ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮本武蔵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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江戸時代の純粋な引き寄せ

江戸時代の長屋と言ったら、1階建ての、壁1つで隔てられた庶民の集合住宅で、多くの庶民がそんなところに住んでいたと思われる。
各家庭の独立性が低いところは、現代的には欠点だと思われるが、自ずと家庭同士が仲良くなり、助け合うようになっていたことが想像される。
有力な説と思われるが、自然と子供同士の交流が盛んになり、自分の子供が自分の家にいるということが少なくなって、夕飯になると、そこにいる子供に誰でも食事を与えるということになって、それは人間関係に良い影響があるのではないかと思う。
そして、そうしているうちに、どの子供が自分の子供か分からなくなり、子供が共有化されて、どの子供も自分の子供だという意識になったという。
それはある意味で理想的なことであると思う。
しかし、誰もがそうであったわけではないと思うのだ。
そんなふうに、子供を共有し、皆が平等に仲良くすることで幸せに感じていた大人や子供も多かったが、そうではない人達もいたはずである。
人間には、どうしても、容姿に優れた人や、頭の良い人というのがいる。
学校に行かなければ、頭が悪い子供が劣等感を持つことはあまりないし、頭が悪い大人が子供の優劣を意識することもない。
しかし、頭が良い人は、大人でも子供でも、周囲の人達に違和感を感じる。これは、頭の良い人にしか分からない感覚であり、それが、頭が良い人にしか分からない悩みになる。

早い話が、長屋暮らしで子供が共有状態にあっても、頭の良い人や容姿に優れた人は、自分に似て賢かったり美しかったりする自分の子供というのを強く意識してしまう。
昔は、頭が良かったり、容姿が優れていても、今のように成功するチャンスが多くあるわけではなく、その他大勢の、頭も容姿も平凡以下の人達と平等に付き合うしかなかったが、当時の賢い人や美男美女にとって、それがどんなものだったかは分からない。
当時でも、美男美女が得をすることはやはりあっただろうし、賢いことが役に立つこともあっただろう。
一方で、普通の人には分かり難いが、美人や賢い人には悩みが多い。

ところで、江戸時代以前から、現代の引き寄せや潜在意識の法則と実質同じである、呪い術や念力というものはあり、一般的には、特別な人のみが使える力とされていたが、いつの時代・場所にも密教・秘教というものがあり、それは大抵、誰でも使える力として教えられる。
その中でも、よく効く方法は口コミで伝わって人気が出ることがある。
また、エリート層には、宗教と関連した引き寄せ的な術というものが必ずあったし、各分野で成功した人の多くは、やはり、そんなものをよく知っていたのである。
そのやり方は、万物に宿る気(氣)を感じるということを基本にする。
当時は本当に威力があるかどうかが直ちに成功、あるいは、生死に直結するので、非常に純粋で効果的だった。
それを言葉で伝えたものとしては、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』の中で、武蔵と対決した吉岡道場当主の吉岡憲法(直綱)が語っているものがあるので、興味があれば参考にすると良いと思う。
私は、実践法としても修行法としても、これほど良いものは知らないほどだ。
憲法は、剣の練習は怠るようになっても、静かな野原で気の感覚を磨くことは怠らなかった。そして、憲法は、宮本武蔵が優れた気の使い手であることを見抜いていた。
結局、憲法は、瞑想というか、今で言う今今メソッドのようなものに励んでいたように思う。
長いものではないので、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』は一度読んでおくことをお勧めする。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)真説 宮本武蔵(司馬遼太郎)
(2)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)武産合気(植芝盛平)

空の気
AIアート2057
「空の気」
Kay

大人のための秘術

最近、宮本武蔵の『五輪書』の中で、剣術論を述べた「水の巻」に関心を持つようになった。
私が注目しているのは、その中の「兵法の目付と云事」で述べられた、

目の玉うごかさずして、両わきを見る事、肝要也。
(目玉を動かさないまま、両脇をを見る事が大切だ)

