった大作家が、SF作家として知られるH.G.ウェルズを最高の作家の1人と言ったように、SFやSF作家の価値が低いはずがない。

最も成功したライトノベルの1つと言われる『涼宮ハルヒシリーズ』の著者、谷川流さんのインタビューで、私には印象深いものがあった。
それは、「谷川さんの文章を参考にする若い作家が増えているが、それについてどう思うか?」のような質問に対し、谷川さんが「もっといい人のを参考にして欲しい」といった感じの返事をしたことだ。
確かに、谷川さんの文章は表現がユニークだという印象がある。
例えば、『涼宮ハルヒシリーズ』で、朝比奈みくる(高校2年生だが、実年齢不明で中学生にも見える)について、キョン(主人公。高1男子)が「羽を付けたら天国に飛んでいってしまいそう」とか、私服の彼女を見て「ポケットに入れて持って帰りたい」と思う等、みくるが小柄でロリな美少女であることを見事に表現していた。
長門有希については、何かの時に、「初めて声を出したアマガエルのように」と、意味は分からいながら、状況に非常にマッチしていたのか、印象深かった。
谷川さんの言う「もっといい人」は誰かというと、私は宮沢賢治を思い出す。
宮沢の表現のユニークさは、知っている人は知っているだろう。ただ、やはり時代の違いもあってか、面白いがピンとこないというものもあるだろう。
宮沢の擬音表現も面白く、2011年に初演が行われた冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』で、宮沢の詩の歌が歌われたが、『風の又三郎』での、風の表現の「どっどど、どどぅど」は、今聞いても非常に良い。
また、『星めぐりの歌』(宮沢賢治作詞・作曲)も合掌で歌われたが、これはもう珠玉の詩であると思う。
『銀河鉄道の夜』の小説は、読んでいて、何度も陶酔する感じだが、『イーハトーヴ交響曲』で初音ミクや合唱団が何度も繰り返した「ケンタウルス、露を降らせ」も、短いながら素敵な表現と思う。

谷川流と宮沢賢治の違いは、谷川の作品は膨大な収益を上げ、作家自身もそれなりに儲けたと思うが、宮沢は執筆ではほとんど(全くに近い)収入を得ていないことだ。いい加減なことを言えば、宮沢は、ある童話集で、出版社から5円の原稿料を貰ったのが唯一の作家収入で、これは今なら10万円程度かと思う。
宮沢と同じ37歳で亡くなったゴッホも、自身は絵画で全く収入を得ていない。
ただ、宮沢は実家が金持ちで、生涯経済的には豊かだったし、ゴッホは、絵画制作だけでなく、生活の一切の面倒を弟のテオが見てくれた。

個人的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』を人類3大神秘小説と思っているが、別に、これらをライトノベルと言おうがSFと言おうが構わないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
(2)銀河鉄道の夜(宮沢賢治)
(3)イーハトーヴ交響曲[CD](冨田勲。日本フィル。初音ミク)
(4)冨田勲イーハトーヴ交響曲 ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV [Blu-ray]
(5)星の王子さま(サン=テグジュペリ)
(6)かもめのジョナサン【完成版】(リチャード・バック)

山の精
AIアート1624
「山の精」
Kay

知識が力になる

昨日、特技を持つことのメリットや素晴らしさを書いたが、特技の中には知識というものもある。
何かにべらぼうに詳しいと、それが意外な、驚くべき力になる。
ただ、これについては最初に言っておきたいが、教科書に載っていることだけ詳しい者には、とんでもない馬鹿が多い(笑)ことをご存じかもしれない。
それはなぜだろう?
確かに、教科書には国民を洗脳するための嘘が多いが、良いことだって書かれている。
しかし、まず、教科書は強制されて読むことが多く、何事も強制されてやることには生命が宿らない。
次に、教科書は「得をするから」読むという姿勢があり、そんな浅ましい読み方をすれば知恵にならない。
褒められるから、試験で良い点が取れるから読むなんてのは、岡本太郎流に言えば、本当に卑しい。
また、イエス流に言えば、「すでに褒められた。良い点を取って良い思いをした。すでに報酬を得た。なら、知恵と力という神からの報酬は得られない」ことになる。
本を読むのは、純粋な好奇心で読むのが良いが、「物欲しさ」がなければそれで良いのである。
好奇心の中にも、あまり感心出来ない種類の好奇心があるが、そんな好奇心で読む者は、「読む」というより、やはり「読まされている」のである。
一方、強制されるわけではないが、「仕方なく」読むというのは良い・・・というか非常に良い。
宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』で、グスコーブドリが、家に閉じ込められ、やることが何もなかったので、そこにあった、さっぱり分からない本を読んで、それが彼に大きな力を与えるが、これはとても良い話である。
あるいは、「魔法で治している」とまで言われた驚異的に優秀な精神科医のミルトン・エリクソンは、育った家に聖書と辞書しかなかったが、何と辞書の方を選んで、繰り返し読んだ。後にエリクソンは、それが非常に良いことであったと述べている。

