ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮本武蔵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

後悔をしても何も良いことはない

宮本武蔵の有名な言葉「我事において後悔せず」をご存じの方は多いと思う。
私は、この言葉は超単純に捉えるのが良いと思う。

『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝倉涼子(高1。実は裏がある優等生美少女)のセリフに、
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいって言うよね。これはどう思う?」
というものがあるが、やってどんな結果になろうが、やらずにどんな結果になろうが、後悔しないのが良い。
つまり、やる選択をしようが、やらない選択をしようが、その選択を後で後悔すべきでない。
もっと広く言えば、どんな選択をしようが、後で後悔すべきではない。

『BEATLESS』でレイシア(美少女アンドロイド)が、アラト(高2男子)に、
「どのみち時間は巻き戻せません」
と、「こうなってしまったことは仕方ありません」という意味でさらっと言ったのが、私は本当に賢く感じた。

反省なら、した方が良い場合もあるかもしれないが、後悔して良いことなど1つもない。

それで、また古い人の話で恐縮だが、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、
「過去を振り返る人に強い人はいないね」
と言ったらしいことが、私には忘れられない。
直観的にも、経験的にも確かだと思う。
新潟の田舎から、高校を中退してプロ野球の巨人軍に投手として入団したところから大人の人生をスタートさせた馬場さんは大変な苦労人で、おおそらく、野球でもプロレスでも、彼ほど多くの失敗をした人はいないのではと思う。
しかし彼は、「馬場正平という男は、プロレス入りして以来、全て順調だった」と言ったらしい。
実際は失敗も沢山あったはずだが、こう言い切るところが素晴らしいと思う。
そして、私は、馬場さんこそ引き寄せの達人中の達人であると思うが、それは彼の哲学のためであると思う。
その哲学の根源は、彼が22歳くらいで脳腫瘍になり、難しい脳手術を受けることになった時に完成したようにも思うのだ。
彼が医者に、
「先生、俺の命を保証してくれますか?」
と聞いたら、その医者は、
「医者はね、指1本切る時でも、命の保証はしないんだ」
と言い、それを聞いた馬場さんは、この医者を「本当に偉い人だと思った」と言ったらしい。
医者ほど後悔が多い仕事はないだろうと思う。
しかし、後悔する医者に偉い医者はいないと思う。
馬場さんの手術をした医者も、後悔しない医者だったと思う。
そして、馬場さんも、後悔しないようになって成功したのではないかと思う。

馬場さんは、アメリカの超大物レスラーのほとんどが親友だった。特に、大プロモーターを兼ねるようなプロレスラーは例外なくそうだったと思えるほどだ。
それは、馬場さんの人付き合いの上手さと言うより、決して後悔しない、過去全て順調だったと見なす彼の哲学のためであったのだと思う。
また、人によってはいろいろ言うが、馬場さんは「心ある」人だったのだと思う。今は「心無い」人があまりに多いので、なおさらそう思う。
こんないい話がある。
馬場さんが、トップレスラーとして日本で試合をしていた時、外人選手の中に、いつもぽつんと1人でいる、まだ無名の若い黒人レスラーがいた。他に黒人選手がおらず、まだ人種差別が激しい時代だった。
馬場さんは、その黒人レスラーに「ビフテキを食いに行こう」と言って誘い、美味いビフテキをご馳走した。
数年後、馬場さんは窮地にあった。経営の経験などない彼が、止む無き事情があって、プロレス団体を起ち上げ社長になったが、ピンチの連続で、拙い状況の中、起死回生を計り、ニューヨークに、アメリカ一の人気レスラーで、超大物プロモーターでもあるブルーノ・サンマルチノに会いに行く。
馬場がサンマルチノに来日を頼むと、スケジュール的に無理なはずのサンマルチノだったが、「馬場が来いと言うなら行く」と二つ返事で快諾すると共に、傍らにいた黒人レスラーに、「君も行くだろ?」と言う。
その黒人レスラーこそ、この時は大スターに成長していた、かつて馬場さんが日本でビフテキを奢った、アブドーラ・ザ・ブッチャーだった。
日本に来ている暇はないブッチャーだったが、即座に「もちろんだ。俺にビフテキを奢ってくれたのは馬場だけだ」と答えた。
まあ、本当の話かどうかは分からないが、作り話としても良い話だ。