である。
誰がどこで言ったとか書いているということは憶えていないが、多くの分野の達人や、あるいは、知的能力、霊能力、直観力、超能力開発の専門家も、同じように述べているのを度々見たような気がする。
何より、個人的経験からも、これが潜在能力の発揮の鍵になると思う。
とはいえ、別に、これが唯一の方法というのではないが、簡単にやれるという理由で重要なのである。

また、左目で見たものが右脳に、右目で見たものが左脳に伝わることが知られているが、左右の周辺視野(中央視野の外側)を見ることで、右脳と左脳が同調しつつ、ぼんやりと見えることから、左脳好みの論理情報が得られず、左脳の発動を抑え、右脳を優位にすることが出来る。
つまり、言葉や、それから成る思考が消え、内なる力が現れるのである。
武蔵に限らず、剣の達人と立ち会うと、達人の視線が何を見ているのか分からないというのは、やはり、達人は、武蔵が言うような目の使い方をしているからだろう。

左右の周辺視野を同時に見ることは、超越状態(超人状態、超能力者状態、魔法使い状態等)に導くと思われる。
普段、そのようなことをすれば、まず、直観が冴えたり、予想が当たることを感じるようになり、さらに、引き寄せが起こり易くなったり、幸運に恵まれるようになると思われる。
ただ、その効果にブレーキをかけるものもある。それが執着や過度な欲望、それに怠慢である。
「徹底的」と「程々」の使い分けが大事で、それが出来るようになれば大人と言えると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)宮本武蔵「五輪書」 
(2)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)決定版 脳の右側で描け(ベティ・エドワーズ)

ひばりの声が聞こえる
AIアート1597
「ひばりの声が聞こえる」
Kay

マジで強かった宮本武蔵の秘法

今でもそうだと思うが、日本人に「日本の剣豪No.1は誰か?」とアンケートを取ったら、宮本武蔵がダントツで1位だったそうだ。
これは、単に、剣豪の中で宮本武蔵が最も有名だからというだけの話だろう。
なぜ宮本武蔵がこれほど有名であるのかというと、第二次世界大戦中、戦意高揚のために、吉川英治が国家に書かされた宮本武蔵伝である『宮本武蔵』が、やはり国家の宣伝によって、多くの国民に知られるようになり、また、この小説が実際に面白いからだろう。
何より、『宮本武蔵』を原作とした沢山の映画、テレビドラマが作られたことが、武蔵人気を高めたことは間違いない。
ただ、私も『宮本武蔵』は読みかけたが、いかにも作り話っぽいことはすぐに分かるし、あまりのテンポの遅さに耐えられず、あまり先まで読んでいない。

宮本武蔵が本当に強かったのかは疑問が持たれているが、その大きな理由が、武蔵が、当時の一流の剣士達と試合をした記録がないというものだ。しかし、これは無理もないと思う。名の通った一流の剣士が、そう簡単に試合に応じてはくれないだろうし、仮に、武蔵が有名な剣士に勝っても、その事実は隠されるに違いない。
詳細が明らかでない、有名な佐々木小次郎との決闘でも、武蔵は最初から、試合後に安全に帰る方法を考えていたという話があるが、そこだけはリアリティがある。勝ったら無事に帰してくれるはずがない。
これも、事実かどうかは分からないが、武蔵が柳生宗矩に試合を申し込んだ時、宗矩に、「仮に貴殿が勝っても、数千の門下の者が貴殿を生かして帰さない」と言われたが、これは別に卑怯とかいう話ではなく、当たり前のことと思われる。
弟子が沢山いる剣士に挑戦など出来るはずがない。
「武蔵は勝てる相手を選んで戦った」と言う者もいるが、別にそういうわけではないと思う。
吉川英治の『宮本武蔵』の、武蔵と吉岡道場全員との戦いは、もちろん吉川英治の創作である。しかし、この話も映画などで面白く作られ、これを事実と思っている日本人は多いだろう。
司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』によれば、武蔵は、吉岡道場の当主、吉岡直網(なおつな)と試合をしたことにはなっているが、吉川英治の『宮本武蔵』のように、吉岡直網が肩を砕かれただの、武蔵が吉岡直網の弟の吉岡重賢とも決闘して殺したといった事実もない。
ただ、武蔵が、吉岡清十郎という者と試合をし、引き分けであったという記録は実際にあるらしいが、清十郎が何者かは分からないらしい。司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』では、この記録を基に書かれているが、非常に面白い。