聖書や『バガヴァッド・ギーター』を「賢くなるから」と思って読み始めるのは良いが、やはり、読むときは淡々と読まないと、読者に霊力は宿らない。
「百回読みました」と自慢げに言う者は、そんな傾向が強い。
『論語』を暗記するほど読んだという人がいて、それは非常に素晴らしいことであるが、その知識を自慢するようでは、賢くなるどころか馬鹿になる。
「孫氏読みの孫子知らず」と言い、孫子の兵法を読んでも、実戦経験がないと駄目だと言われるが、『孫子』を読むだけでも知恵は得られる。ただし、その知識を振りかざしたり自慢するから駄目なだけである。

プラトンの『ソクラテスの弁明』やデカルトの『方法序説』は、短いながら英知に溢れた書であるのに、試験に出ないからという理由で、読む人がほとんどいないのだから笑うしかない。これらの書は、読むと賢くなってしまうから、闇の支配者が、国民が読まないよう仕向けているフシもある。本来は世の中から抹殺したかったのだろうが、もう、そんなことは出来ない。

空と地上の一等星
AIアート464
「空と地上の一等星」
Kay


IT起業家がSFをよく読んでいるという話があり、イーロン・マスクは子供の時『銀河ヒッチハイク・ガイド』を愛読したとか、成功したIT起業家には、アシモフの『ファウンデーション』やフランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』などを読んだ人が多いと言われるが、特にSFが良いというのではなく、たまたま有名なSFは質の良い作品揃いであることや、何より、SFを読んでも親や教師に褒められないところが実に良いのである(笑)。

こう言うと、「じゃあ、漫画はどうですか?」と聞いてくる人も多いが、そんなことは自分で判断するしかない。
漫画やライトノベルにも良い作品は多い。
だが、人気漫画や人気ライトノベルは、長編になった場合、途中から質が悪くなるものも多いので注意が必要である。
まあ、漫画やライトノベルで、暗記するほど読み込む価値のあるものは残念ながら少ないと思う。しかし、そこも自己判断である。












本当に良い書物とは

書物が読者に知恵を与えることはある。
しかし、それはいつも、極めて限られた読者に対してである。
一方、書物が読者の大半を愚鈍にしてしまうことならザラにあると思う。

老子や荘子が言うように、人の作為は悪い結果を生み易い。
だから、著者が「読者に知恵を与えよう」と意図して書いた書物は、読者に悪い影響を与え易い。
本当に良い書物は、著者の備忘録(早い話がメモ)であった場合が多い。

岡田虎二郎は、小学生の時、ルソーの『エミール』を読んで人生を変え、偉大な賢者になったが、彼が読んだのは『エミール』の前書きだけだった。
ルソーは、元々、『エミール』の前書きだけを、備忘録として書くつもりだったらしいが、その後で余計なことをしたのかもしれない。

宮沢賢治は、『雨にも負けず』を、やはり自分だけの備忘録として書き、人に見せる気などさらさらなかったのに、誰かがそれを発見して公開したのだが、おかげで、大勢の人々が、『雨にも負けず』を大誤解して、悪い影響を受けたのかもしれない。
私はそう思う。
そもそも、あれは宮沢賢治の心象世界・・・つまり、想像世界であるが、宮沢賢治すら、その世界にリアリティを感じていなかった。
だから、宮沢賢治は、親が残した有り余る資産で、あの時代の日本でグルメ三昧していたのだ。
宮沢賢治は善良な魂の持ち主ではあったが、現実の問題解決には全く適さない人間だった。
それこそ、それは『雨にも負けず』を見れば分かりそうなものだ。
ちなみに、宮沢賢治の座右の書は『化学本論』(片山正夫。1916)であった。