くれぐれも、後悔せず、現状肯定、過去オール善でいこう。

夕焼けのリボン
AIアート731
「夕焼けのリボン」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ジャイアント馬場の16文が行く
(2)1964年のジャイアント馬場
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)涼宮ハルヒの憂鬱
(5)BEATLESS(上)
(6)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)

IQは気分で大きく変化する

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は、実際にあったらしいという話はあるが、決闘の本当の内容は分からないのだと思う。
映画やテレビドラマで描かれたこの決闘は、吉川英治の小説の通りで、それが日本人が持つ、この決闘のイメージになっているのだろう。
だが、吉川英治の小説『宮本武蔵』はあくまで創作である。
その吉川英治の小説による武蔵と小次郎の決闘は、よく知られているように、武蔵は決められた試合の時刻に大きく遅れてやって来て、舟の櫂(かい)で小次郎の頭部を一撃して勝った。
これが、吉川英治の創作だとしても、武蔵のポリシーが現れた勝ち方であり、我々も学ぶことが多い。
武蔵は、60歳の時に書いた著書『五輪書』の中で、戦いに勝つ方法として「相手をムカつかせる」ことを重視している。
「ムカつかせる」とは、怒らせる、イライラさせるなど、要は相手に不快感を感じさせることだ。
人間はムカつくほど、つまり、不快感を感じるほど能力が落ちるのである。

たとえば、IQテストを受けた結果、「俺はIQ130だ」と言う人間がいたとする。
実際、その人がそのIQテストを受けた時に発揮したIQは130で、なかなか優秀である。
しかし、この人が、怒り狂った状態でIQテストを受けたら、70とか80、あるいは、それ以下の成績になっても不思議はない。
人間の他の能力も同じようなものである。
そして、人間の実力には、意外なほどIQが関係している。
IQが低い状態では、何をやっても実力を発揮出来ないのである。

遅れてやって来た武蔵に対し、小次郎は刀を抜くと、刀の鞘を投げ捨てるほど怒ってエキサイトしていた。
この時、小次郎のIQは普段より、30から50は下がっていたかもしれない。
そんな小次郎を見て、武蔵が「小次郎破れたり」と断じたのは、実に的確で、さすが吉川英治は一流の作家であると思う。

「俺のIQは高い」と言ったり思っている者がいたとしても、それは、割と平静な時のIQテストの成績である。
そんな者も、怒ったり、クヨクヨしている時は、ひどく低いIQになっている。
逆に、IQテストの時は緊張したり、不快さを感じて、低いIQだと診断された者も、心が澄み切り、不動心になれば天才級のIQになる可能性があるのである。
よって、我々は、心を静かにしなければならない。
そのためには、思考を消さなくてならない。分かり易い言い方では、頭の中のおしゃべりをやめることである。
そのためには、深呼吸、マントラ、薄目が役に立つだろう。
そして、IQが高い状態では引き寄せも起こし易いのである。
逆に、いつもIQが低い者には、引き寄せは難しいのである。

尚、『宮本武蔵』は、個人的には、吉川英治版より司馬遼太郎版をお奨めする。

赤いチューリップ
AIアート698
「赤いチューリップ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)
(2)五輪書 (講談社学術文庫)
(3)宮本武蔵 全8巻合本完全版(吉川英治)
(4)宮本武蔵(司馬遼太郎)
(5)真説宮本武蔵(司馬遼太郎)

私的最強呪文「われ思わず」

宮本武蔵の「我事(われこと)において後悔せず」という有名な言葉は、武蔵自身が書いた『独行道』という21箇条の誓約の中の第6条だ。
意味はそのままで、「1度やったことを後悔しない」である。
まあ、良い言葉である。
しかし、長ったらしい。
単純に、「我後悔せず」だともっと良い。
司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』によれば、日本人の宮本武蔵像の標準とも言える吉川英治の『宮本武蔵』とまるで違い、武蔵は、弟子だけでなく有力な後援者も多く、経済的に豊かで、有力な剣士との試合はほとんどしていないが、実戦において極めて強かった。
趣味(?)の剣も生活も充実した良い人生で、成功者と言って良いと思う。
その彼の成功の大きな要因は、この「我後悔せず」であると思う。

