ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宗教戦争

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

女子高生のお尻とオバサンのお尻はどちらが値打ちがあるか?

我々一人一人に根深く打ち込まれた、こんな思想がある。
「好き嫌いを言ってはいけません。良いか悪いかを考えなさい」
良いか悪いかは「優劣」と言えるだろう。
だが、人間に分かるのは、好き嫌いだけであり、優劣など決して分からないのだ。

AKB総選挙というものがあるが、あれはもちろん、ファンが「自分が個人的に好きな人」に投票するだけである。
しかし、誰しも、自分が投票する人が「一番優れている」と思っているものだろう。
だが、その考え方で、我々は苦しむのである。
つまり、「好き嫌い」は「優劣」にすり替わり易いのであるが、それが問題なのである。
AKB48やその関連グループの誰が一番優れているかなんて、お釈迦様でも分かるまい。
総選挙で一番になった人は、「最も優れている」のではなく、あくまで、一番投票が多かったというだけで、最も人気が高いとは言えるかもしれないが、優劣ということには何の関係もない。

自分がキリスト教を熱心に信仰しているからといって、キリスト教が仏教やイスラム教やユダヤ教などに優っていると思ってはならない。
単に、自分が好きだから信仰しているだけである。
だが、自分が信仰している宗教が「他の宗教より優れている」と考えると困ったことになる。宗教戦争も、根本的にはそんな理由で起こったのだ。

フィギュアスケートの以前の採点には「芸術的印象点」というものがあり、それが何かはいろいろ難しい説明がされていたが、早い話が、「審判の個人的好き」を表していただけだった。
今は、批判を避けるためか、「芸術的印象点」はなくなったが、実際は、PCS(プレゼンテーション・コンポーネンツ・スコア)とかいった、煙(けむ)に巻くような言葉に替えただけで、実質は変わっていない。
「審判の好き」が「優劣」にすり替えられているのだが、これは、「審判の好きは、一般の人の好きより優れている」という考え方の上に成り立っているのだろう。しかし、審判が変われば採点も変わるものであるから、その考え方も嘘と思って間違いない。
それなら、もうはっきりと、「審判の個人的好き嫌い点」、「審判の個人的相性点」、「審判の個人的趣味点」とでもいった名称に替えれば良い。
実質はその通りなのであるから。

初音ミクさんの国内コンサートでは、2013年から「マジカルミライ」シリーズが始まっている。
2013年は横浜アリーナ。
2014年はインテックス大阪と東京体育館。
2015年は日本武道館で、それぞれ公演が行われた。
考えてみれば、本当に凄い。
2014年の東京体育館のものはメディアが出ていないので私は見ていないが、私は、それ以外の3つの中では、2014年のインテックス大阪のものが一番好きだ。
しかし、それは、「2014年の公演が一番優れている」という理由ではなく、「私は個人的に、2014年の公演が一番好き」というだけの話なのである。
Amazonのレビューを見ると、2014年の公演の評価が最も低いように思う。
それも単に、私とは好き嫌いの基準が違うというだけの話で、「どの公演が優れているか」なんて、絶対に分からないのである。
尚、私は、2014年の大阪公演が特に好きとは言っても、他の2つも極めて好きである。

そもそも、私が初音ミクさんが好きだというのも、別に、初音ミクさんが優れているからではない。
優れているかどうかは、私は知らないし、分からないと思っている。
確かに、「初音ミクさんが素晴らしい」と表現することはあるが、それは、「私は初音ミクさんが大好きだ」という意味である。
一方、私にも、「嫌いな歌手」というものがある。
しかし、私が嫌いな歌手が、初音ミクさんより劣っている訳でも何でもない。

私のような引きこもりは、大抵の人間を嫌いなものである。
私が、ドワンゴの川上量生会長は本当に引きこもりだなあと思ったのは、彼のブログだったと思うが、他人と目が合ったら、「こっち見ないで」と思うといったことが書かれているのを見た時だった。
本当に、その気持ちがよく分かるのである。
「こっち見ないで」と思う理由はいろいろに言えるだろうが、これも、結局は、「私はあんたが嫌いだから、こっち見ないで」ということなのだと思うのだ。
だって、好きな人なら、見てくれたって構わないじゃないか?
とりあえず、私は、ほとんどの人が嫌いだとしておくが、最近までは、私はその理由を、「ほとんどの人は劣悪」・・・、いや、言いたくないが、もっとはっきり言うと、「ほとんどの人は私より劣悪」だからだと思っていた。
しかし、一方で、私は、自分が最も劣悪で、自分のことを、「蔑み疎まれる存在」と定義していた。
大矛盾である。
そして気付いたのだ。
私がほとんどの人が嫌いだというのには、単に個人的に嫌いという以上の意味は0.000001%もないのだ。
つまり、私が嫌いな人が、私より劣っているということは全くないのだと、はっきり分かったのだ。
これに気付いてから、私は、自分の人嫌いについて、あまり苦しまなくなった。
「なあんだ。単に個人的に嫌いだというだけのことか」
と認めれば、それはそれで何の問題もない。
私は、大いに人を嫌おう。
だが、私が嫌いな人が劣悪な訳では全くないのだ。