ラマナ・マハルシの『私は誰か?』という短い問答集がある。
これは、ある人が、当時21歳だったマハルシに質問をし、沈黙の行の最中であったマハルシは、砂に指で回答を書き、それを質問者が書き写したものだ。
実に素晴らしい内容で、後に、マハルシも「これで十分」と言ったらしいが、公開された時には、かなりの加筆がされていた。
まあ、それでも短くて良いものではあるが。

さりげなく書かれた知恵を発見出来た者は幸福である。
これはというものを見つけたら、他を捨て、それを大切にすることだ。
そして、おそらくは、誰もがそんなものを見つけているのである。








自分を勘定に入れず

宮沢賢治の有名な詩『雨ニモマケズ』は、本来は宮沢賢治の個人的メモに過ぎず、他人に読ませる気はなかったようだ。
つまり、ここに書かれたことが宮沢賢治の個人的な理想とか信条とか掟のようなものだったのだろうと思う。
私は、子供の時から、その中の「自分を勘定に入れず」という言葉をとても気に入っていたが、原文は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」で、「カンジョウ」が勘定で良いのかは、本当のところは分からない。
また、「カンジョウ」が勘定であっても、特に子供には意味が分かり難いと思う。
私が子供の時に考えたことは、簡単に言えば「僕の分はいい」という言葉で表せる。
つまり、自分を含めた子供が5人居るのにお菓子が4個しかない時、自分を勘定に入れなければ、4個で良いことになる。
自分はお菓子を得られなくても我慢するわけである。
だが、1人がお菓子を得られないことを知ったら、お菓子を得られた4人が平気なはずがないと思うが、子供の時から、そんな(平気な)者ばかりのように感じる。
学校教育やマスメディアの影響で、人々がモラルを失くしてしまっているのである。

やはり、私が子供の時に見た西部劇映画に、こんな場面があった。
1人の男が野外で火を起こしてコーヒーを沸かしていた。コーヒーは一人分しかなかったが、この男は、もう1人いた他人の男のために、コーヒーを2杯分に薄めて一緒に飲んだ。
私は、コーヒーを飲む度に、必ずこの話を思い出すので、もう何万回という数よりずっと多く思い出しているのである。
濃いコーヒーを丸ごと人にあげるのは、もちろん素晴らしいが、それよりも、このように分ければ良いのである。
動物ですら、自分の子供でもない同種の動物に食べ物などを分けることがあるらしい。
しかし、今の人間は、独り占めし、他に与えない者が多いように思える。

インドの聖者ラマナ・マハルシが、こんな話をしたことがあったらしい。
10人の男が、泳いで川を渡った。
その後、1人の男が、全員いるか確認するために、仲間の数を数えた。
しかし、何度数えても9人しかおらず、男は動揺した。
単に、自分を数えていなかっただけである。
だが、皆、自分を勘定に入れずに数えたので、9人しかいないと思い込んだ。
誰かが、「あいつがいない」と言うと、別の者が「あいつは溺れたんだ」と言い、皆、悲しくなって泣き出した。
そこへ、1人の男が通りかかり、男達から話を聞いて、状況を理解した。
そこで、この通りすがりの男は、こんな提案をした。
「私がお前たちの頭を一人ずつ殴るので、殴られた者は数を数えろ」
それが実施され、殴られた者は、「1」「2」「3」と数を数えていき、最後の男は「10」と言った。
10人目の仲間が見つかった男達は大喜びをした。

マハルシは、この男達を愚か者として話した。
確かに愚かであるが、この男達は、他人を大切にし、自分を勘定に入れない・・・つまり、自分の利得をあまり重視しない人間達であるのかもしれないと、私は思った。
自分を勘定に入れなくても、自分のことは他の者が勘定に入れてくれる。
なんと良いことだろうと思う。
そんな人達は、きっと神様が勘定に入れてくれるだろう・・・というのはメルヘンかもしれないが、案外に真実かもしれない。

『雨ニモマケズ』は、『イーハトーヴ交響曲』のために冨田勲さんが作曲し、合唱されている。
また、『雨ニモマケズ』は、下にご紹介した『銀河鉄道の夜』に収録されている。非常に安価だ。『銀河鉄道の夜』と併せて読まれることをお勧めする。