だが、もっと良いのは「我思わず」である。
後悔も1つの思考で、有害な思考と思えるからこそ、武蔵はそれを否定したが、全ての思考は有害である。
後悔だけでなく、全ての思考を消せば、戦国規模、日本規模、地球規模を超えて無敵であり、全能である。
さすがの武蔵も、そこまでは知ることが出来なかった。

美貌
AIアート137
「美貌」
Kay


「我後悔せず」も良いことは良いが、ジッドゥ・クリシュナムルティの「私は何も信じない」はもっと良い。
そして、「私は何も信じない」よりずっと良いのが「私は何も考えない」で、私は、この2つを万能の呪文である世界コマンドと呼んでいるが、この最強の呪文「私は何も考えない」は、私には「われ思わず」という短い言い方が唱え易い。

「われ思わず」は、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」の否定ではなく、洗練であり、シュタイナーの「われ思わず、ゆえにわれあり」を高度に改良した最強最上の呪文だ。
「われ思わず」と唱えれば、あらゆる不安が消え、あらゆる問題が解決し、あらゆる敵がひざまずく。
そして、落ち着いて座れる(あるいは寝れる)時間があれば、「私は誰か?」と自分に問い、完全に思考(=心)を消せば、神になったも同じである。

『真説宮本武蔵』と『猫の妙術』を合わせて読めば、無敵なる者の秘法が分かると思う。








神化の条件

思考を消して神化、超人化した面白い話をする。
空海や宮本武蔵がやったと言われるもので、単に、崖の上から飛び降りるというものだ。
もちろん、言うまでもなく、普通の人がやれば失敗して死ぬ。
だが、ここに非常に貴重な真理を見い出せる。

なぜ、普通の人が高い所から飛び降りると死ぬのかというと、気絶するからだ。
飛び降り自殺する場合も、皆、地面に激突する前に、自然の配慮によって気絶する。
また、スカイダイビングの際、パラシュートの事故で死亡する場合も、割と早く失神するものらしい。
気絶、失神して意識を失うと、何も起こらず死んでしまう。
だが、飛行機事故で、身体が外に投げ出されながら、気絶しなかったために生き延びたという人が本当にいるのである。
ただ、飛行機の機内にいて墜落した場合は、気絶しなくても死ぬ。意識は残っているが、心も残っているからだ。

つまり、神化する条件とは、思考(心と言っても良い)が消えて、意識は残っていることだ。
気絶したり、眠ってしまうと意識が消えるが、意識が消えると神化は起こらないのである。
言い換えると、心(思考)は消えているが、意識は残っている時に神化が起こるのである。
空海も、宮本武蔵も、崖から飛び降りても、最後まで意識を保っていたのだ。
まあ、この空海らの話は作り話かもしれないが、彼らの他の話から考えると、彼らが崖から飛び降りるようなことがあったとしてもおかしくないし、同じくらい危険なことを、彼らは何度もやっているのである。

涙
AIアート92
「涙」
Kay


物理学者のフレッド・アラン・ウルフも私も、子供の時にこれを体験しているようだ。
ウルフ博士は、7歳くらいの時、2階から1階にテレポートした体験があるらしいが、その過程の記憶はないながら意識はあったのだ。
私もまた、4つの時、2階から地面に落下した際、意識ははっきりしていたのである。

このブログで何度か引用したが、ある空手家が、真剣を持った剣術の達人と素手で決闘した際、死ぬ気で飛び掛かった後の記憶がないが、気がつけば、剣術の達人は地面で伸びていたという。
つまり、その空手家は、命を捨てた刹那、思考(心)は消えたが、意識は残っていたので、超人化したのである。

これを手っ取り早くやる方法が、やはり、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
「私は誰か?」と自分に問えば心は消えるが、意識は残っているのである。
そうであれば、必要があれば奇跡も起こるのである。








願望の実現が消えてしまう理由

引き寄せに関し、基礎をおさらいする。

願望は願った瞬間に叶う。
例外なく、願望の大きさに関わらず、この世界で完全に叶う。
しかし、なぜが、瞬間で元に戻り、願望が叶った記憶もないので、「願いが叶わない」と思う。
そして、なぜ、願望が叶った状態から、叶う前の状態に戻るのかというと、エゴ(自我)が「これはあり得ない」と言い、それを受け入れてしまうからだ。