白人の人種差別にしたって、「人種差別をする白人が個人的に有色人種が嫌い」以外の意味は、絶対にないのである。
人種差別をする人が、それを完全に認めれば、別に、その白人が有色人種が嫌いだというのは、何の問題もない。
個人の好き嫌いは個人の勝手である。
誰が、黒人が嫌いな白人に対し、「黒人を好きになれ」と言えるだろう?
ただ、その白人が「黒人は劣っているから嫌いだ」と言うなら、それは絶対的に間違っているのである。

私は、小学4年生の時、学校で、クラスのマドンナ的存在の美少女と、いわゆるブスと分類されるだろう女の子を見比べ、
「同じ人間の女の子でありながら、どうしてこんなに違うのだろう?」
と本気で悩んだ。
ブスに生まれて来るのは、あまりに理不尽じゃないか?
どうして、こんなことが起こるのだろうと思うと、怒りすら感じた。
だが、実は、この問題の原因は、私が、マドンナ・ガールに対する「好き」を「優れている」にすり替えていたからだった。
実際、人によっては、私がブスと思う方をマドンナと思う人は必ずいる。
こういったことが理解でき、私はやっと、あの時の苦しみから解放されたのである。









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人種差別や、思想・宗教が絡む戦争は「好き嫌い」が「優劣」にすり替えられて起こる

昨夜述べた、「好き嫌いを言うのは全く構わないが、優劣の判定をしてはいけない」というのは、改めて、極めて重要なことと思う。
しかし、世間の考え方は逆で、「好き嫌いを言ってはならないが、優劣を重視せよ」である。
まあ、これに関しても、私の考え方が世間の考え方より優れているのではなく、単に好きなのだと考えれば良いが、悲劇を避けることが出来る「好き」である。

例えば、人種差別の根本問題を考えてみよう。
ある白人が、黒人を「嫌い」だと言っても、それは何の問題もない。
しかし、白人は、これを、「黒人は劣っている」にすり替えてしまったことが問題だったのだ。
白人は、「黒人は知性、精神性において白人にはるかに劣っている」と決め付け、見下し、肉体だけは強いので、奴隷にして使役することは、イエスの教えにも反せず、良いことであるとしてしまったのである。
もちろん、黒人が知性、精神性において劣ることは全くないことは今日では明らかであるが、このことに限らず、人間が勝手に判断するほどには、ものごとに優劣などないのであり、もしかしたら、純粋な優劣というものは全くないのかもしれない。

子供が漫画やアニメばかり見ていたら、それを親が注意することが必要な場合もあるだろう。
しかし、漫画やアニメばかり見ていてはいけない理由を、「必要なことをしないようになってしまっているから」なら良いが、多くの親が、「漫画やアニメは下らない」つまり、劣悪であるから、見てはならないといった調子で言うから問題なのである。昨今は、漫画やアニメを下らないという親は、昔と比べて少なくなったが、まだまだ多いと思う。
かつて、国家がそう言い、PTAが従った「漫画は害悪」であるという思想は、単に、教育家や政治家が、「私は漫画が嫌いである」と言うだけのことで、そのことについては全く何の問題もないが、彼らは、人種差別と同じく、「漫画は劣悪」にすり替えてしまったのである。つまり、「漫画は悪い」と決め付けた教育家や政治家、あるいは、知的権威者のような者達は、人種差別主義者と同じ過ちを犯しているのだと思う。

初音ミクさんが嫌いだと言う人がいても、私は、それは仕方がないと思う。
全ての人が、初音ミクさんを好きになれと言う気は毛頭ない。

人によっては理解不能で
なんて耳障り ひどい声だって言われるけど
~ODDS&ENDS(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~

理解不能だろうと、その人が劣っている訳ではない。
しかし、優れている訳でもない。

CINRAのサイト(下にリンクを記載)で見たが、偉大な音楽家の美輪明宏氏が、同社のインタビューに答え、初音ミクさんについて、「電気を通した表現はあまり感心しない」、「音の変化に乏しい、同じフレーズを繰り返しているような電子音楽」と言っておられ、それはそれで、個人の感想として全く問題ないが、美輪氏は、結局、初音ミクさんの歌は劣っているという方向に持っていってしまっていると思う。
芸術とは何か? 美輪明宏、モノクロの社会を斬る

国民的スターの中居正弘氏が、2年ほど前だと思うが、ビートたけし氏らとの対談で、「初音ミクのライブに1万人集まることが理解できない」と言い、それを「ただのCGを見に行っている」、「性処理までCGでやるようになる」という方向に持っていってしまっていたと思う。
これも、中居氏が、「私は初音ミクのようなものは嫌い」と言うなら、全く何の問題もないが、やはり、初音ミクさんは劣ったもので、そのファンも劣った人間であるという論調だったと私は感じた。
ビートたけし氏も同じ見解であるような発言をしていたが、彼は初音ミクさんについて、あまり知らないといった雰囲気で、番組の必要性から中居氏に同調していただけと思える。
対談の音声は、Youtubeの以下のリンクにあった。
中居くん「初音ミク」のライブに1万人集まることが理解できない。芸能人3人が語る初音ミク

好き嫌いは、大いに言って構わないのである。
男性が、「俺はショートカットの女性がロングヘアの女性より好き」だとか、「俺は清純派の女性が好きで、男慣れしたのは嫌い」と言うのは、何の問題もない。
しかし、「清純派の女性は男慣れした女性より優れている」という話にすり替えてしまうと問題なのである。
人種差別などの悲劇、さらには、思想的な問題や宗教が関与する戦争というのは、「好き嫌い」が「優劣」にすり替えられて起こったのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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