いろいろな記録や研究データを見れば、やはり武蔵は恐ろしく強かったと思う。
中年過ぎてからは、士官のために剣の腕を披露した記録があるが、超人的に強かったとも言われる。
だが、武蔵の強さは、彼の直筆の書である『五輪書』から推測されるのである。
武蔵は、多数の相手との戦いを想定していた。
その中で、「壁を背にするよう」といった現実的なことも書いているが、「視野を広く」という記述が面白い。
もちろん、大勢を相手にすれば、視野を広くもしなければならないだろうが、実際は、視点を素早く移動させているのであり、一瞬一瞬は、目の前の相手に集中するはずである。
だが、研究者によれば、武蔵は常に視野を広くしていて、それが武蔵の肖像画にも現れているように思えるという話もある。
つまり、武蔵は、周辺視野を使っていたと思われる。周辺視野とは、中心視野から外れた視界の領域で、普通はぼんやりとしか見えていない。
武蔵は、その周辺視野を鍛えてはっきりと見えたというのではなく、むしろ、視界を意図的にぼんやりさせることで、思考で判断することから遠ざかり、無意識で動いていたのだと思われる。
まさに、本物の剣豪である。
我々も武蔵に倣うべきである。
周辺視野を意識することで思考を消し、超越意識に入れば、無限の潜在能力を発揮する道が開けるのであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)真説 宮本武蔵(司馬遼太郎)
(2)宮本武蔵「五輪書」 
(3)らく速読 ~脳科学が証明した世界一カンタンですごい読書術~(ヨンソ)
(4)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~
(5)ヤオイズム(矢追純一)

ゆふぐれ
AIアート1594
「ゆふぐれ」
Kay

最も優れた修行

インドの聖者ラマナ・マハルシが「私は誰か?」という問いを提示したことは、精神世界に関心がある人にはよく知られている。
だがこれは、答を得るために問うのではないと言って良いと思う。
これは、一種の精神集中の訓練と言えるのではないかと思う。
つまり、「私は誰か?」と問えば、他の思考は起こらないので、「私は誰か?」以外の思考を消すことが出来るのである。
そして、しまいには「私は誰か?」という思考自体も消えてしまい、完全に思考が消える。
思考が消えれば・・・無になれば真の自己である真我になるが、真我とは神である。

とはいえ、この修行は成果を上げ難いと思う。
面白くないし、修行の意味が分からない。
マハルシを含め、修行の意味をちゃんと説明した人はいなかったと思う。いたとしても、その説明は曖昧ですっきりせず、修行に熱が入り難いと思う。

「私は誰か?」という問いは、その答を求めるためのものではないと書いたが、答はあると言う。
しかし、その答を教えない。
まあ、答は真我なのだろうが、その真我が何か分からない。
確かに、真我とは何かを言葉で説明することは難しいし、言ってみれば、真我とは神でありキリスト(イエスという人間のことではない)、あるいはブッダ(釈迦や各如来のことではない)である。

少なくとも、「私は誰か?」と問うことは、普通の人には有益な修行になり難い。
答をさっさと教え、もっと有意義な修行をした方が良いかもしれない。
「私は誰か?」の答は、神であるが、神とは「存在の自覚」である。
「存在の自覚」とは、「私は在る」という感じである。
改めて意識を自分の存在に向けると、「私は在る(存在している)」と分かると思う。
その感じが神であり、真我である。
そして、「存在の自覚」を感じることが、「私は誰か?」と問うよりずっと良い修行であると思える。