真の高貴さ

日本人が、かつては非常に勤勉であったことを知らない若い世代が多くなってきたと思う。
そもそもが、実際に勤勉であったのは、概ね、現在の70代以上ではないかと思うのだ。
そして、日本人がなぜ勤勉であったのかというと、かつては全ての小学校に存在し、いまでも、多くの小学校に残る、二宮金次郎像が関係する。
薪を背負って運びながら本を読む、あの二宮金次郎像だ。
この像は、どんな状況下にあっても学問に励めよというメッセージと共に、しっかり働くこと、怠けないことを貴く感じさせるもので、これによって、日本の子供達が勤勉さを善とするよう教育したが、大人への影響も大きかったのだと思う。
そして、元々は大して有名でもなかった二宮金次郎を勤勉の象徴にして、日本人を働きバチにしたのは、何とアメリカだった。これはもうはっきりしているのだと思う。

ところで、第二次世界大戦前の日本人は、心を重んじる国民で、第二次世界大戦後とは、全く別物であると考えられている。
貧しい家でも、花屋で花を買うという、西洋ではおよそ考え難いことが普通に行われ、来日した西洋人を驚かせたほど、風流であった。
昭和の時代に大人気であった時代劇ドラマのために、大誤解がされているが、江戸時代は庶民文化が栄え、経済的にも発展し、治安も良かったといわれる。
武士による町人や農民の切り捨て御免などとんでもなく、そんなことをすれば殺人罪で、刑罰も重く、家は断絶させられたという研究者の話もある。
冤罪のことを考えると問題もあるが、今で言う刑務所である牢屋式は、入れられたら生きて帰れないことも少なくないほど厳しく、それが犯罪の抑止になっていたのも確かだったようである。

つまり、日本人は、第二次世界大戦を境に、全く別物に作り変えられているのである。
そこまではアメリカが行ったが、その後、学校やマスメディアに侵食し、それらを巧妙に支配下に置いて日本人を洗脳したのは旧ソ連で、後には、中国も日本人のマインドコントロールに深く参戦していると思われる。
それ(ソ連や中国による民主主義国家の国民洗脳)は、日本に先行してアメリカで行われており、旧ソ連ら社会主義国家の策略は、アメリカ人や日本人のモラルを破壊し、正常な判断力を奪うことだったと言えると思う。
忘れてはならないことは、モラルを持たないと、人間は、正常な判断、正常な思考が出来なくなることである。

自主的にモラルを取り戻せば、社会主義国家にマインドコントロールされていた長い暗闇も終わる。
アメリカに亡命した有名な旧ソ連の元スパイによれば、モラルを破壊する洗脳教育には15年から20年かかり、元に戻すのも同じくらいかかるらしい。
しかし、私はそうは思わない。
モラルとは、早い話が道徳的な行いをすることであるが、それよりも、モラルとは魂の声に従うことであり、魂の声に従う者が真の意味で高貴なのである。
高貴ということも、随分誤解されているかもしれないが、泣き言を言わないことが高貴なのであり、言い訳をしないことが高貴なのであり、弱い者いじめをしないことが高貴なのであり、欲張らないことが高貴なのだ。

アーサー王物語を読んでも高貴は分からないし、古事記も、改ざんでもされているのか、高貴さが失われているように見える。しかし、古事記の中で、庶民が貧しいことを自ら感じ取り、税を免除した天皇は高貴であったと思う。
私は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が最も高貴な作品であると思う。
『星の王子さま』や『かもめのジョナサン』もそうだと思うが、『銀河鉄道の夜』ほどではないと思う。
それで言えば、私はまだ、アンデルセンの『絵のない絵本』をお勧めしたい。
『銀河鉄道の夜』では、カンパネルラがモラルを持つ高貴な人間の象徴で、ザネリがモラルを失った者の象徴だ。現在の日本人は、ザネリばかりになり、カンパネルラはいなくなった。
そして、ジョバンニの状態にある者がいくらかはいる。
日本人をマインドコントロールしたアメリカも、旧ソ連も、中国も、宮沢賢治は見逃していた。
我々が全てを取り戻す鍵は、宮沢賢治が魂の声を聞いて書いたに違いない『銀河鉄道の夜』にあると思うのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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