ここまでは、多少の解釈の違いはあっても、分かっている人は少なからずいる。
しかし、そこまで分かっている人も、エゴに対する対処では、千差万別の異なることを言う。
それは(エゴの対処には万説があることは)、言っている人も気付いている場合があり、そんな人達は、「自分の好きなやり方でどうぞ」とお茶を濁す。

そもそも、エゴが何かについて、フロイトとユングという、ごく身近に居た頭の良い人達の間でも考え方が違い、いまだ、この2者のどっちが正しいかは分かっていない(その他の説も出ている)。
私も、彼らの本を読み、面白かったが、彼らの論は複雑過ぎ、あまり見ない方が良いと思う。
総じて言えば、フロイト論は納得はし易いが矛盾が大きく、ユングの方は神秘的で受け入れ難い場合が多い・・・そんなところである。

しかし、これははっきり言えると思うが、叶った願いが消えてしまうのは、集合意識のためだ。
この集合意識が、テレパシーのように人々の間でつながっているものか、ごく普通のコミュニケ―ションでつながっているものかは、ここでは触れない。意見の相違があるし、どっちでも説明がつくからだ。
願望がつまらないものであれば、集合意識はあまり反対せず、叶った状態を維持する。
しかし、集合意識の常識を超えた願いが叶った場合、集合意識が反発し、叶った状態が消える。
本当は、集合意識に力があるのではなく、自分が集合意識に逆らえるかどうかが問題なのである。

個性のない人間は、集合意識に逆らえない。
そもそも、集合意識に逆らえない者のことを個性のない者と言うのだから。
だから、どれほどの引き寄せのテクニックを知り、それを必死で実践したところで、個性がなければ、集合意識に飲まれて、願望の実現が消えてしまう。
だから、「千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)」と言うだけの個性が必要である。
昔から、この個性のことを「信念」と言う人が多く、「信念を強くしろ」とか言うが、そう言われても曖昧過ぎて困る。
たとえば、合氣道家の藤平光一氏は、毎朝鏡に向かって「お前はますます信念が強くなる」と言ったというが、個性のある彼ならそれで良くても、普通の人がそれを真似ても何にもならない。
大切なことは、「世界で1つだけの花」と言える個性で、それがないと、集合意識に飲まれてしまうのである。

我々は、学校で「前に倣え」と、皆と同じロボットになるよう教育され、テレビや新聞、大企業のCMは、我々が、皆と同じように考え、同じように行動するよう洗脳する。
学校や社会で、それ(学校やテレビを通じた権威者の論理)に従わないと辛い目に遭うので、ほとんどの者が「尻尾を巻いて従う」。
テレビは、皆でニコニコ「世界で1つだけの花」を歌ってハッピーになろうと言って、「皆、同じ花」にしてしまう。
つくづく、テレビ、新聞、そして、あらゆるCMは見てはいけない・・・と言うより、気持ち悪くて見ていられないようでないとおかしい。

伊達政宗の師であった虎哉宗乙(こさい そういつ)の有名な「痛ければ痛くないと言え、悲しければ笑え、暑ければ寒いと言え」という言葉も、集合意識に逆らうことの重要性を説いたものと理解しないと意味が分からないのである。
だが、集合意識に逆らうには、個性が必要である。
個性は、好きなことを自主的に毎日やることで作られる。
何度も言ったが、「じゃあ、ゲームを」「じゃあ、美食を」「じゃあ、エロを」という馬鹿は論外なので、もう放置で良いと思う。

宮本武蔵がなぜ剣豪の中でも一番魅力的なのかというと、強かったからではなく、一番個性的であったからだ。
そもそも、武蔵は江戸の有名な剣豪と試合をしていないので、どれほど強かったかは本当は分からない。
イエスもまた、個性があるから魅力があるのであり、宗教とは何の関係もないと私は思っている。
とりあえず、彼らについて読んでも良いと思うが、吉川英治の『宮本武蔵』は、国家の思想統制のために書かれたものなのでお奨めしない。
武蔵は、司馬遼太郎にかぎる。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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