よこしまな気がしないわけではないが、「存在の自覚」を感じれば、引き寄せの力が恐ろしいほど大きくなるのだから楽しみもある。
よこしま・・・と言ったが、修行には方便も必要である。
方便とは「嘘も方便」で誤解されるような嘘ではなく、あくまで「人を導く手段」のことである。

ちょっと、宮本武蔵の話をする。
彼が本当の剣豪であったかどうかは疑問らしいが、喧嘩に滅法強かったのも確かで、生涯無敗であったという。
勝てる相手としか戦わなかったのだと言われることもあるが、それでも百戦百勝は厳しいことである。
吉川英治の『宮本武蔵』では、武蔵は、吉岡道場相手の決闘をしたことになっている。
まず、道場当主の吉岡兄と決闘し、吉岡兄の肩を木刀で一撃で砕き勝利。続いて、兄以上の実力者である吉岡弟と決闘し、木刀で撲殺。その後、吉岡道場全員との決闘となり、奇策と実力で快勝。
これらは、吉川英治の創作で、実際は、吉岡兄弟は元気で長生きしたそうだ。

ところで、司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』でも、武蔵は、吉岡兄と試合をしている。
ところが、吉岡兄は、ある時期から全然稽古をしなくなり、当主ではあっても、道場は弟にまかせ、他流試合の挑戦者との決闘も弟の役目になっていた。
だが、武蔵が決闘を申し込んできたら、吉岡兄は自分が戦うと言いだした。
兄は弟に「お前では武蔵に勝てない」と言う。
子供の時は、弟は兄に全く敵わなかったが、今や自分の方が兄よりはるかに上と信じている弟は面白くない。
そもそも、兄は全く稽古をしていない。
弟が「自分に勝てない武蔵であるなら、兄ならなおさら」と思うのも当然であった。
ところが、兄が夜中に一人でどこかに行くのに気付いた弟は、夜中に兄をつけてみると、兄は夜の野原でじっと座っていた。
弟は兄に近付き、兄に「兄者を今斬ってよいか」と尋ねると、兄は「よい」と言う。
そこで、弟は刀を抜き、兄を斬る気で進もうとするが、弟は身動き出来ず、脂汗が流れるだけであった。
兄は弟に、剣の腕ではお前の方が勝っているが、気では自分が勝っていること、そして、自分が野原に座っているのは気を鍛えるためであること、その気とは何かを説明したが、その説明が抽象的なのは、兄も理屈では分かっていないからだと思う。

吉岡兄は、本人は分かっていなかったのだろうが、結果として、野原で「存在の自覚」を感じ続けたのだと思う。
それ以外に考えられない。
だが、今もだが、当時のように、武道の修行に価値があった時代でも、真理が明確でなく、修行の仕方に無駄があることも多かったが、良い修行では、「存在の自覚」を感じることを程度の違いはあっても行っていたのだ。
無論、この修行は、剣や、あるいは、武道、武術に限らず、あらゆることに万能である。
ならば、我々も取り組まずにはいられないと思う。

私はここにいる
AIアート781
「私はここにいる」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)真説 宮本武蔵(司馬遼太郎)
(2)五輪書(宮本武蔵)
(3)ラマナ・マハルシの教え
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(5)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話

後悔をしても何も良いことはない

宮本武蔵の有名な言葉「我事において後悔せず」をご存じの方は多いと思う。
私は、この言葉は超単純に捉えるのが良いと思う。

『涼宮ハルヒの憂鬱』の朝倉涼子(高1。実は裏がある優等生美少女)のセリフに、
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいって言うよね。これはどう思う?」
というものがあるが、やってどんな結果になろうが、やらずにどんな結果になろうが、後悔しないのが良い。
つまり、やる選択をしようが、やらない選択をしようが、その選択を後で後悔すべきでない。
もっと広く言えば、どんな選択をしようが、後で後悔すべきではない。

『BEATLESS』でレイシア(美少女アンドロイド)が、アラト(高2男子)に、
「どのみち時間は巻き戻せません」
と、「こうなってしまったことは仕方ありません」という意味でさらっと言ったのが、私は本当に賢く感じた。

反省なら、した方が良い場合もあるかもしれないが、後悔して良いことなど1つもない。

それで、また古い人の話で恐縮だが、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、
「過去を振り返る人に強い人はいないね」
と言ったらしいことが、私には忘れられない。
直観的にも、経験的にも確かだと思う。
新潟の田舎から、高校を中退してプロ野球の巨人軍に投手として入団したところから大人の人生をスタートさせた馬場さんは大変な苦労人で、おおそらく、野球でもプロレスでも、彼ほど多くの失敗をした人はいないのではと思う。
しかし彼は、「馬場正平という男は、プロレス入りして以来、全て順調だった」と言ったらしい。
実際は失敗も沢山あったはずだが、こう言い切るところが素晴らしいと思う。
そして、私は、馬場さんこそ引き寄せの達人中の達人であると思うが、それは彼の哲学のためであると思う。
その哲学の根源は、彼が22歳くらいで脳腫瘍になり、難しい脳手術を受けることになった時に完成したようにも思うのだ。
彼が医者に、
「先生、俺の命を保証してくれますか?」
と聞いたら、その医者は、
「医者はね、指1本切る時でも、命の保証はしないんだ」
と言い、それを聞いた馬場さんは、この医者を「本当に偉い人だと思った」と言ったらしい。
医者ほど後悔が多い仕事はないだろうと思う。
しかし、後悔する医者に偉い医者はいないと思う。
馬場さんの手術をした医者も、後悔しない医者だったと思う。
そして、馬場さんも、後悔しないようになって成功したのではないかと思う。

馬場さんは、アメリカの超大物レスラーのほとんどが親友だった。特に、大プロモーターを兼ねるようなプロレスラーは例外なくそうだったと思えるほどだ。
それは、馬場さんの人付き合いの上手さと言うより、決して後悔しない、過去全て順調だったと見なす彼の哲学のためであったのだと思う。
また、人によってはいろいろ言うが、馬場さんは「心ある」人だったのだと思う。今は「心無い」人があまりに多いので、なおさらそう思う。
こんないい話がある。
馬場さんが、トップレスラーとして日本で試合をしていた時、外人選手の中に、いつもぽつんと1人でいる、まだ無名の若い黒人レスラーがいた。他に黒人選手がおらず、まだ人種差別が激しい時代だった。
馬場さんは、その黒人レスラーに「ビフテキを食いに行こう」と言って誘い、美味いビフテキをご馳走した。
数年後、馬場さんは窮地にあった。経営の経験などない彼が、止む無き事情があって、プロレス団体を起ち上げ社長になったが、ピンチの連続で、拙い状況の中、起死回生を計り、ニューヨークに、アメリカ一の人気レスラーで、超大物プロモーターでもあるブルーノ・サンマルチノに会いに行く。
馬場がサンマルチノに来日を頼むと、スケジュール的に無理なはずのサンマルチノだったが、「馬場が来いと言うなら行く」と二つ返事で快諾すると共に、傍らにいた黒人レスラーに、「君も行くだろ?」と言う。
その黒人レスラーこそ、この時は大スターに成長していた、かつて馬場さんが日本でビフテキを奢った、アブドーラ・ザ・ブッチャーだった。
日本に来ている暇はないブッチャーだったが、即座に「もちろんだ。俺にビフテキを奢ってくれたのは馬場だけだ」と答えた。
まあ、本当の話かどうかは分からないが、作り話としても良い話だ。

くれぐれも、後悔せず、現状肯定、過去オール善でいこう。

夕焼けのリボン
AIアート731
「夕焼けのリボン」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ジャイアント馬場の16文が行く
(2)1964年のジャイアント馬場
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)涼宮ハルヒの憂鬱
(5)BEATLESS(上)
(6)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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